伊勢志摩つれづれ

伊勢志摩の今を楽しんで頂けます
郷里を離れた方に 今の故郷を 
また 伊勢志摩の旅行の前に ご覧ください

2012/5/12 金環日食の準備は

2012-02-28 15:04:45 | 写真
マルミ 太陽撮影用 NDフィルター DHG ND-100000 77mm
マルミ


他に 58㎜もあります
ステップダウン・アップ リングも揃っています

通能(伊勢市通町)

2012-02-28 10:15:40 | 写真と観光・伊勢志摩の風景
勝田流の「通能」は
450年ほどの歴史があり
伊勢市無形民俗文化財に指定されている

能楽師勝田氏は伊勢の国司
北畠氏の保護を受けた

北畠氏が一志郡より伊勢の田丸に移り
勝田氏も玉城町に同行した

北畠氏は 織田信長の次男である
信雄を養子縁組し親戚となり
当主の北畠氏は 大台町の三瀬谷に隠居したが

木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)の巧みな口車に乗り
北畠の旧臣に殺害され北畠家は滅亡した

能楽師勝田氏は通町に住み 
能は 堀一族が引き継いだ

写真の 能舞台の鏡板は 
明治5年 「棕林」作である

人気ブログランキングへ

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い


通能・仕舞(伊勢市通町)

2012-02-28 10:09:17 | 写真と観光・伊勢志摩の風景
中之舞は 玉城町から来られた
神社の宮司さんです

平成19年玉城町へ 通能が
450年ぶりに里帰りをし 
玉城町にも 勝田流保存会ができたようです

玉城町勝田と伊勢市通町は
遷宮などの行事の交流へと発展している


人気ブログランキングへ

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い


通能・結城(伊勢市通町)

2012-02-28 10:06:49 | 写真と観光・伊勢志摩の風景
喜多流の流れをくむ 勝田流独自の演目に 
洞猩々(あのうしょうじょう)と
結城がある

この「結城」は 南朝の忠臣
結城宗広にちなんだ 通能の為に
大正初期に作られた演目です

北条氏の忠実な家臣として
南奥州方面の政務を任された
その後 宗広は南朝勢力再起のために
北畠親房と共に海路から
奥州へ向かおうとしたが
海上で遭難して 伊勢国で立往生し
間もなく発病して病死した物語です

『太平記』は 宗広の死に関して
生来暴虐な人物で狼藉(ろうぜき)が多かったため
その報いを受け 塗炭の苦しみを味わい
地獄に堕ちるという凄惨な描写をしている

墓所は 津市の結城神社と 
伊勢市の光明寺に祀られている


人気ブログランキングへ

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い