
人生には時々、「うまくいってない」方角にしか開いてない間口ってものがあり、平常や好調時には見つけようもないエントランスがある。
バランスするためにそうなってるでもなく、ただ漠然と「そうである」だけの、素朴なしつらえでそうなってる。
見つけた者も、ただ「うまくなってんな」とだけ思う。
功名心や論理的な組み立ての果てでないものが、優位性を醸す気配に、一抹のうしろめたさがあったにせよ、便乗を躊躇わなくて良い。
運気や引き寄せには、こっちから窺い知れない仕組みの作用があるのであり、受けるべき存在に渡されるという単純があるばかりだ。
不思議と周囲もその到達の仕方へ異論が起きない。心か魂のどこかが「そうだろうな」とささやきもする。
怒り出す御仁もあるが、概ね狭量で大胆さや胆力に欠く。大器は「そうであろうね」以上にも以下にも据えずに得心で済ます。
そもそも「得ること」はそれくらいのものだから。
褒賞でも成果、果実でもないのだ。
あるべき場所に、相応が鎮座する。
水が低いとこに溜まりような自然さでそうなる。
自然さの方に軸足がある者は、「そうだよね」で腑に落ちてる。
天才って呼ばれる人たちの景色ってこんなだと思う。中間の過程が抜けてて、結論ありきだけのシンプルさで。
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