日常のことばたち

時々落ち込むこともあるけれど、いまを生きるんだ。

相変わらず・・・お疲れさん

2008-02-27 21:21:22 | 日常
今日の仕事も疲れたなぁ。

慢性的に疲れてるなぁ。

それでも朝はやってくるんだぜ。

最近、疲れたってばっかり書いてるような気がする。

事実、そうだから、仕方がない。

疲労回復を早めるという、納豆を毎晩食べてます。

本当かよ。

どこで仕入れた情報だったか。

まあでも、納豆好きなんで、ご飯何杯でもいけます。

体重戻さなきゃ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これまでの夜をつなぎあわせてそれを過去と言うならば

2008-02-27 21:09:23 | 日常
子どものころに思っていた「大人」というものは、確固たる地位があり、絶対的なものであり、頼りになるものであり、強いものであると思っていた。

いざ自分が「大人」と呼ばれる年齢になったら、そんな思いはどっか行ってしまった。

確固たる地位もなければ、絶対的なものでもないし、頼りにはならないし、強くもない。

一体なんだったんだろうな。

子どものころに思っていた「大人」というものは。

「大人」と呼ばれる年齢になってからも、わからねえことだらけだ。

毎日追われてるような気がしているが、ちゃんと生きてるような気もする。

今の自分には、何のために生きているのか、明確な理由はない。

ただ存在するのは、自由に動かせる肢体と、この脳だ。

何かに必死になって生きている人には、明確な理由、或いは目標があるんだろうな。

夢を持っている子どもたちは、何の疑いもなく、それが叶うと思っていて、そんな毎日が楽しいのだろうな。

大人になって、ある程度世の中のことを知り、現実を目の当たりにして、夢がどれほど稚拙であったのかを知った。

子どもが思い描く夢だから、稚拙で当たり前なんだが。

大人になって、あきらめることが多くなったような気がする。

大小様々。

まあ、それでも、やれることはやっとかないとね。

今はそう思ってる。

「今の自分が誰かに必要とされているのか?」

とか考えると、苦しくなりそうだけど、そのへんは妙に冷めた答えが出てくる。

「誰かに必要とされていなくても、ここに生きてる。」

冷めた答えだけど、実際、ここに、今、生きてるから。

誰かのために生きてた時もあったけど、今は違うな。

多分、自分のために生きてるんだな。

一生をかけてやれることがあるとすれば、まずは一生かけて生きてやろう。

それが今できる最大限の努力だ。

そして、亡くなったものへの最大限の手向けだ。

またこの胸を震わせるような出来事があったら、そんときは喜ぼう。

どうしても許せない出来事があったら、そんときは怒ろう。

涙も出ないくらいの悲しい出来事があったら、そんときは哀しもう。

仕事精一杯頑張って、週末に友人らと飲む機会があったら、そんときは楽しもう。

どこまでも響けよ、この命よ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする