出身地:サマール 5人兄妹の長女
13歳の時に叔母に引き取られマニラへ。両親はサマールで漁師の小間使い。
アロナは長女として生まれた。目の大きなパッチリとしたもの静かな女の子。16歳といているが15歳だとおもう。
ある日曜日、洗濯をお願いしているメイドが連れてきた。日曜日半日で仕事を終え叔母の家に戻ったら、叔母に米代を稼いで来いと追い出され、米代を稼ぐまで帰ってくるなといわれメイドのうちへ泣き泣き駆け込んだようだ。
メイド曰く売れ先を探してください。すなわち売春して金を稼ぎたいとの事だ。
アロナの体、特に上腕部に青いあざが。このフィリピンでは決して目面しい事ではないのだが見るからに打撲アザだ。
とにかく事情を聞いたが口を割るばかりか、何気なく怖気ついている様子。
冗談を言いながら、缶コーラを与えた。
アロナ「このコーラもって帰って良いですか?」
PP「良いけど。飲めば良いんじゃない。」
アロナ「サーヤン ポ」
PP「どうして?問題ないから飲みなさいよ。」
アロナ「叔母が怒るから」
PP「どうしてコーラを飲むと怒るの?」
アロナ「おばの子供のお土産です。」
PP「別にあげるから飲めば良いでしょう?」どうやら叔母に対して非常に恐怖感があるようだ。
メイドと二人で癒してみた。だんだん打ち解けてきてポツリポツリと身の上話を始めた。
13歳の時に、両親が叔母に3000ペソの借金をした。その抵当にアロナが叔母の家のメイドとして働くことになり26時間掛けてバスでマニラへ出て来た。
着いたその日から休むこともなく朝の4時くらいから深夜1時くらいまで、掃除・洗濯・留守番・子守・用足しとこき使われた。睡魔に襲われ居眠りすることもある。その場を叔母に見られればビンタは当たり前、掃除・洗濯も同様その仕方が悪いといわれて箒で殴られる。とにかく暴力は当たり前の毎日。食事も、全員が終わった後に、しかも、炊事メードが終わってから。殆ど僅かのライスに、おかずは殆ど骨とスープ程度、時折魚の頭くらいが多かったとか。
働けど働けど、金などもらえるわけがない。田舎の両親から金の無心が相次ぎお願いすれば「未だ借金が残っているから自分で稼いで来い。」
そのような生活が2年間も続いた。あまりの過激な労働と栄養失調に15歳の時に高熱を出した。フィーバー程度と思った叔母、薬も与えずに休ませたが一向に熱が下がらない。仮病と勘違いした叔母、アロナに暴力を振るった。弱りきっている体に暴力、路上に倒れたところを近所の女性に助けられ療養、どうにか回復した。あまりの虐待に見かねた近所の女性、叔母に直談判アロナを見受けした。アロナは身請けされた近所の女性が経営するバクラーランの売り子として働くことになった。叔母と違い人間扱いしてくれる近所の叔母、ご飯も多少は食べられる環境。しかし、その労働条件は朝4時に起床、5時には店、仕事が追えるのは9時、自宅へ戻るのは10時30分を過ぎている。それから食事洗濯もろもろ。床に入るのは0時を回った頃。毎日3時間半くらいが睡眠時間。日曜日は半日、昼には自宅へ戻れるが、この日は凶暴な叔母の家で洗濯をしなければいけない日とか。休む日は年間殆ど0。
働く金、1日50ペソ。ジプニー代と昼食でほぼなくなる。たまには客からのチップもあった。こつこつと蓄えて年間に残った金額500ペソ。クリスマスに田舎の両親へ送金。このような生活を送っていた頃、通勤でよく会うお父さんほどの男性に可愛がられ、アロナも慕い始めていった。何時も帰宅する際に一緒のジープ。たまにはジョリビーでご馳走になったことも。アロナの幼心は恋心へと。
お父さんほどの男性と恋仲になったのは知り合ってから4ヶ月ほど経過した頃。オヤジ殿に言われるままに家に連れて行かれた。様々な電気がついた沢山ドアの並んでいる大きな家。番兵もあちらこちらで、家の中にはベッドが一個、テレビとクーラーがある家だった。アロナが奪われた日。おかしなことにお父さんほどの男性、終わったら金を払ってアロナと別方向へ行ってしまった。その日アロナは深夜2時過ぎに家に着いた。涙が止まらないほど激怒されタダ一人膝を抱いて寝たとの事。その日以来その男性の姿を見ることはなかったようだ。侵された場所はすなわちモーテルだったようだ。
過酷な労働、しかも休みなし。半日の日曜日は鬼叔母の家のメイド。
日曜日、たまたま叔母の家にあったご飯を叔母の娘と食べてしまった。これに激怒した叔母、その米代を稼いでこいと暴力を振るわれPPのメイドの家を訪ね相談したようだ。
PP専属メイド何を勘違いし、姉貴ぶったのか知れないがPPの家に連れてきた。
PPはメイドを激怒した。このような未成年者を何の権限で売春先を探すようなことをするのか。確かに同郷であっても意味合いが違うようだ。メイド曰く、紹介すれば手数料が入ることまで目論んで連れてきたようだ。
アロナから話を聞いた。幾ら稼がなくてはいけないのか?米10k分すなわち250ペソ。確かにこのマニラの給料からすれば1日分。アロナにしてみれば5日分にも相当する。
アロナに1000ペソ差し出した。何を勘違いしたかメイドはトイレへ入ったまま出てこなくなった。おもむろにアロナは洋服を脱ぎ始めた。
PP「このお金は貴方を買うためのお金じゃないよ。このお金は上げます。米を買って帰りなさいね。おつりは絶対に誰にも上げないでね。もしメイドが何か言ったら直ぐに連絡頂戴。」
アロナの目にきれいな一すじの涙が。
体重は35kgくらい。本当に痩せている。確かに洗濯の行き届いた清潔な洋服を着てはいるがなんとなく古さの感じられるもの。でも、このアロナの目には若年で虐待を受けてはいても決して嘘がないように思えた。
洗濯メイドには今後このようなことをしたら即刻契約を解除するとまで伝えた。でも意味分かってないな?????
月曜日の朝送信先のわからない携帯からメールが入った。「クーヤ 本当に有難う。頂いたお金のおつりと今までに貯めたお金でどうにかいなかに戻れます。マニラの生活は一生忘れません。でも疲れた。機会があったら叉会ってください。お元気で。」 このテキストで涙がボロボロ出た。
アロナ 叉テキスト頂戴。機会があったら合おうね。幸せにね。
このマニラでも児童虐待が問題視されている。
本当に売春の多い国、目先の必要な金、あるいは若年妊娠、結婚も出来ずにミルク代のため、遊興費、学費、テスト費用工面で体を売る女性が非常に多いこのマニラ。家族のために自ら売春宿へ志願する者様々だ。
最近はその年齢層も若年例層化してきている。何をしようがオヤジ殿、ジジィ殿の勝手、自己責任範囲内で遣れば誰にも文句は言われないのですが、未成年の処女を高額で買いあさるオヤジ、ジジィ殿。一寸は謙虚な気持ちを見せてあげてください。そして、紹介専門のママさん、ブガウに「ダイボウジ、モンダイナイ」といわれたら、それは全て反対のことと思われるのがこのマニラの生き方かも。
児童虐待、青少年育成条例違反等で検挙されないようお楽しみください。
◎ オネーチャン18といったら「シノガリン」。私は26歳といったら「35歳」と思えマニラの売春婦。
13歳の時に叔母に引き取られマニラへ。両親はサマールで漁師の小間使い。
アロナは長女として生まれた。目の大きなパッチリとしたもの静かな女の子。16歳といているが15歳だとおもう。
ある日曜日、洗濯をお願いしているメイドが連れてきた。日曜日半日で仕事を終え叔母の家に戻ったら、叔母に米代を稼いで来いと追い出され、米代を稼ぐまで帰ってくるなといわれメイドのうちへ泣き泣き駆け込んだようだ。
メイド曰く売れ先を探してください。すなわち売春して金を稼ぎたいとの事だ。
アロナの体、特に上腕部に青いあざが。このフィリピンでは決して目面しい事ではないのだが見るからに打撲アザだ。
とにかく事情を聞いたが口を割るばかりか、何気なく怖気ついている様子。
冗談を言いながら、缶コーラを与えた。
アロナ「このコーラもって帰って良いですか?」
PP「良いけど。飲めば良いんじゃない。」
アロナ「サーヤン ポ」
PP「どうして?問題ないから飲みなさいよ。」
アロナ「叔母が怒るから」
PP「どうしてコーラを飲むと怒るの?」
アロナ「おばの子供のお土産です。」
PP「別にあげるから飲めば良いでしょう?」どうやら叔母に対して非常に恐怖感があるようだ。
メイドと二人で癒してみた。だんだん打ち解けてきてポツリポツリと身の上話を始めた。
13歳の時に、両親が叔母に3000ペソの借金をした。その抵当にアロナが叔母の家のメイドとして働くことになり26時間掛けてバスでマニラへ出て来た。
着いたその日から休むこともなく朝の4時くらいから深夜1時くらいまで、掃除・洗濯・留守番・子守・用足しとこき使われた。睡魔に襲われ居眠りすることもある。その場を叔母に見られればビンタは当たり前、掃除・洗濯も同様その仕方が悪いといわれて箒で殴られる。とにかく暴力は当たり前の毎日。食事も、全員が終わった後に、しかも、炊事メードが終わってから。殆ど僅かのライスに、おかずは殆ど骨とスープ程度、時折魚の頭くらいが多かったとか。
働けど働けど、金などもらえるわけがない。田舎の両親から金の無心が相次ぎお願いすれば「未だ借金が残っているから自分で稼いで来い。」
そのような生活が2年間も続いた。あまりの過激な労働と栄養失調に15歳の時に高熱を出した。フィーバー程度と思った叔母、薬も与えずに休ませたが一向に熱が下がらない。仮病と勘違いした叔母、アロナに暴力を振るった。弱りきっている体に暴力、路上に倒れたところを近所の女性に助けられ療養、どうにか回復した。あまりの虐待に見かねた近所の女性、叔母に直談判アロナを見受けした。アロナは身請けされた近所の女性が経営するバクラーランの売り子として働くことになった。叔母と違い人間扱いしてくれる近所の叔母、ご飯も多少は食べられる環境。しかし、その労働条件は朝4時に起床、5時には店、仕事が追えるのは9時、自宅へ戻るのは10時30分を過ぎている。それから食事洗濯もろもろ。床に入るのは0時を回った頃。毎日3時間半くらいが睡眠時間。日曜日は半日、昼には自宅へ戻れるが、この日は凶暴な叔母の家で洗濯をしなければいけない日とか。休む日は年間殆ど0。
働く金、1日50ペソ。ジプニー代と昼食でほぼなくなる。たまには客からのチップもあった。こつこつと蓄えて年間に残った金額500ペソ。クリスマスに田舎の両親へ送金。このような生活を送っていた頃、通勤でよく会うお父さんほどの男性に可愛がられ、アロナも慕い始めていった。何時も帰宅する際に一緒のジープ。たまにはジョリビーでご馳走になったことも。アロナの幼心は恋心へと。
お父さんほどの男性と恋仲になったのは知り合ってから4ヶ月ほど経過した頃。オヤジ殿に言われるままに家に連れて行かれた。様々な電気がついた沢山ドアの並んでいる大きな家。番兵もあちらこちらで、家の中にはベッドが一個、テレビとクーラーがある家だった。アロナが奪われた日。おかしなことにお父さんほどの男性、終わったら金を払ってアロナと別方向へ行ってしまった。その日アロナは深夜2時過ぎに家に着いた。涙が止まらないほど激怒されタダ一人膝を抱いて寝たとの事。その日以来その男性の姿を見ることはなかったようだ。侵された場所はすなわちモーテルだったようだ。
過酷な労働、しかも休みなし。半日の日曜日は鬼叔母の家のメイド。
日曜日、たまたま叔母の家にあったご飯を叔母の娘と食べてしまった。これに激怒した叔母、その米代を稼いでこいと暴力を振るわれPPのメイドの家を訪ね相談したようだ。
PP専属メイド何を勘違いし、姉貴ぶったのか知れないがPPの家に連れてきた。
PPはメイドを激怒した。このような未成年者を何の権限で売春先を探すようなことをするのか。確かに同郷であっても意味合いが違うようだ。メイド曰く、紹介すれば手数料が入ることまで目論んで連れてきたようだ。
アロナから話を聞いた。幾ら稼がなくてはいけないのか?米10k分すなわち250ペソ。確かにこのマニラの給料からすれば1日分。アロナにしてみれば5日分にも相当する。
アロナに1000ペソ差し出した。何を勘違いしたかメイドはトイレへ入ったまま出てこなくなった。おもむろにアロナは洋服を脱ぎ始めた。
PP「このお金は貴方を買うためのお金じゃないよ。このお金は上げます。米を買って帰りなさいね。おつりは絶対に誰にも上げないでね。もしメイドが何か言ったら直ぐに連絡頂戴。」
アロナの目にきれいな一すじの涙が。
体重は35kgくらい。本当に痩せている。確かに洗濯の行き届いた清潔な洋服を着てはいるがなんとなく古さの感じられるもの。でも、このアロナの目には若年で虐待を受けてはいても決して嘘がないように思えた。
洗濯メイドには今後このようなことをしたら即刻契約を解除するとまで伝えた。でも意味分かってないな?????
月曜日の朝送信先のわからない携帯からメールが入った。「クーヤ 本当に有難う。頂いたお金のおつりと今までに貯めたお金でどうにかいなかに戻れます。マニラの生活は一生忘れません。でも疲れた。機会があったら叉会ってください。お元気で。」 このテキストで涙がボロボロ出た。
アロナ 叉テキスト頂戴。機会があったら合おうね。幸せにね。
このマニラでも児童虐待が問題視されている。
本当に売春の多い国、目先の必要な金、あるいは若年妊娠、結婚も出来ずにミルク代のため、遊興費、学費、テスト費用工面で体を売る女性が非常に多いこのマニラ。家族のために自ら売春宿へ志願する者様々だ。
最近はその年齢層も若年例層化してきている。何をしようがオヤジ殿、ジジィ殿の勝手、自己責任範囲内で遣れば誰にも文句は言われないのですが、未成年の処女を高額で買いあさるオヤジ、ジジィ殿。一寸は謙虚な気持ちを見せてあげてください。そして、紹介専門のママさん、ブガウに「ダイボウジ、モンダイナイ」といわれたら、それは全て反対のことと思われるのがこのマニラの生き方かも。
児童虐待、青少年育成条例違反等で検挙されないようお楽しみください。
◎ オネーチャン18といったら「シノガリン」。私は26歳といったら「35歳」と思えマニラの売春婦。
早く次が見たいと思う話題の広さや日本人への警告等、内容の濃いブログですね!
当方、開設したばかりの初心者ですから、逆にご指導お願いいたします。
タイトルのとおりに頑張ってみます。
狂恥の通り。笑は実態を。国は本来のフィリピンと言うのがこのブログの当て付け文字です。これからもご指導ください。
時には「真面目」・時には「面白く」とっても的確に「フィリピン」の事描写されてますね!
何をするにも自己責任ですが、最近の日本人は恥ずかしい人ばかり、又、フィリピンの残酷な実態もこれまた「事実」であり、考えさせられる事いっぱいありますね。
自分もブログを開設したばかりですが、よかったら、よってください。(ppさんに比べてかなり幼稚ですが!)
ttp://phi143.blog63.fc2.com/
※ 当サイトの宣伝ではありません。
それでは、これからも、がんばってください。
マニラにいる限り書き続けてみます。
叉お越しください。
お惚気・自他虐+その複合が全体の8割。
読み応えのあるサイトは残りの2割に見え隠れ。
リパ・マニ狂笑国は、そのひとつで以前から拝読。
お初です。ジョーと申します。
これもまた勝手ながら、オレの視点はppさん近いものもあるかと今回の日記で再度、認識。
今後とも楽しみにしてます。
残酷物語ですね。アロナのあの目は今もしっかりと焼きついています。必ず幸せになれると思っています。例え収入が少なくとも「疲れた」その意味はいなかの彼氏がやがて癒してくれるのかも。マニラの環境では育っていけない人なのかも。
オネーちゃんと買春しても何をしても個人の勝手。でも、最低限の分別だけは持てる日本人になろうかなと。でも本当に悲しかったな。もっとあげればよかったのだろうけど金額の問題ではないとも。貰った金額と自分で蓄えた金額。人生の励みになったのかも。
おっちゃん様はやはり普通の日本人の方ですね。普通の日本人はコメントされたようなことを何も思惑もなく出来ますよね。益々御発展されご自愛ください。
僕はフィリピン(セブ)移住組みですが、同じような話を嫌というほど見てきました。僕の家のヘルパーさんは、食事も僕たちと一緒に食べ、外出するときは僕の子供達と同じように楽しんでいます。近所のヘルパーの子が嫁に『アテのとこのヘルパーは幸せだよ』と言った事があります、彼女は4時に起き、洗車からスタートして洗濯・掃除・子守り・買出しなど等、あるときは10ペソのお金がなくなりいやと言うほど殴られたとか、そのお金も結局はそこの奥さんの勘違い、話を聞いてびっくりしました。彼女はいつも僕の家に勤め先の子供を連れて来て居眠りしてるような状態、最後には逃げるように辞めて行きました。これがこの国の現実かと思いますが、せめて自分の家で働いてくれるヘルパーさんにはこのような接し方はしたくないものです。
貧しいからとか無知だからというだけでは説明のつかない両親、叔母、メイド、お父さんみたいな中年男達の行動。理解は出来ないけどまた一つ実態を知ることが出来ました。ppさんの挺身レポートに感謝。
だけどこれだけ具体的にアロマの半生を知ってしまうと、本当に彼女のこれからが気になる。気にしても私に何が出来る訳じゃないと言うのが腹立たしい。(仮に金銭的援助を定期的にさしのべても両親や叔母に巻き上げられるのは目に見えてるし)
ppさんの示した人間性が彼女の精神力になることを信じるしかないです。
彼女からのメールを読んでppさんが泣いたと言うくだりに素直にうなづけた私です。
アロナちゃんと以前の彼女がどうしても被ってしまい
私自身も胸が苦しく適当なコメントができません。
そこには過去の自分の無力さがこの問題に対して残ります。
誰かの犠牲によって人は生かされている・・・
この言葉が染みます。
現状では彼女達の人生が報われることが皆無に等しくても、
いつの日にか心良き人に巡り会えるチャンスが増えることを節に願っております。
余計な追記ですが、
私の場合、無力ながらも彼女の希望もあり、
あえてバカ家族と引き離し、冷却期間を持ってもらう為に
ドゥバイへ単身就業の機会を後押ししました。
そう簡単に家族とのしがらみを引き裂くことが
出来ないことは知っていながらも(笑)
彼女なりの人生を少しの期間でも自分で見つめ直す
機会が異国で作れればと思い、お別れ覚悟で(爆)
航空券代や手続諸費の半分額を・・・
このような話は、PPさんが言われるようにまだまだ沢山あると・・・。
我々は、どんなにこの国に居ても外国人なわけで、彼ら彼女らはそう言う事実を見せまいと、隠して取り繕っていると・・・。
その一部分を垣間見れば、PPさんのお話のような事が沢山出てくると思います。
こういう話は、なかなか書かない方が多いのですが、あえてこうして書いてくれるPPさんにある意味感謝です・・・。
実態を知り尽くしているPPさんも今回は涙を流す程の悲話だったんですね。
アロナが幸せになれるかわかりませんが、せめて平凡な人生であって欲しいです。
日本人が直面しないだけで、このような事が起きているのは事実です。
貧乏でこすくても自国の子供達には優しい連中だと思ってたのに!