
CG部分とアニメート部分に乖離があったり、造形に齟齬があると、途端に演出意図と外れたところに観客の注目は流れてしまう。
馴染ませもさながら、原作以上にスケーティング表現の力点にフォーカスさせるための長尺な滑走描写にしてるので、「流れを途切らせない」はよその因子に「逃げない」という覚悟も伴ってる。
実時間経過内で、心象描写を語らせ、工夫と堪えの力点も触れ、かつ、この一場に至る経緯までの苦心も合わせて濁らせない。
作り手の意地も多く、それが美麗さと旋律のうちに内包され、アニメを見てるというより、リンク脇のカメラマンのような心地でこの物語に参与できてる。
さりげなくも、スケーティングに伴うカメラアングルで、「主人公にフォローパン」に合わせて背景全体が「動く」というのは背景美術がCGでないと「見渡し」のカメラアングルごとの動体に参与し続けられない。
それを叶えてるのは要所要所でCGフェーズとアニメートフェーズが互いに「なじむ」仕様に精通しあってることを示してる。
スケーティングを魅せようとしたら、アニメートでは時間枠内に費やされる人件費と、この手のアニメートに卓越したベテランか稀有な才覚者をシリーズ完了まで確保せねばならぬ難関。
CGは技術単体では成立してても、この場合、アニメ媒体内で物語展開に邪魔だても悪目立ちも許さないポジションでの強烈な脇役に甘んじなくてはならない。
そのフィッティングの卓越は見ての通りで、実にナチュラルに成立して魅せた。
原作の威力とその相乗効果に与したアニメーターの尽力、素晴らしい。
このクオリティを毎週見せてくる日本のアニメももっとすごい!
これに一番近しい感慨はアニメの「ボールルームにようこそ」だったが、かの作品はCGではない人力アニメートの至宝だった。
当作は時代の要請を得た、単位時間あたりのコスパ換算やCG優位にすべきシーン、シークエンスへの配慮満点な現状での「化合」を起こしている。
ディズニーもピクサーもこれができないだろう。
中国や韓国もこうしたマッチングに腐心はしないだろう。
日本ならではの変態的に固有する「まんが・アニメ表現」の異常さゆえの突出が、このスケートアニメで出現できてる凄みである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます