PAIKAJI-WALKER

沖縄県は石垣島に在住の筆者が全国を渡り歩く様を何となくレポート。。特にテーマもカテゴリーも持たない雑学ブログ。

島内地下式横穴古墳群。

2017-05-30 18:43:23 | 気になる話し


私の苗字と同じですから、幾ばくかの親近感は当然、沸いてきます。島内式横穴古墳。宮崎県えびね市島内と言う地名にある1500年前の古墳時代の遺跡群なんですよ。

付近には1000基程の地下式横穴古墳があって、未発見の殆どは恐らく畑の下だと思いますが、、

同じ頃の古墳は墳丘式で盛土をするスタイルですか、この九州南部では地下に玄室を造る独特の墓だそうだ。



私の父方は佐賀県出身で島内の姓を名乗っていますので、少なからず、縁があるのですが。


その古墳群は国の指定重要文化財に指定されていて科学的、学術的、文化人類学的に綿密に調査研究が進んでいるのですが、平成26年10月から調査をしていた島内地下式横穴古墳群第139号墓で大量の副葬品を含めた地域首長墓を完全な状態で発見。

考古学会の大ニュースでした。

地下に完全に密閉されていたんで、タイムカプセル状態。

出てきた物がまたスゴい。

見事な象篏が施された、鮫革の持ち手の龍文太刀。これは朝鮮半島でも出土していない日本独特の文様とのことで、国内3例目。主にヤマト朝廷勢力下の近畿圏で他は出土。

甲冑。

兜。

これも兜。

保存処理されたとは言え、見事な保存状態。そして、平成28年には出土した副葬品の中に、鍛冶具が新たに確認されたそうだ。

その鍛冶具には日輪の文様が施されていました。これは、実用品ではなく権威ある者に贈られる物で、製鉄や原材料、大陸やヤマト朝廷との交易に携わるかなりの実力者だったと推察されています。

とてつもない力を持っていた人物が、ここに居た証しです。

これは以前、西都原考古学博物館を見学に行って際に撮影した島内地下式横穴古墳から出土した埋葬された男性の頭蓋骨。朱塗りされています。恐らくベンガラでしょう。

同じ島内です。。



何だかんだと明日で5月終了です。



早いですよ~これからさらに早いです。2017年折り返しの6月がやってきます。


では、皆様。








Paikaji





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人間はどこに向かうんだろか、

2017-05-30 13:28:47 | つれづれな話し


Paikajiの呟きです。


慌ただしく駆け足のように過ぎていく月日。この前、寒い寒い言ってたら、梅だ、桜だ、、日が延びたねで、やがて梅雨の足音。、

地球はたんたんと太陽の回りを1年掛けて、1日1回転の規則性を守り、この広大な宇宙のちっぽけな太陽系と名付けられたエリアを動いています。

そんな事を考えると、過去から繰り広げられている人間同士の陣取り合戦や、権力のぶつかり合い、はたまた個人的な価値観の他人への押し付けや、情報の薄っぺらさ。。アホらしくてアホらしくて。


それに振り回される側は、たまったもんじゃないわけで、それが戦争や紛争、自分さえ良ければ構わない輩、他人を困らせる輩、わーわー騒ぐ輩、、上げたら切りがない。


最近、アホらしくてアホらしくて、、と思うことが多くなりました。


よっぽど、ボーッと景色見てた方が楽しいと思ってます。正直。


私は地方紙の電子新聞をかなり購読しています。日本中回りますからその土地の出来事や歴史を調べるきっかけになるからです。


こんな地方紙に目が止まりました。以下拝借。

『太平洋戦争のさなか、疎開先探しに困った東京の養護学校を児童、職員ぐるみで受け入れたホテルが長野県にあります。上山田村(現千曲市)の上山田ホテルで、21日には終戦から70年余の時をえ、児童らの感謝を込めた「学童疎開記念碑」の除幕式が行われました。戦時下の学童疎開は健常児が優先され、体が不自由な子どもたちは半ば放置された状態。しかし、奔走した校長やホテル経営者の決断によって疎開が実行されました。』

「このまま爆撃で死なせるわけにはいかない」

長野に何とか疎開を果たしたのは当時の東京市立光明(こうめい)学校。1932(昭和7)年に全国で初めて肢体不自由児のための寮舎、医療施設を設けた養護学校として東京・世田谷区松原に開校しました。空襲が次第に激しくなり、1944(昭和19)年には東京などの学童疎開が始まったため、光明学校も対策を急いでいました。』

拝借終わり。

結局、学校職員が長野県内を奔走し山間の当時の上山田村村長の経営する旅館に120名を越える疎開児童、職員を受け入れたと。受け入れ中は営業出来ない事を承知しての事。従業員の皆さんは給与が出なくても大賛成だったそうです。

その疎開は、学校が消失、児童家族の行方不明などにより、東京での受け入れ体制が出来た終戦後、2年を経って終わることになります。

この間、村民総出での食材寄付や真摯なボランティア活動があったこと、何より、この疎開を英断した小さな山村の村長の強い意思で、児童達は守られたのです。

その後、卒業していった児童達は立派に高度経済成長を支え、戦後70年を契機に、感謝の気持ちを込めて、疎開先のホテルに記念碑の除幕をした、、と言う記事でした。


このホテル、ちょっと調べたら高級旅館でした。ホームページにはそんな事は一言も書いてません。是非、泊まりに行きたいと思いますが、何せ、交通アクセスが。。でも、当時の職員や、疎開を途中まで手伝った陸軍輸送部隊からしたらアクセスなんざ関係無かったでしょう。



人間は動物と決定的に違う認知行動の1つに、『弱者を切り捨てない』が上げらています。強いものだけが生き残る戦略は、生物進化論上では選択しなかった種族です。

恐竜時代には、物影に隠れ、補食されないようにちょこまか動く、臆病で慎重な夜行性のネズミの1種が我々の祖先です。チームで子供を守り、目立たず、大きくならず、エネルギーの省力化を追求し、コミュニティーを大切にしたんです。気が付いたら、他の捕食者は違う系統の動物に進化していた。。これが進化論上の人間の話です。


『こつこつと地道に、そして他人を思いやる』

が我々、人間の特技です。


自分の命さえ投げ出して子供や家族、他人を助ける動物は人間だけです。



1日に1回、まずは身近な人を手伝ってあげましょう。散らかした物をちょっとだけ片したり、流しに起きっぱなしにしないで洗ってあげるとか、ご馳走さま!って心から言ったり、どうぞ、と道を譲ったり。。小さな良いことは連鎖します。やがてどんどん広がります。

された方は、ちょっと幸せになって、誰かにお返ししたくなります。


人間の本当の得意技は自分より、他人を幸せにすることですから。



今日もいい日だ。





では、




Paikaji






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