ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

暑中の庭

2011-08-30 20:29:36 | 観光資源提案
 夏真っ盛りのモネの庭に行ってきました。

 もっと暑いのかといえば、風がご馳走でしたね。
 一気に風の丘まで上がることが出来ました。

 どうしても夏の日焼けに負けて花も少しバテ気味なのですが、それでも精一杯背伸びして迎えてくれました。



 オープン前に、裏道から潜入。誰もいない水の庭に入ってみました。もちろんあとで確認精算しました。




 帰ったあとで写真の整理をしていたら、黄色の花の写真が一枚も無いのです。
 おかしいのですが、仕方なしです。
 今日はピンクの花だけお届けします。
 もちろん青の睡蓮は特別ですがね。



 水の庭から風の丘に至る途中で、蓮が咲いていました。
 存在感抜群です。



 池の清掃をしていました。こうした作業があって、いつもの花との出会いが保証されているのです。
 しかし一回やってみたいものではありますね。



 木立の中に花が一輪だけ、ぽつんと咲いていました。
 植物公園だとありえないのでしょうが、ここはモネの庭・マルモッタンなのです。
 堂々と胸を張って咲いています。





 おかしいぐらいピンクばかりです。
 目を引いたと言うことしかないですね。

 



 ここに来ると、花の写真を撮ることについては、満足しています。
 しかし、イーゼルを置いて絵を描く勇気は、まだ無い。

 一度やってみたいものです。

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五体の記憶

2011-08-30 09:12:49 | 好きなもの
 先の日曜日に、次男が孫を連れて帰省した。
 2人である。
 一人は小学4年生の女の子。そしてもう一人はまだ、生まれて間もない女の赤ちゃんである。
 私の母や叔母は、普段見せないような笑顔で、彼女達を迎えている。
 声のトーンが明らかに違うのだ。

 私はと言えば、少しはなれて、それらを見ていたのだが、次男が赤子を抱えてきて「抱いてみる?」と私に。そして私の差し出した両手の平の上に、その赤子を乗せた。

 彼女は眠っていたのだが、多分私の抱き方に不満があったのだろう、体を少し動かしていた。
 それをみんなが見ている。少し気恥ずかしかった。

 しかし、それより五体が記憶しているのは、赤子の重さ。
 当分の間、あの重さを忘れることはないでしょう。

 元気で育って欲しいものです。


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満足=疲労。

2011-08-28 10:37:44 | 日記
 疲れるほど、楽しめました。

 昨日の花の谷は、いつの間にか、季節が変わろうとしていました。




 鶏頭の花が咲く季節になっていました。
 そして、秋が来ていました。



 稲が実り、もうすぐ刈り入れの季節になっています。

 しかし昨日の花の女王は「これ。」



 凛とした姿は、カッコいいのです。

 今日の作業は、トイレの穴掘り作業。
 色々石が出てきて、掘り難いやら、暑いやら、虫にまでも悩まされながらの作業でした。
 イメージからすると、昨日の作業は半分ぐらいの完成度ですね。
 完成は後日と言うことになりました。



 暑くて、汗ビッショリになったところで、渓流を私の汗で汚染することにして、また遊んでしまいました。沢の水は冷たく気持ちがいいのですが、上流で少し崩壊が会ったようで、水質的にはいつもより濁っていました。



 昨日の水遊びの場所です。いつもの場所から比べると、200mぐらい上流域です。
 水深は、私の肩ぐらい。結構楽しめました。
 冷たい水が汗を流してくれましたし、水から出たあと、体がホカホカとなって気持ちがいいのです。



 石垣に植えたベゴニアは1株以外は順調に成長しているようです。
 定着してくれるといいのですが。

 まだまだ安心は出来ません。

 次は桔梗を植えましょう。
 準備をしましょう。
 とりあえず40~50株ぐらい植えてみますか。

 高知県の東部の山間部に花の好きな連中が集って、花が一杯の場所を造り続けるのです。もちろん山郷の生活を豊かにすることが大切なのです。

 小水力発電システムについて、研究を始めましたよ。
 初めてのジャンルですから、難しいですね。
 しかし、これもいい経験です。

 面白いものです。楽しい事をやっているときには、ブレーキが利かないもので、今日は朝からあちこちが痛くて、しんどい事です。2~3日で回復するでしょう。
 そして今度の土曜にまた、北川村花の谷に向かうのです。

 花の谷に通いだして、もう1年が過ぎた。
 まだまだ飽きない。いつも新しい何かが呼び出してくれる。
 イイバショデス。


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平和がいい。

2011-08-25 15:17:45 | ちょっといい話。
 最近、何度と無く出かけてゆく場所に、田野町の図書館があります。
 その図書館の入り口に千羽鶴で描かれた平和の文字。

 迫力があります。




 忘れないために。そして語り伝えるために。意識して活動をしています。

 「誰が作ったの?」私の質問に、図書館入り口の女性が教えてくれました。

 「ここに来る人たちがボランティアで作ってくれました。」とのこと。

 
 こんな意思表示も大切なのでしょう。
 地球は広くて、戦禍が絶える事がありませんからね。

 一つ一つの小さな鶴を折って、紐で吊るし、こうしたメッセージを掲げる田野町は嫌いではないなあ。


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水辺探し。

2011-08-24 01:07:07 | 手前かってな推論。
 今日は夕方から奈半利町の中で、メダカを放流できる、そして繁殖できそうな場所探しをやっていました。

 自転車でうろうろしていたのです。

 最初は、奈半利町で最も早くに稲作が始まったとされる場所付近です。



 長谷川の谷口付近なのですが、どうも水量が一定しないのと、3面張りのコンクリートですから、メダカはちょっと無理でしょう。
 弥生時代からこの辺りで、稲作が・・・。
 と言った場所だけに少し期待をしたのですが、仕方ナシです。

 すこし、北に向かって移動です。



 この辺りだと、東の山の麓近くで、メダカの生息エリアとしても、絶好の場所だと思っていたのですが、行ってみると水田が広がり、景観は最高なのですが、ちょっと無理ですね。



 野根山街道の入り口辺りにも期待していたのですが、ここも自然は残されておりませんでした。



 記念碑の後ろに池があったような気がしていたのですが、この場所も随分と手を入れて周辺の農家の方々の協力を得ないと難しいですね。
 かなりの量の水が水田から直接流れ込んでいましたからね。



 この川、奈半利の町の真ん中を南北に流れているのですが、もっともしっかりとコンクリートの3面張り工法になっていますので、ちょっと増水するだけで、メダカは港まで流されてゆきそうです。
 隠れる所も無いですね。



 ここは、奈半利川と平行して流れている最も西の水路です。かなりの水量なのですが、これもまっすぐに改良がなされて、小魚の生息エリアとしては、及第点は出てきません。



 最後に最も期待をしていた場所なのです。港公園の北端です。
 形状は見事に出来上がっていたのです。それらしい形は作ってあるのですが、水事体が無いのです。魚どころではありません。
 これが多自然型工法??。
 違うでしょう。困ったものです。勘違いもはなはだしいです。

 みごとに治水事業が完了していました。
 野根山街道の石碑の辺りで旧知の老人とちょっとした会話をしました。
 奈半利の港が出来るまでは、「この辺りでよく鰻が取れた。」
 「港が出来てからはさっぱりよね。」だそうです。

 便利な何かを獲得して、そして何かを失ってしまったようです。

 残念ながら、本日のメダカ放流のための水辺探しは失敗でした。
 また、どこかを探索しましょう。
 どこかの公園的な場所より、自然の中で探してみたいものです。
 簡単ではなさそうですがね。

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嫁入り第一号。

2011-08-22 22:26:47 | 日記
 今日午後、本年度の第1号のメダカの嫁入りが出来ました。
 20~30匹程度かな、奈半利の小さな子供達の遊ぶ場所に行くことが出来ました。



 いくつかの水槽から、小さいのから大きく成長したものまで、幅広くもっていっていただきました。

 メダカの成長を楽しんでくれることでしょう。

 あと、室戸にメダカの池を作ることにしようと、考えています。

 既存の池なのだそうですが、どんな池なのか一度お邪魔して確認をしたいと思っています。繁殖を手助けした製造者責任と言う奴がありますからね。

 しかしありがたいことです。300匹を越えるメダカを引き受けてくれるのですから。

 まだまだ安芸郡は室戸市は、高知の東部地域は自然が豊かと言うことです。

 我が家の水槽も半分ほどが空になるかも知れませんが、嫁入りや婿入りはうれしいことですから、満足です。

 新たな生息エリアが確認できるとうれしい限りです。

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衛生改善の花の谷。

2011-08-22 00:02:52 | 田舎の理屈
 今日はまた、花の谷に午後でかけました。
 普段と違うのは、少しいつもの作業場所から奥に探検に出かけたことです。

 

 いつもの作業をしている場所だと、砂や砂利。小石も在って結構人間が入っても楽しめるところなのですが、少し上流にいくと石のサイズが急に大きくなり、巨石・巨岩といった事になります。先ずは歩きにくくなり、危険度が急にアップするのです。

 私ももう20歳程度でも若ければ挑戦するところですが。今となっては自信もなく。そうした場所に向かう気力も出てこない有様です。情けないことです。




 今日の作業は、「トイレを作ろう」と言うことになり、とりあえず外観だけを完成させました。今度行ったときには、穴を掘り、用を足すことができるようにしなければなりません。
 先日、どなたかが遊びにでも着たのでしょう。作業道路上に用を足していたようです。
 ティッシュペーパーが、散乱していましたね。
 悲しくなります。車が走る道路上からは見えない場所ですけどね。

 穴を掘って埋めるぐらいのことはしていただけるといいのですが、普段は人がいない分管理が出来ないのです。

 人は誰かが見ていないと、何でもOKなのかと思うと、少し寂しくなります。

 猪や鹿や狐や狸は、ティッシュペーパーは使わないけど、どこかで用は足しているのでしょうが、人間ですからね、後から来る方々への配慮ぐらいはお願いしたいところです。

 ま、何ヶ月かすると、溶けて解らなくなるでしょうが、あまり心地よくは無いものです。

 そうしたことで、トイレを作ることにした次第です。

 この柱は、先の台風のあと、流木として流されてきたもので、有効活用といったところです。


 

 せっかくきれいな流れが残されているのですから、綺麗なまま残したいものです。

 最後にまた、渓流の中に入って、汗を流してしまいました。
 私が入ると水が汚れるのかもしれませんが、ご容赦ください。

 先日植えた、ベゴニア達は元気に成長をしているようですが、1株少し弱っているようでした。少し多めに水をかけてきました。

 栗の苗や紅葉も何とかですね。頑張って欲しいところです。


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嫁入り先?婿入り先?

2011-08-18 16:09:39 | 日記
 嫁なのか婿なのか、よくわかりませんが、メダカの入植先を探すことにしました。

 我が家の庭の水槽が10個ほどにもなってしまいました。



 まだまだ増え続けそうで、早めにお嫁か、お婿に出すことにしました。

 小生の条件は、「チャンと飼っていただきたいことだけ。」なのです。
 放流する場所があれば、最高ですね。流れがゆるやかで、あまり天敵のいない場所なのですが、そうは言っても難しいでしょうから、池か淀みのある沢と言ったところでしょうか。

 あと、容器を持って取りに来て頂ければ、ありがたいですね。

 よろしくお願いします。

 無尽蔵にいるはずも無く、300匹程度でしたら、お嫁に出します。
 奈半利にも気軽に放流できる場所がなくなってしまいました。
 あるのは水路だけです。

 流れる水を楽しんだり、小魚が泳ぐ様を見て楽しむ場所があってもいいと思うのですがね。

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黄色いメダカ。

2011-08-18 10:04:02 | 日記
 我が家の水槽で、7~8匹の黄色いメダカが泳いでいます。



 もう少し大きくなると解りやすいのですが、普通のメダカの中から変異して黄色いメダカが出来ました。

 メダカを飼いはじめて、5年目にして初めてのことです。
 偶然の結果かと思いますが、これから面白い色のメダカを作ることが出来るかもしれません。



 我が家の水槽の中での発生確率は1%弱かな。
 今年、あと2~3匹でも生まれてくれると、うれしいのですが。
 どうですかね。



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法は法。されど・・・。

2011-08-16 20:10:39 | 高知県東部人物列伝
 本日のご紹介は、細川是非之助さんです。

 成功した経済人でもなく、政治家でもありませんが、是非・是非紹介したい方なのです。奈半利町平で天保14年(1843)に生まれていますから、幕末の勤皇の志士能勢達太郎と同い年と言うことになります。中岡慎太郎が天保9年生まれですから、5歳ほど年少だったことになります。

 さて彼にまつわる最も有名な話からご紹介します。



 これは、細川是非之助ではありません。
 佐賀県の英雄江藤新平の写真です。

 佐賀の乱に敗れて逃避行をしていた江藤新平を明治7年に高知県安芸郡甲浦で捕縛。
 有名な話としては、高知市内に移送する際、3日もあれば十分の旅程を倍の日数をかけて江藤新平を護送犯人ではなく観光客のように配慮したとして、高知県小属、細川是非之助は県庁でさんざんに叱責を受けたというものです。

 彼は、叱られることについては多分解っていたのです。ただ彼の心情から、そうしたのですし、納得してやったのです。いかにも「土佐っぽ」といった感があります。
 それがどうした。なのです。
 「えらい、日数がかかっちゅうじゃあないか。」
 「新政府がおこっちゅうぞ」

 で、「それがどうした。」なのです。

 法は法。されど前参議、前司法卿として遇したことになります。

 2~3年前高知新聞にその際の経費明細が発見されたとの記事を読んでいて、興味を持ってそれを読んだ記憶があります。

 細川家は長宗我部の家臣として、大阪夏の陣にも出陣、敗戦の後、縁故を頼って奈半利に来たのですから、立派な郷士、士族です。
 その細川家の息子なのですが、家が貧しかったことから、寺小僧に出されます。

場所は南月渓のいる田野の浄土寺(廃寺)です。親御さんも考えたのです。何処にあづけるのがいいかをです。
 南月渓。なかなかの気骨溢れる坊さんだったようで、市太郎(是非之助の幼名)をびしびし鍛えるのです。

 寺の作務は当然として、経史や剣道まで教えていたのですから、忙しかったことでしょう。生活そのものが修行と言った塩梅です。けれども幼い市太郎のためにはよかったのです。

 慶応4年24歳のときに会津戦争に従軍し、明治3年に高知藩八等官小従事監察司に明治5年に30歳で高知県小属となるのです。

 彼の友人には、野根山屯集事件に参加した者もいるのですが、彼は野根山には行きませんでした。やはり安芸郡奉行所寄りの立場であっただろうか。そんなことも考えたりします。時の流れは勤皇・倒幕に傾きかけていたことは、感じていたでしょうに。

 甲浦から高知までの、護送旅程の最後の晩は、岸本の畠中氏宅であったそうですが、飲み且つ食べ、江藤新平は詩を読み、揮毫までしたのです。宴です。

 それからの是非之助は、司直として小田原・名古屋に勤務し、父が病を得たことで明治14年に帰省。
 さらに、明治16年には長岡郡長、さらに安芸郡長を務めます。
 やはり士族でしょうかね。金に踊らず名誉にも傾かず、自分の信ずる道を歩き通したのだと思います。

 最後に彼がなくなったときの逸話です。

 明治28年11月。近所の還暦の祝いの席に招かれ、酒宴の途中倒れるのです。
 突然のこと、彼の妻はこんな言葉を残したそうです。
 「貴方、こんな処で御寝(ぎょし)なったらいけませんろう。私と一緒に帰りましょう。」と涙ひとつこぼさず自宅へ連れて帰ったとのことです。

 いまなら、「救急車!!救急車を呼んで!!」と言うところでしょう。
 士族の妻は、いつも死と向き合っていたのでしょうか。
 清岡道之助の妻、静さんもこんな風情だったように思います。

 享年53歳。

 細川是非之助。なにか北川村の北川武平次さんや同じ田野町の濱口義立さん達と似た匂いを感じます。世情に流されず、我とわが身をキチンと律する力を持っていたように思います。

 彼の孫、細川高義さんは私の中学校の時の音楽の先生でした。温厚な好い方だったと記憶しています。そういえばアノ家に泊めていただいたことがあります。

 どうも士族の士は特別な教育を受けていたのでしょう。
 今の私共には、わからない世界です。


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