還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

貧しき時代の手紙と飯(メシ)

2006-09-26 07:29:43 | 戦後
昭和30年代前半は日本の国が貧しき時代から豊かな国に変化する端境期だったのではないかと思う。

私は北海道の現場に居た。

ある日 現場の土工の親方がプンプン怒っていた。

「なにか あったのかい?」覚えたての北海道弁で聞く。

「あ~ァ 監督さんかい?まァ 聞いてよ~、内の○○の野郎、こともあろうに俺の悪口を散々書いた手紙を妹に出していたのだ。全く腹が立つ!アレだけ腹いっぱい暖かい飯を食わせてやっているのに、とってつけたようなことにアレコレ吝をつけている」

「どうして、それが分かったのだ?」

「いや~奴のところに奴の妹から手紙が来たのだが、それを同じ村から来た連中に見せているのを俺がたまたま見てね、なんだ それは?と取り上げて、その手紙を見たらビックリしたよ、俺の悪口を散々書いている」

「へ~ェ なんで 妹の手紙で親方のところの○○さんが親方の悪口を言っているのが分かるのだ?」

「それが さ~ァ 奴の妹が書いて来た手紙は奴が書いた便箋(紙)の裏に書いてきたのだ 俺は知らずに最初に妹の返事の方を見たら俺のことがミソクソに書いてあった。これは何だと思って裏を見ると奴の書いた手紙の内容が判った次第だ」瞬間 私は返事に詰まった。

「親方の悪口がそんなに言えることは案外 親方は親切なのではないかい、私には○○さんは親方に甘えているように見えるよ、飯場が たこ部屋でない証だよ」 

「いいことではないの?」これだけ言うのが精一杯だった。

私は現場で真面目に働く親方の言う○○さんはよく知っていた。

「まァ ね、奴の妹の手紙の中に暖かいご飯が腹いっぱい食べられていいね、とも書いてあったがね」親方も少しは私に話して気が治まったのか普段に戻った感じだ。

親方は誰でもよいから話をしたかったのではと思う? 

親方の話では飯場で暖かい飯を食べさすのは冷や飯では暖かい飯の倍の量は食われるからだそうだ。

そのため食事の時間は決めて必ず暖かくして出すとも言っていた。

手紙のことを、もう少し聞くと封筒も送られた封筒を丁寧に裏返しにして作り直してあったとか、内地(本州)ではこれほど貧しくはないのではとも思ったが詳しくは私には分からない。

当時は「暖かい飯が食える」 多分 これも人夫を雇い入れる売りの言葉であったのでは・・・このような時代を経て今の日本の繁栄がある。

そういう私もバタ角で造られた骨組みに壁はパネルで屋根はトタン葺きで、朝起きた時には頭の周りには5cmくらい雪が積もる事務所で寝起きしていたのだ。

食事は通いの賄いのおばさんのお世話になっていたが・・・然し 貧しくとも人の温かみはあった時代であったと思う。


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