おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


今日いち-2025年4月5日

2025年04月05日 19時57分24秒 | お出かけ
相模原市
市役所さくら通り

この先は車両進入禁止
知らなくて渋滞はまってしまった

桜も人もスゴい


里山歩き 苅野原っぱの花桃

2025年03月31日 00時24分00秒 | お出かけ
苅野原っぱ

南足柄市の苅野原バス停(バスは日に2本くらい)
近くに「苅野原っぱ」という場所があります。
荒廃農地の解消を目的に有志が花桃を植樹していて現在は100本ほどに増えたそうです。

ちょっと早いかなと思ったのですが、里山歩きを兼ねて花見してきました。



矢倉沢公民館に車をとめて
県道78を関本方面に歩きます。





道路の下、すでに綺麗な花桃が


関所跡には帰りに寄ります


名号塔発見
唯念さんかな


眼下の景色
緑が戻りつつある美しい春


川入堰碑
関東大震災の復旧記念碑

背後の桜は大島桜でしょうか。
ほぼ満開。



これはなんだろう



15分くらいで苅野原っぱ到着








やはりまだ早かったような。
でもじゅうぶんな夢心地。

所々枯れた雑草やツルがぶら下がってたりで、
花の名所のような整備はされていませんが
これはこれで里山っぽい、原っぱのワイルドさ。

そういえば
今の子どもたちは原っぱという単語知らないんじゃないかな。



バイクの方が写真撮ってました。


狩川


まだ蕾が多いです







菜の花もかわいい




帰りはここから里山さんぽコース
矢倉沢下庭へ


正面に矢倉岳

右の石垣の上にこれから何かを養殖するような人口池があるんですが

何だろう?





スモモじゃないかな?
と農作業中のおじいさんが。









道祖神





矢倉沢関所跡

民家の敷地内なので入っていいものか迷ってたら
先ほどのおじいさんが案内してくれました。



大切に囲われている道祖神


この辺りから公民館に引き返しました。

距離2.3km
1時間5分の里山歩きでした。



大蔵院 北条氏を支えた山伏たち

2025年03月25日 21時25分00秒 | 
松田町に大蔵院という修験道の寺があります。


松田城のとこで引用したマップにも登場するように松田城や松田氏と関連の深い寺です。

大蔵院の近くで鎌倉時代の五輪塔群と町の文化財に指定された壷が発見されており、
五輪塔群は境内に置かれているというので是非見たいと思っていました。

でも、Googleマップに「本山修験宗 大蔵院」と名称が出てるのに
ストリートビューでも航空写真でも寺らしきものが見えなくて、
何度か現地を通っても寺の位置がわからなかったんです。


そしましたら先日、
と言っても数週間前、まだ梅の残るある午後、

少し離れた道沿いでこんな案内板を、見つけました。

案内通りに進むと


ありました!大蔵院

説明板もありました!

壺は五輪塔の下から発見され、現在は神奈川県立歴史博物館に展示されています。
参考画像
鎌倉時代前期〜後期のもの


でもどうも寺らしくないのです。
小さな墓地はあるけど本堂がない。

そして
あちこちにこのような可愛いオブジェ。
奥には作業小屋のような建物、そしてログハウスが。

うーん
ここは本当に寺院なのか?


と悩んでましたら、
ちょうどご住職が帰っていらしてお話を聞くことができたんです。






なんと
このログハウスが本堂でした。
奥のプラネタリウムみたいな丸い屋根がお住まいだそうです。
これは航空写真で見てもわからないはず。

昔、本堂建て替えの見積もりが1億以上だったそうで
それならとログハウス風にしてしまったんですって。

面白い。



ログハウス、いや本堂の前に
ずっと見たかった五輪塔群が。感激です。

太平洋戦争中にここから少し西の土地で見つかったそうです。
その辺りが昔の墓地だったのですね。



本堂に入らせていただきました。


中央にご本尊の不動明王がいらっしゃいます。
山伏の衣装や法螺貝など、住職が趣味で作られている陶芸品も置かれており
寺の本堂というよりは山に籠る修行僧のお堂のような、住職の私室に案内されたようなアットホーム感。

修験道の寺はあまり知りませんが、どこもこんなに面白いのかな?
なんて考えてたら
自分が通った保育園は修験道の寺、秋葉山量覚院(現在のクレヨンの森保育園)だった!ことを思い出しました。

確かにあそこもちょっと変わった寺です。園長先生は山伏だし。火渡りするし。



大蔵院は京都の聖護院を本山とする本山修験宗の寺院。
北条氏綱が小田原に入ってまもなくの頃、
大永7年(1527)に開かれました。
当初は松田山の最明寺跡近くの安養寺屋敷という場所にあったそうです。
ずいぶん山奥です。最初の名称は安養寺だったのかな。

明治の神仏分離までは寒田神社の別当寺。
当時の地域の山伏を統括していたのは小田原松原神社の別当寺、玉瀧坊で、大蔵院もその配下にありました。

山伏は国内を移動し修行するので、領主のために情報収集、使者、時には間者のような仕事を担ってました。


イメージ「おんな城主直虎」の謎の山伏、懐かしの松下常慶さん。


小田原の玉瀧坊、松田の大蔵院も北条氏のために謎の山伏として働いていたと思われます。
特にここは松田氏の本貫地ですから
松田氏のための仕事も多かったはずです。

現在は檀家8軒ほどの小規模となった大蔵院ですが、戦国時代は北条氏の下で、江戸時代は寒田神社の別当寺として重要な地位にあったのでしょう。


離れにあるご住職の趣味の作業所。
この建物は100年くらい前のものだそうです。

境内や本堂に飾られてる数々のライトや陶芸品はここで作られていました。
立派な窯が幾つかあり、もしかしたらこれが本業では?と思うほど。


ご住職は大蔵院の19代目院主。
僧侶には見えないお洒落な雰囲気で、優しくて話しやすい方でした。

大蔵院のことや修験道のことなどいろいろお聞きできてとても勉強になりました。
どうもありがとうございました。



✳︎参考文献
大蔵院と修験道について


今日いち-2025年3月14日

2025年03月14日 20時36分08秒 | お出かけ
おおいゆめの里 3月9日の様子
よいタイミングで花見できました🌸

隣の「いこいの村あしがら」がペット可ホテルにリニューアルしたせいかワンコ撮影してる人が多かった🐶

ゆめの里というよりは犬の里かも



伊豆国式内社めぐり その3阿治古神社

2025年03月10日 21時54分00秒 | 伊豆国式内社めぐり
記事の間は空いてますが
地道に進行しております伊豆国式内社めぐり。



先月、熱海桜の終わる頃に熱海市の小山臨海公園へ






マリーナもある潮風の気持ちいい公園です



この日は網代の阿治古神社に行こうとしてたのですが
わたし地理を勘違いしてまして
小山臨海公園から徒歩ですぐだと思い込んでいました。なぜかしら。



歩く途中で出会った伊豆型道祖神4体



網代駅近くの橋

このあたりまで来てGoogleマップを確認し、阿治古神社まではまだまだ遠いとようやく気づきました。
いや、なぜもっと早くマップを見ないのか?


今更引き返すのも悔しいのでこのまま歩きました。



網代港に到着

距離にするとそれほどではないのですが、
2月とは思えない陽気のせいで暑くてすごく疲れました。






港を過ぎて住宅街へ

疲れたけど古い建物が多くて癒される町歩き
登録有形文化財の平井家住宅



ここは美容院


素敵です



などと思ってたら着きました。

結局小山臨海公園から30分くらい歩きました。




阿治古神社

伊豆国の式内社です








境内社
八坂祇園天王社




境内社
龍神宮


背後が朝日山の傾斜になるので境内は二段の作り
一段目に社務所や慰霊碑があり本殿は二段目にあります





阿治古神社の創建年代は不明。
大島にある大宮神社とともに延喜式の阿治古神社に比定されています。

朝日山、あるいは下多賀中野中村の来宮神社が1600年代に洪水により現在地に流されてそのまま遷座。
朝日山はこのすぐ上の山ですが、下多賀中野は今の地名で調べると私がやってきた小山臨海公園より長浜寄り、下多賀神社のあたりになります。

阿治古神社で鹿島踊り(熱海市無形文化財)が継承されているのはもとが来宮神社であるなら疑問はなく、
御神船が町に繰り出す例大祭は豊臣秀吉の小田原攻めに由来する比較的歴史の浅いもの、
祭神が天照大神、手力男命、誉田和気命、拷幡千々姫命。
と、式内社の歴史や特徴は見当たらず。


比べて大島の大宮神社は
史料「三宅記」に三島大明神と波布比咩命の長男である阿治古命が祭神である、
かつては大島の阿治古地区に鎮座していたが三原山噴火の被害により大宮地区に遷座、大宮神社と改称されたと明記されており

現地の由緒書きもこんなバッチリ

これはどう見ても大宮神社の勝利(?)です。

むしろなぜ網代に流されてきた来宮神社が阿治古神社を名乗るようになったのかが不思議。


阿治古神社の神職家は初島の初木神社の神職を兼任していた時代もあるそうで、大島の大宮神社とも関連があったのかもしれません。

wikiには大島の避難的分社、遥拝所の可能性があげられています。
三原山がヤバい時には網代に避難してもらったり、普段は海の向こうの阿治古命に手を合わせて豊漁を祈ったり、でしょうか。


網代と阿治古という名称が似ているのも気になります。
網代とは竹などを編んだ魚獲の仕掛け、またはその網目模様、または港のことで全国の漁村で見られる地名です。
もしかしたら熱海の網代は漁村どうのこうのではなく阿治古が由来なのかもしれません。



遠く阿治古命を想う


阿治古神社で暫し寛いだ後
再び小山臨海公園まで歩いて戻りました。



帰り道、
ずっと気になってたここに寄りました。

135号線のこの「運慶作 毘沙門天王堂」の案内柱。
近隣ならご存知の方も多いはず。



135号線から徒歩3分ほどで到着。
運慶作の毘沙門天像があるというお堂です。

毘沙門天像の開帳は毎年1月の僅かな時間のみで普段は見れません。
お堂は自由に入ってお参りしても良さそうな雰囲気でしたが
なんとなく憚れたので外から手を合わせるだけに。

なお、全国に運慶作と伝わる仏像は多いけれど確定しているのは20体ほどだそうで
ここの毘沙門さんもあくまでも伝運慶です。

でも誰の作でもいつの時代のものでも
地域で大切にされてる仏像にはプライスレスな価値がありますよね。



毘沙門天王と彫られてます





隣に神明宮があったのですが
この階段をかなり上まで登るみたいで
とてもとても疲れて無理だったので鳥居から手を合わせるだけに。



というわけで
わたしの勘違いにより大幅に時間と体力を使ってしまった阿治古神社参拝。

おかげでこの日予定していた宇佐美でのランチには間に合わず、
仕方なく帰路についたら渋滞にはまり適当な店も見つからず、
湯河原の「しあわせ中華そば食堂にこり」でやっとのことでお昼ご飯にありつけた時には夕方近くになっていました。


にこりの塩ラーメン