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http://mainichi.jp/opinion/news/20130709k0000m070110000c.html 以下全文
記者の目:北朝鮮で亡くなった日本人
毎日新聞 2013年07月09日 00時21分
◇忘れられた異国の刑死
第二次大戦後、北朝鮮では3万5000人あるいはそれ以上の日本人が亡くなったとされる。
「埋葬地」とされるいくつかの場所への日本からの訪問が昨年始まり、先月も遺族11人が訪ねた。
しかし現地で消息を絶った日本人の中には墓参どころか死亡状況や場所がはっきりしない人も少なくない。そんな忘れられた人たちのことを考えた。
「お参りに行くべきかとは思ったけれど、平壌には行きたくありません」。
千葉県船橋市の山澤透さん(81)はそう言うと、失われた日々を思ったのか言葉を継げなくなった。
父佐一郎さん(1889年生まれ)は平壌で亡くなったとされる。
昨年秋、友人が平壌へ墓参の旅に出掛けると聞いたが参加しなかった。
佐一郎さんは戦前・戦中、日本支配下の朝鮮半島で27年間、検事を務めた。
終戦時は平壌覆審法院(高検に相当)検事長だった。
◇植民地支配責任 個人が負わされ
1945年11月に北朝鮮当局によって拘束され、46年に懲役20年(「無期」説もある)を宣告された。
「悪質前職罪」。起訴状は残っていないが、指導層にいた日本人官吏に対して付けられた罪名だという。日本の植民地支配の国家責任を個人が負わされた。
「検事長たりしが罪や月を仰ぐ」。
獄中でひそかに開かれた句会で、戦前・戦中に現地で予審判事を務め、やはり拘束された鎌田叶(かまだかのう)さんが佐一郎さんのことを詠んだと伝えられる。
佐一郎さんを残して引き揚げた家族には手紙が届いた。
「私は(家族から来た)十通のハガキを毎夜枕元において寝ます。十人と起居を共にして居る気持で、楽しくにぎやかな心持でハガキを眺めております」(47年10月18日付)
▽「私は神様の御守りと、お許(あなた)はじめ皆様のお祈りにより、元気でクリウム(クリーム)工場で働いております。
私は日本からの便りを見るのが一番の楽しみです。できるだけ沢山のお便りを下さるようお願いしてください」(48年5月24日付)。
クリスチャンだった佐一郎さんの最後の手紙は明るい調子で結ばれていた。
北朝鮮建国を機に、手紙は途絶えた。
妻ちとせさんは、北朝鮮残留者約30人の家族が結成した「待ちわびる心の会」に加わり、帰国実現に向け日本政府や旧ソ連大使館への陳情を続けた。
50年に朝鮮戦争が始まると、「北鮮のわが夫います獄舎には爆片だに落ちずあれかし」と案じた。
◇不可解な最期 遺族の心の傷に
「父が暴動を起こして処刑されたというのは疑問だ。
母は『どさくさで殺された』と言っていた」。山澤さんは北朝鮮側の不自然な説明に今も納得がいかないが、真相を知る手立てはない。母ちとせさんは3年後に亡くなった。
7人きょうだいの末っ子で、終戦の時、中学生だった山澤さんは、苦学して大学を出た。父の不可解な最期は「心に刻まれた傷」という。
一緒に知らされた官僚や技術者ら29人の安否は「死亡23人」「不明2人」。刑死のほか「朝鮮戦争中に米軍機に撃たれた」などと説明されたが、具体的な状況や日時は明らかにされていない。
4人の「生存者」のうち、後に帰国したことがはっきりしているのは名古屋市に住む加藤登美枝さん(68)とその姉(故人)だけだ。自力で中国に脱出後、「中国残留孤児」として帰った。
私は先月、本紙朝刊のルポ「ストーリー」で、加藤さんの人生を取り上げた。同時に、国の責任を負わされたまま異国に消えたこの人たちについても手がかりを手繰った。
安否不明とされた検事の次男からメールをいただいた。
「真相はわかりません」と記され、無念さやもどかしさがにじんでいた。
「占領地で検事という職についていた不運や動乱(朝鮮戦争)という予期せぬ出来事が父の帰国を妨げたもので、これ以上光を当てなければならないとは考えていません」ともあった。
結果的に国の植民地支配に関わったことが、残された家族を後ろめたい気持ちにさせるのだろうか。だが、もちろん検事だったことが罪であるはずはない。
日本が起こした戦争に翻弄(ほんろう)された彼らのことを歴史から消し去ってはいけないのだと思う。
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つぶやき・ぼやき
このような記事は今 初めて私は知ることだった。戦後70年ちかくもなり報道されるとは? これまで案外 報道はあったのかも知れないが何故か?私は知らない。
このようなことは他に沢山あると思うが「日本が悪いことした」と言う教育は行き届いている感じだ。義務教育の歪を感じるところだ。
特に戦後の日教組による生徒への影響が大きいと想像する。
戦中・戦後史の偏りがもたらした結果かも? 北朝鮮の拉致問題も肝心の日本外務省が外を向いている。最近 少し風向きが変わったような気もするが?
国民が国内で北朝鮮工作員により攫われて放置しているのも憲法違反だと思うがことは外国だ。
本来なら戦争をしても取り戻すのが国家の勤めだが・・・なにしろ「戦争放棄」と言うことが国民の命の前にはだかっている。
慰安婦問題・毒ガス問題・・・外国への配慮のみ先行して自国民が攫われたことがおざなりになっている。日本人の誰も怒らない。他人事と無関心といってよいほどだ。
もう来月は敗戦の反省日が来る。これからも謝り続けるのか?言うべきことを言って戦うのか? これも これからの日本外交いや~日本の国の「度胸試し」 ・・・・ 今の日本は余りに自虐思想に染まり過ぎていないか?
* きょうは参議院議員の選挙投票日だ。私もこれから投票を済ませて その足でプールに行き膝のリハビリに勤める予定だ。膝が中々よくならない。冨士の病?
最近は身体のだるさを酷く感じる。家の中でも椅子から立ち上がるのさえ辛い。
昨日の体重 71Kg 一週間前は74Kg あった・・・何故 体重が落ちたのか分からない。
外気温 23度 空は曇りである。日中は暑くなりそうだ。 (午前6時)
参議院選挙 投票用紙への書き方 ↓
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/8ce2a7a406770f25691ec8cb56bdb186
その反動は在日や朝鮮系日本人の反感に繋がります。若しも社会党が少しでも日本に有益なことをすれば在日や朝鮮系日本人に対する日本人の反動はないのですがね~・・・今は転換の時期がきているのだと思いますが・・・・。
同胞だから投票するというのは止めてもらいたい。
ミズホを見ると既に顔が醜くなってきています。