下記は上の記事の出だしです。
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「毛首席がお会いします」
突然そういわれて田中角栄、大平正芳、二階堂進の三人が会見にのぞんだ。
「もう喧嘩は終わりましたか」という毛沢東の名言はこのときのものだ。緊張のなかにも和気に似たものがあふれていた。
あれから40年!……(正確には44年か) 三人のうちのあるご子息から伺った話──。
「訪中した宴席でのこと、随員が『井戸を掘った人の恩は忘れないと言っていただいて以来今日まで友好関係がつづいたことは慶賀すべきことです』と述べたところ、先方の高官から思いがけない言葉が返ってきたのです」
ほうッ。
「いま私どもは、井戸水なんか飲んでいません。ミネラルウォーターです!」
まぁ、なんと。古い上着よさようなら……さらば「韜光養晦(とうこうようかい)」というわけですナ。その心は〈日本から取るべきものは取った。オレたちは今や大国なんだ〉というわけですか。
毛沢東は別の折、訪中した社会党(当時)の佐々木更三らを前にこういっている。
「皇軍が中国の大半を侵略しなかったら、中国人民は団結できなかった。皇軍はわれわれにとってすばらしい教師だった」
それはそうだろう。満洲事変以後、毛沢東は日本を格好の餌食ととらえ徹底的に「抗日」を煽ったのだから。中国共産党が政権の座にある正統性は「抗日戦勝利」というタテマエにしかないのだ。日本が侵略者でないと困る。
それはあちらの言い分だから仕方がない。けれどもこちら側でも「侵略戦争だった」と先さまに同調する人たちが大勢いる。
共同声明に至るプロセスで「ご迷惑をおかけしました」といったのだからそれで十分ではないか。中国側は「女性のスカートに水をかけた時に使う言葉ではないか」と不満気ではあったが、いや日本語では誠意をつくした言葉なのだと説明して中国側も「了」としたのではなかったか。中韓とも「むし返し」が大好きなお国柄であるらしい。
あのとき、もし角サンでなく岸信介だったらどうなっていただろうか。同時代を経験した両者なら意外と話が合ったかもしれない。岸信介は生前「東京裁判」についてこう語っている。
「戦争に負けたことに対して日本国民と天皇陛下に責任はあっても、アメリカに対しては責任はない。しかし勝者が敗者を罰するのだし、どんな法律のもとにわれわれを罰するか、負けたからには仕方がない。
ただ自分たちの行動については、なかには侵略戦争というものもいるだろうけれど、われわれとしては追いつめられて戦わざるを得なかったという考え方をはっきりと後世に残しておく必要があるということで、あの裁判には臨むつもりであった」(『岸信介の回想』 岸信介・矢次一夫・伊藤隆 文春学芸ライブラリー)
数多くの文献に当たり歴史の真実に迫る努力も大切だが、同時代の人々の証言が得られれば、なお立体化した歴史イメージを描くことができる。伊藤隆氏らがすすめてきたオーラルヒストリーの意義はそこにある。
「日本の侵略」を口にする人々に問いたい。いま中国がやっている諸々の覇権的行為は「侵略」ではないのか。チベット、ウイグルを虐げ、尖閣・沖縄に食指を伸ばし、南沙を掠め、内にあっては今世紀の出来事かと思わせるほどの拉致を含む人権・言論の抑圧──これらは人間精神への侵略にほかならない。
相手の宣伝に同調して過去の侵略をいい立てる前に「いまそこにある侵略」こそ問題ではないだろうか。(「歴史通」編集長 立林昭彦)
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まだまだ 記事は続いています。せめて ケント・ギルバートさんの記事まで お読みいただければ・・・。記事は沢山あります。どれも興味あふれる記事だと思いますが・・・さて あなた様には?
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