この写真を撮った以外、昨日の1日は外に出ることが無かった。
朝からお屠蘇と追加のお神酒のお酒をチビ・チビとやって、つい時間が取られたようだ。
送り届けられた「年賀状」を拝見するのも例年の楽しみである。
思わぬ方が「私のブログを読んでいるよ」との添え書きがあり驚かされたり。
差出人を見ても「はて、何方だったかな?」と首を傾(カシ)げる。
裏の賀状の印刷を見ても、どうも分からない。
「おい、この方は、あて名が俺になっているがお前の知り合いではないのか?」カミさんに聞く。
カミさんが手にして表を見て、裏を見て
「私ではないよ」と、これまた否定する。
一筆でも添え書きがあれば参考になるのだが?全て印刷だ。
でも、何処かで、その差し出した方の名は聞いたことがあるように感じたが思い出さない。
結局、私達夫婦は分からず仕舞いだった。
これも困る。
そうかと言うと水泳の先輩のM氏の意表を突いた賀状にはカミさんが
「この方はユニークな方だね。体力成績表とは工夫されているよ、この賀状を受け取られた方は“元気にしています”の添え書きより一段と中身が推測されていいね」
「来年からは私も真似をしようかしら・・・」としきりに感心していた。
そして
「あんた市役所が始まったら申し込んでね」
「えッ 俺が申し込むの?」
「嫌なの?」
「別に・・・」
「まあ、気が付いたら申し込んでおくよ」一枚、一枚、それぞれの年賀状に出された方のお心が滲みでていて私の即席の賀状が恥ずかしくなる。
「来年こそみなさんを驚かすような賀状を考えてだすことにしよう」と言うと
「あんた毎年そう言っているよ」
「そんな大掛かりな出来ないことを考えるからダメなの!」厳しいが当たっている。
「余計なことを言うな!」
「そういうのを“出鼻を挫く”って言うのだ。お前の悪い癖だな」
正月の最初の激突であった。
あっという間にお昼になるが腹が空かない。
カミさんが
「あら、もう1時よ。なにか食べる?」
「いらないよ」
「なんだかお腹が空かないのだ」
「そう、じゃ空いた時に言ってなにか作るわ」
私は連続物の時代小説を読み始める。
暫くすると
出されたジュウス
「ハイ、これでも飲んで?」と蜜柑のジュウスが出された。
「おう、ありがとう」本を読むのに夢中になっていると、
傍のカミさんの様子がおかしい?どうしたのかとカミさんが釘付けになっているTVを見た。
すると旅の芝居の家族の芝居の練習場面が映っていて小さな子供が涙を溢(コボ)しながら座長の父から叱咤をうけ“セリフ”を言っている。
「セリフを忘れたら芝居が終わるのだ。
何でもいいセリフを言え!“セリフ”は止めてはならぬ」ときつく叱っていた。
可憐ながら悲壮感もある。
「この子5歳だって・・・」カミさんが説明した。
それでも5歳の子が“セリフ”を泣きながら続けていた。
そして練習が終わった時に父の座長に両手をついて
「有難うございました」と礼を述べていた。
これには、つい、私も見とれた。
カミさんが涙を拭きながら
「この子幸せだね」
「辛い中に親子の繋がりが強いよ」と、つぶやくように言った。
暫く本を読むのを忘れて私もTVに見とれた。
このような親子もいらっしゃる。
その子も舞台の練習を終えたら、やはり子供だ。
母親にしがみついて泣いていた。
ほほえましい子供らしい姿だった。
ほッ とした。
読書を止めパソコンの電源をいれ暫くパソコンを見る。
妹から岩国弁の「メ-ル」が届いていた。ブログを読んでいたらしい。
インターネットのニュースでは母親を殺した長男が捕まった記事の見出しがあった。
正月早々、そんな痛ましい犯罪もあったのだ。
現実に戻された。
さてっと・・・・
きょうは今から少し近所を散歩しよう。
身体がどうも変だ。
窓から見える外は既に明るい。
着替えて出るか?
カミさんが
「少し散歩したら?」と丁度よい言葉を投げかけた。
これから少し散歩に出かける。
外はそれほどの寒気はないようだ。
多少は曇っている。
風はないようだ。
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