私は20代で「人の脳内のニューロンの繋がりが、最も闊達で、最も密度高く作用できる年齢は60歳近辺」なる説を聞いて以来、その年齢に近づくにつれ楽しみになってる自分がずっといた人生でした。
その年齢になるまでにはまだ時間がありますが、その見立て聞いた風説みたいなロジックが魔法みたいに私をがんじがらめにするのです。
体力的には衰え出すのに、脳内の「各自格納」された記憶野の記憶倉庫群へと、ニューロンがにょ〜んって枝葉を伸ばしだし、繋がってみてはその成否を逐一チェックしだし、最も端的で、最も工夫と創意に富み、ハツラツしながら、人生で最良の効率と連結で「生きて過ごしてきた最良の景色」を俯瞰させてくれる・・・そう思うと「すっげーだろーなー」って胸が高鳴る。
そもそも、「この風説」が傷んでたり、偽称されてれば、なんのことはない、無為な期待に過ぎなくなるし、無駄骨を老齢の入り口で味わうのでしょうね。
でもね、そうならないなって、今はすごく思えてる。
年々私は面白くなって来てるし、きつかったことも悲しかったことも、いいことや素敵だったこととさほど温度を変えないで「等価値に味わってられてよかった」だけに過ぎなくもなってきた。
正誤よりも興味深くあるかどうか、に軸足がある感じで、この分だと標榜してる時点では、今日の時点よりも間違いなく楽しくなってる。
年輪と同じで年嵩を増さないと、刻印されないものや開かない鍵みたいなものもあって、「時期が来ねば味わいようも解錠も為されぬ」に勘付けもしなかったことがごまんとある。
支度してたモチーフや素材たちが、広範で多岐にわたってて、深度をもてて、彩に凝ることを心得てるほど、コンビネーション幅は無尽蔵な訳ですよ。
そんなのが組み上がってるんだよ?
面白くないわけがない。
と、まー、いささか呑気印で、楽天的な言い草に映るかもしれないけれど、ヤングには高齢者のこういう見え方の妙は精通しようがないし、苦行や悲惨に心が埋没して途絶するばかりと、誰もが高齢までたどり着くかどうかもしれない身でありますからな。
なんとか生き凌ぎ、青年・壮年を息も絶え絶えに抜けきり、さー、老齢の間際に、最良の機能の醸す景色に対面さえすれば、そこから後年は心やすく過ごしていけばいい。
ピークは見たんだ。
以後は選んで生きればいい。
ただ、その高みばかりは、人生を総動員した材料、マテリアル、モチーフ、解釈、体験、見立て、ドラマ、背景、内実、サブテキスト、オフショット、並行世界などなど、ごちゃ混ぜたちの上に屹立するってんだから、「その時までは揃え放題の人生でいた」と観念し、その時を待って世界に対峙したらいいんだ。
だってそれをしに生まれ落ちて来たようなもんじゃない?そう思わない?
知能は老化ではなく「頭を使わないこと」で衰えるとの研究結果、よく頭を使う人は年を取っても能力が成長し続けることが判明https://t.co/EUi6h1OG9d
— GIGAZINE(ギガジン) (@gigazine) March 7, 2025