Potter's Diary

私の生活諸々と陶芸作品の紹介(ヒューストンより)

To Berlin 1.ベルリンフィルのクリスマスファミリーコンサート

2023-12-17 | 旅行

10日ほど前、娘たちと孫二人と一緒にベルリンへ行き、ベルリンフィルのクリスマスコンサートに行ってきました。もう10年くらい前、ベルリンフィルの他のコンサートチケットを買った時に、ちょうどやっていた昼間のファミリークリスマスコンサートというのを見つけ、どんなものだろうとチケットを買ったことがありました。午前11時から始まったコンサートには、2歳前後の小さな子供から10代くらいの子供まで、たくさんの子どもたちが親と一緒にやってきていて、子供が舞台に上がったり、みんなで歌ったり踊ったり、それは楽しいコンサートでした。あの頃、まだ孫がいなかった私たちでしたが、「孫ができたらこんなコンサートに一緒にきてみたいわね」と夫と話していたものでした。それ以来、このコンサートは毎年録画されてベルリンフィルのウェブサイトで公開されていました。そして今、3人の孫ができ、それを実現すべく、またしても3ヶ月前の夜中に起きてチケットの予約をして、娘二人と8歳(ベルリンに到着した日が8歳の誕生日)のカイ、4歳のミナと一緒にベルリンへ向かいました。ユージーンに住む娘とカイはデンバー経由でニューアークへ。ボストンに住む娘とミナはニューアークまで行き、二人と合流してベルリンまでやってきました。私と夫はフランクフルト経由でベルリンへ行き、ホテルでみんなと合流。


ニューアークの空港でピアノを見つけて早速演奏するカイ。ホント、好きなのねぇ。


ミナはヒューストンにもよく来ているし、5月に日本にも一緒に行ったので、長いフライトにはちょっとは慣れていたようですが、カイにとってはほぼ24時間のフライトはかなり疲れたことと思います。


娘たちが先にベルリン・ブランデンブルグ新空港に到着。(3年前にオープンしたばかりで、私たちも初めてでした。)


ベルリンではよく利用するグランド・ハイアットホテル。クリスマス仕様で、ロビーはポインセチアがいっぱいで、とても華やか。

到着した夜は娘たちは相当疲れたようで、ホテルのラウンジで食事をとってそのまま寝てしまいましたが、私と夫はビアレストランへ。


いつものソニーセンターのドイツ料理のお店は6時前だというのに満席。仕方がないのでフラフラとレストランを探していたら、3年前に来た時にはなかった、ミュンヘンからのビアレストランを見つけました。これが大成功。ビールも美味しいし、ソーセージもポークナックルというのも皮がパリパリでとっても美味しく、疲れも吹き飛びました。

そして帰りはクリスマスマーケットでホットワイン。


部屋の窓からベルリンフィルのコンサートホールが見えました。

いよいよクリスマス・ファミリーコンサート




孫たちは何が始まるのか???ワクワクだったようですが、司会のホルン奏者セーラさんのドイツ語が全く理解できないので、途中からちょっと退屈してしまったようです。確かに私もドイツ語は全くわからないので、子供の気持ちが理解できます。今回は金管楽器が主役のコンサート。大人だから音楽だけでも楽しめるのですが、子供にとっては周りの子供達の様子が気になったり、でも話は理解できないし_で、ちょっと気の毒だったかな。でもこんな素敵な雰囲気は覚えておいて欲しいな。


夜のクリスマスマーケット。メリーゴーランドもあって子供たちも大喜び。


昼間はRodelbahnという雪山のチューブ滑り。雪の山から降りるというのが本来の目的ですが、今年は暖かくて、雪もなく、なんとか水を撒いて凍らせていましたが、チューブの滑りはイマイチ。子供たちにとってはあまり勢いが出なくてよかったかも…

この日の夕食は、私と夫が初日に行ったビアレストランへ。店が混む前にと早めに行って正解。子供連れは、レストラン選びも大変です。

4泊5日の短いベルリンの旅でした。この旅行をとても楽しみにしていたカイに感想を聞いて見たところ、ドイツがとても好きになったし、もう一度来て見たい、ベルリンフィルの普通のコンサートを見たいとのこと。ミナにとっては2度目の外国旅行。自分は日本人だと主張している(でも全く日本語は話せません)ミナですが、ドイツ語にも興味を持ったようです。この旅行で、幼い子供たちの心には何が残ったのでしょう。難しい今の世の中ですが、いろいろなものを見て、聞いて、体験して、柔軟な心を持ったのびやかな大人に成長していってもらいたいものです。

 

 


ロンドン・パリ食べ歩き

2022-12-01 | 旅行

かなりアップロードが遅れましたが、7月にロンドンとパリに行って来ました。その時の食べ歩き記、忘れないうちに_。ロンドンでは夫の学会参加で行き、その後パリへはユーロスターで移動しました。


ロンドンでどうしても行きたかったお店、”YAUATCHA"。以前ヒューストンにもあってとても美味しいディムサム(飲茶?)のお店でした。本店がロンドンだというので、数年前から行ってみたかったのです。こんな建物の中に入っていてちょっとヒューストンのレストランとは雰囲気が違いました。

 

でも使用している食器類は同じで懐かしい… でも、でもなのです。料理はなぜかヒューストンのお店の方がずーっと綺麗にできていたし、美味しかった… 


ケーキも同じように綺麗に並んではいたけれど、やっぱりヒューストンの方が綺麗だったなぁ。頑張って行ったのにホント、残念でした。ロンドンにはもっと美味しいディムサムのお店がありそうな気がする…。


ロンドンで行った美味しいシーフードのレストラン。

一階がバーで2階がレストラン。とても落ち着いた静かでシックな店内。

真夏のとんでもなく暑い日だったけれど、牡蠣を注文。すっごく美味しかった!そしてこの巨大な魚は二人分。これも美味でした。

デザートも美味しくて、すっごく満足!

そしてパリへ移動。初日はホテルの近くのレストランへ。適当に入ったレストランだったけれど、結構美味しくて、満足。お店の中も素敵でした。




翌日は日本人で初めてパリで三つ星を獲得したという小林圭シェフのレストラン、KEIへ。2年前にパリに来る予定で予約して、コロナでダメになり、今回ようやく実現。

店内はそんなに広くなくて、でも白、シルバーとガラスでゴージャスな落ち着いた雰囲気。

  
すみません、これ順不同です。写真を撮った後、夫と私の撮った写真がごちゃごちゃになってわからなくなってしまいました。

30分もすると、テーブルは完全に満席。
見ても美しく、食べても美味しく、サービスも素晴らしく、十分に満足させていただきました。帰りにKEI特製キャラメルをいただきました。

最終日は来る直前に思い付いて予約したレストラン、Le Jules Verne。エッフェル塔の第二展望台にあり、展望台に行く行列に並ばず、レストラン専用のエレベーターで行くことができます。流石に直前に予約したので、ディナーの時間帯は予約が取れず、ランチタイムになりましたが、景色がよく見えてそれはそれでよかったです。

展望台とは別の入り口。 エレベーター前にあったミシュラン一つ星マーク。

 


こんなに美しい景色を見ながら、次々と出されるこれまた美しぃ〜いお料理。ソムリエバッジを胸に誇らしげに付けてワインを勧めてくれるソムリエのお姉さんもとても感じ良く、この日も気持ちよく美味しくランチをいただいて来ました。


そしてこの最終日の夕食は、前日KEIに行った時にタクシーの中から見つけたお店、DOKI DOKI。Handroll Barと書いてあったので、手巻き寿司のお店だろうと行ってみました。バーカウンターしかないようなお店ですが、あっという間にいっぱいになりました。

これは白身魚のタルタルステーキみたいなもの??なんの魚が入っているのかわかりませんでしたが、まぁまぁ美味しかった。お昼をかなりしっかり食べたせいか、お腹がいっぱいであとは何を食べたんだっけ…。

7月のロンドン・パリは酷暑でした。パリでは学会の後のせいか夫はすっかり疲れ果てていて、その上に暑さが重なりかなり具合が悪そうでしたが、食事だけはなんとか予定通りにこなしました。そうそう、ロンドン・パリ、マスクしている人、少なかったなぁ。

 


メキシコへ Guadalajara & Mexico City

2022-11-03 | 旅行

10月の終わりに夫が学会に招待されたので、メキシコに行ってきました。学会の開催された街はGuadalajara グアダラハラという街で、テキーラの産地として有名です。私たちがそこに行くと聞いた娘たちは、この旅行に大反対。とにかく危険な街だというのです。確かにUnited Airのウェブサイトにもこの街にはできるだけ行かないほうが良いし、絶対に通ってはいけない道路なども明記されていました。どうもテキーラに関わるマフィア関連の事件が多いらしく、警察もまともに動いていないらしい…。そんな情報を聞いてちょっと腰が引けましたが、夫は「もう招待を受けたから、行くしかない」と言うので、まぁなんとかなるかと行くことに決めました。ヒューストンからグアダラハラまではユナイテッドの直行便があり、2時間半くらいで到着。その後はホテルまでのお迎えの車が来ていて、見ると同じように招待された夫の仕事関係のドクターが何人も一緒で、ちょっとホッとしました。

ホテルまでは特に怪しい景色もなく、結構綺麗な街並みで、またしても安心。到着したホテルはヒルトンホテルで、すぐ隣はウェスティンホテル。ホテルの周りにはレストランやお店のようなものはあまりなさそうでした。まぁ、娘たちの強い意見もあって、私は学会中は一人で出歩くのはやめることにしました。


ホテルにはこんな骸骨の飾りがいっぱい。 この時期はちょうど死者の日(11月1日&2日)が近くてその準備の飾りでした。

初日の夜はホテルのレストランへ。

で、これがびっくり。ものすごく美味しかったのです。メニューを見てもあまりわからず、お勧めをお願いしたら、出てきたのがこ〜んな感じのお料理。右の二つの石の臼のようなものは火山の溶岩石でできている鍋で、これをオーブンで高温に熱して、この中に生の肉や魚、野菜などと一緒にスープも入れて、そのまま持ってきてくれます。そして目の前でグツグツと調理しながら食べるのですが、野菜も魚介類も全てが新鮮で美味しいのです。このお料理、モルカヘテとか言うお料理だそうで、この辺りではとてもよくあるお料理のようで、ここに滞在中に行ったどこのレストランでもメニューにはこの名前がありましたが、出てくるものは同じ石臼の中に入ってはいますが、結構色々な味があったり、中味も色々でした。でもどれも美味しかった!で、マルガリータですが、ヒューストンでマルガリータを頼むと、大抵はマルガリータグラス(比較的大きな足のあるグラス)で来るのですが、ここではコレ。とってもフツーのちょっと小さめなグラスでやってきます。グアダラハラで飲んだマルガリータはどこもこれでした。


2度ほど行った隣のウェスティンのレストラン。これ夕方なのですが、ガラガラ。こういう周りに誰もいない雰囲気が大好きな夫は大喜び。

お料理もこれ。上のお店とちょっと違うけどやっぱり美味しい。

グアダラハラではテキーラを作っている工場見学とテイスティングを兼ねたテキーラ列車という観光列車があったのですが、週に1、2回しか運行していなくて、しかももうチケットが完売で残念ながらいけませんでした。こんなに安全そうなところなら、もっと早くにチケットを予約するのだったとちょっと後悔。でもまぁ、どこでどんなことに巻き込まれるかわからないから、安全を考えると行かなくてよかったのかも。

学会を終えた後は初めてのメキシコシティへ向いました。飛行機で約1時間半。空港からタクシーでホテルに向かう途中の街中の景色がなんだかすごい!やたらオレンジ色。マリーゴールドの花が街中に飾られていました。私たちが到着したのが10月30日。死者の日は11月1日と2日ですが、前夜祭、前々夜祭があるようで、夜中までホテルの周りは賑やかでした。

翌日はガイドさんを頼んで市内見学とテオティワカン遺跡、そして天使の街と言われているプエブラへ。結局なぜ天使の街なのかわからず…。


メキシコシティ歴史地区の中心にある巨大広場ソカロ。巨大な骸骨人形がずらりと並んでいました。広場全体がお祭りの飾りでいっぱい。


ソカロ広場の近くのGran Hotel Ciudad de Mexico。古いホテルですが、ティファニーのステンドグラスの天井が美しく、内装もとても美しい。このエレベーターは現在も使用中ですが、宿泊客のみが一度だけ乗ることが許されているのだそうです。

この後車でテオティワカンへ向かいました。


紀元前に作られたピラミッドや多くの建造物跡が残されていますが、発見当時は土の中だったらしく、最盛期は人口20万人もの大都市だったということですが、謎が多い街のようです。どうして滅亡しちゃったのかしらねぇ。ここでも太陽の動きを正確に計測してピラミッドが建てられているらしく、アイルランドの巨大古墳に通づるものがあるなぁ。昔の人ってどうやって正確に太陽の位置や動きを測っていたのだろう…

そして天使の街プエブラへ。ガイドはここまでということで、ピックアップ時間を設定されてプエブラ歴史地区で降ろされましたが、これがすごい人!ホントにすごい人たちで溢れかえっていたのです。




いやはや大人から子供まで真剣に仮装してます。この準備にどのくらい時間がかかったのだろうと感心するくらい素晴らしい。ちょうどハロウィーンと重なっているせいか、入れ物を持っていて、私たちにそれを差し出してきます。キャンディーなんて持ってないなぁ、と思って見ていたら、違うのです。コインを要求してきます。大人も子供も_。近くのお店で両替してもらって少しコインを持ち歩き、子供のバケツの中に何度か入れていましたが、それもあっという間に尽きてしまいます。死の日のお祭りとハロウィンが混じっちゃってるみたいだけど、なんだか現実的なTrick or Treat。
そうこうしているうちにピックアップの時間になりましたが、予定の場所はもう車の通行禁止になっていて、車が入れなくなっていて、どこでピックアップしてもらえるのかわからない!運転手さんに電話をしてもスペイン語で通じない!近くのお店で英語を話せる人を捕まえて電話をしてもらったり、あたふた1時間くらいでようやく旅行会社と連絡がつき、なんとかピックアップしてもらえましたが、ちょっと焦りました。おかげでホテルに戻ったのは10時過ぎ。レストランはどこも閉まっていて、仕方なくホテル近くのセブンイレブンへ。サンドイッチでも買おうかと思ったら、ナント、そこにおにぎりがありました!もうびっくり。そうあの海苔とご飯がプラスチックのペーパーで分けてある日本のコンビニに売っているのと同じ顔したおにぎり!サケと梅干しというのがあったので、買って見ました……でも…やっぱり違いました。ご飯は硬くてボソボソでぜんぜん食べられるモノではありませんでした。

翌朝ホテルの一階のコンシアージュの人にツアーバスのことを聞きに行ったら、ナント!
皆さん、こんなカンジ。徹底してます。こんな化粧ってどのくらい時間がかかるんだろう…

レストランでも_。 楽しみ方が半端じゃない。

このお祭りの期間中はどこも交通規制があって、交通渋滞。二日目は歩くのが一番と、ぶらぶら歩きながら観光。昨日行ったソカロ広場からちょっとのところにあるテンプロ・マヨール博物館に行きました。テンプロ・マヨールはアステカ文明時代の神殿跡だそうで、スペイン人に占領されて破壊され、ナントその上に新しい街ができて、それが現在のメキシコシティなのだとか_。なので、メキシコシティの街の下には何層もの建物が存在しているのだそう。地盤がどんどん高くなっていっちゃうワケね。なのでメキシコシティでは土地が水平な所が少なくて、若干平衡感覚を失いそうになるのだそうです。メキシコシティの海抜が高いのは、そういうせいもあるのかしら…。ハハ…。

現在の地層の下から出てきた建物跡。結構立派な建物が地下深くに眠っていたのですねぇ。完全に壊さずに適当に壊してその上に新しい建物を建てていっちゃうっていうのは初めて聞きました。歴史を発掘したい人にはありがたいかも…。

夜はメキシコシティの夜景を一望できるレストランMiraltoへ。Latin American Towerの41階にあるレストランです。このタワーは地震の多いメキシコシティにおいて、幾度もの地震に耐えてきた歴史的な超高層ビルなのだそうです。


とても景色の良く見える素晴らしい席に案内してもらえたおかげで、メキシコシティの夜景を堪能できました。ただ、お料理はあまりここに載せるほどのものではなく、ちょっとがっかりでした。メキシコで唯一料理でがっかりしたレストランです。でもサービスも雰囲気も良かったです。
食事の後はマリアッチのいる広場に行き、マリアッチの演奏を聞きながら出店のパンを買って帰りました。

メキシコはこれが2度目です。初めていったのはプエルトバラルタ。海岸の避暑地のようなところで、あそこの食べ物もとてもおいしかったと覚えています。そして今回もどこで食べても新鮮で美味しくて、メキシコ料理を再認識。テキサスで食べるメキシカンとはまた全然違うのです。そしてもう一つの新しい発見はパン。パンが日本のパンのように美味しいのです。このお祭りの間だけにふるまわれるパンがあったのですが(左)、これがまたフワッとしていてとてもおいしかったのです。そして日本のメロンパンとそっくりなパン(右)も発見!

メキシコ料理は美味しい!
もちろんTexmex(テキサス風メキシカン)ではなくホンモノのメキシカンです。そしてそれに合うのがこのビール。黒ビールですが、Gunnessほどくどくはなくて、それでもなかなかコクがあって美味しいです。 

Modelo Negro

ヒューストンからはとても近い外国。美味しいし、ちょくちょく行ってみたいところの一つになりました。

 


アルゼンチンへ

2022-05-31 | 旅行


Palacio Duhau - Park Hyatt Buenos Aires

今月5月の初めに本当に久しぶり(2年半ぶり)に海外に出かけました。夫の学会がアルゼンチンのコルドバという街であるというので、先にブエノス・アイレスに3泊してからコルドバに向かいました。久しぶりの空の旅は、ぎりぎりでアップグレードされてビジネスクラスに_。でもなぜか以前のような豪華さはなく、食事も美味しくないし、私はプレミアエコノミーで充分かな。

はじめてのブエノス・アイレスは古い街並みの残るヨーロッパを思わせる街でした。私たちの泊まったホテルも昔は貴族の屋敷だったらしく、広い中庭のあるゴージャスな建物でした。


到着の夜は、まずはアルゼンチンのステーキを食べてワインを飲もうということで、ホテルで勧めてくれたレストランへ。


夕方6時半頃に行ったのに、誰もいない…


リブアイステーキはジューシーでかなり美味しかったし、ベイクド・プロボローネチーズは初めてだったけれど、これも美味しかった!そしてアルゼンチンワイン!!

到着の翌日は、日本語の話せるアルゼンチン生まれの日系二世のガイドさんに案内してもらい、市内を回りました。”Cementerio de la Recoleta”という世界で一番美しい墓地の一つといわれている墓地があるというので行ってみましたが、これがびっくり。墓地というより豪邸の並ぶ街といった風景。一軒一軒のお墓がそれぞれ趣向を凝らした美しい建築物。人が住んでると言われても信じてしまうくらいゴージャスで、とてもお墓に見えません。ここには歴代大統領や、歴史的に名を残した人、由緒正しい一族などが眠っているのだそうですが、アルゼンチンの聖母として有名で、映画にもなった「エビータ」のお墓もあり、今でも花が絶えず供えられているそうです。


墓地とは思えない佇まい。宗教も色々入り混じっているとか。一番右がエビータ(María Eva Duarte de Perón)の墓


ここはもとはオペラハウスだったそうな_。それが今では本屋さん。最近アメリカでは本屋さんが潰れているけど、こんな本屋さん、羨ましい…。


アルゼンチンの大統領官邸・ピンクハウス 
またエビータの映画に戻りますが、この建物のバルコニーで、マドンナ扮するエビータがあの曲”Don't Cry for Me Argentina”を歌ったのだそうです。

ところで、ブエノス・アイレスでのこのツアーは半日のツアーだったのですが、この後に訪れた教会で、私はなんと段差に気付かず、顔から転び、見事に前歯を2本折りました。というより、差し歯だったので、ボーセリンの部分をこわしました。このパンデミックで、まじめにマスクをしていたおかげで、誰も歯を失った事に気が着いた人はいませんでしたが、見事に唇も切り、かなり悲惨でしたがその他は骨折することもなく、まずは不幸中の幸い。でもこのツアーを途中で断念してホテルへ。ホテルに戻ってすぐにいつも診てもらっている歯医者に電話をして、帰ったらすぐに緊急で診てもらう予約を取りました。そして帰国した翌日に行くと、ナント約2時間半で差し歯はもと通りになりました。今の歯科の技術は凄い!

この日はもう一つ、夜にアルゼンチン・タンゴを見に行く予定があったので、しっかりマスクをして唇の出血と腫れをおさえながら行きました。


小劇場でしたが、アルゼンチンタンゴでは有名な劇場のようで、演奏者のノリもよく素晴らしかったです。


この小さな舞台に3組のカップルが同時に出て踊ると(この写真では一組ですが)さすがにすごい迫力でした。あのリズム感で、情熱的な曲に合わせて踊るカップルたちは、とてもセクシーでほんっとにカッコイイ!時間を忘れました。そして気がつけば夜中をとっくに過ぎていました。

コルドバへはローカル空港から飛行機で約1時間半。驚いた事にブエノス・アイレスのローカル空港では英語の案内が全く無いのです。おまけに飛行機の中も全てスペイン語だけ!これにはさすがに困りました。日本では多分どこの地方空港でも国内線の飛行機の中でも一応英語の案内が日本語の後にあったと思うのですが_。英語のわかりそうな係の人にゲート番号を聞いたり、人の動きを見て想像したり…。そうそう、iPhone  の翻訳アプリが初めてここで役立ちました。このあたりから、ちょっとイヤ〜な予感はあったのですが、コルドバに着いてみると、予想通り、ほとんど英語が通じない!! 日本語でも英語でもなく、スペイン語の国なんだから、仕方がないと言えば仕方がないのですが、エジプトに行った時を思い出しました。コルドバは大学の街なので、学生たちはもう少し英語を話すかなぁ、と期待したのですが、レストランでアルバイトをしているような学生でもほとんど通じませんでした。なので、さすがに一人でフラフラと出歩くことはできず、日中は狭いホテルの部屋で過ごしていました。でも夫の参加した学会のパーティはホテルからバスで50分ほど行った、広大な敷地のパーティ会場で、これはなかなか楽しめました。



バスがこの会場に到着したのは9時過ぎで、このパーティは9時半頃から始まり、最初の帰りのバスが出たのは12時半。帰ったのは午前2時を回ろうとしていました。とにかくこの国の人は、アメリカや日本とは違う時間帯で動いているようです。唯一英語がフツーに通じたホテルの人に夕食の予約をしてもらおうと、「6時半に_」と頼んだところ、目を点にして「そんなに早くに夕食?」と聞かれてこっちがびっくり。「普通は夕食は何時?」と聞くと9時か9時半なのだそう。どうりでブエノスアイレスでも、どこのレストランに行っても私たちの行った時間帯はガラガラだった訳です。それでもスペインと違いシエスタはしないそう。なので、昼ご飯は3時くらいだとか…。いやぁ、所変わればホントに色々なことが違うんだ、と思い知らされました。確かエジプトの空港は真夜中でもお店がオープンしていて、飛行機も夜中の1時や2時に運行していたっけ…。

アルゼンチンに来るにあたってはCovidの検査や制限は全くなく、とてもスムーズに入国できたのですが、アメリカに帰るにあたって、チェックインの際にCovidの検査が必要ということがわかり、そんなことを全く準備していなかった我々はちょっと焦りました。とにかく言葉の通じないところで出国24時間以内にテストを受ける必要があると言うのです。コルドバでテストを受けるか、アルゼンチンの空港に行ってから受けるべきか… 万一空港の検査場が混んでいたら、飛行機に乗り遅れるかも…。そんなこんな悩んだ末、ホテルの人に聞いてテストをしてくれるというクリニックのような場所まで行き、話をするとなんとか英語のできる人が出てきて、ナント、彼は日本語まで喋るではありませんか!とにかくその人のおかげで30分くらいでテストを受けることができ、その日の夜に検査結果が来てチェックインもでき、無事に帰国することができました。いやいやこの時期、まだまだCovidの影響は大ですが、それでもあんなに旅行者がいるのねぇ。なかなか貴重な体験でした。

 

 


To Vienna & Berlin 2

2020-03-06 | 旅行


ホテルの裏にあったベートーベンの像

ベルリンフィルを聴きに行く前にせっかくなのでウィーンに寄りました。そして前回行けなかったところに行ってきました。ウィーンという街も本当に見るところが多い街で、多分何度行っても満足なんてしないんだろうなぁ、と思われますが、とにかく今回はVienna Passとバスや電車などにも乗れるPassを前もって買っておいたので、それを有効利用すべく動きました。

初日はレオポルド美術館。前回も行ったのですが、私の大好きなウィーン世紀末の画家たち、エゴン・シーレやクリムト、ココシュカなどの作品が満載の美術館なので_。エゴン・シーレの描く独特な世界と渋い色合いに目を奪われます。若くして病死してしまったけれど、もっと長生きしてたらどんな作品を描いていたんだろう…。彼は1918年に始まったスペイン風邪が原因で亡くなったのだそうだけど、それからほぼ100年後の今、Covid-19でパンデミックが起きているのは何かの偶然かしらねぇ…。スペイン風邪では世界の人口の25〜30%が感染して4千万人から5千万人が亡くなったって…。考えただけでも恐ろしい。歴史ってそういう流れなのかなぁ。この記事をなかなかアップロードできなかったのも、こんな状態で自分の楽しかった記憶を辿るのがしんどいというか_。でも記憶はどんどん遠のいていくので、新鮮なうちにとは思いながら…。

 

そしてこれはクリムトの作品。
 

 

そしてココシュカ。マーラーの妻、アルマ・マーラーの恋人だった人。ボストン美術館には彼女を描いた作品がありました。

 

ゆっくりと絵を見た後、美術館のカフェテリアへ。ここのカフェは依然と違ってAsian tasteのカフェになっていて、お寿司やタイ風のカレーがあり、お箸がテーブルに並んでいました。そして、このビール、”エゴン・シーレ ビール”です。ちょっと興奮。

午後からはシェーンブルン宮殿の庭にある動物園へ。これはマリア・テレジアの夫が創った、世界最古という歴史的な動物園。動物を眺めながら食事をしていたというなんとも優雅なお話。宮殿の庭はこんな時期だというのに花が咲き、木々が美しく刈り込まれていました。

動物園は広大な庭の右の奥にありました。


もう夕方近くになっていたけれど、思ったほど寒くなくて、結構動物たちは活発に外で歩き回っていました。”お散歩したり食事をしながら見るために動物園を造ろう”というその発想がすごい!フツーの人じゃないんだなぁ、やっぱり。

二日目はマーラーと彼の妻のアルマ・マーラーのお墓へ。今回ベルリンフィルでマーラーの交響曲3番を聴く事ですし、ウィーンに寄った理由の一つがこのお墓参り。マーラーは51歳と比較的早くにウィーンで亡くなっていますが、妻のアルマさんは85歳でニューヨークで亡くなっています。でもお墓は二人ともグリツィングという地域にあるグリツィング墓地にあるというので、電車とバスを乗り継いて行ってみました。

広大な墓地を迷う事10分以上。そして入り口にお墓の地図があって、有名人の名前が書いてある事を発見。ようやく発見。

まずはマーラーさんのお墓。

とてもシンプルなもので、お墓に誰がのせるのか、石が山盛りでした。

そしてアルマさんのお墓はその裏側。近いんだけど、ちょっとずれた背中合わせ。

音楽家として、あれだけのすごい曲を作り続けたマーラーと妻のアルマさん、二人はどんな人生を一緒に歩いたのかしらねぇ。そしてマーラーの死後、ウィーンの世紀末の画家たちに愛されながら、自分の人生を駆け抜けたアルマさん。ちょっと憧れてしまう…。そんな二人がここに眠る…。

これでマーラーの交響曲3番を聴く準備万端!

 


2度目のグラナダ

2019-09-15 | 旅行

この春、夫がバルセロナで学会があるというので、それじゃぁもう一度ぜひグラナダへ、ということで行ってきました。前回9年前に行ったのは9月でした。それでもとても美しかったと記憶しているのですが、上のライオンの噴水が修復中で見ることができませんでした。この場所が全て工事中のように幕がはられていました。それが悔しくて、いつか是非、と思っていたのがようやくかないました。そして、季節は春。王の夏の離宮として使われたヘネラリーフェの庭は、こんなにも美しくなるものなのかと思うほど、庭中が花盛りで生き生きとしていました。

 

 

 


12頭のライオンは、昔は口から水を吐き出していたのだそう… このアルハンブラ宮殿は本当によく水を美しく利用してできている。この時代、水を制するのものは、世を制すると言われていたらしく、その通り、この宮殿の王は水を見事に利用して優雅に美しく暮らしていたよう…。水洗トイレまであったというから驚きです。

 


漆喰でできた壁や天井が美しい…


グラナダの街の中の街路樹の多くはオレンジの木で、オレンジがたわわに実っています。そのせいか、ここで飲むオレンジジュースの美味しいこと!こんなオレンジの木が一本でも良いから欲しい!! 

そしてホテルはやはりアルハンブラ宮殿の一部で修道院だったという建物を使った、Parador de Granada。今回は2泊、スペインのParadorの宿泊ウェブサイトで思ったよりも簡単に取れました。


花がたくさん咲いてはいましたが、前回来た時とほとんど変わらない庭。


窓から見える景色が下の写真。窓の左下はレストランで、藤棚が美しく外のダイニングを覆っていました。


バスルームも広々としてとても機能的で使いやすい。

そして、ここのレストランも素晴らしいのです。


軽い食事としてタパスのようなものをいただいた夕食。このサラダはツナサラダですが、ボリュームたっぷりですが、新鮮でとても美味しかったです。

そして予約しておいたコースディナーは…


全て美しくて美味しくいただきました。
ホテル内にある美しい中庭。これも以前きた時とほとんど変わりなく、それがまた嬉しい…。

前回行かなくて後悔した作曲家ファリャの家に、今回は絶対に行こうと思っていて、なんとか探し当てて行きました。

 
でも記念ホールは開いていましたが、彼の家は閉館していました。残念。今回もダメでした。次回こそ予約して行かなくては…

9年前の思い出を辿りながら巡る旅は、あの頃とまた違ったものが見えたりしてなかなか面白い…

 

 

アイルランド ダブリン2

2018-08-13 | 旅行

学会が終わった後の最後の日は、世界遺産のボイン渓谷とタラの丘に行くツアーに参加しました。日本語のガイドのあるツアーを申し込んだのですが、なんと参加者は私と夫だけ。完全貸切ツアーとなったのでした。日本語のガイドさんをお願いすると、よくこういうことがあります。しかも日本人のガイドさんというのは、結構痒いところに手の届くような案内や行動をしてくれる方が多いので、本当にありがたいのです。やっぱり日本人って良いなぁ、とそういうときはしみじみ思うのです。今回の森谷さんという方も色々勉強されていて、多方面に知識を持っていらして、とても面白かったです。


ボイン渓谷の眺め。まるでおとぎ話の絵のようです。
そしてこんな景色の中に5000年前に作られたという巨大な古墳が点在しています。5000年前というのは、エジプトのピラミッドよりも古く、インカ帝国の遺跡よりもさらに古いのです。

 
ニューグレンジという古墳。この不思議な渦巻き模様のある入り口から中に入ることができます。
中はとても狭い通路になっていて、多分10数メートルくらい進むとちょっと広い墓室があります。天井はびっしりと大小の石で組まれていて、一滴の水も漏れて来たことがないそうなのです。そしてもっと驚くことは、入り口から墓室まで、計算し尽くされた緩やかな傾斜になっていて、普段真っ暗な墓室が、冬至の日には太陽の光が真っ直ぐに墓室の中を照らすように作られているのです。一体こんな精巧なものを5000年前に誰が作ったんでしょうねぇ。私は思わず「宇宙人説」を考えてしまいました。考えることは皆さん同じらしく、空想が空想を呼び、ガイドさんと話がすっかり盛り上がりました。天文学的知識と、この模様、積まれた石(総重量が20万トンを超えるそうな)、一体誰がどうやって??? 

次に訪れたのは、モナスターボイス。とても古い屋根のない修道院跡とその辺りは墓地。人の墓の上を歩き回るというのは、ちょっと不謹慎なような…、でも教会なんかはみんなそうなのよねぇ。


その墓地の中にたくさんのアイルランド独特のハイクロス(ケルト人が信じていた神とキリスト教が合体したクロスだそうな)が立っています。これはその中でも模様がとてもよく残っている美しい背の高いハイクロス。


"Station House Hotel" ランチをいただいた、レストランですが、この建物、名前の通り、昔は駅舎だったのだそうです。

中もおしゃれに改装されていて、結婚式のレセプションなどにも使われているようでした。

 

ランチを食べた後はいよいよタラの丘。後で知ったことですが、「どこかで聞いたことのある名前だなぁ」と思っていたら、やっぱり「風と共に去りぬ」のスカーレットの故郷の農場の名前がタラなのです。で、あの作者のマーガレット・ミッチェルさんはやはりアイルランド人で、故郷のこの丘の名前をつけたのでした。確かスカーレットのお父さんもアイルランド系の人っていう設定だったような…


昔、ケルト人が作ったこの辺りの国の王様は、代々この石を触ることによって、石が王様の名前を呼べば、国王になれたそうな…。ということで、この石はとてもパワーのある石で、この丘は「タラの丘」としてアイルランド人の心の故郷になっているのだそうです。なので、私も夫もナゼナゼして見ましたが_、何も起こりませんでした。ところが、その夜、なぜか、どうしたことか、私も夫も興奮状態のようになり、私など心臓がドキドキしてしまって、全く眠れなくなってしまったのです。パワーに当たったのでしょうか…。こういうことに関しては、かなり鈍感な方なのだけれどなぁ。いろいろな墓地も歩いてきちゃったし、何か持って帰って来ちゃったかしらん。

このツアーの後、ホテルに戻る途中、川沿いに新しいEPIC『The Irish Emigration Museum』という斬新な建物の博物館があり、気になっていたので入って見ました。これはアイルランド人がこれまで世界中に進出して(移民して)行った足跡をたどった博物館でした。ものすごいITを駆使した展示で、なかなか楽しめました。そして、ラストネームにO'がつく人、(オコナー、オサリバン、オニール etc.)や、Macがつく人(マクドナルド、マクゴウェン、マクギャバン etc.)はほとんどアイルランドからの移民だとのこと。我が家の娘の夫くんのラストネームDoughertyもアイルランド系。考えて見たら、私の周りにもいっぱいいますが、世界中で活躍してる有名人もたくさんいることがわかりました。いやはや5000年前からあんなにすごい天文学を駆使した穴なんかを作っちゃっていたんだもの、偉人がたくさんいてもおかしくないわねぇ。アイルランドって予想をはるかに超えて見応えのある、面白い国でした。

 

 

 

 

アイルランド ダブリン

2018-08-03 | 旅行

アイルランドの首都ダブリンに行って来ました。私にとってはほとんど知らない国。イギリスの隣にある、かつてイギリスに支配されていた国くらいの知識でした。なので、特別な期待もなく、夫の学会にいつものように金魚のフンのごとくついて行きました。

テンプル・バーの通り。若い人がたくさん。ほとんどパブやレストランばかりが並んでいる通りなのですが、なぜかものすごい観光客。


最初に訪れたのはアイルランド最古のカレッジ、トリニティー・カレッジ。


ロングルームのあるオールドライブラリー。ここにはアイルランドの最高の宝と言われている「ケルズの書」が300年以上も前から保管されています。
知りませんでしたが、これは牛150頭分の皮を使って作られた、とても豪華な装飾が施された4つの福音書で、このオールドライブラリーで見ることができますが、残念ながら撮影禁止で、写真は撮れませんでした。

 
ここがロングルーム。足を踏み入れて、この迫力にびっくり。上から下まで部屋中が全部本です。でもなぜか落ち着く。いつまで居ても良いような… 世界中の人間が残して来た足跡に囲まれているような、不思議な気分にさせてくれました。ちなみにここはスターウォーズの場面にも出てくるのだそうです。


カレッジの裏の方にローマのバチカン宮殿の庭で見たあのグローブと同じ作者(Arnaldo Pomodoro)の作品がありました。

そして夫の学会が始まる前日、二人で「ギネス・ストアハウス」に行きました。

 

 
ギネスビールのトレードマークのハープ

 
かの濃厚な黒ビール、ギネスビールの工場の中にあって、ギネスビールの歴史などを色々な形で紹介し、見学の最後にはビールの注ぎ方を学んで、サーティフィケイトをもらい、おまけに結構な大きさのジョッキで試飲ができます。

 

ホテルから歩いて行けるところにアイルランド国立美術館があったので、一人でふらりと出かけてみました。入場無料でした。


私の好きなブリューゲルの絵を発見!


カラヴァッジォの"The taking of Christ" すごい迫力でした。


フェルメールの"Lady writing a letter with her maid" 窓から入る光が柔らかで、本当に美しい。


フェルメールの作品に出会ったのはこれで何作目だろう。予期しないところでこんな風に出会えるなんて_下調べもしないで行く私も私だけど。すっごく得した気分。

 

 
吹き抜けの廊下にあった白木のスラリとしたオブジェ。

当然ですが、アイルランド出身の作家の作品がたくさんありました。Jack B Yeatsもアイルランド人だったと初めて知りました。

 


モーツァルトの街、ザルツブルグ

2017-12-17 | 旅行

ローマの帰り、ザルツブルグに寄りました。ザルツブルグは小さなとても綺麗な街で、モーツァルトが生まれた街、音楽の街です。そしてサウンドオブミュージックの街です。

 
泊まったホテルはHotel Sacher Salzburg。部屋に入るとテーブルの上に美味しそうなチョコレートケーキと飲み物が用意されていました。お腹が空いていたので写真も撮らずに食べてしまってから気がつきました。このケーキが「ザッハートルテ」であることに_。そうなのです。私の大好きなチョコレートケーキの元祖、ザッハートルテ、それはこのホテル(ウィーンにもありますが_)が発祥の地だったのです。知りませんでした。 ザッハートルテは朝食のバッフェにも他のケーキと一緒に出てきます。他のケーキも美味しかったです。お土産に買って帰る事もできます。


ホテルのカフェの壁にあったカラヤンの肖像画


ホテルの隣の建物はカラヤンの生家。父親が外科医だったというその家はかなり立派な建物で、裏庭に指揮をしているカラヤンの像がありました。この街で生まれて育ったっていうことが、彼の人生にどんな風に影響したのかなぁ。やっぱり影響は大きいはず。


ホテルを出て、裏に流れるSalzacg川を渡ると旧市街のGetreidegasse。色々なお店がびっしりと並んでいて、ウィンドウショッピングが楽しい街です。それぞれのお店の上にぶら下がっている看板が可愛い!


通りを抜けると建物に囲まれた広場に出ます。その建物の一つがモーツァルトの生家。正面は広場の裏側になります。


モーツァルトの生家。なかなか立派な建物です。中は撮影禁止だったので、残念ながら写真がありません。でもずーっと遠い昔のヒトだと思っていたのに、こうして生まれた家、生活の様子などをみると、ベートーベンの家に行った時もそうだったけど、妙に身近に感じるのです。確かに天才で、17歳までここに住んで、それでもすでにいろいろな曲を何曲か作曲したらしいけど_。ここで同じように息をして、食事をして、この家の中を歩き回っていたんだなぁ、なんて_。

ミラベル宮殿(大司教の愛人のためにつくられた宮殿なのだとか…)
広大な庭園を持つ宮殿です。サウンドオブミュージックにはここでの場面が いくつも出てきます。とても美しい庭でした。


ペガサスの泉とミラベル宮殿


ペガサスの泉ーサウンドオブミュージックの中で子供達がこの周りをぐるぐる回ります。
下は子供達がこの中をくぐるシーンあります。 

この宮殿内で夜コンサートがあるというので行って見ました。


この日はモーツァルト、シューベルト、ハイドンの曲が演奏されました。この室内楽のオーボエ奏者は日本人の女性で、なかなか良い音を出していました。

ザルツカンマーグートを回るツアーに行きました。ここはサウンドオブミュージックの舞台になったところが数多くあります。
とにかくどこを見ても美しく、ただただため息をつきながら写真を撮っていました。そんなわけで、どこがどこだかよくわかりません。それでも美しい… 


ヴォルフガング湖は船で渡りました。

建物と花の色合いがとても美しい。こんな風にいつも花を家に飾っていたいものです。

 


ヴォルフガング湖のそばの市庁舎とその前に立つ幼いモーツァルトがバイオリンを弾く像


サウンドオブミュージックで結婚式に使われた教会。マリアがなが〜いベールと共にここを通って行くシーンは今でもあの曲と一緒にしっかりとよみがえってきます。

 
これがあの「Sixteen going on Seventeen」や「Something Good」が歌われたガゼボです。最初の場所から移転しているそうですが_。

そして最後の夜はオペラ「ホフマン物語」です。ホテルに到着した夜、すぐそばのオペラハウスで「ホフマン物語」の広告が出ていたので、すぐにインターネットでチケットを探して席を取りました。とは言ってもドイツ語だけのウェブサイトだったので、フロントの方にお手伝いいただきました。夜遅くにお世話になりました。

 


久しぶりに見たホフマン物語。なかなか斬新で面白かったです。やっぱりいい曲です。

ずーっと憧れていたザルツブルグ。たった3日間で、おまけに1日は雨でしたが、それでもとても美しく、室内楽のコンサート、オペラと二つも飛び入りのイベントが入り、いろいろな意味で内容の濃い旅になりました。

 

 


ローマへ 3

2017-12-16 | 旅行


サンタンジェロ城の屋上から見たサン・ピエトロ寺院

ローマ最後の夜は、懇親会ということで、サンタンジェロ城を貸切ったパーティーが行われました。これがまた音楽付きのゴージャスなパーティーでした。


ゲートをくぐるとすぐに美しい音楽が流れて来ました。


階段を上がるとダブルベース奏者のソロ演奏。


美しい部屋の中ではヴァイオリンとギターの演奏。

 
さらに階段を上がるとまた別の装飾の施された美しい部屋とバグパイプのような珍しい楽器の演奏。


屋上では、室内楽を聴きながら、そして美しいローマの夜景を見ながらシャンペンをいただきました。

今回のローマの旅は、私にとってはとてもラッキーな素晴らしいものでした。学会に参加している夫にとっては講演をしたり、セミナーに参加したりと大変な思いをしているのでしょうが、こんな学会には大いに参加していただきたいものです。ホントにゴージャスな素晴らしいパーティーを企画していただき、金魚のフンの分際ですが、感謝感謝です。

ローマはやはり素晴らしい街です。まだまだ見たりません。紀元前から栄えた街_そして永遠の時が流れる街_。また訪れたいものです。