絵じゃないかおじさん

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あ@えっせい「水取り」 2/26 「入行の披露」について  094

2019-02-06 08:09:38 | つぶつぶ


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  * 2/26 「入行の披露」について (094)


    「入行(にゅうぎょう)の披露」
      趣旨は大衆(だいしゅ)への挨拶、
        かつ、
      互いの覚悟をたしかめるための言葉。
    「
     新春の御慶(ぎょけい)、
     おのおのご満足たらうずるで候。
     かねては、また本願聖王(註・聖武天皇)の
     古に変はらず、当堂の行法、今に改らず。
     練行の諸衆、
     満寺の諸徳、
     二世の悉地(しっち)を祈り、
     参詣の諸人、
     六十余州の甲乙、
     帰依(きえ)渇仰せうずるで候。
     随(したがひ)て小綱とむらひの事、
     例年の如く、
     御加行(ごかぎやう)なされうずるで候哉(さふらふや)。
    」


     * 御加行なされうずるで候哉
           ↓
     「例年のようにしっかりがんばってほしい」
     「がんばって下さいますか」

       
    《 司馬遼太郎著 「街道をゆく 24」、行換え等筆者 》


                           
   おわり


註)
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・ 修二会の日程
-------------------
2月12日 新入習礼
2月15日 新入・新大導師別火入り
2月18日 二月堂にて修二会で使用する灯明油の「油はかり」

2月20日 戒壇院別火坊にて試別火(ころべっか)はじまる
2月25日 戒壇院別火坊にて惣別火(そうべっか)はじまる
       (閏年は26日)

3月1日~3月14日 二月堂にて修二会本行
3月15日 満行
(東大寺情報)
---------------------------------------------------------


あ@えっせい「水取り」 紙衣(かみこ)のころもについて 093

2019-02-06 08:08:14 | つぶつぶ


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  * 紙衣(かみこ)のころもについて  (093)


  水取りや氷の僧の靴の音


   ・岩波の日本古典文学大系の「芭蕉文集」

     ・岩波の「氷の僧」 (の説明では)
      白衣の僧の木履(ぽくり)の音が冴えてひびくさま。

   
    そこで、
    水取りの行法のときに着る衣についてです。



   紙衣(かみこ)のころもを作る手順

   紙衣の衣=行法のときに着る衣

   ① 四ツ切ぐらいの和紙を両手で強く丸めた後延ばす。
   ② ①を3,4回繰り返した後、紙のすみずみまで揉む。 
   ③ 杵のような棒にほぐした紙を巻き付ける。
   ④ ③に丸竹でもって、ぐっと押しつける。
      しわが強度と保温に役立つ。
   ⑤ ④を3,4度押しつける。
   ⑥ ⑤の後の和紙を継いで一反反物を作る。
   ⑦ 毛ばだった紙面に寒天やこんにゃく玉を
      溶かした汁を刷毛でぬり毛ばたちを
      押えこれを乾かす。
   ⑧ そうしてできた反物を衣に仕立てあげる。

   
    《 司馬遼太郎著 「街道をゆく 24」、行換え等筆者 》



                          
    おわり


註)
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・ 修二会の日程
-------------------
2月12日 新入習礼
2月15日 新入・新大導師別火入り
2月18日 二月堂にて修二会で使用する灯明油の「油はかり」

2月20日 戒壇院別火坊にて試別火(ころべっか)はじまる
2月25日 戒壇院別火坊にて惣別火(そうべっか)はじまる(閏年は26日)

3月1日~3月14日 二月堂にて修二会本行
3月15日 満行
(東大寺情報)
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ウィキペディア

紙衣
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紙衣(かみこ、かみころも、かみきぬ)は和紙を材料とした着物のことである。
紙子(かみこ)とも言う。

概要 [編集]

平安中期に和紙が大量生産されて普及した結果、
紙が本来の目的以外に利用されるようになり、
もともと麻クズを原料にして製造されている
和紙は衣料として利用されるようになった。

絹の衣よりも安価なため、
低所得者が利用する着物と思われがちだが、
丈夫で持ち運びに便利なため、武士や俳人などが好んで利用し、
性空や親鸞が愛用していたことでも知られる。

製作方法 [編集]

紙衣の原料には特に粘り強い紙を必要とし、
十文字漉きされた繊維の絡みが強い美濃十文字紙など
上質で厚い和紙が使用された。そして、それを柿渋を引いては
乾かす作業を複数回行って晴天の日に一夜晒し、
足で踏んだり手で揉んだりして柔らかくして紙衣を製造した。

関連項目 [編集]

紙布
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あ@えっせい「水取り」 2、3月の予定について 092

2019-02-06 08:06:59 | つぶつぶ

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*  「水取り」 2、3月の予定について  (092)



・ 修二会の日程


2月12日 新入習礼
2月15日 新入・新大導師別火入り
2月18日 二月堂にて修二会で使用する灯明油の「油はかり」


2月20日 戒壇院別火坊にて試別火(ころべっか)はじまる
2月25日 戒壇院別火坊にて惣別火(そうべっか)はじまる(閏年は26日)



3月1日~3月14日 二月堂にて修二会本行
3月15日 満行
                   
                           
      (東大寺情報)

       のとの事です。


                                  
   おわり

註)

 ・ 11人の練行衆などについて


  *  お水取り(東大寺修二会)について(ノート)




11人の練行衆
 天上界に参加する人。
 前年の晦月(みそかづき)、良弁の忌日に発表される。
 身内に不幸があった人以外は辞退できないとされる。
 それぞれが、東大寺における塔頭(たっちゅう)のあるじか
 それに準ずるひとたちであり、この寺を日本最古の大学で
 あるとすれば、教授にあたる。 

 ①首座(しゅざ)を和上(わじょう)という。
   和上は長老で一同に戒を授ける。
 ②次席が大導師(だいどうし)。
   彼は仏教における顕教(けんきょう)をつかどる。
   顕教とは、目でとらえることができる教学体系のことである。
 ③第三席を、咒師(しゅし)という。
   密教を担当。
   咒師は堂内にあっては邪鬼どもを追っぱらい香水(こうずい)を
   かかげて竜神を勧請(かんじょう)してくれる。
   竜神は、行法を守護する。

   以上、和上・大導師・咒師は精神面の担当。

 ④第四席は、堂司(どうづかさ)。
   舞台監督のようである。物を司る。
   行法の場の設備や装飾など一切を担当。
   美術監督でもあり庶務の長。
   以上、四役。(四識ーししき)

 ⑤~⑪ 残り7の人。平衆(ひらしゅ)
   ・北座(きたざ)の衆(しゅ)2人。
       北座の衆一(上)と衆二(下)。堂司の補佐。
   ・南座(なんざ)の衆(しゅ)2人。
       南座の衆一(上)と衆二(下)。
   ・中灯(ちゅうどう)1人。
       堂司の指揮のもとに、修二会の記録一切を
       つかさどる祐筆(ゆうひつ)である。
   ・処世界(しょせかい)1人。
        法ろう(得度の年を一歳とした年齢)の若い人がやる。
        四識の侍者をつとめたり、内陣の掃除をしたりする。
   ・権世界(ごんせかい)1人。
        処世界の弟分。もっとも若い。


  小綱(しょうこう)=事務局。
    実忠和尚以来、千数百年つづいている在俗の、
    堀池・稲垣といった家の人たちがつとめる。

  堂童子=どうどうじ
    堂内その他を小まめに駆けまわって雑事を処理する。

  駆士=くし
    駆けず、湯屋(ゆや)に居っきりで焚き口の番をする。

  木守=こもり
    松明の係。
    大きいのは、10mほどもあり、
    重さは40~50kgもある。
  
   大炊=おおい
     めしのみを炊く。

   院士=いんじ
     副食物(おかず)つくり。

   加供奉行=かくぶぎょう、局奉行=つぼねぶぎょう
     外部の一般人に関する職。
     奉行は、執行者という意味。



 】

 参考; 司馬遼太郎著 「街道をゆく 24」より
 (一部変更)



あ@えっせい「水取り」 12月の練行衆発表について 091

2019-02-06 08:04:32 | つぶつぶ

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           編集、加工など。



*  「水取り」12月の練行衆発表について (091)


12/16 練行衆発表(8:30)

12/18 香水下げ渡し(8:30)
       内陣の鍵の封印(10:30頃)



     練行衆の発表は、
    「
     前年の晦月(みそかづき)、良弁の忌日に発表される。
    」 
   
    《 司馬遼太郎著 「街道をゆく 24」、行換え等筆者 》

     との事。 

     良弁の忌日は、宝亀4年閏11月24日(774年1月10日)で、

     初めての東大寺の十一面悔過は天平勝宝4年(752年)に
     行われたと伝えられる。

    《 「ウィキペディア」 参照データ 》


     東大寺の二月堂縁起には、
     この「お水取り」は、
     実忠和尚が始めたとあるそうです。


     「ウィキペディア」情報では、
     実忠和尚(じっちゅうかしょう)は、
     良弁僧正(ろうべそうじょう)の弟子のようです。



良弁僧正が生きている間の、
      良弁の忌日はありえないだろうし、
      実忠和尚の没年は不明のようなので、
良弁の忌日、宝亀4年閏11月24日(774年1月10日)から、
      実忠和尚の没年までの間に、
     「前年の晦月(みそかづき)、良弁の忌日」に
練行衆を発表する事が決められたとするのが、
      素直なA案としてあげられるだろうと思います。


                                 
    おわり

註)
    
   * 水取り2首(どちらも芭蕉作との事です)
 
① 水取りや氷の僧の靴の音

   ・岩波の日本古典文学大系の「芭蕉文集」
   ・新潮日本古典集成の「芭蕉句集」


② 水取りやこもりの僧の靴の音

  「野ざらし紀行」の中に「二月堂に篭りて」
   ・ 日本古典文学大系の「芭蕉文集」の
     頭注の蝶夢編集「芭蕉翁発句集」(1774年刊行)

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 *  お水取り(東大寺修二会)について(ノート)


   11人の練行衆(れんぎょうしゅう)を中心に
   運営者が50人前後いるとのことです。


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あ@仮想はてな物語 まりあカンノン・ストーリィ 4/7 (002) 

2019-02-06 08:03:13 | 仮想はてな物語 
      
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  芋粥へのあこがれを無残にも打ち砕かれた、あの五位の侍・イモンガーは、
 バナイランの資金援助により、参拝にくる人々の為に、バナイラン神殿の門前で
 京の高級料理「芋粥」商売を始め、今ではチェーン店を全国に拡げようと
 東奔西走しており、また真の芋粥の味を求めて研究にも余念がありません。

  何百年も京の朱雀門あたりを彷徨い続けていた六の宮の姫君・むーみぃ姫は、
 道成寺の「蛇ん蛇ん連合」の情熱牝蛇・キヨヒメ議長の説得の下、乳母の吸ばばと
 ともに、今はその道成寺で落ち着いた暮らしに入っております。

                        

つづく