マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

補助金は屈辱?

2009年12月04日 08時40分43秒 | ひとりごと
同意さんからいささか刺激的なコメントが来ています。
要するに、雇用調整助成金は個人でいうところの生活保護であり、一般人が生活保護をもらおうとすると極めて屈辱的な扱いを受ける。なのに、助成金は簡単に下りる。こんなことあり?・・・・という事ですね?

同感です。そもそも企業活動は適者生存の原則であり、弱肉強食の世界なのです。必要のない企業は退場し、新しく必要とされる産業が起業されるべきです。そして、発生した失業者に対し、セーフティネットを構築し、不安のない生活を送ることが出来るようにするべきなのです。
「べき論」です。
さて、生活保護の実体を私はほとんど知りませんが、どれほどの屈辱を味あわされるかは経験した人にしかわからないでしょう。ただし、想像はできますがね。

現実に、ある人から相談を受けたことがあります。事業に失敗し、母親を姉さんに引き取ってもらったそうです。しかし、姉さんも独り者で、生活は楽ではないと言う。病気がちな母親を引き取った姉さんはたちまち生活に行き詰った。
そして相談というのは、その男が多少でも援助しようと考えるのだが、夫婦喧嘩になったのだと言う。それを聞き、私は、それこそ生活保護ではないか。絶対に下りるはずだと主張した。彼はそこで相談窓口へ行ったのである。
ところが、お姉さんは唯一の生活手段がピアノのレッスンであり、マンションの一室でピアノを教えていた。そのマンションは家賃が8万円で、それが贅沢だから生活保護は受けれないとのことだった。
問題なのは、現実に、そこを引越し、低所得者向けのアパートに入って、ピアノのレッスンが可能かどうか非常に疑問なのである。さらに、引越し費用すらないのにどうすればいいの、という問題もある。しかし、駄目なものは駄目だったのだ。
血が通っていないとはこのようなことなのだろう。

私は生活保護というのは国民の生存権であり、企業活動と同じに考えてはいけないと考えます。この雇用調整助成金は、政府が失業者対策の不備を指摘されないため、さらには景気対策を怠ったと言われないための方便で、根本的に国民の生存権とはまったく違う理念から来ているものなのです。いわば、失政を隠すための苦肉の策ではないのか。こんな権利は憲法にはないでしょう。違法な利益供与なのです。

同意さんにお答えします。助成金をもらうことは自分の主義に反しています。しかし、私も経営者です、従業員を救うためにできることは何でもやるつもりです。
政府が経済対策をしないためにこのような苦境に陥っているのです。多くの人がそれを申請し、早くこの政策を打ち切らせるべきです。屈辱はないですね、要件を満たしてますから。

生活保護はまったく別の問題で、働きたくても働けない、あるいは、働いても食べてゆけないケースを想定したもので、憲法に保証された国民の生存権に属する極めて大切な権利です。屈辱を感じたとしたら戦うしかありません。ましてや要件を満たしているのに下りない場合は断固とした処置をとるべきです。先ほどの場合、共産党に相談したのですが、やはりマンションでは難しいとのことだった。どうしようもないですね。

同意さんの質問の意図はわかります、でも、まったく違う問題ですよ。片方は憲法に保証されている権利で、片方は憲法にはない話です。