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http://mainichi.jp/opinion/news/20131029ddm003070090000c.html 以下全文
火論:ただ命令があれば=玉木研二
毎日新聞 2013年10月29日 東京朝刊
<ka−ron>
東京・岩波ホールでの上映初日、風雨にかかわらず、1回目から入りきれないほどだった。
評判の「ハンナ・アーレント」(マルガレーテ・フォン・トロッタ監督)は劇映画だが、ナチ戦犯アイヒマンを裁く法廷シーンでは、実録フィルムでアイヒマン本人が登場する。この効果が大きい。
ユダヤ人を貨物や家畜のように扱い、死地へ追いやる強制収容所移送を指揮した元親衛隊幹部である。敗戦後に逃亡し、変名してアルゼンチンで暮らしているところをイスラエル諜報(ちょうほう)部が急襲、逮捕した。1960年5月11日、日本では安保条約改定をめぐる激しい対立と混乱がピークに達したころだ。
エルサレムの法廷でこの初老の男は、時にいらだちをのぞかせ繰り返し弁解した。
「私は命令に従ったまでです」「それが命令でした」「すべて命令次第です」「事務的に処理したのです」「私は一端を担ったにすぎません」「さまざまな部署が担当しました」……。
亡命ユダヤ人の哲学者ハンナ・アーレントは裁判を傍聴し、そこに「平凡な人間が行う悪」を見いだす。人間的な思考を放棄した者が空前の残虐行為をなすおぞましさ。
アイヒマンは学業不振などで学校は続かず、20代で親衛隊に入隊した。やがてユダヤ人移送担当になり、実績を上げて評価される。
移送列車運行のスケジュールを綿密に立て、戦争の敗勢で移送が難しくなってさえ、計画の完全実施にこだわったといわれる。その結果に思いを致すより、上から期待され、評価されることこそ重要だったのだろう。
思考の力を失い、機械的に命令や職務権限を果たしていく凡庸な軍人、官僚。それがホロコースト(大虐殺)を遂行可能にする動力ともなる。彼にとって犠牲者数は統計上の数字にすぎない。
映画は、アーレントの洞察に対する社会の非難と、それに屈しない彼女の毅然(きぜん)とした姿を描き、心を打つ。
そして、アイヒマンの機械のように冷たい、どこかぼんやりしているような風情も不気味に残る。
彼は極めて特異な例外的存在なのだろうか。今日も世界に絶えない大規模な破壊行為だけでなく、社会の組織的な大きな過ちや錯誤にもその小さな影を見ないだろうか。
61年12月15日死刑判決。
「この日エルサレムは雨と風がひどかったにもかかわらず、傍聴人席は超満員だった」と外電は伝えている。(専門編集委員)
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つぶやき
↑ を読んだときにすぐに旧日本軍の「命令」を思い出し・・・続いて「私は貝になりたい」と言う映画を思い出した。我が家にそのDVD 映画があったので先日 見直して見たことも思い出した。 軍隊で「命令」は絶対であり、そむくと営倉いりか?下手をすれば死刑もありうると言う。
上の記事に
>アイヒマンは学業不振などで学校は続かず、20代で親衛隊に入隊した。
これは驚きました。 そしてポルポトが子供を使い多くのインテリの大人を虐殺させたことも頷けるものでした。 ポルポトも毛沢東も やがて自分の地位を奪うのはインテリだと思ったのでしょうね?「敵となる奴は先にやっつける」 独裁者の特徴ともいえるようです。
昨夜 見たTVのセリフを思い出す。
「おんなは家の中で子育てに忙しいのにオトコはそとで勝手に戦争ばかりやっている・・・」
そのようにならない国や社会が望ましい
きょうは曇り空で外気温 14度 チト肌さむい。 無風 (午前6時)
きょうは11月 4日の「田浦公民館 文化祭」で手話の会で聾の方々と健常者との防災の劇をする予行練習の日である。私は出場は辞退したが応援に駆けつける心算である。
聾の方々は耳が聞えないので防災サイレンも聞えません。スピーカーの避難情報も聞えません。 聾の人は周りの人々が何故 走るのかも分かりません。
東日本大震災でも聾の方で多くの方が亡くなられました。人の声が分からない悲劇でもあります。私も人様の会話は殆ど分かりません。
聾の人は耳が聞えないことを手で耳を覆い自分は耳が聞えないことを報せますが健常者にはその意味が分からない場合があります。
健常者の方が「私が避難所に案内します」と言っても何も分かりません。
簡単な手話を知っていれば聾の方にそれを伝えることが出来ます。
「あなたと一緒に逃げましょう」は先ず 人指し指で相手を指差す(あなた) 次に両手の人指し指をあわせ(一緒)・・・両手を前後に交互に振り走る真似をする。 (走る・逃げる)
>アイヒマンの息子がユダヤ人女性と交際しており、彼女に度々父親の素性について話していたことから、・・
イスラエルの情報機関がそれを掴んだ。「天網恢恢そにして漏らさず」・・・わが子がその一端をもらした。皮肉ですね。
瀬戸内の海は静かですね。その穏やかさに安らぎます。
秋の装いを見せ始めた10月も後1日になりましたね。
10月度最後の四国巡礼旅Ⅱの思い出に御付き合い頂、コメントやグッドを有り難うございました。
*「アイヒマン」聞いた名前でしたが良くは知りませんでした。
解説で理解する事が出来ました。
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('_')今朝は私の住む周りで今も咲く夏の花達をアップしましたので御覧下さいネ!
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