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絵じゃないかおじさんぐるーぷ
平成の初めの頃。
「おいっ、坊。
ワシの前では、心は丸見えじゃ。
気をつけろ。これは読心術というてな、
相手の心の中の動きが、手に取るようにわかるのじゃ。
特に、坊のような不防備な心は、見え見えであるぞ。
これは、心しておけよ」
わっ、どうしようもないなあ。
「コースを説明しておく。1日200kmは、走れ」
近畿地方の地図が、壁に貼られていた。
葛木山、近剛山、由野山、多峰山、点川村などが、
蟻の巣のごとく、赤い線で結ばれていた。
ゼキが運んでくれた、ホットを飲んだあと、
離れに案内してくれた。
10畳はあるという洋間だった。
トイレ、バス付き、冷蔵庫まで置いてあった。
先生たちは、いったい何物なのだろう。
僕は、先生から、バイクで走るコースを手渡された。
朝、ゴッキの作ってくれる弁当を持って、
ただ走るだけだという。
ガソリンは、ゼキが用意してくれるようだ。
先生は、何も考えずに走ってみろ、
それが、とりあえずの僕のやることだという。
「何かあれば、これを使え。気をつけろよ。
谷底には、絶対落ちるなよ」と言って、
ゼキは、小さな巻貝を手渡してくれた。
僕は、真っ暗な山路を走る事にした。
仕方ない。
これで、サヤカと話し出来るようになるのなら、
頑張る事にしよう。
慣れない山の道路であった。
舗装はされてない。
もちろん、外灯なども無い。
暗くて心細かった。
ヘッドライトも、カーブでは、まったく役に立たなかった。
もうスピードは、5kmぐらいである。
歩くスピードと大差なかった。
ただ有り難い事には、別れ道には、
蛍光標識が、設置されていた。
先生たちが、つけてくれたにちがいない。
ぬかるみや砂利も、ところどころにあった。
腋の下から、冷汗がしたたり落ちていた。
不安であった。
一度も走った事のない路なのだ。
細心の注意を払う。
とにかく、前方に気を配った。
恐くて、心は萎んでしまっていた。
1時間半ほどかかって、先生の家に帰ってきた。
道路は、サーキットのようになっていたようだった。
門の所で、先生が待っていた。
「おう、無事帰ったようじゃのう。
今日の気持を忘れるなよ。
世の中の道とは、そんなものじゃ。
もっとも、サヤカ君の照らし出すような、明かりはないがの。
一寸先は、分からぬ。
全神経を集中して、必死でハンドルをつかんでいたろうが。
気を抜くような事も無かったろう。さあ、ぐっすりと眠れ」
「はい」
僕は疲れ切っていた。
慣れぬ所に来て、まだ乗り慣れてないバイクで、
山の未舗装の道路を走ったのだから、当然のことだろう。
しかし、先生の言いつけ通り、一周り出来た事で、
やりとげたぞという、自負心のようなものが芽生えていた。
風呂に入って、ベッドに潜りこんだ。
なかなか寝つかれなかった。
風の音が、屋根を強く叩いていた。
「坊、起きなさい」
青鬼のゴッキに起こされた。
日の出を拝むから出てこいということだった。
4時間も、寝ていないのではないのだろうか。
素早く着替えをして、庭に出ると、
立った先生の両側で、ゼキとゴッキがひれふしていた。
先生は、何かを唱えながら、
白み始めた東の空に向かって、
引っ張りあげるような動作をしていた。
「シンペンさまが、日の神を誘い出しているところなのだ。
坊も膝まづけ。頭を垂れろ」
ゼキが、頭を土につけたまま、顔を横向きにして、睨んだ。
僕も慌てて座り込んだ。
ぱんぱんぱんと、柏手を打つ音と共に、
「さあ、今日も引き出してやったぞ。
この国も、今日一日平和であろう。よーし」
ゼキに肩をたたかれた。
頭を上げていいという合図のようだった。
薄青い東の山の稜線に、濃い橙色の太陽が、
ちょっぴり顔を出していた。
見る見るうちに、大きくなってくる。
「さあ、朝食にしよう」
先生は、ごおーっと、大きく息を吸い込んだ。
縮れた白髪混じりの頭髪が、顔半分を覆っていた。
歯が数本かけていた。
髭に囲まれた口に、どこからともなく、
白い靄が、固まりとなって、流れこんでいた。
僕は、先生に、ますます畏怖感を抱いた。
この人は、仙人なのだろうか、
それとも、
神さまなのだろうか、
そんな事を思いながら、先生を見つめていた。
「坊は無理だろうから、
ゴッキに、飯の用意させるから、安心しろ」
すべてが、お見通しなのだ。
僕は、心をのぞかれた事がないので、恥ずかしかった。
トーストとコーヒーの朝食を食べて、
少し落ち着いてから、僕の練習が始まった。
来る日も、来る日も、例のコースを走った。
先生は、毎日の僕の感想を聞くだけで、
何も教えてはくれなかった。
2週間も同じコースを走っていると、
路にも慣れてきた。
何回も転倒した。
幸いな事にカスリ傷程度で済んでいる。
3日めを過ぎたころから、道路を走る不安感も消えていた。
同じコースとはいえ、毎日微妙に違っていた。
サヤカの調子も同じではない。
何か違うのである。
違いが、何かはよくはわからないけれど、どこかが違う。
先生にその事を話すと、
「もう少しじゃ頑張れ」と言われた。
何が、もう少しか分からないけれど、
僕は、頑張るしか無かった。
風の強い日もあれば、
雷の鳴る日、
雨の降る日もあった。
雷の鳴る時には、先生から走るのを止めろと言われていた。
山の雷は危険だから、すぐ近くの建物の中に入って、
静かに、通り過ぎるのを待つように、とも忠告されていた。
僕も雷は大嫌いだから、教えを忠実に守っている。
だいたい1日7~8時間は走っている。
30日も続けていると、サヤカの事が、
手に取るように分かりかけてきた。
僕が、サヤカになり、サヤカが僕になってと、
走っている時には、区別がつかなくなってきたような、
気持になってきていた。
夏休みも後残り少ない。
宿題も残っているし、自宅にも、
少しは顔を出さなければ、変に思われるだろう。
1週間に1度は、電話しているのだが、
帰って来なさいと母親がうるさく言う。
先生に相談してみた。
「うん、いい線までいっている。
では、明日の夜、卒業試験をしてみるか」
いよいよ卒業出来るのかと思うと嬉しい。
しかし、合格できるのだろうか。
どんなテストが、待っているのだろう。
つづく