懐石料理
今日はゴージャスなランチをいただきました。そう、これ、懐石料理のランチです。実はもう一品、揚げ物があったのですが、写真を撮るのを忘れて食べてしまい、気づいたときはもうおなかの中にありました。
関西の料亭で8年間ほどシェフとして修行をつんだあと、考えるところがあって仕事をやめ、アメリカを旅行しながら懐石料理を紹介したいという“やぶいともかず氏”が我が家に来て懐石料理を披露してくれました。かなりの部分は彼が前日仕込んだものを持ってきて、暖めなおしたりしていましたが、それでも寿司を作るところや、飾りつけなどを目の前で見せていただいて、懐石料理とは一種の日本のアートだと思いました。
一品、一品手を抜くことなく、彩り、香り、風味に気を配り、さらに客の顔色、気分を慮りながら出す料理。それが懐石料理の真髄らしい。な~んて奥の深い料理だこと。そこまで考えて出された料理は、さすがにパクパクとは口の中にほおりこめなくて… こちらもじーっと吟味して、よ~く味わっていただきました。我々日本人にはこのお客に対するシェフと料理のふか~い思いやりっていうものがさすがにスルッと伝わるし、「いやぁ~美しくて、口にいれるのがもったいない」なんていう気になるものなのですが、しかし、ここはアメリカ。ともかず氏がこれまで数箇所でアメリカ人を対象に懐石料理を披露したところ、「パパッ」「ペロッ」「はい、次!」というかんじで、アピタイザーのごとくに一連の料理を食べてしまい、「で、メインは何かな?」という雰囲気になってしまったといいます。お皿にこんもりと盛られた料理に慣れている人間に、この「試食かな?」くらいの量がのっているお皿は物足りないらしい。そうよねぇ、理解できないわよねぇ、こういう言ってみれば「美を楽しむ食事」なんてねぇ。最近までどちらかというと質より量で、味だって関係ないような食文化だったんだから。今ようやくハンバーガー、ホットドック、ピザだけが食事じゃないということが広まりだしたところ。確かにニューヨークなどの大都会では「Nobu」みたいなお店が西洋懐石のような料理を高~い値段でだしてるけれど、まだまだ一般的じゃないし。どこの日本料理のお店もアメリカ人好みの味で盛りが多めになってるような気がする。でもともかず氏のような人がどんどんアメリカに来て、日本の美しい文化、味だけではなくて、お客とシェフとの食べ物を通した交流、気遣いというのが理解されるようになるとよいなぁ、とつくづく思いました。ちなみにナイショ話ですが、格式ある懐石料理のお店で、「おかわり」は許されるのかどうか… 一通りのお料理をいただいた後、どうしてももう一度ということなら、かまわないということでした。シェフがお客のおなか具合を見計らいながら出していく懐石料理。客もシェフの気持ちを大切にしながら味わいたいものです。いやぁ、口だけでなく、目と心もおいしゅうございました。ともかずさん、ごちそうさまでした。
(Houston)春!