こんにちは れいです。
ということで今日も「可愛いRADIO」特別番組です。
福島県で東日本大震災に遭われた方々から聞かせていただいた生の声です。
中には驚きのあまり二人で声を出してしまったようなお話しも
そのまま全てお伝えしたいと思います。
どうぞ最後までお付き合いください。
湯本駅→ホテルまで乗ったタクシー運転手さん
いつもご贔屓にしてくれてる金持ちの爺さんが一人いるんですわ
ちょっと行ったところに白鳥がいる川があるんですけど
その白鳥にえさをやるのが好きな爺さんで
わざわざタクシーで行くんですよね
あの日もえさやるからってことで呼ばれて爺さん送って行ったんだけど
帰りに”どこそこ(失念)”に寄りたいって言い出して
何かはわかんない、
何かはわかんなかったんですけど…
何かその日はどうしても行きたくなかったんですよ
それで「いやいや今日は帰りましょうよ」って言ってしまって…
そうして帰ってきたらあの地震でしょう?
あのままお客さんを”どこそこ”まで送って行ってたら
自分だけ一人で戻ってきてたわけですよ
そんなの…
ねえ、
今考えたら。
できないでしょう?
(虫の知らせというか何かそういうものがあったんでしょうね?と私)
そうだったのかもしれません。
おかげさまで私の家族は全員無事でよかったんですけど
あちこち道路の真ん中で人がうずくまってたり
座り込んでたりしてましてね
大きな余震も続くし
地獄でした
スパリゾートハワイアンズ→ホテルまで乗ったタクシー運転手さん
私はタクシー乗り場でお客さん待ちをしてる時にあの地震が来たんですよ
あ~んなに大きな地震が日本であるだなんて思います?
海外で起こるもんだとどっかで思ってるわけですよ
それが突然だものねえ
家族はみんな無事でしたけど家の中は相当やられました
揺れ方が相当なものだったのでね
4月に大きな余震があったでしょう?あの時もすごかったですよ
駅前に建物が…ビルがあるでしょう?
そのビルが1メートルくらいこう、縦に(こちらに向かって)揺れてるわけですよ
ああっ、折れる!っていう感じにね?
あれよく折れなかったなぁと思いますけどじき壊れてね
ホテル→湯本駅まで乗ったタクシー運転手さん
あ~震災ですか。もうあんな地震はイヤですね…
私は家族は大丈夫だったんですけど
家の中はぐっちゃぐちゃでした。全部倒れて。
…私の実家が原発から30Km圏内にありましてね?
避難を余儀なくされたんですよ。
もう…しょうがないですよねえ、仕方なしに親戚の家にしばらく厄介になってました。
私自身は仕事中にあの地震に遭いましてね
タクシー乗り場にいたので車は動いてなかったんですけど
突然大きく揺れたもんで怖かったです
車が何回転もして転がされるんじゃないかというほどの揺れでした
車から出たほうがいいのか中にいたほうがいいのか
どっちが安全なのか判断つかないほどでしたよ
ホテルの支配人さん
岩手や宮城なんかと比べると原発の問題で福島は復興が遅れてるんです
いわきは特に遅れてます、そう感じます
原発から40Kmも離れてるのに
風評被害があって作物が売れなかったりということもあります
地震のときは何日かして1本の電話がかかってきて
「2.3日泊めてもらうわけにはいかないだろうか」ってことだったんですね?
被災者の方だったんです
せめて泊めるだけでも…と思ってお受けしたんです
そうしたらあちこちから連絡が入るようになって
あっという間にいっぱいになってしまいました
ただ水も止まってましたし…いろいろ大変は大変でした
スパリゾートハワイアンズ従業員さん
お客さんはピークのときと比較してもまだまだという印象です
戻ってないと感じますね
それでも土・日はお客さんがいっぱいいらっしゃって
ありがたいことに昨日(5月19日)は随分混雑してました
…プールがね?1mほど下に沈んだんです
(階段が4段ほど後付けされてるところがありますね、とボス)
ごらんになりました?わかりましたか?そうだったんです
ホテルのほうもまだ工事中のところもあるんですよ
レンタカー屋の社員さん
いやもう本当に大変でした。
水は出ない、ガソリンは買えないで仕事にならなくて
2週間…?ほどでしたか仕事にならなくて休業って形になってしまいました
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
あの日のことをお話しくださった全ての方に感謝します。
本当にありがとうございました。
帰りの飛行機。
座席が左側だったら、もしかしたらいわき市の海岸部を
見ることが出来たのかもしれませんが
右の窓側席に座っていた私たちの目に映ったのは
水が張られてキラキラと輝く福島の田んぼ。
自分らが乗っている飛行機の陰を映し出してくれるのも
どこまでも続く美しい田んぼでした。
ボスは思い出したように
「ホテルの朝ご飯のお米、うまかったなぁ」
と言いました。
私は上空から夕日に照らされる大地を見ていて
”日本はこんなに美しいのだ”
と心から思いました。
言葉にするのはとても難しい…
実際に行きました。
見ました。
聞きました。
小さな小さな行動を起こしただけですが
ほんの少しだけ
理解と悲しみが深まりました。
この日私がブログに書いた
「息長く、ず~っとできること。」
1日1円活動は今も毎日続けています。
朝お線香タイムが終わって貯金箱に1円玉を入れるとき
あの日から1年が過ぎてようやく
「ガンバレ!」
と言いながら落とせるようになりました。
偉そうにいえる立場にはありませんが
東北に親戚がいるものとして。
あなたが出来ることを
どうか息長く続けて欲しいと思います。
何も終わらず
何も始まらず
時間を動かすことが出来ない人が
まだまだ大勢いらっしゃる…
それでも
顔を上げて
きれいな笑顔で
明日を信じて頑張って今を生きているのだと思います。
私は清い念は必ず通じると信じていますので
毎日ほんのわずかな時間、
祈るだけでもいい。
あなたが出来ることを
どうか息長く続けて欲しいと思います。
美しい東北を思いながら。
ボス・れい
明日からはいつもの「あっち向いてホイ!」に戻るからね
にほんブログ村
↑
ランキングチャレンジ中!
ブログをご覧になった最後に
息子ちゃんのバナーをぽちっと応援していただけたら幸せです
ということで今日も「可愛いRADIO」特別番組です。
福島県で東日本大震災に遭われた方々から聞かせていただいた生の声です。
中には驚きのあまり二人で声を出してしまったようなお話しも
そのまま全てお伝えしたいと思います。
どうぞ最後までお付き合いください。
湯本駅→ホテルまで乗ったタクシー運転手さん
いつもご贔屓にしてくれてる金持ちの爺さんが一人いるんですわ
ちょっと行ったところに白鳥がいる川があるんですけど
その白鳥にえさをやるのが好きな爺さんで
わざわざタクシーで行くんですよね
あの日もえさやるからってことで呼ばれて爺さん送って行ったんだけど
帰りに”どこそこ(失念)”に寄りたいって言い出して
何かはわかんない、
何かはわかんなかったんですけど…
何かその日はどうしても行きたくなかったんですよ
それで「いやいや今日は帰りましょうよ」って言ってしまって…
そうして帰ってきたらあの地震でしょう?
あのままお客さんを”どこそこ”まで送って行ってたら
自分だけ一人で戻ってきてたわけですよ
そんなの…
ねえ、
今考えたら。
できないでしょう?
(虫の知らせというか何かそういうものがあったんでしょうね?と私)
そうだったのかもしれません。
おかげさまで私の家族は全員無事でよかったんですけど
あちこち道路の真ん中で人がうずくまってたり
座り込んでたりしてましてね
大きな余震も続くし
地獄でした
スパリゾートハワイアンズ→ホテルまで乗ったタクシー運転手さん
私はタクシー乗り場でお客さん待ちをしてる時にあの地震が来たんですよ
あ~んなに大きな地震が日本であるだなんて思います?
海外で起こるもんだとどっかで思ってるわけですよ
それが突然だものねえ
家族はみんな無事でしたけど家の中は相当やられました
揺れ方が相当なものだったのでね
4月に大きな余震があったでしょう?あの時もすごかったですよ
駅前に建物が…ビルがあるでしょう?
そのビルが1メートルくらいこう、縦に(こちらに向かって)揺れてるわけですよ
ああっ、折れる!っていう感じにね?
あれよく折れなかったなぁと思いますけどじき壊れてね
ホテル→湯本駅まで乗ったタクシー運転手さん
あ~震災ですか。もうあんな地震はイヤですね…
私は家族は大丈夫だったんですけど
家の中はぐっちゃぐちゃでした。全部倒れて。
…私の実家が原発から30Km圏内にありましてね?
避難を余儀なくされたんですよ。
もう…しょうがないですよねえ、仕方なしに親戚の家にしばらく厄介になってました。
私自身は仕事中にあの地震に遭いましてね
タクシー乗り場にいたので車は動いてなかったんですけど
突然大きく揺れたもんで怖かったです
車が何回転もして転がされるんじゃないかというほどの揺れでした
車から出たほうがいいのか中にいたほうがいいのか
どっちが安全なのか判断つかないほどでしたよ
ホテルの支配人さん
岩手や宮城なんかと比べると原発の問題で福島は復興が遅れてるんです
いわきは特に遅れてます、そう感じます
原発から40Kmも離れてるのに
風評被害があって作物が売れなかったりということもあります
地震のときは何日かして1本の電話がかかってきて
「2.3日泊めてもらうわけにはいかないだろうか」ってことだったんですね?
被災者の方だったんです
せめて泊めるだけでも…と思ってお受けしたんです
そうしたらあちこちから連絡が入るようになって
あっという間にいっぱいになってしまいました
ただ水も止まってましたし…いろいろ大変は大変でした
スパリゾートハワイアンズ従業員さん
お客さんはピークのときと比較してもまだまだという印象です
戻ってないと感じますね
それでも土・日はお客さんがいっぱいいらっしゃって
ありがたいことに昨日(5月19日)は随分混雑してました
…プールがね?1mほど下に沈んだんです
(階段が4段ほど後付けされてるところがありますね、とボス)
ごらんになりました?わかりましたか?そうだったんです
ホテルのほうもまだ工事中のところもあるんですよ
レンタカー屋の社員さん
いやもう本当に大変でした。
水は出ない、ガソリンは買えないで仕事にならなくて
2週間…?ほどでしたか仕事にならなくて休業って形になってしまいました
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
あの日のことをお話しくださった全ての方に感謝します。
本当にありがとうございました。
帰りの飛行機。
座席が左側だったら、もしかしたらいわき市の海岸部を
見ることが出来たのかもしれませんが
右の窓側席に座っていた私たちの目に映ったのは
水が張られてキラキラと輝く福島の田んぼ。
自分らが乗っている飛行機の陰を映し出してくれるのも
どこまでも続く美しい田んぼでした。
ボスは思い出したように
「ホテルの朝ご飯のお米、うまかったなぁ」
と言いました。
私は上空から夕日に照らされる大地を見ていて
”日本はこんなに美しいのだ”
と心から思いました。
言葉にするのはとても難しい…
実際に行きました。
見ました。
聞きました。
小さな小さな行動を起こしただけですが
ほんの少しだけ
理解と悲しみが深まりました。
この日私がブログに書いた
「息長く、ず~っとできること。」
1日1円活動は今も毎日続けています。
朝お線香タイムが終わって貯金箱に1円玉を入れるとき
あの日から1年が過ぎてようやく
「ガンバレ!」
と言いながら落とせるようになりました。
偉そうにいえる立場にはありませんが
東北に親戚がいるものとして。
あなたが出来ることを
どうか息長く続けて欲しいと思います。
何も終わらず
何も始まらず
時間を動かすことが出来ない人が
まだまだ大勢いらっしゃる…
それでも
顔を上げて
きれいな笑顔で
明日を信じて頑張って今を生きているのだと思います。
私は清い念は必ず通じると信じていますので
毎日ほんのわずかな時間、
祈るだけでもいい。
あなたが出来ることを
どうか息長く続けて欲しいと思います。
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ボス・れい
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ブログをご覧になった最後に
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今、私もcocoちゃんママのところを覗いてきたところです。
そして、れいさんのところに新着マークがあったのでまた遊びにきちゃいました。
あ、私の両親はいわき出身ですが今は茨城で我が家から20分ほどのところに住んでいます。
実家も食器が割れたり、瓦が落ちたり震災の被害を受けました。
実家にある仏壇に手を合わせながら「迎えにいけなくてごめんね。じーちゃんばーちゃん(父母)をまもってね」と祖父母にお願いしています。
お言葉に甘えてまたコメントしにきますね♪
これからもよろしくお願いします。
ys factoryさん
始めまして!ようこそ「あっち向いてホイ!」コメント欄にお越しくださいました
そうですかcocoちゃんのところから!ありがとうございます
最近cocoママさんお忙しいようでブログ止まっていますけど
毎日遊びにいってはぽちぽちしている私です
あらあ~、前々から大ファンで欠かさず読んでいるだなんてとっても嬉しいです
ありがとうございます
ちくわちゃんですか。親戚宅にちくわという猫がいます。親近感沸きますねえ(爆)
大きめパピちゃんはしっかりぎゅっと抱きしめられる感じがして
いいなあと思います
茨城県ですか…先日スーパーひたち11号で通過しました(^^ゞ
ご両親はいわき市にお住まいなんですね。
お墓のこともさぞかしご心配なことと思います。胸が痛みますね…
ys factoryさんのお優しいお気持ちは
きっとご先祖様にも届いていることと思いますよ
スパリゾートハワイアンズはあんなに広いと思いませんでした!
勝手がわからず右往左往することが多かったのですが
一度行ってたくさん迷ったのでもう大丈夫、必ずまた遊びに行きます
今度はもっと上手に回れそうです
またコメントお待ちしております。ご遠慮なくどうぞ
娘と息子がおもてなしいたします
cocoちゃんのところから飛んできました。
実は前々から大ファンでブログは欠かさず読ませていただいてました。
我が家にはデカパピの「ちくわ」という娘がおります。
私は茨城県に住んでいます。
私の住んでいる茨城でも被害は大きく、一言では表せない体験をしました。
私の両親はいわき市の出身です。
私の祖父母のお墓は今でもいわきにあります。
山の斜面にある母方の祖父母のお墓は崩れる心配があるとのことで、未だにお骨を取りに行くことも出来ない状態です。
父と母も高齢ですので早く安心させてあげたいと思うのですがなかなか前に進めない状態です。
なつかしい、スパリゾート…
まだ「常磐ハワイアンセンター」だった頃、父の車でよく行ったものです。
3.11。
音を立てて倒れていく家具の中で、それでも命あったことに感謝して、自分に何ができるか考える毎日です。
また遊びにきます。