おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


小田原の秘境 かもしれない和留沢

2022年04月29日 22時47分00秒 | 小田原のいろいろ

久野舟原から2㎞以上先、標高400mという小田原市内で最も高い山地に和留沢という集落がある。

市民でも地名も聞いたことのない人が多いかもしれない。
失礼ながら秘境と言ってもいいんじゃないかと、そんな自然いっぱいの山奥にある小さな集落だ。


舟原でさえかなりのどかな地域なのにさらに山深い場所になぜ集落が?

実は和留沢は戦後開拓地なのである。
 
1945年(昭和20)に復員者、疎開者、戦災者、引揚民など35戸が入植。
しかし厳しい環境や様々なトラブルにより5年後には25戸が脱農。

もともと和留沢は悪沢と書き耕作には向かない土地。入植者に農業経験者は少なく、また営農サポートもほとんどなかったので次々と脱落した。
全国の他地域の戦後開拓地に比べ和留沢は決して成功とは言えない残念な結果になってしまった。


それでも残った10戸未満の人たちで結束し、新規入植者を受け入れながら集落は存続した。



 昭和28年1月 小田原市報より

入植後8年経って分校(久野小学校明神分校)ができている。
それまで4キロ以上離れた久野小学校まで山道を通っていたなんて危険すぎる。子供がいる入植者は心配が絶えなかっただろう。

この記事から昭和28年には22戸75名が暮らしていたことがわかる。



昭和32年3月 小田原市報より

入植12年後の昭和32年にようやく電気が開通。
とっくにテレビ放送が始まっていた時代にまだランプ生活を強いられていたのだ。
(なんか似たような話があったな・・・と思ったらドラマ「北の国から」だった)

お祝いの式典で校庭の木にランプをかけ「ランプの歌」を歌ったり「ランプさんさようなら」という作文を読んでランプ供養をしてるのが昭和っぽくて面白い。

記事の中に「残る20戸の開拓者は」とある。分校が開校した時より少し減ってる。


現在の世帯数は13~15戸だという。
大変な苦労を重ねて開墾を続けた世代の2代目や3代目の皆さんだ。

小田原市は平成22年から和留沢の耕作放棄地(約1万3000㎡)の再生に着手。
地元自治会や関心のある市民と協力しながら開墾や体験教室のイベントなど環境再生プロジェクトを進めている。
 
 

とてもわかりやすい和留沢MAP。

「神奈川県 県西地区ウォーキング 久野里地里山コース」よりhttps://www.pref.kanagawa.jp/documents/77370/77.pdf

私は和留沢に行く時はいつも車だが、舟原から先でハイカーや登山客どころか、人を見かけたことがない。

対向車さえ滅多に見かけない。

少々不安なウォーキングコースである。


 
 

(この写真はgoogle mapのストリートビューより)
バス停から山道を1キロほどでマップの4、三分岐点に出る。
右の和留沢農道を行く。(日向林道でも和留沢に着く)
 




和留沢集落に到着。
4月半ばだったので山桜がまだ咲いていた。

たいようの丘には季節の花が育てられている。
 右に標識が見える和留沢公民館は、廃校になった分校の建物が使われている。
 



公民館からしばらく行くと駐車場に着く。
登山者用の無料駐車場で、民家の庭に入っていくようなところにあるので気づきにくい。

私はここから登山はしたことなく、
いつも自然観察と石丁場見学のために駐車させてもらっている。



✳︎参考文献✳︎

神奈川県小田原市における戦後開拓 ―和留沢地区の事例を中心に 
永江 雅和






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