戦時国際法に無防備都市宣言が…
毎日新聞2016年1月27日 東京朝刊
戦時国際法に無防備都市宣言がある。町に軍隊はいないと宣言し、敵が平和進駐できれば戦禍は避けられる。大戦末期の米軍のフィリピン侵攻で、山中での持久抗戦を策した第14方面軍司令官の山下奉文(やましたともゆき)はマニラの無防備都市宣言を考えた
▲だが大本営陸軍部や海軍は方面軍の方針に反対し、結局マニラは砲爆撃や市街戦によって破壊される。日本軍の戦死1万2000、米軍は同1000、なのに民間人の死者は10万人を超えたといわれるマニラの戦いだった
▲「マニラの市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜(むこ)のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたいと思っています」。天皇、皇后両陛下の比訪問にあたり天皇陛下は「おことば」でとくにこう述べられた
▲先の大戦における比島全域の日本軍戦死者51万8000人は、満州事変以降の中国での日本軍の総戦死者数も上回る。そして比島住民の戦没者はそれに倍すると見られる。両陛下は日比国交正常化60年を記念するこの訪問で、両国それぞれの戦没者の慰霊碑を訪れる
▲両陛下には54年前の皇太子ご夫妻としての訪問以来の比国である。後年、天皇陛下はまだ対日感情が厳しかった当時の比国民の温かな歓待に感謝している。今日の両国の親善を喜び、戦争の惨禍を改めて心に刻む両陛下の旅は、両国民の友情の厚さの証しでもあろう
▲「戦いに連なるすべての死者の冥福を祈る」。日本の若い世代に忘れてはならぬ歴史を伝えてきた両陛下の「慰霊の旅」である。今またそれが諸国民との相互信頼の絆(きずな)となればどんなにいいだろう。
ソース : http://mainichi.jp/articles/20160127/ddm/001/070/105000c
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つぶやき
フィリッピン マニラで10万人を超える民間人が戦火に会い亡くなられたことは私は今 この記事で知ったことである。当時(昭和17年~19年)には日本は軍の報道管制のもとに日本国民には戦況の真の実態の事実は全く報道されずに、ただただ すべての戦場の勝利の報道内容を信用するだけであったと思う。
当時の私は10歳から12歳くらいで国民学校(現在の小学校)の生徒であった。
これら戦況の実態を否定するような言動は非国民と言われたようだったし、まかり間違えれば「スパイ」容疑すらかけられる状態ではなかったか?
戦争に民間人を交えてはいけないことは多分 日米両軍も認識していたと思うが大本営という怪物の前にはいかんともしがたい仕儀となったのでは?
山下将軍の話は当時もよく話題になった将軍であった。
>山中での持久抗戦を策した第14方面軍司令官の山下奉文(やましたともゆき)はマニラの無防備都市宣言を考えた・・・<
江戸城無血入城のような手段を想起させられた。残念ながら大本営という怪物に、この案は支持されず山下将軍は不本意な市街戦に持ち込まれたように見える。そして一般市民に多くの犠牲者が生まれたようだ。
戦後 フイリッピンの このような戦争事実は多分 かなり報道されたり本にもなり出版されていたと思うが残念ながら私は読んで居なかった。
その点 このたびの天皇 皇后 両 陛下のフイリッピン訪問は大変な意義があるように感じるものである。
特に
>▲「マニラの市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜(むこ)のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたいと思っています」。天皇、皇后両陛下の比訪問にあたり天皇陛下は「おことば」でとくにこう述べられた <
この天皇陛下の言葉にてフイリッピンの皆さんに少しでも心の安らぎが得られ日本人の気持ちが伝えられれば幸いと市井(シセイ)の日本人の一人として願うものです。
* 戦時国際法に無防備都市宣言がある・・・これも私は全く知らない国際法だった。大体 民間人では無縁と言えるようで実に大切な国際法だと改めて感じた。
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私事なれど最近 体調がすぐれぬ日が多くなった。血圧の異常変化(時に200近くなる)・脈拍の異常?・「足の浮腫み」も多少 酷くなったかな?ジン・ジン痛む。
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