出かけるのでカミさんに
「おい ズボンを出してくれ」と言ったら、
「はい」と言って、やや黒い柄のズボンを出して呉れた。
「おい もっと明るいものはないのか?」と言うと
「これ だけだよ」
「なに~ィ?これだけ?」
「そうだよ・・これしかないよ」 とあっさりと言う。
「冗談ではないよ。もっとあるはずだ」 少し怒りを感じる。
「そりゃ~ズボンはあるよ・・・でもね胴回り105cmはこれだけよ」
「若しも あんたが95cmにでもなってくれれば、まだ2~3着はあると思うわ」
「それに、もう少し明るいのもあるかもね」と追い討ちを掛けられた。
くそったれ奴!
出されたズボンを履いて黙って家を出た。
お天気はよくないがそれほど膝の痛みは酷くない。
でも膝が痛いことは痛いのだがね。
カミさんへの腹立ちで痛さがふっ飛んだ?
← クリックをして頂ければ幸いです。
///////////////////////////////////////////////////////////////
時代の風:G8と原発事故=同志社大教授・浜矩子 (毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/
◇アプレ・フクシマの世界
先週、フランスのドービルで主要8カ国(G8)首脳会議(サミット)が開催された。開幕当日、フランスの国営放送、フランスドゥーが次のように報じていた。「今回のG8サミットでは、アプレ・ゲールならぬアプレ・フクシマが大きなテーマになる」
アプレはフランス語で「何々後」を意味する。ゲールは戦争の意だ。したがって、アプレ・ゲールは「戦後」である。このアプレ・ゲールという言葉、久しぶりに聞いた気がする。
アプレ・ゲールを広辞苑で引けば、「(1)第一次大戦後、フランスを中心として興った文学上・芸術上の新しい傾向(2)転じて第二次大戦後の若者の放恣(ほうし)で退廃的な傾向。また、その傾向の人。戦後派」とある。
日本でも、第一次大戦後の大正デモクラシー時代が日本版アプレ・ゲール時代として認識されている。それになぞらえて、第二次大戦後にも、戦後型の生き方を「アプレ」と呼ぶことがはやった。筆者の幼かりし頃にも、大人たちがそれなりの頻度で「アプレ・ゲール」を口にしていた。今、久々にその記憶がよみがえる。
日本では過去の流行語となったフランス語を、今、フランスのニュース番組の中で耳にする。しかも、日本が引き起こした原発大惨事とのかかわりにおいて。これには、なかなかいわく言い難い感慨が伴う。
アプレ・ゲールの反対、すなわち「戦前」がアヴァン・ゲールである。アプレとアヴァンではすべてが違う。戦争という分水嶺(ぶんすいれい)を境に、すべてが変わった。もう二度とあの境界線の向こうには戻れない。そのニュアンスが、この二つの言葉に込められている。日本語でも、「戦前」と「戦後」には、同様の語感がある。英語のプレウォー(prewar)とポストウォー(postwar)も同じだ。
フクシマの前と後では、何がどう変わるのか。変わるべきなのか。変わるべきではないのか。アプレ・フクシマの世界を我々はどう生き抜いていくべきなのか。フランスでのG8サミット開催を前にして、当地のメディアがこの問いかけを提示した。
大いなる歴史・社会上の変化を包含的に表現しようとしたアプレ・ゲールという言葉をもじって、日本の原発問題と向き合う主要各国の姿勢を問う。このセンスは、なかなかのものだ。この放送局は、時折、こうした文学的センスを発揮する。これぞ、フランス流エスプリの真骨頂というところか。
それはともかく、G8の首脳たちはアプレ・フクシマを果たしてしっかり直視したか。なかんずく、日本に関してはどうか。政策責任者たちは、アプレ・フクシマについてどのような構想を抱き、どのような気構えをもって臨もうとしているのか。
そもそも、正確にいえば我々はまだアプレ・フクシマに至っていない。フクシマはまだまだ進行中だ。次々ととんでもない事実が発覚する。開いた口がふさがらない日々が続く。
むしろ、一刻も早くフクシマにアプレの札を張れるところまで、こぎ着けなければならない。ところが、そこに至る道は何と遠そうで、何と険しそうであることか。その過程で、何が起こるかわからない。
こんなに危険な旅路が続くというのに、ややもすれば、政争が前面に出る政策責任者たちの行状は犯罪的だ。電力供給責任者たちの右往左往ぶりは目に余る。原発管理責任者たちのふがいなさには怒り心頭に発する。
問題のすべてがアヴァン・フクシマにあった。その意味では、現野党の自民党の責任は重大だ。そんなことは、あえていうまでもないはずだ。その自覚を持って現状に臨もうとしないのであれば、彼らに再び政権につく資格無しだ。
ここで、しばしアプレ・ゲールの方に立ち戻ろう。その意味するところには、二つの側面がある。広辞苑の定義をもう一度ご覧いただきたい。そこには、「過去にとらわれない新しさの追求」と「価値観の喪失を背景とするなげやりさ」の二つの雰囲気が漂っている。対極的なイメージだ。だが、思えば、新しさの追求が挫折すれば、その挫折がもたらすものは、やる気のなさと魂の荒廃だ。その意味で、この両者は背中合わせだ。
アプレ・フクシマは、いずれの世界になるのか。もとより、なげやりさの方向に沈み込んでいくことは許されない。過去にとらわれず、新たな気構えでまともなエネルギー政策と原子力政策を追い求めていくことが、待った無く、妥協の余地無き課題である。
ただし、過去にとらわれないということは、過去を忘れるということではない。過去を徹底的に反省することなくしては、過去を乗り越えていくことはできない。アプレの世界に踏み込むということは、アヴァンの世界に蓋(ふた)をすることを意味しない。
広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑には何と刻まれているか。周知の通り「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」である。アプレ・フクシマにおいても、過ちを繰り返すことは決して許されない。=毎週日曜日に掲載
【関連記事】
社説:G8と原発、安全対策を早く進めよ
日露首脳会談:領土問題は「静かな環境で協議継続」
G8:原発の安全評価定期見直しなど、首脳宣言採択し閉幕
日独首脳会談:自然エネルギーの推進、協力で合意
G8:原子力の代替エネルギー 仏大統領、「当面ない」
毎日新聞 2011年5月29日 東京朝刊
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
過ちは繰り返しません・・・・無理だな~ 阪神の経験が少しも生かされていない。
きょう(29日)災害地での聾唖者に対する支援の報道がTVであったが市役所の窓口に手話通訳士の方が居られる市は少しはいいが殆どの市には手話通訳士の方は居られない。
未だ未だの感であった。
/////////////////////////////////////////
小沢氏が簡単に政権与党の座を自民党に明け渡すことはない!
野党はよくよく考えないと一杯食わされる。 ↓
不信任案へ小沢氏号令は諸刃の剣 「賛成」公言の損得勘定 (MSN)
2011.5.29 23:40 (1/2ページ)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110530/stt11053001270000-n1.htm
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
解散は菅総理が怒り狂い前後を見失った時のみあるかも?
小沢氏に対する菅 総理の「解散」と言う対抗は今まで通りの口先だけと推定する。
不信任は出されても通過しないだろうね。
また民主党議員の中には政権与党の味を知った議員も多い。
残念ながら国民の苦しみはこれからだ。
小沢氏の「金」に対する執念には凄まじいものを感じている。
我輩は不信任案が提出されれば可決されることを望んでいるが・・・・。
無理だろうね。
////////////////////////////////////////////
以前にも掲載しましたがyoutubeから拝借 2件 ↓
究極の集団行動
集団行動
鳴門の渦潮観光にお越し頂き有り難うございました!
メタボ解消の水泳や太極拳で頑張りましょ~!
今日も元気で素敵な一日を!
YouTubeの集団行動のユニークな演技を楽しませて頂きました。
!('_')!今朝から先日お礼参りで長野の善光寺に行った時の様子をアップしましたので御覧頂ければ幸せます!
*それではまた水曜日に!・・・来訪コメントを、お待ちしていま~す! バイ・バ~ィ!!
申し遅れましたがひろしさんは先日 古希を迎えられたと数日前のブログの鏡に書いてありましたが、おめでとうございます。お祝い遅くなりすみません。これからも各地の様子を見せてください。いつも応援&コメント有難うございます。
私も米国の軍隊に入隊して初めて隊員に号令をかけて移動さす教練を遣らされた事が有りましたが、大変な訓練でした。そんな私を想像出来ますか? 最初は嫌でしたが遣れば出来るもんです。大声で怒鳴れば度胸が出るものです。