捨てられないタッチョの、ただのんびり過ごしたい

雑多に色々書いてます。断捨離は憧れに終わり、目下ダイエットに挑戦中。

思い出話1

2019-07-09 20:58:15 | ひとりごと

昔はモンペ(当時こんな単語は存在してませんでしたが)の子供だったり、帰国子女であったり、転校生になったり、ニートだったり(当時は「登校拒否児」と呼ばれてましたが)、多浪生だったりしましたが、 もうすっかり若者と呼ばれる年齢を越え、今は気ままな一人暮らしをしていますタッチョです。 長年あこがれ続けているのは「特技」と「趣味」の取得です。 断捨離にはあっさり挫折し、目下8時間ダイエットに挑戦中。


大学生の頃、
実習期間中にあるレポートを提出した際、
ひどく怒られた事がありました。

レポート1つはそれほど分量の多いものではなく
実習の進行具合によって学生各自にその都度発生し、
大体数日で仕上げるもの。実習期間中に複数回(10個位?)ありました。
その中の1つを提出した時でした。

私のレポートを見て、
担当教員は
「真面目に取り組まれたものと、このようにただ提出さえすれば良いという態度の、手を抜いたレポートは一目でわかる」
「この実習期間で何を学ぶか、その姿勢が欠けている」
何も調べるといった努力もせずここまで適当に書かれた物を平然と提出する神経を疑う」
としばらくの間、
同じグループで行動していた同級生達に見守られる中、注意を受けていました。
(余りの怒られっぷりに、興味津々に先生の手元にある私のレポートを覗きにやってくる男子学生も居ました)

もう10年以上前の出来事で、
細かい言い回しを覚えていませんが
内容は上記のような感じでした。
普段、それほど人当たりは良くはないけど、ここまで人前で声を荒げることも珍しい先生だったと記憶しています。

注意されている最中、
私は何も言いませんでした。
かろうじて謝ったのかも覚えていません。
「はい」ぐらいは返事をしたかもしれません。

というのも、
そのレポート、
私としてはかなりの時間を割いて真剣に取り組んだものだったのです。
でも同時に、内容がまるで要領を得ていないということも、自覚がありました。

出題された時点から、あまり馴染みのない内容で何を書けば良いのか理解できず、
以降、私はずっとレポートの事で頭を抱えており、
困って同級生に相談するも
皆あまり自分が出題されたレポートとは内容が被っていないようで特に参考になる話はなく、
教科書にもその題材については言及がなく、
図書館で何か関連のありそうな分厚い本も複数冊借りて、
でもはっきりとこれといった手応えもないまま
前日には実習も漫ろにそのレポートにかかりっきりになり、
しかしやはり全く理解が及んでいないために中々形にすることが出来ず、
とうとう実習室の机の前で夜を明かして結局朝を迎え、
なんとか文章を振り絞って締め切り当日にレポートとしてまとめ提出し、
徹夜明けの状態で説教を受けているという状況でした。

自分なりに精一杯取り組んでいるため、
「適当に片付けようとしたんだろう。」
に対し、心情的に「はい、そうです。」とは答えられず、
かと言って仕上がりがお粗末であるという結果を受けた上で
「そんなことありません、徹夜までしたんです。」
なんて情けな過ぎて口に出せず。


この話、
特に何ということでもないのですが、
折に触れて思い出すことがあり、
思い出す度、なんだか、
「自分あるあるだな」とよく思います。

上記のような出来事が、
よく起きるのが私の人生だなと。

結局自分の実力不足で、
泣き言も言える立場ではなく、
結果が出せなかったために
「不真面目にやった、横着をした、そもそもやる気がないのだ。」
と誤解を受け、レッテルを張られるという。
(「時間をかければ良いというものではない」「要領が悪い」「相談すれば糸口があったはず」「論点がずれている、出題者の意図が読めていない」
いずれのお叱りも、ごもっともとしか言えません。)

そして、こういう経験が多い人間と、
ほとんどない方の2種類が世の中には居て、
なかなか前者と後者はお互い分かり合いづらいだろうなと
思うことがあります。

あまり思い出して心地の良い思い出ではありませんが、
世の中に少なからず存在するであろう前者集団の仲間と出会った時のために
せっかく得たこの体験の記憶は、
忘れずにいれたらなと思います。
(記憶が薄れると無意識のうちに後者面してしまいそうで。)