現在87歳の方の森林鉄道に乗った記憶です。
彼は安芸市内で清涼飲料水の製造販売を生業としてきました。
まだ森林鉄道が走っていた頃のこと、かれは馬路村魚梁瀬にある商店から注文があると、安芸市の工場から商品を運んでいたのです。
届けていた商品は「みかん水」、「ラムネ」、「ミルクコーヒー」等でなかなかに重かった筈です。現在のような紙パックはありませんからね。当然のごとく全部瓶です。
午前8時前には家を出て、奈半利の取引先に顔を出し、用事を済ませてから、商品を森林鉄道の客車に積み込んで魚梁瀬まで運んでいたのです。
その当時には魚梁瀬にも若者がたくさんいて、多くの人たちが生活しており、賑やかな場所だったそうです。
もちろん奈半利町の町中にも何軒かの取引先があって、配達仕事があり、結構忙しかったのです。良い時代です。
現在は大手の製造業者がいて、総販売責任者がいて、大型スーパーで販売をしているのですが、かつては地元業者の製品を地元の小売店が販売をして、消費していたのです。
そのまんま「地産地消」だったのです。
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そうしたことを語る表情は和やかで、私の突然の質問に、若かりし日の思い出探しをしてくれました。
「よう売れた。」彼の実感です。
彼にとって、森林鉄道は配達の手段だったのですが、それが廃線になる頃には、奈半利町樋之口の業者が彼に代わって彼の商品を運んでくれるようになったそうです。
昭和40年に魚梁瀬ダムが完成すると北川村や馬路村の奥地に住む方々が、少なくなってきたのでしょう。そして奈半利町の業者が他の食料品と共に運んでも事足りる量になっていたのです。
森林鉄道は、木材を運んでいた鉄道だったのですが、山の暮らしを支える生活物資の運搬手段でもあったのです。
鉄道がなくなると、軌道敷は道路となり、トラック輸送の時代が始まったのです。
昨日も北川村方面からの木材運搬車に出会いましたが、直径が20cmにも満たない小径木を何十本も積んで走っていました。
搬出する木材の中身が変わってしまったのです。
山が変わったのです。
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