自称の勇気 2023-11-30 05:47:00 | 日記 赦さない自分でいないと自己憐憫でおかしくなりそうだからと挙げる拳も暴力に違いない。そっと離れるが最良のこともある。正義や義侠心からくる慟哭は、相手には暴力の種に過ぎない。勇気というならその局面で自信に使うもの.相手にぶつける自称「勇気」は欠いたものがある。
限度 2023-11-30 05:40:00 | 日記 赦すことは難しい。聖人なら幾度も赦せるかもしれない。凡人だから数回までの我慢と辛抱とで辛うじての贖罪も受け入れるも、次第に限度がくる。自分が壊れかねないほどの赦しには思い切れないくらいに人は生きる。赦し難さをなじりたぃ人は少ない。自身がいつそこに身を置くやも?があるから。
やった事実 2023-11-30 05:34:00 | 日記 難なく裏切ってしまえてるのが自分だってことがある。気の迷いだったと。うつろう心があるから。普段しないことだってやっちまうことだってある。された側はされただけの禍根を動機に、あなたに盾付き、永劫に許さないだろう。刹那の憤りを自身に許したせいであっても、やはり悪因悪果に違いはない。赦せるかが分岐になる他がなくなる。
心だからあやしめ 2023-11-30 05:28:00 | 日記 心が冷静でない時、自分を委ねる決定をしてはいけない。心が自分じゃなくなってる時には、取り返しのつかない愚行もやり仰せてしまう。やったのは君だし、心がそう扇動したと言い張るかもしれない。止めなかったのもあなただ。心ってのはそういうこともする。用心がいる相手だ。
数珠繋ぎ 2023-11-30 05:23:00 | 日記 された記憶が数珠繋ぎに禍根と怨嗟を招く動機になる。世代間を跨ぐほどの相手への排斥行為が、次世代が担わされる「新規の憤り直し」に転換する。かつて自身の肉親や親族、民族が被った被排斥側の怨嗟由来で、似通う手口とエネルギー量で相手を苛む側に回る。されたんだから、しても当然なる権利然とした顔つきが、敵のそれと同じ容貌に重なる。