検査入院は20日午前10時と決まっていた。定められた時間に入院した。
その時 以来、何かとお世話になった多くの若い看護婦さんが親切に入院に際しての説明をされた。
非常に感じがいい。
何時もニコニコしながら私の病室のカーテンを引き入って来られて、開けたカーテンを閉めながら
「具合は如何ですか?」と聞かれた。
「具合も何も、今 入院したばかりで何も分かりません」
「そうですね、入院は初めてですか?」
「いいえ、はるか昔、長く入院したことがありますが・・・」
「そうですか、では入院生活には余り不安はありませんね?」
「いいえ、そうでもありません、当時は若かったですから・・・・」
「歳を取りますと何かと不安です」
「若し何か不安でしたら遠慮なく私たちを、其処のコール・ボタンで呼んでください、直ぐに参りますから・・・」
取り留めのない話でなんとなくこちらの不安を取り除いていただく。
あっと言う間にお昼になり始めての入院食である。
想像以上に美味しかった。
それに食事は全て看護婦さんが私の病室まで持ってきて頂ける。
私が廊下に取りに行く必要はない。
ただ食事が済んだ後の返納は自分でキャスターの車まで運ぶ。
カミさんもトレイに載ったお昼の食事を見て「いいね」といったものだ。
その後、体温測定、薬の検査(飲む薬を朝、昼、夜、等に分類して入れる小箱を渡される)
が行われる。
検温にしても何をするかが告げられて行われる。
そして、そのたびに私の名が確かめられる。
翌日、午後 若い何時もの看護婦さんが私のカーテンで区切られた部屋に来られてニコニコしながら
「○○さん毛をそらせて下さい」
「毛・・?」
「はい、手術ですからね」 覚悟はしていたが、
こう、あっけらかんに言われると、へんなもので
「分かりました」
「では下着を下ろしてください」もう、こうなっては俎板の鯉である。
えい、とばかりに目を瞑り下着をさっと思い切りよく降ろした。
「今日はいよいよ、検査ですね」
「何時ごろですか?」
「多分3時ごろからではないでしょうか?」
「先生の都合と前の方の手術の都合か何かで今は、はっきりしていません」
「手術の時はお知らせに参ります」
「手術は歩いて行くのですか?」
「いいえ、車椅子で行きます」
看護婦さんとは、このような会話をしながらも私の息子の髭は綺麗に剃られたのだ。
「はい終わりました」といわれ私は目を開けて下着を上げる。
「後ほど手術を報せにきますので、そのときには、この手術着に着替えてください」
そういわれて看護婦さんはナース・センターに帰られた。
慣れたものである。
看護婦さんが帰られた後 どうも、下がスウ・スウして来た。
変な気持ちである。
なるほど、この毛は有っても、なくても良いものだが、ないと、どうも格好がつかない。
何かの本で読んだことだが「医学博士号」とは、あそこの毛のようなものだ。
有っても無くても別に支障はないが、ないと医者としての格好が付かない」
と書いてあったが、この博士号と一緒にするのは甚だ失礼だが実際自分が、
その憂き目に会うとよく納得した。
以来、裸、同然の私は、まさに手術台では俎板の鯉と化す。
検査は局部麻酔で時々鋭い痛みがある程度で 約1時間少しで終了する。
最初の検査は右腕からカテーテルを挿入して心臓に血管造影剤を注入して撮影する。
手術後に、その映像を見せて頂きお医者さまからカミさんと共に説明を受けた。
動いている自分の心臓の映像は不思議なものを見ているようだった。
血管の一本の一部が(拡大映像で約1.5cm~2.0cmくらい)全く消えているが、
その先は血が通っているようだった。
お医者さんは
「かろうじて血液が通じているのですね」
「このまま、放置するのは危険と思います」と言う言葉で引き続きステントの手術を受けること事をその場で了承する。
ところで、我が息子であるが、そのような事情で、またもや若い看護婦さんに、お披露目となることになった。
看護婦さんにとってはなんでもない日常活動にすぎないと思うが・・・。
その後は看護婦さんが消毒や、なにやかやで、縮み挙がった我が息子は看護婦さんの前で益々小さくなってきて
私はどうしようもない、やり切れない気持ちである。
さて
肝心のステント手術は右足の付け根から2本のカテーテルを挿入して、
詰まっている心臓の血管を風船で膨らまして其処にステントと言うメッシュの管を装着する。
この手術は検査より少し時間が長くかかったが、無事終わりホッとしたものだ。
おかげで、この我が息子の惨めな気持ちは、また暫く続いた。
手術の済んだ後の結果は未だ、なんともいえないが、
手術後の映像はカミさんが見ていて完全に詰まっていたような血管は
正常に血液が流れていたように見えたと聞いた。
それでも、時に以前に似た症状を感じて不安になることもある。
一口に心臓病と言っても沢山在るようだ。
ある文献に拠るとステント装着後その先の毛細血管が潰れることもあるとか?
この説明は受けなかったが気をつけよう。
心臓病は分からないことだらけだ?
ステントを入れたといって安心は出来ない
歳をとるとイロイロと身体の故障が出てくる。
あと、どのくらい生きていられることやら・・・?
カミさんが「死ぬまで生きられるよ」
「気楽にやんな!」
くそ爺を励ましているのやら?けなしているのやら?
その時 以来、何かとお世話になった多くの若い看護婦さんが親切に入院に際しての説明をされた。
非常に感じがいい。
何時もニコニコしながら私の病室のカーテンを引き入って来られて、開けたカーテンを閉めながら
「具合は如何ですか?」と聞かれた。
「具合も何も、今 入院したばかりで何も分かりません」
「そうですね、入院は初めてですか?」
「いいえ、はるか昔、長く入院したことがありますが・・・」
「そうですか、では入院生活には余り不安はありませんね?」
「いいえ、そうでもありません、当時は若かったですから・・・・」
「歳を取りますと何かと不安です」
「若し何か不安でしたら遠慮なく私たちを、其処のコール・ボタンで呼んでください、直ぐに参りますから・・・」
取り留めのない話でなんとなくこちらの不安を取り除いていただく。
あっと言う間にお昼になり始めての入院食である。
想像以上に美味しかった。
それに食事は全て看護婦さんが私の病室まで持ってきて頂ける。
私が廊下に取りに行く必要はない。
ただ食事が済んだ後の返納は自分でキャスターの車まで運ぶ。
カミさんもトレイに載ったお昼の食事を見て「いいね」といったものだ。
その後、体温測定、薬の検査(飲む薬を朝、昼、夜、等に分類して入れる小箱を渡される)
が行われる。
検温にしても何をするかが告げられて行われる。
そして、そのたびに私の名が確かめられる。
翌日、午後 若い何時もの看護婦さんが私のカーテンで区切られた部屋に来られてニコニコしながら
「○○さん毛をそらせて下さい」
「毛・・?」
「はい、手術ですからね」 覚悟はしていたが、
こう、あっけらかんに言われると、へんなもので
「分かりました」
「では下着を下ろしてください」もう、こうなっては俎板の鯉である。
えい、とばかりに目を瞑り下着をさっと思い切りよく降ろした。
「今日はいよいよ、検査ですね」
「何時ごろですか?」
「多分3時ごろからではないでしょうか?」
「先生の都合と前の方の手術の都合か何かで今は、はっきりしていません」
「手術の時はお知らせに参ります」
「手術は歩いて行くのですか?」
「いいえ、車椅子で行きます」
看護婦さんとは、このような会話をしながらも私の息子の髭は綺麗に剃られたのだ。
「はい終わりました」といわれ私は目を開けて下着を上げる。
「後ほど手術を報せにきますので、そのときには、この手術着に着替えてください」
そういわれて看護婦さんはナース・センターに帰られた。
慣れたものである。
看護婦さんが帰られた後 どうも、下がスウ・スウして来た。
変な気持ちである。
なるほど、この毛は有っても、なくても良いものだが、ないと、どうも格好がつかない。
何かの本で読んだことだが「医学博士号」とは、あそこの毛のようなものだ。
有っても無くても別に支障はないが、ないと医者としての格好が付かない」
と書いてあったが、この博士号と一緒にするのは甚だ失礼だが実際自分が、
その憂き目に会うとよく納得した。
以来、裸、同然の私は、まさに手術台では俎板の鯉と化す。
検査は局部麻酔で時々鋭い痛みがある程度で 約1時間少しで終了する。
最初の検査は右腕からカテーテルを挿入して心臓に血管造影剤を注入して撮影する。
手術後に、その映像を見せて頂きお医者さまからカミさんと共に説明を受けた。
動いている自分の心臓の映像は不思議なものを見ているようだった。
血管の一本の一部が(拡大映像で約1.5cm~2.0cmくらい)全く消えているが、
その先は血が通っているようだった。
お医者さんは
「かろうじて血液が通じているのですね」
「このまま、放置するのは危険と思います」と言う言葉で引き続きステントの手術を受けること事をその場で了承する。
ところで、我が息子であるが、そのような事情で、またもや若い看護婦さんに、お披露目となることになった。
看護婦さんにとってはなんでもない日常活動にすぎないと思うが・・・。
その後は看護婦さんが消毒や、なにやかやで、縮み挙がった我が息子は看護婦さんの前で益々小さくなってきて
私はどうしようもない、やり切れない気持ちである。
さて
肝心のステント手術は右足の付け根から2本のカテーテルを挿入して、
詰まっている心臓の血管を風船で膨らまして其処にステントと言うメッシュの管を装着する。
この手術は検査より少し時間が長くかかったが、無事終わりホッとしたものだ。
おかげで、この我が息子の惨めな気持ちは、また暫く続いた。
手術の済んだ後の結果は未だ、なんともいえないが、
手術後の映像はカミさんが見ていて完全に詰まっていたような血管は
正常に血液が流れていたように見えたと聞いた。
それでも、時に以前に似た症状を感じて不安になることもある。
一口に心臓病と言っても沢山在るようだ。
ある文献に拠るとステント装着後その先の毛細血管が潰れることもあるとか?
この説明は受けなかったが気をつけよう。
心臓病は分からないことだらけだ?
ステントを入れたといって安心は出来ない
歳をとるとイロイロと身体の故障が出てくる。
あと、どのくらい生きていられることやら・・・?
カミさんが「死ぬまで生きられるよ」
「気楽にやんな!」
くそ爺を励ましているのやら?けなしているのやら?
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