いよいよダメか?我輩のこの耳!
新しい補聴器を使っても話の内容がよく分からない。
どうも耳鳴りの波長と補聴器で捕まえる“言葉“の波長が脳の中で混ぜ合わされるのか?
言葉の意味がよく分からない。
音はよく分かるが・・・・。
それに時々急にピーピーと高い音がする。
ハウリングもする。
その様なときには補聴器をテノヒラで軽く覆う。
すると何故か?一時的ではあるがハウリングや高周波音が消える。
いつものように夕ご飯の時にカミさんが喋るが何を喋っても意味がよく分からない。
そこで度々「何だ?」と聞き返す。
そのたびにカミさんは手術で痛むわき腹を押さえながら大声で喋るが、これまたよく分からない!
・・・と言うことでか?
最近は喋るのが面倒になったようだ。
近頃は黙ってノートにこれでもか!と言う大きな字で用件や言いたいことを書いてよこす。
どうも喋るより、このほうが頭の悪い我輩に分からせるには手っ取り早いようだ。
そのような時にカミさんがノートになにやら書き始めると、それを傍の我輩が覗きこむ・・・と、
覗いた禿げ頭を邪魔だと、ばかりに手で押し返される。
「おい なに・・・なに・するんだ!」と言うが、カミさんは気にしない。
押し返された頭でカミさんの書いているノートを斜目で追う。
その目も今はダメだ!
それでもカミさんが何を書いているのか?気になるから困ったものだ。
やっと書いたノートが渡される。
読めば何のことはないTVでのコメンターに対するカミさんの意見だ。
「こんなこといちいち書くな!」と怒鳴ると黙ってカミさんはソッポを向いた。
話にならなくなった。
話す言葉が分からないと夫婦喧嘩も様にならないようだ。
トンチンカンな会話も出来なくなった。
特に濁音や半濁音をよく聞き間違える。
カミさんが「バカ(baka)なことを・・・なにを言っているの!」と言ったのが
「パカ(PAKA)」と聞こえるから一瞬 こちらも何を言っているのだ?となる。
「大体ね~ェ・・・」が 「たいたい」と聞こえるのだ。
卵などタマコとなる。
「あんたタマコ要る?」
「う~ん? タマコ?」となる。
逆の場合など
「テレビつけて!」が「デレビ(derebi)つけて!」と聞こえて一瞬???となる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昔(昭和30年代) 建築現場で下請けのボーシン(現場の世話焼き)が
「おい!早くパラスを入れろ!パラスタ ! 」
「なにをポサ・ポサしてる!」と土工の作業員に怒鳴っているのをよく聞いた。
当時は砂利(ジャリ)のことを通称でバラス(barasu=ballast)と現場で言っていたが濁音が半濁音になっていた。
「コラ!サポッテパカリテナイテシコトシロ!パカモノ!」
(コラ!サボってばかりでないで仕事をしろ!)
「ソレテハタメタ!パカモノ!」(それでは駄目だ!馬鹿者!)
パカ・パカ(paka・paka)ばかりで当初はビックリしたがボーシンの人柄はよかった。
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
耳が不自由になり他人事(ヒトゴト)ではなくなった。
ふと 若しも我輩がアメリカに行き学校で習ったような発音で
「マイ・ネーム・イズ・オサム」とか
「私の年(歳)は77歳です」を「アイム・セブンテイ・セブン・イヤーズ!」と、やったら相手の方はさぞかしビックリされるだろうね。(笑)
それとも“セブンテイ・セブン・オールド”だけでいいか?
第一 言葉(?)が通じないな!べんさんに聞いてみたいね。
中学で英語を習い始めた時にアイ・マイ・ミーをよく“ガイマイ・ミー”と、みんなでやったものだ。
英語の先生の顔が外米(ガイマイ)のように長かった。
そういえばあの頃“レッスン10”を“レッスン・ジュー”とやって先生も気が付かなかったことがあった。
教室で笑い声が起こったが先生は知らぬ顔をしていたな!
指名されて立って教科書を読んでいた生徒は何が起こったかも分からなかったようだ。
おかげ(?)で英語はサッパリです。つまらぬことはよく憶えている。
高校時代の英語の先生は妹尾萬衛門と言う厳(イカ)めしい名前の先生だった。
話は逸れたが、ついでに彼(カ)の長島茂雄選手の名言に
「アメリカは凄い!街角で遊ぶ小さな子供でも英語を喋っていた!」
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////
「ねんりんピック北海道・札幌2009」 ←太極拳の部です。
長嶋茂雄伝説 ↓
http://2chart.fc2web.com/cho.html
↑とても参考になるHPのようです。じっくり読んでください。
???涙が出ました。最後まで読めません
下記は我輩の英語力より上だ!
*I live in TOKYOを過去形にしろ→I live in EDO
真偽のほどは分かりません。
でも下記の逸話には三者三様の印象を受けました ↓
* 野村捕手「バッティングフォームがおかしいんじゃないの?」王は動揺して打てなくなった、
長嶋氏「ホント?ちょっと待って」バッターボックスを外して素振り、見事にホームラン
新しい補聴器を使っても話の内容がよく分からない。
どうも耳鳴りの波長と補聴器で捕まえる“言葉“の波長が脳の中で混ぜ合わされるのか?
言葉の意味がよく分からない。
音はよく分かるが・・・・。
それに時々急にピーピーと高い音がする。
ハウリングもする。
その様なときには補聴器をテノヒラで軽く覆う。
すると何故か?一時的ではあるがハウリングや高周波音が消える。
いつものように夕ご飯の時にカミさんが喋るが何を喋っても意味がよく分からない。
そこで度々「何だ?」と聞き返す。
そのたびにカミさんは手術で痛むわき腹を押さえながら大声で喋るが、これまたよく分からない!
・・・と言うことでか?
最近は喋るのが面倒になったようだ。
近頃は黙ってノートにこれでもか!と言う大きな字で用件や言いたいことを書いてよこす。
どうも喋るより、このほうが頭の悪い我輩に分からせるには手っ取り早いようだ。
そのような時にカミさんがノートになにやら書き始めると、それを傍の我輩が覗きこむ・・・と、
覗いた禿げ頭を邪魔だと、ばかりに手で押し返される。
「おい なに・・・なに・するんだ!」と言うが、カミさんは気にしない。
押し返された頭でカミさんの書いているノートを斜目で追う。
その目も今はダメだ!
それでもカミさんが何を書いているのか?気になるから困ったものだ。
やっと書いたノートが渡される。
読めば何のことはないTVでのコメンターに対するカミさんの意見だ。
「こんなこといちいち書くな!」と怒鳴ると黙ってカミさんはソッポを向いた。
話にならなくなった。
話す言葉が分からないと夫婦喧嘩も様にならないようだ。
トンチンカンな会話も出来なくなった。
特に濁音や半濁音をよく聞き間違える。
カミさんが「バカ(baka)なことを・・・なにを言っているの!」と言ったのが
「パカ(PAKA)」と聞こえるから一瞬 こちらも何を言っているのだ?となる。
「大体ね~ェ・・・」が 「たいたい」と聞こえるのだ。
卵などタマコとなる。
「あんたタマコ要る?」
「う~ん? タマコ?」となる。
逆の場合など
「テレビつけて!」が「デレビ(derebi)つけて!」と聞こえて一瞬???となる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昔(昭和30年代) 建築現場で下請けのボーシン(現場の世話焼き)が
「おい!早くパラスを入れろ!パラスタ ! 」
「なにをポサ・ポサしてる!」と土工の作業員に怒鳴っているのをよく聞いた。
当時は砂利(ジャリ)のことを通称でバラス(barasu=ballast)と現場で言っていたが濁音が半濁音になっていた。
「コラ!サポッテパカリテナイテシコトシロ!パカモノ!」
(コラ!サボってばかりでないで仕事をしろ!)
「ソレテハタメタ!パカモノ!」(それでは駄目だ!馬鹿者!)
パカ・パカ(paka・paka)ばかりで当初はビックリしたがボーシンの人柄はよかった。
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
耳が不自由になり他人事(ヒトゴト)ではなくなった。
ふと 若しも我輩がアメリカに行き学校で習ったような発音で
「マイ・ネーム・イズ・オサム」とか
「私の年(歳)は77歳です」を「アイム・セブンテイ・セブン・イヤーズ!」と、やったら相手の方はさぞかしビックリされるだろうね。(笑)
それとも“セブンテイ・セブン・オールド”だけでいいか?
第一 言葉(?)が通じないな!べんさんに聞いてみたいね。
中学で英語を習い始めた時にアイ・マイ・ミーをよく“ガイマイ・ミー”と、みんなでやったものだ。
英語の先生の顔が外米(ガイマイ)のように長かった。
そういえばあの頃“レッスン10”を“レッスン・ジュー”とやって先生も気が付かなかったことがあった。
教室で笑い声が起こったが先生は知らぬ顔をしていたな!
指名されて立って教科書を読んでいた生徒は何が起こったかも分からなかったようだ。
おかげ(?)で英語はサッパリです。つまらぬことはよく憶えている。
高校時代の英語の先生は妹尾萬衛門と言う厳(イカ)めしい名前の先生だった。
話は逸れたが、ついでに彼(カ)の長島茂雄選手の名言に
「アメリカは凄い!街角で遊ぶ小さな子供でも英語を喋っていた!」
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////
「ねんりんピック北海道・札幌2009」 ←太極拳の部です。
長嶋茂雄伝説 ↓
http://2chart.fc2web.com/cho.html
↑とても参考になるHPのようです。じっくり読んでください。
???涙が出ました。最後まで読めません
下記は我輩の英語力より上だ!
*I live in TOKYOを過去形にしろ→I live in EDO
真偽のほどは分かりません。
でも下記の逸話には三者三様の印象を受けました ↓
* 野村捕手「バッティングフォームがおかしいんじゃないの?」王は動揺して打てなくなった、
長嶋氏「ホント?ちょっと待って」バッターボックスを外して素振り、見事にホームラン
英語の先生だった名前だけは「妹尾」とだけ覚えていましたが萬衛門までは知りませんでした。今ではどんな発音で教えられていたかは全く覚えていませんが、良く覚えて居られましたね。当時の私には英語には全く無関心でした。何故私の父は私達子供に英語を教えて呉れていなかったのかと悔やまれます。父の話す英語は殆ど聞いた事は有りませんでしたが、日本語より詳しかったのは知っていました。
漢文の古川先生(あざなはロッパ)憶えていますか?随分とお年寄りの先生でした。私は次第に漢文に興味が湧き英語は疎かになりました。漢詩の暗唱朗読は楽しかったです。