フィリピンりぱぶりっく狂笑国

フィリピンらしく
フィリピンでも
フィリピンだから

Ferdinand Edralin Marcos END

2024-09-26 | マルコス
新自由主義の災難 これらすべてをマルコス政権の腐敗と縁故主義のせいにするのは、マルコス一家とその取り巻きが明らかに極悪非道な振る舞いをしていることを考えると、都合が良い。しかし、1970年代と1980年代には、腐敗と縁故主義に苦しみ、独裁​​政治さえあった他のアジア諸国も、それほど深刻な危機を経験しなかった。韓国と中国が思い浮かぶが、国内では、もちろんインドネシア、タイ、マレーシアだ。 &nb . . . 本文を読む
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2024-09-25 | マルコス
マルコス政権下の経済衰退 anyare(アンヤレ) タガログ語のスラング表現で「どうなっってんの」的な使い方をする言葉です。 この表現を使ったマルコス独裁政権をタガログ語で表現すると Anyare! Paktay tayo どうなってんのこれ?うわー最悪!という意味合いになります。   マルコス独裁政権は、フィリピンを今日まで続く経済衰退の道へと導いた。これはすでに二世代 . . . 本文を読む
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2024-09-24 | マルコス
政権の黄昏 マルコス政権の晩年は、政府の腐敗の蔓延、経済の停滞、貧富の差の着実な拡大、そしてフィリピンの無数の島々の農村部で活動する共産主義ゲリラの着実な成長によって汚された。 1984年までに、それまではマルコス政権を支持していたアメリカのレーガン政権もこれに距離を置き始めた。同盟国からの圧力の結果、マルコスは大統領任期が1年以上残っている状態で、1986年に大統領選挙を行うことを余儀なくさ . . . 本文を読む
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2024-09-23 | マルコス
大統領就任 マルコス就任以前のフィリピンはクーデターが相次いでいた東南アジア諸国に比べ、独立以来二大政党制が続き、経済も東南アジアの中ではトップクラスであったが、貧富の差は激しく、一部財閥が財の大半を握るが大半の住民は貧困状態であった。 マルコスの政策は、国内の地方開発と徴税機能の強化を主軸とするものであり、在任中に強靭な経済を作り上げることを公約した。地方政策としては「コメと道路」を重点 . . . 本文を読む
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2024-09-22 | マルコス
Ferdinand Edralin Marcos(1917年9月11日 - 1989年9月28日) フェルディナンド・マルコス(1917年9月11日、フィリピン、サラット生まれ。 フィリピン共和国の政治家。フィリピン共和国第6代大統領で、フィリピンの第10代大統領。 1989年9月28日、米国ハワイ州ホノルル死去)は、フィリピンの 弁護士、政治家であり、1965年から1986年まで国家元首と . . . 本文を読む
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Ferdinand Edralin Marcos

2024-09-21 | マルコス
負債主導の成長は未成長 おそらく自然災害よりも悪いのは人災であり、多くの場合、少数の凝り固まった利害関係者を優遇する一方で、失敗のリスクとコストのほとんどを広く国民に押し付ける誤った政策から生まれる。 人権侵害と政治権力の完全な独占が加われば、経済的・政治的崩壊の材料が揃う。 入手可能な証拠をもとに説明すると、1970年代後半に始まり、最終的に1986年にマルコス独裁政権を終わらせた経済 . . . 本文を読む
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