毎度のことで申し訳ない。少し訂正させてください。
実は、アーリア人とエフライムの関係ですが、どう考えても時代背景が一致しない。つまり、年代的な裏付けが取れませんね。縄文時代、アーリア人のオロチョンが日本にやってきたのはBC8000年から6000年ぐらい。アブラハムが出エジプトをし、エジプトから出たのがBC14から13世紀前後。イスラエル王国が出来るのは当然それ以降である。ましてやエフライム族が出来るのはさらに後ということになる。
つまり、アーリア人が日本の縄文王朝を作ったのは間違いないが、イスラエル支族、ましてやエフライム族ということはないということです。
さて、先日私はこう書いた。
「初めて日本を征服した王朝が出雲王朝であり、問題はそれがエフライム族であり、アーリア人との混血だったというのである。紋章の一角獣がそれだ。」・・・・と。
これで日本の歴史が見えてくるかと言えば、見えませんよね。では、言い方を変えましょう。
我々が学校で学んだ日本の歴史は縄文時代と弥生時代で区別する。
縄文時代は・・・・wikiから「縄文時代(じょうもんじだい)は、年代でいうと今から約1万6,500年前(紀元前145世紀)から約3,000年前(紀元前10世紀)、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展した時代であり、世界史では中石器時代ないし新石器時代に相当する時代である。旧石器時代と縄文時代の違いは、土器の出現や竪穴住居の普及、貝塚の形式などがあげられる。」
弥生時代は・・・・「弥生時代(やよいじだい)は、北海道・沖縄を除く日本列島における時代区分の一つであり、縄文時代に続き、古墳時代に先行する。およそ紀元前3世紀中頃(この年代には異論もある)から、紀元後3世紀中頃までにあたる時代の名称である。具体的には、稲作技術導入によって日本での水稲耕作が開始された時代である」
以上が我々日本原住民に押し付けられた歴史認識である。が、しかし、これは間違っているとは言えないまでも、本質を外しているとしか言えない。
正しく直さねば・・・・
縄文時代というのは、バイカル湖付近に居住していたアーリア人とツングース民族が混血しオロチョン部族が生まれる。その部族がアムール川をくだり、青森にやってきた。その後日本のほぼ全土を支配し、新しい侵略者に敗退するまでの時代のことである。
彼らはロシアの沿海州に産する黒曜石を十三湊を拠点として日本中(大陸にも?)に交易するネットワークを持っていた。つまり・・・、縄文時代は想像以上に文明が発達していたということだ。
では、弥生時代とは何だったかというと、これは私の憶測を含めて考えてみると、世界的な異常気象がもたらしたフン族の侵入で、ヨーロッパ中が蜂の巣をつついたような大騒ぎになったのである。ローマにいたイスラエル部族たちがローマを見限り?東方へ大挙して移動を開始したのである。中国人はローマを大秦と呼んだので、日本も彼らを秦人と呼んだようである。
彼らが侵入した中国北部は大混乱となる。五胡十六カ国時代である。日本では仁徳・応神時代とされるが、実はスキタイ王が日本へやってきたのだ。しかし実態はイスラエル部族のうちの八つが九州へ上陸したのではないか。八幡の由来はまさに八部族ということになるかな。
この部族の明細は十分にはわからないが、ただ、波状的に色々な部族がやってきたわけで、土木や製鉄、酒、絹、等、色々な役割を持つイスラエル部族で、彼らがヤマタノオロチ(オロチョンのことだよね)を成敗したスサノウであったわけだ。このあたりの分析は今後も継続してゆくが、今日は縄文王朝が肝心・・・。
出雲が恐らく一番大きな戦いがあった場所ではないか。だからそこで国譲りが行われ、天神王朝が作られる。
彼らイスラエル部族は秦氏と名付けられた。そして彼ら部族の中に別格のレビ族、即ちバラモンがいた。それが賀茂氏である。
さて、縄文王朝の人々は服従し、新王朝に従ったものと、まつろわない民として東北地方へ逃げ込むものとがいた。
つまり、天神王朝は西日本は掌握したものの、東北地方は平安時代まで縄文王朝が続いたのである。
さて、日本の原発はどのような地域にあるのか考えたことがあるだろうか。
ついでに大きな地震がどこで起きたかを関連付けた人はいるだろうか。
311で津波に襲われたのは・・・。日本で原爆が使用された地域は・・・・・・。
つまり、今でも出雲族は底知れない力を持っており、その力に脅威を覚える勢力があるということだ。
ついでにもう少し、十三湊は津軽だが・・・・津軽氏の家紋は卍。卍と言えば、世界紅卍。紅卍と言えば・・・道院。道院と言えば…?連想はご自由に。ただ、エフライム族の祖、ヨセフのシンボルが牛だったとか・・・金色の牛?
さて、問題は草原の道を通り、バイカルへやってきた部族がインドにヒンズー教を伝えたアーリア人というのだが、この考え方は昔のマヨちゃんのツランと同じであり、やはりクラスノヤルスクを総本部とする鉄鉱石探索部隊である。これらをツランと呼ぶか、アーリアと呼ぶのか?恐らく、同じことを言っているのだろう。
私も一時はこのツラン思想に夢中になったものだが、ここで注意しなければならないことがある。この考え方がアーリア人復興のナチズムにつながるもので、日本に河豚計画をもたらしたことを・・・。そしてそれがシオニストの思うつぼであることを・・・・。
日本への第一陣、アーリア人が日本を侵略したとして、その規模はせいぜい数千人程度。これが数千年で婚姻や混血を繰り返したとしてどうだろう。
基本的に彼らの考え方はカーストであり、自分たちはバラモンであり、最上位である。したがって誰とでも婚姻するわけではなく、慎重に相手を選んだであろう。つまり、バラモンは別格として、クシャトリアはそれほど多くはなかったと思われる。
何が言いたいかだが、要は、大部分の日本原住民はアーリア人の末裔ではなく、大部分の日本原住民は侵略者、アーリア人に征服された哀れな奴隷階級だということである。実はここが今日言いたかったことのすべてである。
あなたの家系が地元の名士で、地銀のオーナーだったり、酒造、鉄鋼メーカー、特定郵便局のオーナー・・・だったりしたら、あなたがアーリア人の末裔である可能性はかなり強いが、ほとんどの日本人は残念ながらそうではないはずだ。
まあ、そのあといよいよ現代につながる第三陣の神武さんがやってきて日本が統一されるのだが、それらの三派が全国のあらゆる利権を仲良く?分け合ったのだよ。
で、アーリア人がなぜエフライムなのか?ですね・・・。正直、納得できてないのだが、遺伝子の調査から、その突然変異的な遺伝子が世界で日本とチベットにしか見つからないのだとか・・・。そしてもう一つは、前回お見せした日本皇室の紋章からかな。第一陣の代表である一角獣と、第三陣に中心部隊、ユダ族の獅子が真ん中のレビ族を支えている図である。動かぬ証拠というか・・・、まあ、私にとってはどうでもいいことなのだが、我々原住民のものである日本列島を収奪した人たちなのだよ、少なくとも彼らのために血を流したくはないね。
つまり、超古代において国境などなく、自由自在に大陸と行き来し、交易してきたのである。国境は侵略してきた部族達の利権の境目であり、すべてなのである。だから彼らは国境が大事なのであり、我々には実は関係ない話なのである。尖閣でも竹島でも古代ではみんな勝手に上陸し、誰のものでもなかった。歴史的に誰のものかというのであるなら、「誰のものでもない」というほうが正しいのではないか?
そんなことで国民の生命を危険にさらすことは愚の骨頂で、いい迷惑である。
実は、アーリア人とエフライムの関係ですが、どう考えても時代背景が一致しない。つまり、年代的な裏付けが取れませんね。縄文時代、アーリア人のオロチョンが日本にやってきたのはBC8000年から6000年ぐらい。アブラハムが出エジプトをし、エジプトから出たのがBC14から13世紀前後。イスラエル王国が出来るのは当然それ以降である。ましてやエフライム族が出来るのはさらに後ということになる。
つまり、アーリア人が日本の縄文王朝を作ったのは間違いないが、イスラエル支族、ましてやエフライム族ということはないということです。
さて、先日私はこう書いた。
「初めて日本を征服した王朝が出雲王朝であり、問題はそれがエフライム族であり、アーリア人との混血だったというのである。紋章の一角獣がそれだ。」・・・・と。
これで日本の歴史が見えてくるかと言えば、見えませんよね。では、言い方を変えましょう。
我々が学校で学んだ日本の歴史は縄文時代と弥生時代で区別する。
縄文時代は・・・・wikiから「縄文時代(じょうもんじだい)は、年代でいうと今から約1万6,500年前(紀元前145世紀)から約3,000年前(紀元前10世紀)、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展した時代であり、世界史では中石器時代ないし新石器時代に相当する時代である。旧石器時代と縄文時代の違いは、土器の出現や竪穴住居の普及、貝塚の形式などがあげられる。」
弥生時代は・・・・「弥生時代(やよいじだい)は、北海道・沖縄を除く日本列島における時代区分の一つであり、縄文時代に続き、古墳時代に先行する。およそ紀元前3世紀中頃(この年代には異論もある)から、紀元後3世紀中頃までにあたる時代の名称である。具体的には、稲作技術導入によって日本での水稲耕作が開始された時代である」
以上が我々日本原住民に押し付けられた歴史認識である。が、しかし、これは間違っているとは言えないまでも、本質を外しているとしか言えない。
正しく直さねば・・・・
縄文時代というのは、バイカル湖付近に居住していたアーリア人とツングース民族が混血しオロチョン部族が生まれる。その部族がアムール川をくだり、青森にやってきた。その後日本のほぼ全土を支配し、新しい侵略者に敗退するまでの時代のことである。
彼らはロシアの沿海州に産する黒曜石を十三湊を拠点として日本中(大陸にも?)に交易するネットワークを持っていた。つまり・・・、縄文時代は想像以上に文明が発達していたということだ。
では、弥生時代とは何だったかというと、これは私の憶測を含めて考えてみると、世界的な異常気象がもたらしたフン族の侵入で、ヨーロッパ中が蜂の巣をつついたような大騒ぎになったのである。ローマにいたイスラエル部族たちがローマを見限り?東方へ大挙して移動を開始したのである。中国人はローマを大秦と呼んだので、日本も彼らを秦人と呼んだようである。
彼らが侵入した中国北部は大混乱となる。五胡十六カ国時代である。日本では仁徳・応神時代とされるが、実はスキタイ王が日本へやってきたのだ。しかし実態はイスラエル部族のうちの八つが九州へ上陸したのではないか。八幡の由来はまさに八部族ということになるかな。
この部族の明細は十分にはわからないが、ただ、波状的に色々な部族がやってきたわけで、土木や製鉄、酒、絹、等、色々な役割を持つイスラエル部族で、彼らがヤマタノオロチ(オロチョンのことだよね)を成敗したスサノウであったわけだ。このあたりの分析は今後も継続してゆくが、今日は縄文王朝が肝心・・・。
出雲が恐らく一番大きな戦いがあった場所ではないか。だからそこで国譲りが行われ、天神王朝が作られる。
彼らイスラエル部族は秦氏と名付けられた。そして彼ら部族の中に別格のレビ族、即ちバラモンがいた。それが賀茂氏である。
さて、縄文王朝の人々は服従し、新王朝に従ったものと、まつろわない民として東北地方へ逃げ込むものとがいた。
つまり、天神王朝は西日本は掌握したものの、東北地方は平安時代まで縄文王朝が続いたのである。
さて、日本の原発はどのような地域にあるのか考えたことがあるだろうか。
ついでに大きな地震がどこで起きたかを関連付けた人はいるだろうか。
311で津波に襲われたのは・・・。日本で原爆が使用された地域は・・・・・・。
つまり、今でも出雲族は底知れない力を持っており、その力に脅威を覚える勢力があるということだ。
ついでにもう少し、十三湊は津軽だが・・・・津軽氏の家紋は卍。卍と言えば、世界紅卍。紅卍と言えば・・・道院。道院と言えば…?連想はご自由に。ただ、エフライム族の祖、ヨセフのシンボルが牛だったとか・・・金色の牛?
さて、問題は草原の道を通り、バイカルへやってきた部族がインドにヒンズー教を伝えたアーリア人というのだが、この考え方は昔のマヨちゃんのツランと同じであり、やはりクラスノヤルスクを総本部とする鉄鉱石探索部隊である。これらをツランと呼ぶか、アーリアと呼ぶのか?恐らく、同じことを言っているのだろう。
私も一時はこのツラン思想に夢中になったものだが、ここで注意しなければならないことがある。この考え方がアーリア人復興のナチズムにつながるもので、日本に河豚計画をもたらしたことを・・・。そしてそれがシオニストの思うつぼであることを・・・・。
日本への第一陣、アーリア人が日本を侵略したとして、その規模はせいぜい数千人程度。これが数千年で婚姻や混血を繰り返したとしてどうだろう。
基本的に彼らの考え方はカーストであり、自分たちはバラモンであり、最上位である。したがって誰とでも婚姻するわけではなく、慎重に相手を選んだであろう。つまり、バラモンは別格として、クシャトリアはそれほど多くはなかったと思われる。
何が言いたいかだが、要は、大部分の日本原住民はアーリア人の末裔ではなく、大部分の日本原住民は侵略者、アーリア人に征服された哀れな奴隷階級だということである。実はここが今日言いたかったことのすべてである。
あなたの家系が地元の名士で、地銀のオーナーだったり、酒造、鉄鋼メーカー、特定郵便局のオーナー・・・だったりしたら、あなたがアーリア人の末裔である可能性はかなり強いが、ほとんどの日本人は残念ながらそうではないはずだ。
まあ、そのあといよいよ現代につながる第三陣の神武さんがやってきて日本が統一されるのだが、それらの三派が全国のあらゆる利権を仲良く?分け合ったのだよ。
で、アーリア人がなぜエフライムなのか?ですね・・・。正直、納得できてないのだが、遺伝子の調査から、その突然変異的な遺伝子が世界で日本とチベットにしか見つからないのだとか・・・。そしてもう一つは、前回お見せした日本皇室の紋章からかな。第一陣の代表である一角獣と、第三陣に中心部隊、ユダ族の獅子が真ん中のレビ族を支えている図である。動かぬ証拠というか・・・、まあ、私にとってはどうでもいいことなのだが、我々原住民のものである日本列島を収奪した人たちなのだよ、少なくとも彼らのために血を流したくはないね。
つまり、超古代において国境などなく、自由自在に大陸と行き来し、交易してきたのである。国境は侵略してきた部族達の利権の境目であり、すべてなのである。だから彼らは国境が大事なのであり、我々には実は関係ない話なのである。尖閣でも竹島でも古代ではみんな勝手に上陸し、誰のものでもなかった。歴史的に誰のものかというのであるなら、「誰のものでもない」というほうが正しいのではないか?
そんなことで国民の生命を危険にさらすことは愚の骨頂で、いい迷惑である。
http://www15.plala.or.jp/timebox/top/05komamori/nikko/nikko.html
もともと「じ」(漢字がわからない)とかいうらしいと、どこかで読んだ気がするんですが、見つかりませんっでした(^^;)
まあ、周りを見たって混ざった顔の人々って感じですしねぇ~~。
(平たい顔族のぱくり^^;;)
アーリア人は今のイラン周辺ユーラシア中央部が出自で
現世を善悪の戦いの場とする最高神はヴァルナ。
バラモン教も善悪、正邪の二元論が基本で人間の階級を認めてますね。
イランと言えば、宇宙から帰還した宇宙飛行士が地球で最も美しかった場所はイラン高原だったと証言していた事例があるようで、宇宙からの来訪者が地球を訪れると仮定した場合、この最も美しい高原地帯を選ぶのではないかと思われたりもするワケで・・・^^;
秦氏にしても色々あり簡単には書けませんね。
丸善書店が新しく栄のデパート内に移ったので行ったついでに寄らせてもらいましたが、地下鉄より地上を歩いた方が早く行けることが分かったので、これからも時間があればまた伺いお話を聞かせ頂きたいと思いますわ。
扶余はオロチョン(つまり、エフライム系?)と考えます。アイヌは大陸と北海道が地続きだったころからの原住民だと思うのですが、本人達も覚えがないかも・・・。
尖閣は中国の内部分裂が大本だけど、きっかけは石原さんが与えてしまった。日米の軍事協定の要だけに、どうにもならないでしょう。つまり、戦争になっても引くに引けないということだ。
あんな小島で戦争なんて馬鹿げてますよ、石原とか野田を粛清して、尖閣問題は棚上げ以外に解決方法はありません。
たぶん中国もバブル崩壊が近いと思われます。その時が和解のきっかけかも。
言いたかったんですが。(口があうんで、
アルパにしてオメガとか^^;;;)
う~ん、これは和解のきっかけより、戦争のきっかけになりそうですが。
バブル崩壊で矛先が政府に向くのを外に逸らすって常套手段ですし、日本の財界も成長の限界で『カモン戦争経済』て具合だと思いますよ。