ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

瓦の話 1

2012-10-19 10:48:19 | 建造物入門
 今日は久方ぶりに、思うところがあって本のページをめくっている。
 題は「かわら日本史」。珍らしい本だと思う。

 瓦の話です。今では普通に家屋の屋根に乗っている瓦です。
 瓦の歴史は結構古いのですが、よくわからないことが多いのです。
 ちなみに幕末頃、わが町にも瓦を焼く職人がいたらしいのですが、定かではありません。
 
 日本には今から1400年以上昔、崇峻元年(552)に百済から4人の工人が派遣されて伝えたとされています。仏教伝来の30数年後、仏教の普及上、必要とされて仏殿造営のために、4人の職人が渡来、技術移転が行われたことに始まるのです。

 草葺、茅葺よくて板葺。天皇が座する宮殿も板葺だったのです。

 推古32年(624)には「寺46ケ所、僧816人、尼569人」と「日本書紀」にあります。

 瓦が屋根材として使用されることで建築法に変化が現れます。重量が既存の素材より5倍以上も重かったことから、礎石が初めて使用され、堅牢な構造材と今までにない木組みが必要になったのです。建築様式も変わって要ったのです。

 もちろん他と比べて圧倒的な堅牢さゆえ、類焼予防の意味もあっ他のでしょうが、それ以前の屋根材と比べると重量感や波打つような荘厳な瓦のイメージは仏教の普及に一役買ったのでしょう。

 時の権力者達が旧勢力と競い、権力の維持拡張のために寺の造営をしたことで、持統朝には北は関東から南は九州に至る広範囲の場所に545寺が建立されているのです.

 持統8年(694)に藤原宮遷都により初めて宮殿に瓦が葺かれたとの記録がありますから。それ以前は板葺だったのです。
 「最新技術は仏教と共に。」であったのです。

 その次の元明天皇により和銅3年(710)に平城京遷都されるまでの白鳳文化の最盛期の頃でありました。



 まだまだ一般の住宅に瓦なんてとんでもないのですがね。
 ほとんどの民家は「掘っ立て小屋」程度だったのでしょう。
 歴史の記録のなかにないものは、想像を逞しくしていくほかに在りませんが、これが一番楽しいですね。
 

 瓦が仏教の流布に一役買っていたのですから、面白い話です。


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石垣イロイロ

2011-12-08 14:00:19 | 建造物入門
 奈半利町の街歩きの楽しみに「石垣めぐり」がありますが、石垣と言っても厳密にはイロイロ在るんです。

 

 標準的なものでしょう。概ね石の大きさがそろっていて、石と石の間が狭く赤土を詰めてあります。石も横並びを意識して積んであります。石の厚みをそろえてあるのです。




 これは今日紹介する石垣の中では、最も古くからあるものでしょう。
 石の大きさも不ぞろいで、間に詰められた赤土も随分と雨で流れています。このままでは崩れてしまうかもしれません。
 ツタが絡み付いていたであろう跡もあります。



 基本的に石のサイズを揃え、厚みも意識してあります。さらに石と石の間に漆喰を混ぜて強度を高めてあります。そうしたことで石と石の間を広げることに成功しています。

 そして漆喰をコテの先で切ってあります。デザインでしょうかね。



 この石垣は石を半割りにして、石の断面を見せることで面の変化を強調しています。
 漆喰の部分も手を加えて変化をもたせてあります。

 よく出来た石垣です。



 石垣は石と土と漆喰による産物なのです。
 もちろん、高度な人の技術を駆使した成果でもありますがね。

 コテの先でちょんちょんと模様を描いている職人さんの表情は笑顔だったに違いない。
 石垣は奈半利町だけでなく、高知県の東部地域にはあちこちにあるのですが、ここには古いものから比較的新しいものまであって結構楽しめますよ。

 今はこんな石垣を作る職人さんはいないだろうなあ。
 21世紀になって、すべてのジャンルで進歩しているわけでもないようです。
 技術を持った人たちがいなくなっています。出来ないものか技術移転。

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建造物入門

2011-07-05 01:16:57 | 建造物入門
 カテゴリーの中に「建造物入門」があります。

 最近書く機会が少なくなっているのですが、書く材料がないわけでもないのです。

 奈半利町にある登録有形文化財を紹介したらいいと思ってたてたカテゴリーでしたが、またこのブログも自体、このカテゴリーのために書き始めたといっても過言ではないのです。

 あらためて書きはじめてみたいと思います。
 いままで書いてきたのは、藤村製糸(株)の西蔵。岡田家住宅、増田屋、高田屋、等半分にも満たないのです。

 普段ガイド対象になっている場所でもいいですが、あまりご縁のない場所からはじめてみたらとも思っています。



 この石垣がある前の道は、以前と変わらない道幅なんだろうか。何時頃からあるんだろうか。そして少し行くと常夜灯があるのですが、それを必要とした方々は誰なんだろうか。何時頃に建設されたのだろう。わからない。野根山街道にも常夜灯があったのだろうか。
                

 右の道は完成年次が資料に明記されていますが、左の道にはそうした類の物がありません。しかし左の道の先には医師の家があり、道路としては頻繁に利用されていたと考えられるのですが、今から考えるとあまりに狭いのです。

 問題としては、地域のことについての情報が私の頭の中に少なすぎることに気がついたことから、図書館通いを始めて資料を探してみたり、大先輩諸氏に話を聞きに通いだしたりと、忙しいことになっています。

 物があればまだ理解しやすいのですが、その先の記憶といったものまでは、聞くものの力もありますし、話す側にも主観が入りますから、客観的に資料とする為の情報収集とすれば判断として難しいところです。

 ただ、やりがいとして感じられ、楽しい作業ですから満足しています。

 仕事の合間合間での作業です。

 資料が溜ってくると、整理をするのが億劫になっています。そうしないとどうにもならないことは、解っているのですが、生来の面倒くさがりやですから、困っています。

 ゆっくり奈半利町内にある古民家の写真を撮り直すことからはじめて、資料の整理にかかりましょう。
 自分で勝手な推論まで加えられたら、真に面白いことになります。

 物の向こうに、それを生み出した人間の姿が見えると、自分としては納得できると思うのです。
 そこまで行きつけるか。
 自信はないのですが、やらねばなるまいなあ。
 建造物入門を実体験することになります。

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岡御殿

2011-06-21 03:44:54 | 建造物入門
 岡御殿と称される建物があります。場所は安芸郡田野町です。
 先日、ブログに登場した場所です。
 
宝暦9年11月(1759)のことです。当時の岡家の当主、岡徳左衛門は土佐藩に依頼されて御用銀400貫目を年1割5分、期限1年間、魚梁瀬御留山の木材を担保にする条件で調達するのです。
 銀400貫目とは小判で66、600両程にもなる金額で、現在の感覚では50億円を越えるような規模なのです。ちょっと貸すとか貸さないとかといえない金額なのですが、岡家とはそうした商家だったのです。その岡家の本宅が残っているのです。




 表門から内部を見た写真です。
 普段は閉じられているのですが、先日はここから入ることが出来ました。
 違った角度からみると、建物は新鮮に感じます。
 凛とした緊張感があります。



 山内の殿様が参勤交代の際、寝泊りをしたとされる座敷から表門に向かって4本の柱が立っています。これらの柱は座敷の中からみると、ほぼ一直線になって、1本にしか見えません。面白い構造です。

 魚梁瀬の木材を扱う廻船業者であり、その他手広く商う豪商だったのですから、本宅も見事なものです。

 風呂やトイレはもちろんですが、他の商家の構造とは明らかに違うのです。
 襖絵や釘隠しにいたる調度品にまで、格を見せ付けています。
 現在の敷地面積はかつての半分以下となっているのですが、それでも広々とした敷地は他を圧倒しています。

 機会がありましたら一度は、入って見たらいいですよ。

 時を忘れさせてくれます。

 土佐藩に用立てた御用銀400貫目の始末が大変だったようです。
 土佐藩も財政難で、苦労をしていたのです。

 その始末については、また今度書くことにします。
 思わぬところに影響が出ることになるのです。

 なにしろ始末がつくのに150年以上の年月を要するのですから。
 人事ながら面白いですね。


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知らなかったのです。

2011-06-11 01:33:07 | 建造物入門
 こんなものが出来ているとは、知らなかったですね。



 この木は安芸郡馬路村馬路の馬路温泉の敷地内にあります。安田川にそって少し上流といえばいいのか、すこし行ったつり橋のところにあります。

 木の周りを囲むようにして板が張り巡らされて、ちょっとしたデッキのような、見晴台が出来ていました。

 時々キチンと見ていないと、こんなことになります。

 馬路村は角に置けないのです。

 色々と工夫をして、出来るもの探しをやり続けているようです。

 うらやましいことです。

 ただ馬路温泉にお見えになった方々も、知らないんじゃあないかな。
 「こんなものがある。」観光客に気づいてもらうまで、ほっとく。

 これは贅沢と言うものです。
 どこかにツリーハウスを造りたいね。
 朝目覚めると、小鳥が・・・。
 良いじゃあないですか。
 これも贅沢です。

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山奥の里

2011-04-08 23:33:46 | 建造物入門
 素晴らしい里に久しぶりに所用があって行ってきました。
 場所は安芸郡北川村竹屋敷。

 

 海岸から,北へ北へとひたすら走るのです。
 1時間以上走って、二又から小川川を野根方面に向かい、やっと竹屋敷に到着するのです。
 随分と前に何度か来たことがあるのですが、今回行ってみると3人の方が住んでいました。ただ竹屋敷という場所、かつては木材の搬出場所として多くの方々が生活をしていた場所だけに、多くの魅力を持っています。

たとえば、これです。


石垣です。
圧倒的な迫力がありますね。



階段なんかも結構あって、子供達もたくさんいた頃の生活が想像できました。



静かでしたし、沢の流れは、相変わらずきれいでしたよ。

 人が生活しなくなった家は、案外早くこんな事になるようです。

 ちょっと寂しい感じなのですが、写真の被写体としてはGOODです。
 機会があれば、また行きたいね。

 中芸地域でも最も広い安芸郡北川村は、何処も魅力満載です。

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魅力あり。

2011-04-07 00:01:05 | 建造物入門
 目が釘付けになった。

 いいじゃあないか。

 

 奈半利川の支流に架かる橋です。

 名前は??。在るのか?解らない。

 しかし、姿が目に飛び込んでくるなり、「いいなあ。」

 だったのです。一枚の板が架けられているだけなのです。
 
 ほそい連なる3枚の板で川を渡して、向こう岸への道を作っています。

 場所?
 五人組です。

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木の壁。

2011-04-06 23:59:49 | 建造物入門
 一見、木の壁でした。

 これは、木材で出来た砂防ダムなのです。

   

 山奥の森林の真ん中といっていい場所の小さな渓流に造られていました。

 最初見たときには良くわからなかったのですが、構造物としての木材で出来た砂防ダムはコンクリートのそれと比べると繊細さを感じると共に、周囲の森林と溶け込み、違和感なくそこにありました。存在感がありますね。


 ただあちこちに作られていないことから。何か問題があるのかもしれませんが、「いい感じ。」なのです。

 魅力ありです。

 あちこちうろうろすると、結構いろんなものに出会います。

 GOOD!!です。

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来年の課題

2010-12-14 11:33:25 | 建造物入門
 最近妙に気になることがあります。

 ブログによく書いているのですが、花の谷、安芸郡北川村宗の上での活動を充実させるために、住む場所を準備しようというのです。
 多分、当分の間は土曜、日曜日を「花に谷」で過そうというのです。

 友人とも話します。
 「ログハウス」を組もうか?。

 「いいねえ。」
 「何時からやろうか。」

 「どうせなら、来年すぐからではどう?」
 「じゃあ、そうするか。」

 決まるのは早かったですねえ。

 一つの活動拠点が出来るのです。
 実現までにどれくらいの時間がかかるのか、分からない。

 まずは、はじめてみよう。木材の伐採からですし、デザインの検討です。

 川の傍です。そして竹林を整理して「遊び場」を整備することになります。
 いままでの孟宗竹と違い、この竹の形状は変化が在って面白いですよ。素材として何かに使えそうです。



 耐火煉瓦や岩石で暖炉を組みたいねえ。お手本のイメージは「北の国から」という物語の中で田中邦衛さんが作っていた「廃品で造った家」なのです。

 還暦の手習いで勉強が始まります。
 楽しいことです。

室戸散策1

2010-12-10 22:49:19 | 建造物入門
 びっくりしました。
 こんな家があったのです。
 
 場所は室戸市椎名です。

 仕事で椎名を歩いていたのですが、こんな門構えの家が突然あらわれたのです。
 一枚板の門です。60~70年ほど前に見たかったものです。


 長い塀が続いていて、敷地の広さが窺えます。
 ここまでは、少し荒れた感じがしていただけだったのですが、10Mも歩かないうちに驚きました。


 ぱっと見て、塀の向こうに洋館の跡が、雰囲気がありました。
 晴れがましい、多くの時間を経たのでしょうが、今はツタが生えて荒れ果てていました。 
 軒まで潰れて、無残な姿になっているのです。
 今昔物語といっていいのでしょう。

 ついシャッターを押してしまいました。