美しい名橋 錦帯橋の下を静かな せせらぎの音をたてながら錦川の川水は下る。
約半里 下ったところに一辺一里の三角州の頂点の「楠の木」と言う処で西に門前川、東に今津川と名を変えて瀬戸内海に流れ注いでいる。
この三角州の瀬戸内海に面した所に大東亜戦争時 旧海軍飛行場があった。
ここから過って多くの海軍特別攻撃隊のゼロ戦が飛び立ったのだ。
当時 私は国民学校5~6年生だったが私の両親は海外に居て私は祖父母の元で育てられていた。
私自身何故だか分からぬままに学校が終わると一人この「楠の木」に来て本を読み、或いは寝っ転がり時間を過ごしたものだ。
あれは、特攻機の出撃が激しくなった丁度今頃と思う。
何時ものように「楠の木」に来て寝っ転がり澄み切った秋の空を見ていると何処からか初めて聞く哀愁の音色を含んだ「故郷」の歌が聞こえて来た。
寂しい音色であったが子供ながら妙に気を惹かれた。
その音色は毎回「荒城の月」「赤とんぼ」等 2~3曲で静かに終わる。
その後、また 聞きたいと思い学校が終わると今まで以上に「楠の木」に行く回数が多くなった。
ある日一体 あの音はナニだろう?と歌が聞こえると立ち上がりまわりを見渡すと 少し離れたところで海軍士官が制服のままで銀色の棒を口にくわえて両手でそれを動かし吹いている。
恐る恐る音に惹かれる如く側に寄るとその士官は
「お前か?」
「一人なのか?」
「ハイ 一人です」
「何時もここに来ているようだな?」
「ハイ 綺麗な音色に引かれています」少しの会話の後に
「ここに座るか?」
「いいですか?」
「ああ ・・・」
「その吹いているのは何ですか?」
「これか?ハーモニカと言うものだ」
「これはすでに旅たった(出撃者)先輩から譲られた物だ」
その後 その士官と数度会った。
ある日 再び会った時に突然
「おい!坊主 このハーモニカお前にやろうか?」と聞かれた。
「いいのですか?」
「ああ もう お前とは会えないからな」私には言葉の意味は直ぐに判った。
士官は「これは このようにして吹く」と言ってドレミファ・・・と吹いて見せた。
そして渡されたハーモニカを受け取ると 私はそォ~っと口にくわえ吹いた。
音は直ぐに出た。 少し習っただけで音を探りながら2~3フレーズは吹けた。
「よし!おい坊主 将来何になる?」
「ハイ 飛行機乗りになりたいです」
「そうか それなら江田島に行け」
「兵学校ですか?」
「そうだ。兵学校だ」
「出来れば中学は広島がいいな・・・」
「ハイ」
「頑張れよ・・・」それがその士官との最後の会話となった。
数日後 学校の担任の先生(女性)が朝 教室に入って教壇の机の上に突然泣き崩れた。
「みなさん 今朝 早く 出撃しました」それは先生の下宿していた家に同じく下宿しておられた海軍士官が早朝出撃されたらしいと生徒たちには分かった。
私たちはただ泣き崩れた先生を見ているしかなかった。
その内に女子生徒が先生のもとに駆け寄り共に泣いていた。
私はあの哀愁の篭ったハーモニカの音色を思い出していた。
あの士官も出撃したのだな・・・私の鞄の中に、あのハーモニカがあった。
そ~と触りながら今日はあの「楠の木」に行ってみようと考えながら・・・
思い出のハーモニカは中学の寄宿舎で原爆の爆風により寄宿舎諸共に消え失せた。
約半里 下ったところに一辺一里の三角州の頂点の「楠の木」と言う処で西に門前川、東に今津川と名を変えて瀬戸内海に流れ注いでいる。
この三角州の瀬戸内海に面した所に大東亜戦争時 旧海軍飛行場があった。
ここから過って多くの海軍特別攻撃隊のゼロ戦が飛び立ったのだ。
当時 私は国民学校5~6年生だったが私の両親は海外に居て私は祖父母の元で育てられていた。
私自身何故だか分からぬままに学校が終わると一人この「楠の木」に来て本を読み、或いは寝っ転がり時間を過ごしたものだ。
あれは、特攻機の出撃が激しくなった丁度今頃と思う。
何時ものように「楠の木」に来て寝っ転がり澄み切った秋の空を見ていると何処からか初めて聞く哀愁の音色を含んだ「故郷」の歌が聞こえて来た。
寂しい音色であったが子供ながら妙に気を惹かれた。
その音色は毎回「荒城の月」「赤とんぼ」等 2~3曲で静かに終わる。
その後、また 聞きたいと思い学校が終わると今まで以上に「楠の木」に行く回数が多くなった。
ある日一体 あの音はナニだろう?と歌が聞こえると立ち上がりまわりを見渡すと 少し離れたところで海軍士官が制服のままで銀色の棒を口にくわえて両手でそれを動かし吹いている。
恐る恐る音に惹かれる如く側に寄るとその士官は
「お前か?」
「一人なのか?」
「ハイ 一人です」
「何時もここに来ているようだな?」
「ハイ 綺麗な音色に引かれています」少しの会話の後に
「ここに座るか?」
「いいですか?」
「ああ ・・・」
「その吹いているのは何ですか?」
「これか?ハーモニカと言うものだ」
「これはすでに旅たった(出撃者)先輩から譲られた物だ」
その後 その士官と数度会った。
ある日 再び会った時に突然
「おい!坊主 このハーモニカお前にやろうか?」と聞かれた。
「いいのですか?」
「ああ もう お前とは会えないからな」私には言葉の意味は直ぐに判った。
士官は「これは このようにして吹く」と言ってドレミファ・・・と吹いて見せた。
そして渡されたハーモニカを受け取ると 私はそォ~っと口にくわえ吹いた。
音は直ぐに出た。 少し習っただけで音を探りながら2~3フレーズは吹けた。
「よし!おい坊主 将来何になる?」
「ハイ 飛行機乗りになりたいです」
「そうか それなら江田島に行け」
「兵学校ですか?」
「そうだ。兵学校だ」
「出来れば中学は広島がいいな・・・」
「ハイ」
「頑張れよ・・・」それがその士官との最後の会話となった。
数日後 学校の担任の先生(女性)が朝 教室に入って教壇の机の上に突然泣き崩れた。
「みなさん 今朝 早く 出撃しました」それは先生の下宿していた家に同じく下宿しておられた海軍士官が早朝出撃されたらしいと生徒たちには分かった。
私たちはただ泣き崩れた先生を見ているしかなかった。
その内に女子生徒が先生のもとに駆け寄り共に泣いていた。
私はあの哀愁の篭ったハーモニカの音色を思い出していた。
あの士官も出撃したのだな・・・私の鞄の中に、あのハーモニカがあった。
そ~と触りながら今日はあの「楠の木」に行ってみようと考えながら・・・
思い出のハーモニカは中学の寄宿舎で原爆の爆風により寄宿舎諸共に消え失せた。
当時 楠木のふもとでよく海軍士官がハーモニカを静かに吹く方を見ました。
あの音色は切ないですね。子供心にその切なさを強く感じたものでした。若しも岩国行かれれば楠木に行ってみてください。ただ当時とはかなり印象は変わっていますが場所は同じです。
私が楠木に最後に行ったのはもう15年くらい前でした。あれからは行っていません。
ハーモニカは既に無く今は聴覚障害で満足に音も聞くことができません。
御訪問有り難うございました。
P.S. 吹かれていたた曲に何故か戦歌の思い出はなかったですね。「故郷」「荒城の月」「赤とんぼ」等でした。
さしつかえなければ、わたしのFBに引用を画像を使わせて頂けますでしょうか。
金本悟
当時はまだブログを始めた頃でろくに決まりを知らなく「このくらい」と言う気持も強かったと思います。撮影者には申し訳ないことをしました。
今となっては やはり削除して自分の画像に替えるべきでしょうね。探して替えることにします。申し訳ないですね。
ありがとうございます。
それでは、本文のみを使わせていただきます。
今年も、また、広島の原爆記念日、長崎の原爆記念日、そして終戦記念日を向かえようとしています。
生命の大切さをハーモニカに託してくださった方々の息吹を大切にしながら、ハーモニカを習っていこうと思います。
感謝しつつ、祈りつつ、
金本悟
実は戦争について舞台で発表をする機会があり、私は初めてハーモニカで「ふるさと」を吹く予定です。
戦争や、ハーモニカについて調べていた際に、こちらのブログに辿り着きました。
実際に当時を体験されたご本人の手記を、新しい時代の象徴のようなこの場で読むことができるとは思いませんでした。
とても失礼だと思いますが、20代の私にとって、ここに書かれた内容はまるで映画のあらすじを読んでいるようで、泣き崩れた先生や聞こえたハーモニカの音、士官さんの声や当時の空気は、想像するしかありません。
最後の一文をどのようなお心持ちで書かれたのか、想像することすらおこがましいように感じます。
今はハーモニカをお持ちなのでしょうか?それとも当時以来、吹いてはいらっしゃらないのでしょうか?
様々な想いがあるかと存じますが、この記事に出会えたことを幸いに思います。
まだ発表まで時間がありますので、大事に練習して、良い作品を作ります。ありがとうございました。
私の場合は10才前後のことです。最近はややボケてきたのか?記憶も定かでなくなりました。当時は楽器など国民学校ではオルガンのみで歌は戦時曲が多かったと思います。もちろん他の楽器など知りません。そのようなときに哀愁漂うハーモニカの音色は子供心に惹かれました。
ハーモニカを貰った時は ただただ嬉しいのみで士官の死は想像外でしたと思います(名前も生死も不明です)。ただ 女性先生の涙に触れた時に初めて士官の「死」が目前に現れた気がしたと思います。
然しゼロ戦に乗りたいと言う私の気持ちには変わりはなかったのでは?当時 戦局は終末期ではなかったでしょうかね?
それでも兵学校はとても入学が難しく多分 私程度の学力では到底入学はできないと思いましたが受験だけでも・・・と言う気持ちには変わりはありませんでしたね。
受験前に終戦を迎えました。
ハーモニカは今は持っていません。一時は20本くらいはあったと思いますがメーカーはトンボでした。我流ですが、時々は吹いて家内に聞かせていましたが・・・。
そうそ 子供の時に戴いたハーモニカはC調でした。
最近は どうも音色が今の私には、どの調子のハーモニカも寂し過ぎて家内を失って以来 すべて廃棄しました。
好きなハーモニカはGマイナーでしたね。荒城の月など好きな曲でしたね。「故郷」もそうです。
歳をとるごとに岩国への望郷の念は強くなります。
時にハーモニカのテープを聞いていますが補聴器ではどうしても完全ではないです。
貴兄のコメントを戴いて、今夜はまた「故郷」などのハーモニカのテープを聞いてみたくなりました。
では ぜひ よい演奏を皆さんに届けてください。
コメント有難うございました。
osamu 拝