ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

花の谷。桔梗

2010-07-30 18:54:08 | 花の谷
 「花の谷」と呼ばれる谷があります。高知県の県庁所在地から東へ50KM程、国道55号が通過する奈半利町から北へ車で30分、深い山の中にこの谷はあります。
 この場所を流れる奈半利川の支流も、ここから上流には人が住んでいないことから、水はきれいです。流れに手をさしだして水をすくい、そのまま飲めるほどです。



 今年の春、新たに赴任してきた地元新聞の記者が取材に来て、山崎のにいやんに道端で色々と質問をぶつけていたのですが、にいやんにしても先月東京から帰ってきたばかりで知っていることは多くはないのです。しかしながら昼間は、他に誰もいないのですから仕方がないのです。役場に行って取材目的を話すと、「爺ちゃんに聞いたら分かる。」と言われて来たのですが、口が重い爺ちゃんの代わりに、山崎のにいやんに取材対象を変更したのです。

 3~4年ほど前に観光業者が来て、「花の谷という名前がいいでしょう。」ツアーの観光客誘致の為に勝手につけたのです。そして「いつの間にか多くの花が咲き始めたのです。」そうした伝説めいた話を作ってくれたのです。
 それからです。マスコミでも取り上げられたこともあって、時折リュックサックを背負ってスニーカーを履いた方々が歩くようになりました。
 一時は結構な賑わいでしたが、今はもう寂しくなっているのです。

 新聞記者の井内君が今日取材できたのは、この程度だったのです。

 10年ぐらい前に、爺やンがひょっこりと、この谷に来てごそごそと働き始めてから、数多くの花が咲き始めたのです。種をまき、苗を育てて、そして植えてきたのです。かつては水田として稲穂がたわわに実っていた場所なのですが、休耕田となってからは誰も作る人がいなくなって、放置されていたのを、持ち主から借り受けて、新たに土や炭を入れて、花を植えていたのです。

 「爺やん。やりゆうかよ。暑いときは止めちょいたら?」花の手入れに忙しい爺やんに、車の運転席から隣の山崎のにいやんが背中越しに声をかけてきた。新聞記者の取材が終わったらしい。「何処へ行きゆうがぜよ。」「ちょっと下へ買いもんに行きゆうがよ。じき戻んてくるきに。」
 そのまま、自慢の新車のアクセルを踏んだ。

 「しもうた。焼酎を買うてきてもろうたらよかった。」

 爺やんはこの谷に、小さな民家をもつ友人から家を借り受けて、一人で引っ越してきたのですが、近所との付き合いも、いつの間にか自然にやっているのです。

 3時間もすると、山崎のにいやんが帰ってきたと見えて、エンジン音が聞こえてきた。

 爺やんは、家の前の椅子で、風呂上りの夕涼みを楽しんでいたところだった。

 「今晩、一杯やろか?」「どいたが。」「なんちゃあないけんど、えいやんか。」
 「最近飲んじゃあせんやいか。」爺やんは、散髪をしてきたと見えて、さっぱりとした頭になってきたにいやんにそう言うと、足は川の方に向かっていた。

 「なんか取れちゅうろ。テレビでも見よりや。」
 部屋に入って、椅子に座りテレビのスイッチを入れると、夕方のニュースをやっている。

 爺ちゃんの部屋にはテレビとパソコン。それに冷蔵庫とテーブルと椅子、ベット。家具といえばそれしかないのだ。テレビとパソコンの間に変わった形の花器に桔梗の花束が生けてある。爺ちゃんの大好きな花だと、帰ってきて最初に挨拶したときに教えられたとおりだ。

 爺ちゃんは、20分もするとビニール袋に鰻を入れて帰ってきた。

 「これで、一杯やろうやいか。」

 川の恵には際限がない。手馴れた動きで鰻を捌き、竹炭に火をつけると、網の上にさっきの鰻が乗っている。白焼にしてたれをつけ、蒲焼を作ってしまった。

 「ちくと見よってくれよ。」そういうと畑に下りてトマトやきゅうり、ナスといった野菜をとっているらしい。
 駕篭に一杯の野菜を持って帰ってくるなり、「いかん、飯を炊いちゃあせん。」

 「めしはある。ある。」そういうなり、にいやんは携帯電話で話している。「爺ちゃんところで飲むき、後で飯を持ってきてくれや。」田野町の病院で看護師をしている妹に頼んでいるのだ。「亮ちゃんかえ??。まだ田野におるがやったら、焼酎を買うてきてもらうてくれんかにゃあ。」そばで聞いていた爺ちゃんが、電話の向こうの亮子にも聞こえるような大きな声で言った。

 テレビは夏の暑さをニュースとして流している。「2020年。今年最高の暑さです。岐阜県多治見市で42度を記録しました。」

 「そうめんを湯がいちょいたら、まあそれでえいろう。」

 「日本全国、暑いけんど、ここはまだえいほうやき。」
 「座れ、飲むぞ。」「氷はここ。焼酎はそこ。」「ビールは冷蔵庫。」

 テーブルの上には、鰻の蒲焼と大きな鍋に氷を入れてやさいを大盛りにして並んでいる。あとは、さばの味噌煮の缶詰を開けて、そうめんを湯がいてあるのだ。
 ビールを取りに行ったにいやんに「冷蔵庫にキムチがあるろ。持ってきてくれや。」
 爺やンの額には汗が噴出している。首に巻いたタオルで拭いながら飲み始めた。

 それから小一時間ぐらい経った頃か、亮子が入ってきた。「はい。ご飯と焼酎。」
 爺ちゃんは、金を渡すと「座っていけや。」「まだ早いきえいろう。」
 コップを持った亮子ににいやんがビールをついで、「お疲れ!。」一口飲んだ亮子はにいやんに、「そろそろ仕事を探したらどう?」
 「そうやね、なんかせんといかんがやけんど。」ここ2~3日の二人の会話はどうもこれらしい。「なかなかえい仕事はないきなあ。」爺やンも気になっていたと見えて、身を乗り出してきた。

 「仕事かあ。にいやん。えい仕事が見つかるまででかまんけんど、手伝うてくれんかなあ。」
 にいやんには、だいたいの想像はついた。爺ちゃんは毎週日曜日になると高知市内の市場に店を出しているのだ。
 「やらいてもらおうかなあ。」隣で座って飲んでいた亮子は「ほんと?」。「うん。」うなずくにいやんと爺ちゃんは互いに微笑んでいた。

 

 

 

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