象徴詩 10
今回はBaudelaireのGuignonの第三聯と第四聯です。
なお、云うまでもない事ですが、本稿で解説のために記述している日本語は、原詩の和訳ではないので元の意はそれぞれ原文にてご確認ください。念のためお断りしておきます。
あまたの宝石が、
つるはしもドリルも届かぬ位はるかに遠い所で
暗闇と忘却に埋もれて眠る。
たくさんの花が悔恨の情念とともに、
とっておきのスィートな香水を、
深い孤独の中に注ぎ込む。
宝石が誰にも知られる事なく埋もれて眠っている、というのは、単に人が愚かでその存在を知らない、というだけでなく、つるはしや穴掘りドリルも届かない、はるか遠くで、というので、ある程度捜す能力を備えた専門家でもその価値に気付かず、はるかに遠い低次元の世界を彷徨っている、という事を意味します。宝石とは、ここでは前回登場したぽーちゃん、およびその作品、としましょう。愚かな一般大衆は仕方ないとして、いっぱしの専門家や芸術家でさえぽーちゃんの事を少しもわかってない。いわんやボクちゃんをや。ぼーちゃんのすね様が伝わってきます。
そして、たくさんの花々が、後悔しながら、原文に近づけて表現すれば「秘密のように甘くソフトな香水」を、深い孤独の中に注ぎ込むのです。花はなぜ後悔するのでしょうか。深い孤独とはぽーちゃんが現在眠る場所であり、そこに花は手向けの香りを注ぐのです。その香りは普段は秘密にしておくような、ほのかで甘美な香りです。花にしてみたら、滅多に人前に出さないとっておきの香りを注ぐ、というのはぽーちゃんとポーちゃんの芸術に対するせめてもの哀悼の気持ちなのでしょう。
花でさえそうなのに、あいつら、つまりつるはしやドリルを持ってるあいつらは何だ、未だにぽーちゃんの真価に気付かずに放ったらかしにしてるじゃないか。けしからん奴らだ。と、ぼーちゃんの怒りと哀しみが聞こえてきそうです。
ここまで芸術に無理解なのはもはや罪です。世間は二人の転載にエールを贈ることをせず、無理解と無関心で応えたのでした。ぼーちゃんにしたって、詩集「悪の華」は一大スキャンダルになり、裁判騒ぎの末罰金刑を食らった挙句、当時の国家元首であるナポレオン三世に嘆願書を書いて負けてもらわなければならないほど貧乏だったのです。
それにつけても気になるのは「遠い」「深い」「柔らか」「甘い」「香水」といった常套句がまたもや使われていること。イメージが貧困に思えてしまいます。このおやじだけの問題なのか、フランス語詩はみんなこんななのか、象徴派としては西洋のシンボリズムにはこういう表現しかそもそも出来ないほど貧困なのか。また、なんでこんなものが世界中の詩壇に大きな影響を及ぼしたのか。
読めば読むほど謎は尽きませんが、次回へ続きます。
次回からは「前世 La Vie antérieure」を読んでいきます。