的矢湾は 昔 風待ちの港で渡鹿野島 的矢が
栄えた町
今は 上陸こそしないが 風の鎮まるのを待って
目的地へ出航して行く
湊は 大的矢 小的矢があり
文久元年(1861年)記録によると 船宿は約40軒
置屋は約29軒あり 水上遊女と呼ばれた「はしりかね」も多数いたという
それぞれの港には日和山があり 樽回船の船頭らによって方位石が設置された
ここで沖の天候を見定めて出航する
現在の日和山にある方位石は再建されたもので 江戸時代の方位石は志摩市指定文化財として保存されている
的矢湾は 昔 風待ちの港で渡鹿野島 的矢が
栄えた町
今は 上陸こそしないが 風の鎮まるのを待って
目的地へ出航して行く
湊は 大的矢 小的矢があり
文久元年(1861年)記録によると 船宿は約40軒
置屋は約29軒あり 水上遊女と呼ばれた「はしりかね」も多数いたという
それぞれの港には日和山があり 樽回船の船頭らによって方位石が設置された
ここで沖の天候を見定めて出航する
現在の日和山にある方位石は再建されたもので 江戸時代の方位石は志摩市指定文化財として保存されている