補聴器のメンテナンスで今使っている補聴器をお店に預け、今はお店で借りた「耳掛け式」補聴器を装着している。
耳掛け式は今まで余り使ったことがないので最初は、やはり違和感を感じたものであるが、それはそれで2~3日で慣れた。人間の感覚もよくしたものである。
このお借りした耳掛け補聴器が幾らくらいの物(お値段)か分からぬが、それなりの用は達している。それに装着した時になにやら音がする。
それがよく聞くと「左準備完了」と言っていた。つまり外すときに電池のスイッチを切り装着時にスイッチを入れて装着するのであるが、その都度この言葉が出る。
確かに我輩が使う補聴器は左の耳に装着している。何故に、このようなことを知らせるのか分からぬが、まさか反対(右)につける方もいらっしゃらないと思うが? 補聴器を両耳に装着される方のためなのかな?
この耳掛け式はきょうの雨に会い思わず手で補聴器を濡れないように庇った。
また家で眼鏡を外したときに眼鏡と一緒に床の絨毯に補聴器が落ちてしまった。
これは外では気をつけねばと悟ったものだ。眼鏡も我輩が使っているのは四つ玉なので二種類のレンズの境界線が左側が上がり前が呆けたり、よく見えたり眼鏡の弦(ツル)をしっかり耳と補聴器の間に入れなければならぬが、そうすると逆に眼鏡を外すときに補聴器が一緒に外れてしまう。
ここらが少々不便である。
ところでメンテナンスのお店で「聴覚障害者のお方は購入後5年経過すると、また新しく補聴器の購入補助金が支給されますよ」とアドバイスを受ける。
実は障害者用の補聴器は5~6年前に、この補助金支給制度で耳掛け式の補聴器を購入していたが、当時は障害者用の補聴器は特別生産の物で一種類しかなく、しかも余り性能はよくなかった。
装着してもよく聞こえないなのだ。仕方なく別に耳穴に差込の補聴器を○○万円くらい出して購入したものだ。
そのことを補聴器屋さんに言うと
「今は障害者用の補聴器でも、かなり性能のよいものが多種類ありますよ」とまた教えていただく。早速 市の障害者担当の受付に行き書類を戴いてきた。
申請するにはお医者さんの証明が必要でまたお願いしなければならない。
先日は眼鏡を作り、今回はまた補聴器である。歳を重ねるといろいろと生きるに補助冶具が必要になってくるが、それでも未だ日常生活が一人で出来るだけ幸せかな?
//////////////////////////////////////////////////////
発信箱:娼婦と学者の教訓=伊藤智永(ジュネーブ支局) (毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20111109k0000m070138000c.html 以下全文
発信箱:娼婦と学者の教訓=伊藤智永(ジュネーブ支局)
映画「日曜はダメよ」(ネバー・オン・サンデー)といえば、今でも「主題曲は聞いたことある」という人が多いだろうが、1960年の作品なので、ストーリーを知っている人は少ないかもしれない。
舞台はギリシャの港町。陽気で奔放な娼婦(しょうふ)イリヤは町中の人気者。好きな古典悲劇の鑑賞のため、日曜だけは客を取らない。でも、実は悲劇をハッピーエンドと勘違いして喜んでいる底抜けの楽天家だ。
米国人のギリシャ学者が彼女にほれた。教養や道徳を仕込むが、逆に酒と歌と踊りで「もっと人生を楽しみなよ」と骨抜きにされる。たわいないコメディーである。
仏カンヌのG20サミット(主要20カ国・地域首脳会議)を取材しながら、この映画を思い出した。ギリシャ政治に振り回され、指導係の欧州首脳は「世界中に迷惑かけて」と怒っていたけど、私は「なかなかやるじゃないか」と感心していた。
国民投票を持ち出したパパンドレウ首相の言い草がふるっている。「古代ギリシャの直接制民主主義に戻したかった。G20は、証券取引より人間の方が大事だと知らねばならない」。どこまで本気かは、問うだけやぼ。ついに国まで「富裕層以外の99%」デモに加わったのだと理解しよう。
この20年、経済金融を論じる人たちは、次々に新手の「危機」を持ち出して世の中を脅し続ける。要するに、情報技術とカネの論理で地球上を一つのルールで縛ろう、はみ出す国や人は痛い目見るよ、という話の繰り返し。もう聞き飽きた。ギリシャの抵抗なんて可愛いものではないか。
バンコクの大洪水も経済には大変な事態だろう。だが、地元の人たちが水につかりながら笑顔で暮らしている様子を見ると、人の生き方が風土と歴史に根ざしている時のたくましさ、尊さを知る。
毎日新聞 2011年11月9日 0時16分
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
聾見
人間 生きるって大変なものですね。「ヒャクサイ・ヒャクサイ(百歳)」とTVのCMに出ておられた故 双子の姉妹の方々は何時も笑顔で居られた。笑顔こそ長寿の元と言われているようだった。
水浸しのバンコクの方々も笑顔を絶やされないとか?国民性?どのような方でも笑顔はいいですね。 ブ スッ としている顔はいくら美人でもいただけないね。
ところが我輩は年中 ブスッとしている。好きでブスッとしている訳でないが顔がそうなるから救えない。笑顔 笑顔 と呪文の如く念じつつ今も笑顔の練習?をしていたら
「あんた?何をしてるの?」と、どえらい大きな声がした。
ニコッ と笑ったら・・・
「気持ち悪い・・・」 ダメか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記 12日午前5時 ↓
水説:尊農攘夷でいいのか=潮田道夫 (毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/ushioda/news/20111109ddm003070124000c.html
水説:ベトナムに続け!=潮田道夫
http://mainichi.jp/select/opinion/ushioda/news/20111102ddm003070070000c.html
余録:ヨーロッパの国民性ジョークの定番である…
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20111108ddm001070072000c.html
耳掛け式は今まで余り使ったことがないので最初は、やはり違和感を感じたものであるが、それはそれで2~3日で慣れた。人間の感覚もよくしたものである。
このお借りした耳掛け補聴器が幾らくらいの物(お値段)か分からぬが、それなりの用は達している。それに装着した時になにやら音がする。
それがよく聞くと「左準備完了」と言っていた。つまり外すときに電池のスイッチを切り装着時にスイッチを入れて装着するのであるが、その都度この言葉が出る。
確かに我輩が使う補聴器は左の耳に装着している。何故に、このようなことを知らせるのか分からぬが、まさか反対(右)につける方もいらっしゃらないと思うが? 補聴器を両耳に装着される方のためなのかな?
この耳掛け式はきょうの雨に会い思わず手で補聴器を濡れないように庇った。
また家で眼鏡を外したときに眼鏡と一緒に床の絨毯に補聴器が落ちてしまった。
これは外では気をつけねばと悟ったものだ。眼鏡も我輩が使っているのは四つ玉なので二種類のレンズの境界線が左側が上がり前が呆けたり、よく見えたり眼鏡の弦(ツル)をしっかり耳と補聴器の間に入れなければならぬが、そうすると逆に眼鏡を外すときに補聴器が一緒に外れてしまう。
ここらが少々不便である。
ところでメンテナンスのお店で「聴覚障害者のお方は購入後5年経過すると、また新しく補聴器の購入補助金が支給されますよ」とアドバイスを受ける。
実は障害者用の補聴器は5~6年前に、この補助金支給制度で耳掛け式の補聴器を購入していたが、当時は障害者用の補聴器は特別生産の物で一種類しかなく、しかも余り性能はよくなかった。
装着してもよく聞こえないなのだ。仕方なく別に耳穴に差込の補聴器を○○万円くらい出して購入したものだ。
そのことを補聴器屋さんに言うと
「今は障害者用の補聴器でも、かなり性能のよいものが多種類ありますよ」とまた教えていただく。早速 市の障害者担当の受付に行き書類を戴いてきた。
申請するにはお医者さんの証明が必要でまたお願いしなければならない。
先日は眼鏡を作り、今回はまた補聴器である。歳を重ねるといろいろと生きるに補助冶具が必要になってくるが、それでも未だ日常生活が一人で出来るだけ幸せかな?
//////////////////////////////////////////////////////
発信箱:娼婦と学者の教訓=伊藤智永(ジュネーブ支局) (毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20111109k0000m070138000c.html 以下全文
発信箱:娼婦と学者の教訓=伊藤智永(ジュネーブ支局)
映画「日曜はダメよ」(ネバー・オン・サンデー)といえば、今でも「主題曲は聞いたことある」という人が多いだろうが、1960年の作品なので、ストーリーを知っている人は少ないかもしれない。
舞台はギリシャの港町。陽気で奔放な娼婦(しょうふ)イリヤは町中の人気者。好きな古典悲劇の鑑賞のため、日曜だけは客を取らない。でも、実は悲劇をハッピーエンドと勘違いして喜んでいる底抜けの楽天家だ。
米国人のギリシャ学者が彼女にほれた。教養や道徳を仕込むが、逆に酒と歌と踊りで「もっと人生を楽しみなよ」と骨抜きにされる。たわいないコメディーである。
仏カンヌのG20サミット(主要20カ国・地域首脳会議)を取材しながら、この映画を思い出した。ギリシャ政治に振り回され、指導係の欧州首脳は「世界中に迷惑かけて」と怒っていたけど、私は「なかなかやるじゃないか」と感心していた。
国民投票を持ち出したパパンドレウ首相の言い草がふるっている。「古代ギリシャの直接制民主主義に戻したかった。G20は、証券取引より人間の方が大事だと知らねばならない」。どこまで本気かは、問うだけやぼ。ついに国まで「富裕層以外の99%」デモに加わったのだと理解しよう。
この20年、経済金融を論じる人たちは、次々に新手の「危機」を持ち出して世の中を脅し続ける。要するに、情報技術とカネの論理で地球上を一つのルールで縛ろう、はみ出す国や人は痛い目見るよ、という話の繰り返し。もう聞き飽きた。ギリシャの抵抗なんて可愛いものではないか。
バンコクの大洪水も経済には大変な事態だろう。だが、地元の人たちが水につかりながら笑顔で暮らしている様子を見ると、人の生き方が風土と歴史に根ざしている時のたくましさ、尊さを知る。
毎日新聞 2011年11月9日 0時16分
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
聾見
人間 生きるって大変なものですね。「ヒャクサイ・ヒャクサイ(百歳)」とTVのCMに出ておられた故 双子の姉妹の方々は何時も笑顔で居られた。笑顔こそ長寿の元と言われているようだった。
水浸しのバンコクの方々も笑顔を絶やされないとか?国民性?どのような方でも笑顔はいいですね。 ブ スッ としている顔はいくら美人でもいただけないね。
ところが我輩は年中 ブスッとしている。好きでブスッとしている訳でないが顔がそうなるから救えない。笑顔 笑顔 と呪文の如く念じつつ今も笑顔の練習?をしていたら
「あんた?何をしてるの?」と、どえらい大きな声がした。
ニコッ と笑ったら・・・
「気持ち悪い・・・」 ダメか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記 12日午前5時 ↓
水説:尊農攘夷でいいのか=潮田道夫 (毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/ushioda/news/20111109ddm003070124000c.html
水説:ベトナムに続け!=潮田道夫
http://mainichi.jp/select/opinion/ushioda/news/20111102ddm003070070000c.html
余録:ヨーロッパの国民性ジョークの定番である…
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20111108ddm001070072000c.html
昔は良く喧嘩もしたけど又、良く笑いこけた事もしばしば有った事を思い出しています。それにしても何と寂しい人生をこの年になってまで過さねばならないのかと笑顔の仕方も忘れていました。出来る事なら昔に戻って遣り直しをしたいです。今日も頑張りましょう。
泳ぎも25mが30秒も掛かります。オマケに片道(25m)で息が上り 50m連続は無理になりました。体力が階段状に落ちてくる感じです。