並木さんの講演会の記録です。よかったら、ご参考までにどうぞ…。
2019.12.15 六芒星のクリスタル
心臓ってコネクター、暖気を出す、寒気を出すことができる。
最近本当に極化が進んでいる。
アセンション、言葉が先歩き、誤解がある。
単に、僕たちが元々神聖な全てを知っている完全な意識で、深い眠りを探索・探求したかった、自分の意志で降りてきた、それがディセンション・次元下降。
もともと自分がすごく高い意識だったと思い出すのが、アセンション。
シンプルに自分の本当の意識を思い出す、ディセンションして自分が下げた波動をまた上げること、ただこれだけ。特別なことは何もない。
自分の深いところにある宇宙の真実だったり、知恵だったり、叡智だったり、そういうものを思い出して、もっともっと本質をちゃんと見ていくことが出来る鑑識眼であったり、認識力を養っていくということに、実はテーマがある。
非難とか批判・ジャッジが溢れているというのは、ある種いいこと。
もう少しでエゴの壁を突き抜けて、その先の真実につながって行こうとしている。
真実のあなたの高いエッセンス、ここに来る前に保っていた意識状態。
神聖なる意識状態、すべてを知って、なりたいものになれて、やりたいことをやれて、すべてが可能、すべての情報とつながっている、そういう意識に戻っていくには、エゴの壁を突き抜けていかなければいけない。
厚い雲が覆っている、その向こうに太陽が輝いている、それが本当の自分。
今は厚い雲、自我の壁をつきぬけようとしている。
この中にズボズボズボッて入って行きます、すると一番低い感じたくない周波数、罪悪感、劣等感、羨望、嫉妬とか、本来の僕たちにはなかった意識、ここを突き抜けていくことになる。
ここに取り込まれて引っかかってしまうと、…その先にちゃんと意識を向けられている人はいいの、そういうのが出てきても、それに取り巻かれることなく、ちゃんと自分で対処できるから…、でもそうじゃない人たちはそこに取り込まれます。
そして、自我っていうのは正しいとか間違っているとか、嘘とか本当とかが大好き。判断に取り込まれてしまって、非難・ジャッジが正当なこと、当たり前と思ってしまう。自分の都合のいいように。正義とか振りかざす。
同じように感じていて取り巻かれる人は、波動の法則、同じ周波数のものが共振して集まっていく、共鳴するものを持っていると、非難する人がうわーって集まって、「そうだ、そうだ、そうだ」となっていく。
これはレムリア、イエスの時代にも起きていたこと。
イエス、教えを説いたのは3年ほど、それまでは自分自身の探求に意識を向けていた。
この地上に肉体を持ちながら源とのつながりを思い出すことが出来るか、そういうことの探求を日本に来たりインドに行ったりあらゆる場所に行って、…自分の奥深い叡智に触れたときに、そろそろこの自分の深い叡智を人と分かち合おうと、約3年ほど、いろんな街を歩きながら、弟子たちと共に、宇宙の心理を教え、彼自身が到達した知恵や叡智というものを伝え始めた。
最初はみんな何言っているのかわからない、そんな時代もあった。
でもこれがきっと真実に違いないと、みんな深いところに真実のエッセンスを持っているでしょ。だからイエスが真実の音を出すと、自分の深いところに持っているものと共振して、何だかわからないけど動く、しっくりくる。動くものがあると、もっと聞きたいとイエスについてくる人が後を絶たなくなった。
こうしてだんだんイエスが光を話すと、光を話すことが気に食わない人が出てくる。この光を何とか抑え込もうとしたり、引きずり降ろそうとしたり。
それはいつの時代にも起きていて。特に、世の中が大きく大変化していくとき。
集合意識が、何を経験するかを決める。
僕たちがまだまだ「眠っていたい」が、イエスの時代は圧倒的に多かった。
地球の歴史はずっと戦いの歴史、水ではなく火の惑星だった。
これから本当の意味で水の惑星になっていく。
火で起こしていたものを全部手放していく必要がある。
暗雲を抜けていくときには要素にぶち当たる。
今はその先が見えかけている時代、イエスの時ほど深い眠りではない。違うことが起きようとしている。
まだまだ深い眠りに寝てたい人たちがいると、いろんなところに障る。
大義名分をつけて、正当化してジャッジ・批判・非難が始まったりして、スムーズに目を醒ましていくことをおさえる動きが出てくる。
正義とか悪とか、コントラストをなしているのがこの次元。片方がクローズアップされてくるともう片方もクローズアップされてくる。
でも二極の分離されている光の方に戻って行こうとしているのではなく、本当の真実の光というニュートラルなところへ戻ろうとしている。
これは全然、二極とは全く性質の違う、本当の意味での光。
この光を自分の中に戻していくのに、この六芒星がすごく役立つ。
自我エゴの壁を本当に抜けようとしていて、でもここで多くの人たちが引っかかっています。
ここを突破できる人たちがいっぱい出てくるから、この先があるんだと気づく人たちが出てくる。
ひとりでも多くの人たちが、このエゴの壁を突破していくことが、とても求められている。
非難・批判・ジャッジがやってきたときに、そこで「そうだ、そうだ、そうだ」って徒党を組んでいくやり方は、いじめと同じ。
このエネルギーが増大して戦争を起こす。ずっとこうやって戦いの歴史を作ってきた。
本当の調和に行くと、そういうことは起こせないから。
エゴや自我の壁を突破できたら、この明るい太陽の世界に入ってごらん、もうなんてすばらしいんでしょう、重さは一切ない、ピーカンになっちゃう、晴れのち晴れ。
目が覚めていくとどうなる?
明るい光の中にいる自分に繋がって、軽やか、人のことなんて視界に入ってこなくなる。
冬から春、夜から昼。
二極化が起きていて180度変わろうとしている。
同じ地球にいるのに全然違う生き方。目を醒ましていこうとする人と、眠っていこうとする人の捉え方は。
接点が持てなくなる。
目覚めは、アセンションではありません。
2020,2021のゲート・道って言っているのは、目を醒ましていくプロセス。
ちゃんと今何が起きているのかに気づいてください、ちゃんと耳を傾けて。
僕の話に違和感があれば僕から離れてください。もっとあなたに一番しっくりくる方法で、その先に行けばいい。
心の声を頼りに。
しっくりくるというのは、ハイヤーセルフから真実というサイン。ここにジャッジなんて存在しない、自分の心の声に従って行く。
これが自分軸で動くということ。
僕が言っているから…になってしまうと、これは他人軸
これが罠みたいになっている。僕がじゃなくて、皆さんの自分軸で行ってください。
もしもしっくりくるというのは、あなたにとって役に立つということです。
真実か嘘かではなくて、私にとって役に立つかどうか、これだけに集中して、ブレなくなるから。
Aさんの話の中でどの部分が役に立つか、BさんもAさんとは違うけどここはBさんがしっくりくる、これがあなたにとっての真実。ピースが合うように完成していく。
せっかくあなたの自我・エゴの壁を破ろうとしているのに、引っかかってしまったらもったいないでしょ。
だんだん自分に一致していくと、自分の真実からブレなくなる。それ以外のことを語ろうとすると吐き気がしてくる。
すると非難・ジャッジ・バッシングされることがある。
それが痛くて耐えられない、(だからといって場面によって態度を変えていると)分離をさらに深めてしまう、見失ってしまう。現実にもいっぱい歪みを生み出す。
外ではなく、自分に意識を向けること、大切なのは。自分軸に戻る。
わがままはいけないんじゃないかと言うが、自我の壁を越えていくと、わがままの壁を抜けていくと、本当の自分、調和、愛に至る。ここで初めて本当の全体をとらえることができる
本当の自分にこだわっていくから。
今まで外に意識を向けて眠ってきたから。
自分が使ってきた地球の周波数、スクリーンに映像を映して体験してきた。
外に意識を向けるベクトル。
僕たちは周波数しかない、全部周波数が投影された世界、全部イリュージョン。
我を忘れて没頭して、臨場感を感じる体験をしたかった。
パワフルな意識をものすごい勢いでスクリーンにぶち込んで、錯覚して体験してきた。
自分に戻って行こうとしたら、意識を全部自分に戻さないといけない。
全てとつながっている意識、全部全てが自分自身だった、あなたは私、ワンネスの意識に戻っていく。すべてのつながりを思い出して、全体を考えることが出来る、まるで我がことのように感じられる
外を気にしながら、本当の調和でないところで調和しようとするからおかしくなる。
外を向いているからそうなる。大学教授が言っている、弁護士が言っている…そのベースにあるのが、自分には何もない、無価値感、劣等感。
自分が言ったり、閃いたり、自分が感じたことっていうのは、あの人たちに比べれば…とか、いろんな形で自分自身から出てくるものを否定する形になる、無意識レベルで。
言いたいのは、あなたは外に意識を向けるからそれが生まれるんで、あなたが自分に意識を向けていると、分離ではなく、統合のつながった意識でいると、戻っていると、すごく自然。
こっちに意識を向けると眠る、こっちに向けると目覚める。ただこれだけ。ここには何の複雑さもない。
最初はわがままなんじゃないか…とか出てくるけれど、その先に意識を向けてごらん。
雲があったら、その先の太陽に意識を向けて、
自分の外にブワーッと広がっている、ハイヤーセルフとか宇宙意識とかいろんな言い方があるけど、そこに向かって、
私は、出てきている地球の周波数を手放して、拡大して広がって、つながっていく。これだけなんだからね。
握っている地球の周波数を、手放して、広がって、つながっていく。
またもし握っているものに、あるとき気がついたら、手を放して、広がって、つながっていく。
また握っているものに気がついたら、手を放して、広がって、つながっていく。ただこれだけ。
何も難しくないの、わかりますよね。
この眠りのあり方は複雑さを良しとします。複雑さが眠りだったの。複雑にしないと気が済まないわけよ。やってる感じが出るでしょ。
あなたが本当に目を醒ましたかったら、中途半端をやめて、自分に向くの。
何が自分の中に出てきても、これは自分の中で自分自身のものなんだ、例えば相手をジャッジしたくなったり、論破してやりたいとか、暴いてやりたいとか、
そうなった時、深い眠りが出てきているんだなと捉えて。
人や何かにぶつけるんじゃなく、くっつけるんじゃなく、使っていた周波数を手を放して、広がって、つながっていくところに立てば、あなたは目を醒ますから。
で、僕の言っていることがわかります、どういうことを言っているのか。その先の広がりっていうのはこういうことなんだって、ちゃんと自分で見えてくるから。
今はまだ見えるってところまで行ってない人も、いっぱいいますよね。だから本当にそんなのがあるんだろうかって、疑いの方が先立っちゃったりする。
あなたがこのシンプルな在り方を自分のものにさえして行けたなら、あなたはその先の本当に広がりを垣間見ることが出来るようになります。
ちょっとでも見え始めたら、「あ、確かにある」って、その先に行くことが簡単になる。
雲からちょびっとだけ光が漏れて、「あ、確かにあるんだ」ってなったら、簡単になる、手を放していくことが。
まだ見えないところにいると、仲間が「違うよ、その先は無いよ」とおろそうとするの。
…というのが本当に今起きていて。
「その先に、もう私は行くから」と行っちゃう人は、うわーっと体験が始まる。
2021年の冬至を超えて、本当に分かれ始めていくときに、本当に抜けたって感じられる。なんか全然、空気感が意識が違うって、絶対に分かるから、あなたがこっちを選んでたら。
そうなっていくとき、宇宙は決めたことしかバックアップしてくれないから、目を醒ますなんて決めたら強力にバックアップして、目覚めないなんてあり得ないとなっちゃうわけ。
そうすると本当にあなたは、開けているその光の世界で、本当にいつも自分が言っている、やりたいことをやり、なりたいものになり、行きたいところに行き、「ああこんなに自由に生きられるんだ」ということをどこまでも探求していくことになります。
でも眠りを選択しちゃうと、今までのがもっと深くなっていくから、そっちも宇宙が超バックアップしてくれるから。
もっと深く眠るようになる。見ていることがイリュージョンなんてこれっぽっちも思わなくなる。「これはもう確実に起きている現実だもん」と。目覚めっていう言葉とか、急速に意識からそれていくの。全然違う方向に行くということだから。
たくさんの人たちがワーッと来るんだけど、たくさんの人たちがワーッと外れるんだから。
その人がちゃんと目を醒ますというラインに立ち続けていればいい…こっちの道がいいんだよね。
そうじゃなくて、目覚めのラインからゴロンて転げ落ちちゃう人たちが、いっぱいいるの。
えせの五次元、ピラミッド構造にかっさらわれていく人が、出てきているの。
情報がいっぱいでしょ。
私にしっくりくるのはどこなんだろう、私が納得できるのはどこなんだろうっていう風に、その「人」だとか「内容」というよりも、あなたがその音が真実として響いているかちゃんとチェックする。
そうするとあなたは捉えることが出来るから、もともとあなたはパワフルなんだから、ちゃんとできるから。
でもここを取り間違っちゃうと、全然違う方向に、望んでいない方向に行っちゃうから。
それだけ気をつけて。
自分の身近にいる人たちもずれてっちゃう時代、今って。
こういった探求をやってきたはずの人たちが、ずれていってしまう時代なの。
本当にあなたが自分に注視していないと、人のことになんて意識を向けている余裕なんてないんだから、それは僕も同じ。
だから自分に意識を向けるんだよって、腐るほど言ってますよね。
こここは本当に分かれ道です。
人のことはほっといて、その人が選んだ道を本当に行くだけだから。
あなたが目を醒ましたいんであれば、ここがとても大事なポイント
高次の存在も一緒。なんで僕たちをバックアップしてくれているかというと、彼らもこの道を通ったの。どこに引っかかりやすいかを知っているの。こういう情報使ってみて、こういう方法やってみてってサポートしてくれている。いろんな方法がある。例えばシリウスのサポートの仕方とプレアデスのサポートの仕方は違うの。
「私はプレアデス式はちょっと…」とかさ、「シリウス式がいい」とかさ、あるから。そうしたらそっちを使ってあなたの道を行けばいい。
でも結局は向かう先は同じだから。富士山の頂上だから。行先は同じでも、道は違うというのがある。
でも行く先が違っちゃったら、それは行けないんだよということ。全然違う方向に行っちゃったら、これはもったいないじゃない、ここは頭に入れておいてね。