賢いことと狡いことは、どこかに通ってる部分があります。智慧を用いる人の活動としては、どちらも阿呆ではなし得ないことですけど、つまるところ「人柄」とか「品位」のありようで、智慧の発揮の仕方が、他者に与える印象を大きく変えるってことですよね。
で、「狡い」のはなんせばれるもので、すぐに嫌われちゃうものですから、できれば「賢く」あるように頑張ってみるわけです。いっそ阿呆なら愛されるほかないのに、生半可に智慧をつけると、どうも狡いほうに走りがちです。人の振り見て、我が身をナンタラです。本当に。
で、「狡い」のはなんせばれるもので、すぐに嫌われちゃうものですから、できれば「賢く」あるように頑張ってみるわけです。いっそ阿呆なら愛されるほかないのに、生半可に智慧をつけると、どうも狡いほうに走りがちです。人の振り見て、我が身をナンタラです。本当に。