ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

朝の巡視

2009-09-29 16:21:41 | 森林鉄道物語
 魚梁瀬森林鉄道・奈半利川線において、朝夕2回受け持ち区間を自転車トロで巡視をしていたそうなんです。この写真は、昭和17年撮影とされています。

 何か飄々とした印象を受けます。自転車のようにペダルをこいで前に進むのです。一人で雨の日も風の日も・・・。大変だったことでしょう。
 しかし、大切な仕事なのです。

 路線の安全確認なのですからね。
 今から考えると、とんでもなく稚拙のように見えるのかもしてませんが、時代背景から考えると、全国トップクラスの線路だったのではないでしょうか。

 かつての某森林局長さんが発言をしています。

 「奈半利川線は保線が行き届いていて、外の森林鉄道に比べると乗り心地はよかった。県内では奈半利川線だけが一級であとは二級だったようですね。」

 こうした評価も毎日の朝夕の巡視をちゃんとやっていた証明なのです。

最も美しかった。

2009-09-29 07:46:06 | 野根山街道物語
 今回の野根山街道散歩で最も美しかったところでしたが、画像はそれほどでもないですね。

 昼、尚暗いとはよく言ったものです。うっそうとした森林を歩いていると光も届かないほど暗くなって、足元の道にもコケなどが増えてきます。その向こうに光がさすと、ほんとに光っておりました。

 その一瞬の光景だったのですが、美しかったのです。

 いくたびに表情を変える自然の魅力、満載の場所なのです。
 目の前の風景が変化すると、歩きつかれた五体に元気が戻ってきます。

 やっぱりもう少し、自然の映像を切り取る勉強をしなければなりませんね。
 下手です。

 頭の中に残っている映像のほうが、写真よりずっといいのですから。
 次は一人でも冬に写真を撮りに行くことにしよう。

わからん円高。

2009-09-28 23:10:19 | Vision East
 とりあえず高知県東部地域に円高の影響を具体的に見ることはないようです。しかし全く影響がないわけではないのです。

 外国為替市場でドルが90円を切ってしまいました。88円23銭ですか。すごいですね。円ってのはそんなに価値がある通貨なのだろうか。よくわからん。

 いったい誰が円を買っているんだろう。今、円を買う理由がよくわからないのです。
 民主党政権の藤井財務大臣が市場に介入しない旨の発言をしましたからね、投機筋がそれに反応したような、そんなところでしょうか。

 日本はそんなに景気が良いはずはなく、アメリカもそれほど悪いわけでもない。

 確かに去年のリーマンショック以来、厳しい状態が続いているのですが、日本だって同じことですから、これほど円高に振れなくとも良いのです。

 円高の影響で日本の国内企業、特に輸出産業が悲鳴を上げております。
 みんなわかっているのに、政府も介入をしない。日本政府は企業を守る意識はないとの表明と受け取られているのです。
 実体経済が、ペーパーに翻弄されております。

 トヨタを中心とした世界に冠たる企業群が弱体化しているのです。日本の製造業が壊滅に向かっているんだけどなあ。

 財務大臣の仕事は、経済安定が仕事だと思うんですがね。返ってあおっているように思えるなあ。

 困ったもんだ。日本は原料を輸入して、製品を輸出する。日本の原則は変わらないはずなのです。
 安いから原料を買っても、売れなければ仕方がないよなあ。
 長期戦略に対応できる企業しか、生き残れなくなっているのでしょう。

 怖い怖い。投機筋の利益を保証してどうするんだろうね。

 そう、思う。

空港閉鎖??。

2009-09-28 20:30:22 | Vision East
 びっくりしますね。

 JALが危機的な状況になっているようですが、厳しいようです。

 採算を度外視して空港を作り、作った以上は飛行機を飛ばさなければならない。

 民間の航空会社には採算度外視なんて無理はとても頼めないから、半官半民的なJALへ運行を依頼するのです。当然赤字になりますからね。

 政治路線です。
 空港を作るのに、どれくらいの経費がかかるのか、大変な額でしょうしこれから毎年赤字が累積し続けることでしょう。
 そうした路線が何路線あるものやら、それもわかりません。
JALが止めたい路線は50ほどあるそうですが、それだけあれば赤字は間違いないねえ。
 そうすると、当然のごとく空港閉鎖が発生することになるのです。
 しかしそもそも、この狭い日本に80ヶ所もの空港があるほうが、おかしいのです。

 さらに銀行団が融資を見送ることを決めるのですから、再建計画もかなり無理があるといったところなのです。

 高知県東部地域には、先年やっとごめん・なはり線が開通しました。
 経営的には厳しいでしょうが、頑張ってほしいところです。

 
 道路だとて同じと言われたら、しんどいことですが、少なくとも運行に赤字は出ませんからね。
 投資をしても、効果は期待できないとの意見が出てくるのでしょう。
 しかし今年もまた地域高速道路の建設に係わる大会が徳島県で開催されることに決定しました。
 また少し頑張らなければなりません。
 地域のためになると、信じて。です。

赤い樹。

2009-09-27 18:21:22 | 野根山街道物語
 野根山街道の中でも印象的な樹が何本かあります。この赤い樹もそのうちの1本。けっして大きな樹でもないのですが、同じような色が連続する風景の中で突然赤い樹が表れます。

 印象の強い樹なのです。
 歩くのにも只淡々と歩くより、目標を決めて歩くと楽しく歩けます。
 ビールジョッキの樹までとか、櫛の形の樹までとか、といった具合です。

 このような木々は誰も名前をつけているわけでもないのですが、これから勝手に命名してやろうなどと考えている次第です。

 野根山街道の記録に残っているわけでもないのですが、私の記憶に残っているのです。そうした歩き方もあるのです。

 歩くこと自体をスポーツとして考え始めているのです。
 場所はもちろん、35Kmの野根山街道でです。

 高知県東部地域における集客力のある地域を目指して見たいと思っているのです。
 今までの観光の概念を変えてみたいのです。
 多分出来るでしょう。
 それも3~5年以内にね。しかし課題は多いのですが。やってみたいです。
 

展示会閉会

2009-09-27 18:09:36 | 日記
 終わりましたね。

 無事終了です。最終的に1240人の入場者となりました。

 目標は1000人だっただけに、合格です。

 来ていただいた方々。ありがとうございました。

 イベントを企画して何よりうれしいのは、事故なく終わること。
 
 ちょっと簡略化して閉会式もやりましたよ。スタッフみんなで少しづつ、思いを話していただきました。

 都築房子展。終了です。しかし会の仲間はがんばるねえ。素敵です。
 

自然の力

2009-09-26 09:14:42 | 野根山街道物語
 野根山山系全体の中では珍しいことではないのでしょうが、突然目の前に、倒木が現れたのです。
 気がついたときには驚きました。圧倒的な自然の力が働いたのでしょう。複数の杉が根こそぎ、正に根こそぎ倒されていたのです。

 すごい力です。ここだとそのまま朽ち果てるまで放置されるのでしょう。一般国道だとすぐに建設業者が到着して、始末するのでしょう。ここ野根山街道ではそのまま朽ちてゆくのです。それでいいのです。

 35Kmの街道全体では毎日色々なことが起きているのでしょうが、所詮人間が解ることって少ないのです。
 モットびっくりしたこと。案外根が深くないことなのです。植林された杉は根が深く張っていないのではないかということなのです。何年か前、九州日田の杉林で倒壊が発生しました。今回はそれから比べるとたった2~3本なのですが、思い出していました。今回写真を改めて見たときそのように思ったのです。

 改めて自然の力はすごいです。
 

千。

2009-09-25 22:52:45 | 日記
 今回、藤村製糸株式会社の工場跡で「都築房子展」をやろうと決めたときに、目標を定めたのです。

 目標1000人。それだけでした。参加人員1000。都築さんがどの様な方なのか、解らないまま、そしてどの様な作品を発表をしている方なのか解らないままやる以上は達成しようと目標を立てたのです。それが1000人の入場者なのです。
 15日の会期ですから、1日に70人ほどは入っていただけないと達成できない数字でした。それが多分明日。14日目にいけそうなのです。うれしいですね。
 いかなるイベントでも事故なく終わることは最も重要なことなのですが、達成感からすると、今回は1000だったのです。

 マスコミへのアプローチも概ね成功しました。DMも出しました。口コミで広がった形跡も感じておりました。すべての可能性を、出来るだけのことをやってきたのです。

 素直にありがとうございました。
 先ずはスタッフの皆様に。後2日残っておりますが、よろしくお願いします。
 入場者の皆様。ご感想はいかがでしょうか。来ていただいてありがとう。
 こうした試みは初めてでしたが、楽しかったです。

 先日おなじみのお客様に言われました。その方はなはり浦の会のイベントにはいつも参加してくださる方なのです。
 
「去年の音楽会はよかったし、今年の美術展も楽しかった。それで来年は何をするが??????。

 そんなこと、聞くな!!!。

 明日の1000人目のお客様には何か記念品でも準備しましょう。
 さて誰が、どこの方が1000人目になるでしょうね。

 後80人ぐらいです。今日は110人でした。やったね。

 

コゴロク廃寺

2009-09-25 19:23:21 | 昔話
 高知県史考古編に奈半郷(なわごう)の記述がある。

 「奈半郷は古代における安芸郡の中心らしく、奈良末から平安前期の寺院跡(奈半利町コゴロク廃寺)が発見されている。」

 奈良時代、聖武天皇が国ごとに国分寺を建立することを命じたことから、土佐の地でも当然土佐国分寺が建立されているのですが、奈良時代に建立された寺院が当時の郡にそれぞれ一つずつ存在しているようなのです。奈良時代のはじめ、土佐は幡多、吾川、土佐、安芸の4郡でした。その安芸郡に設置された寺院が奈半郷にあるのです。
 これらの寺院を建立するには当然その地方の豪族の協力が必要であったろう。特に郡司級の豪族の協力が必要であったでしょう。
 さらに宗教施設としての寺院の維持管理には相当数の住民の協力までが必要であることが考えられるだけに、奈半郷は古代における安芸郡の中心とに結論を出しているように思われるのです。

 聖武天皇(701~756)の生きた時代と野根山街道が官道とされたとされる
養老年間(717~724)が重なっているのです。

 なにやらその当時の生活全般についても興味がわいてきますね。
 農業や漁業は当然やっていたのでしょうし、林業や製造業もあったのでしょう。
 面白そうです。
 ゆっくりと地域の昔語りを続ける意味で、研究してみましょう。

 しかしこの時代、空海も未だ産まれてはおりませんし、紀貫之が歴史に登場するためにはまだ100年。土御門上皇となると500年という時間を必要とする程昔々の話なのです。
 しかし本を読むだけでも面白そうです。
 きっかけは廃寺があったそうな。それだけです。
 

尾根道

2009-09-24 22:13:47 | 野根山街道物語
 野根山街道は、1200年ほど前に官道にとして開かれたのですが、野根山山系の尾根を道として利用していたのがよくわかります。

 この場所は、何時行っても感心します。幅は人ヒロ弱程度、尾根を多くの人たちが歩いて踏み固めた道なのです。そして左右ともに下方に傾斜しているのです。雨粒が右に落ちるのと左に落ちるのとでは、流れ落ちる川が違うのです。山の背中を歩いている実感があります。人が歩いていた後に道が出来たのです。人間がいないときには獣も歩いているかもしれませんがね。
 
 向こうから、ちょんまげをつけた人たちが走ってきても不思議ではないように思えてしまいます。
 しかしこの道を参勤交代の折、駕篭を担いで歩いていた人たちがいるのです。信じられないほどの体力です。

 野根山山系の中には多くの獣道や作業道もありそうですが、この道は多分最も起伏がなく、単純に歩きやすい道なのです。

 野根山街道の中で私のお気に入りベスト10に入る場所の一つです。

 名前??別に付いてないんじゃあないのかねえ。知らないなあ。
 お話を作りたい場所としては、NO1です。