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http://mainichi.jp/opinion/news/20130823ddf041070018000c.html
憂楽帳:ウサギの島
毎日新聞 2013年08月23日 大阪夕刊
瀬戸内海に浮かぶ大久野島(広島県竹原市)は、周囲4キロに数百羽のウサギが生息する静かな無人島だ。小学4年の遠足で訪れた時、旧日本陸軍が中国戦線に使った毒ガス製造工場の施設跡を見た。
製造に従事した島周辺の住民は戦後、気管支炎や肺がんに苦しんだ。対岸の病院で治療にあたった行武正刀(ゆくたけまさと)医師は、不十分な装備のまま軍の指示に従った様子などをカルテに書き込み、証言を本にして世に出そうとした。だが、4年前に74歳で亡くなった。
その遺志を長女の則子さん(44)が引き継いだ。昨年、277人の証言集「一人ひとりの大久野島」(ドメス出版)の出版にこぎつけた。「防護面をかぶっていてもガスにやられ、顔が黒くなり、目も喉もひどくやられました」。普通の人々が強いられた理不尽さを記録している。則子さんは「父からバトンを受け取った。当時の様子が分かる証言を、後世に引き継ぎたい」と語る。
戦争を体験していないが、ウサギと遊んだ島の思い出が、苦しんだ人たちの証言と重なる。体験者から戦争の残酷さを受け継ぎ伝えたい。【古屋敷尚子】
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つぶやき
瀬戸内の毒ガス島は戦後知ったくらいで週刊誌などでよく紹介されていた。製造に従事された方々の後遺症も報道されていた。
きょう ネットで購入した古いTVドラマの「蛍の宿」DVDを見たが戦争の悲哀が語られていた。若い特攻隊員と女郎屋との出会いと別れの話である。
私の子供時代を思いだす。岩国にも錦帯橋の下(シモ) に遊郭があり兵隊の姿をよく見かけたものだ。
「あそこには出撃の前に行くそうだ」という噂をよく聞き判ったような・・・顔をしていた。
何も判らぬくせに・・・・。
今日は身体がだるく熱も下がらずプールに行くのはやめた。
一日中 家の中でゴロ・ゴロしているとカミさんが「あんたは直ぐに止める」と怒っていた。
かみさんは病院に行ったり・・・・帰ったら直ぐに散歩に出かけた。
私は買い置きのアイスクリームをしゃぶりながらTVを見ているうちに寝てしまった。
グーダラ爺のグーダラ日記になった。
目が覚めるともう外は暗くなっていた。雨が降ってきたようだ。熱は37度を少し越している。
TVでは米国で医師が死亡を宣告して45分後に蘇生したニュースが報道されていた。
怖い話だ。
昔 勤めていた会社の嘱託医の先生に「現代のお医者さんが死亡を宣告して その後 蘇生することはありますか?」と尋ねたことがあるが嘱託医の先生は
「それは絶対にないですよ」と言われたことを思い出す。
「絶対」という言葉が軽くなったようだ。
子供のころ焼却炉から出した死者の骨が「うつぶせ」になっていた・・・怖い話を聞いた。鳥肌がたった。 暫くは葬式のあと焼き場に行くのにも怖くて行けなかった。
私を焼くなら完全に死んでからにしてくれ・・・・と言いたい。
なんだか おかしな話になった。きょうは亡き父の祥月命日だった。
日本酒を飲んで亡き父を偲ぶ。
私は昨夕方に39、6という高熱を出して倒れました。朦朧とする意識の中で懸命に考えて、救急車を呼ぶ事を思い切り、電話に手を伸ばしたときに家内が帰宅。「おい、病院へ〇◎☆△~」と、ろれつの廻らない言葉で頼んで、近所の内科へ。早速点滴治療を受けて、解熱剤を飲み、少し楽になりましてから帰宅しました。
あのまま意識を失って仮死状態のまま火葬されたら、ゾッとします。実際に江戸時代の棺桶の蓋の裏側には爪で引っ掻いた跡があるものがあると聞いた事があります。
39度を越す発熱は私は経験がありません。気をつけて下さい。
棺の蓋の爪の跡・・・よく聞きますが これは土葬の場合ですね。現代は火葬ですから私は怖いです。法律では24時間経たないと火葬できないことになっていますが死亡宣告の後 2~3日後に 蘇生した例はよく聞きます。雷に打たれて仮死状態だったとか?バイタル・サインが全くないのですね。現代医学は数値の世界です。癌とか持病があれば間違いない死だと思いますが事故死の場合はせめて72時間は経過して火葬する法律が欲しいです。
アプリさんもご自愛ください。いつも応援&コメント有難うございます。