人生五十年。
と考えたら、私はもう、6割生きていることになる。
何故ここで人生五十年が出てきたのか?
説明しよう。
三国志を読んでいるからだ。
鳳雛こと龐統も35歳ぐらいで地に落ちている。
呉の孫堅も35歳だったかな。
時代が違うと言えば、それまでだが、それでも、早く亡くなる人もいれば、長く生きる人もいる。
人生に悲観的になっているわけではないが、楽観的でもない。
人間には時々、ふと立ち止まって、考えることが必要だ。そしてそれができるのは人間だけなんだ。
何気なく過ぎていく日常の中で、ふと立ち止まって、考えるのだ。
都心の大きなスクランブル交差点。
信号が青になり、人が入り乱れる中、立ち止まってみる。
皆は目的があり、それぞれの目的地へと足早に歩いていく。
そこで目を閉じて立ち止まっている私は、それだけで独りになれる。
肩がぶつかり、面倒くさそうな顔をして足早に立ち去る人もいる。
無関心の極みで、目にも留めない人もいる。
停まっている車の運転手は、たくさんの人にうんざりしながら、青信号を待っている。
皆は、ふと立ち止まって、考えることをしないのだろうか?
汚れて灰色になった空でも、見上げて見ることはないのだろうか?
まあ、考えたところで答えは出ませんけど。
寿命は平等ではない。
時間は限られている。
この世に生まれて、もう30年も経っている。
生き急いでるわけじゃないけど、死に急いでるわけでもない。
ラグランジュポイントにいる感じだ。
残り何年残されているのか分からないが、まだ生きている。
一年後は分からないけど、明日は生きてるだろう。
存在意義や存在証明なんてものは、沙の数ほど考えた。
求めているものは、そんなものじゃない。
なんだろうな。
自己プログラムの保存かな。
残念ながら、叶いそうもない。
とりあえず、明日は生きてみるか。
生きてたら、明日またここに戯言を綴ろう。
と考えたら、私はもう、6割生きていることになる。
何故ここで人生五十年が出てきたのか?
説明しよう。
三国志を読んでいるからだ。
鳳雛こと龐統も35歳ぐらいで地に落ちている。
呉の孫堅も35歳だったかな。
時代が違うと言えば、それまでだが、それでも、早く亡くなる人もいれば、長く生きる人もいる。
人生に悲観的になっているわけではないが、楽観的でもない。
人間には時々、ふと立ち止まって、考えることが必要だ。そしてそれができるのは人間だけなんだ。
何気なく過ぎていく日常の中で、ふと立ち止まって、考えるのだ。
都心の大きなスクランブル交差点。
信号が青になり、人が入り乱れる中、立ち止まってみる。
皆は目的があり、それぞれの目的地へと足早に歩いていく。
そこで目を閉じて立ち止まっている私は、それだけで独りになれる。
肩がぶつかり、面倒くさそうな顔をして足早に立ち去る人もいる。
無関心の極みで、目にも留めない人もいる。
停まっている車の運転手は、たくさんの人にうんざりしながら、青信号を待っている。
皆は、ふと立ち止まって、考えることをしないのだろうか?
汚れて灰色になった空でも、見上げて見ることはないのだろうか?
まあ、考えたところで答えは出ませんけど。
寿命は平等ではない。
時間は限られている。
この世に生まれて、もう30年も経っている。
生き急いでるわけじゃないけど、死に急いでるわけでもない。
ラグランジュポイントにいる感じだ。
残り何年残されているのか分からないが、まだ生きている。
一年後は分からないけど、明日は生きてるだろう。
存在意義や存在証明なんてものは、沙の数ほど考えた。
求めているものは、そんなものじゃない。
なんだろうな。
自己プログラムの保存かな。
残念ながら、叶いそうもない。
とりあえず、明日は生きてみるか。
生きてたら、明日またここに戯言を綴ろう。