ピカ輪世代(世に団塊とも)の一断面を目指して。
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絵じゃないかおじさんぐるーぷ
英訳短歌version0.01
平成はじめのころです。
* 蒲生野紫野にあかねさす(045)
あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き
野守(のもり)は見ずや 君が袖振る
額田王 (万葉集・巻1・20)
私は、この歌が好きだ。
紫草は初夏に咲くという。
この歌は琵琶湖の近くの蒲生野で詠まれたものらしい。
蒲生野の野と言っても、今では特定できない。
とにかく、安土町のあたりに行ってみることにする。
24号から京滋バイパスを通って8号に入る。
24号の木津のあたりの渋滞には毎度泣かされている。
バイクでも巻き込まれるのだ。
バイパスもあるにはあるのだが、
いつも見過ごして通りすぎてしまっている。
蒲生郡に入った。
何処でもいい。
走っていれば野もあるだろう。
水田が多かった。
初々しい早苗を渡る風が心地よい。
昔は一番草と呼ばれた草取りの季節だろうか?
「はじめは浅く、なか深く、終りはそっとなでておけ」でいう、
はじめの草取りにあたる頃である。
田植え後、2週間ぐらいをメドに、
女の人が這いつくばって手で草を取っていた。
今は化学肥料の普及で誰もあんなきつい仕事はしなくなった。
田植えも草取りも、見る分には何とも風情があって
いいものだが、自分がするとなると誰もが嫌がる。
嫌がる仕事を化学肥料と機械に押しつけるのだから、
いつか彼らのしっぺ返しを食らったとしても自業自得だ。
今の所、彼らの反乱を小さくする以外には手はないのだろう。
休耕田の脇にサヤカを止め畦道に腰を下ろし麦茶を飲む。
メットを脱いだ頭を風が撫であげてくれる。
額田王の歌が思い出される。私は、勝手に解釈を施す。
「朝日輝く、紫草咲き乱れる通行禁止の道を、
あなたは、白いバイクで帰ってゆく。
取得禁止通学禁止の掟を破り私の為に、
毎朝毎朝会いにやって来てくれる。
私は高校生。
あなたも。
しかし、二人の通う高校は違っている。
一秒でも一緒にいたい。
話したい。
そんな私の気持を察してか、
あなたは、時間ぎりぎりまで出かけない。
でも時間が迫ってくる。
あなたは、紫草の咲き揃う通行禁止の公園の近道を通って、
高校へと走り去ってゆく。
少し茶目っ気のあるあなたは、
ハンカチにLOVEと書いて腕に巻いて、
大きく振りかざしながら、遠ざかってゆく。
公園の管理人や交通警官に見つかりはしないでしょうか?
ああ、あんなに手をふって。
大丈夫かしら?
気をつけてね」
主人公は、もちろん、かっての私とOさん。
これは、あくまでも私の想像である。
この歌は、中年のオバはんが詠んだものとは思いたくはない。
私が言う中年とは、二人の男に心を許すような、
垢汚れた人間をさすのだ。
それも一つの生き方だとは思う。
思いはするが、淋しい。
朝日さす ラベンダーの野を 走りゆく
北海原野 君初々しき
ち ふ
この項おわり
..
註、
短歌の英訳につきましては、
短歌を打ち込んで、(←数テンポ遅れの元電脳人)
検索をかけてみてください。
うまくすれば、出てくるかもしれません。
(以下、同様となります)