大統領の豪華夕食が話題になっている中、国連食糧計画の駐比代表、支援食糧を売らざるを得ない避難民の窮状認める。
ミンダナオ地方の避難民を対象に食糧支援を続ける国連食糧計画(WFP)のアンダーソン駐比代表は26日、出張先の同地方マギンダナオ州でマニラ新聞の電話取材に対し「一部避難民は、生活維持のために支援食糧を売っている」と述べ、やむを得ない避難民の窮状が背景にあることを認めた。
こんな窮状を認めるにあたり、心情は本当につらいものがあったかもしれない。
日本では「お茶でもどうぞ」
P国では「カイン タヨ」
P国を訪れて、このような言葉を耳にしなかった方はいないと思います。
お昼時に弁当食べていると、その弁当を差し出しながら「カイン タヨ」
ご飯を食べているときだけは、更にフレンドリーだな。その弁当の内容は別として。
しかし、ワダグシハの新ジジィにように、その言葉を真に受けて食べると、あいつは本当に図々しい。となる。
つまりは、そうはいわれても、「ブソック アコ」といって断わるのが習慣のようです。
まだ我々が景気のよかった頃。パサイでおきた大火。スラムだったその地区が一瞬にして火の海に包まれ、住む場所さえなくなった方々へ、クリスマスに食料品を車に満載して配布に出かけた。
あまりの人の多さと、無関係のものまで参加するので、一旦中止、配布券を作って再度配布した。
我々の考えが甘かったことは今でも反省している。
なめもない方へ、乾麺のスパゲティを配って・・・・・・・・・・・・・・・・・今でも大反省している。
あんな笑顔見たことがない。配布していて、うれしかった。
でもやはり、その場で、なぜか、サリサリストアーへ売りにいってしまう姿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・複雑。
翌年はロハス大通りのホームレス。すなわちプルーベ(乞食)を対象に、12月24日の深夜行った。
正直こんなにこのロハスにプルーベがいるとは思わなかった。車が動けなくなるほどいた。
乾麺で懲りていたので、カップめんにした。見ているとお湯は沸かしているようなので・・・・・・・・・
缶詰、お菓子、タオルも入れた。大きなナイロンの袋にいいれて。
あまりのおおさに、可愛そうなんだけど振り払って、路上で生活しているものへターゲットをかえ、「マヒラップ バ?」
当然のことだが、顔を見れば実際がわかる。そして、袋に入ったプレゼントを渡す。
「サラマット ポ」この一言で何もいらない。
でもやっぱり、多くの人はこれを売りに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お金に買えて好きなことできるのであれば・・・・・
2年間続けて、3年目からはやめた。
その理由は、パサイのスラムにあった。何でそんなことを我々に教えないんだと争いごとになったことを聞いたから。
タクシーの運転手いわく。
そんなことしても何も成らないよ。あいつらは働くのが基本的に嫌いなんだよ。
この運転手、長いこと付き合っていて、子供が12人もいるジジィ。
この運転手の意見をきいてみた。
乞食に物上げても感謝などされない。
むしろ、占領住宅地区で働いている人。ごみ収集している連中が集まっている場所のほうがよいのでは。
じゃプレゼントは?米をあげよう。
で翌年は、占領住宅地へ出かけ米をあげた。
たったお碗いっぱいの米。
一人当たりの金額は、以前のプレゼントに比べると本当に安い。でも、多くの人に渡せた。
そりゃ2回も3回も並んでくるものもいる。それはこのP国に限ったことではない。
まもなく、9月。
モールにはクリスマスソングが流れ、顔見知りなどから「パパスコ ハ」などとプレゼントのおねだりが始まる。
このマニラを訪れる皆さん。もし、お気持ちがあったら、お米をお碗一杯ビニール袋に入れて路地したなどで本当に困っている方へあげてみてください。
あの眼。中にはふてぶてしいのもいますが、本当に人間になったような気がします。
路上で暮らす年寄り。一度試みてください。
但し、サンアンドレスのスラム。ここだけは決してやりませぬように。ここだけで不法占領住宅の住民2万人くらいいます。
フィリピンの実態。確かに表向きは車もあり何不自由ないように見えても、この貧富の差はますますひどくなっていくようにも思います。
専用機など買う金があるのであれば、こういった方々へ少しでも配慮する政策をしたほうがよいのではと勝手なこと考えるのですが、中には、そんなことしても何の足しにもならない。ますます、働かなくなる。という方が多い。複雑だな・・・・・・・・・・
ミンダナオ地方の避難民を対象に食糧支援を続ける国連食糧計画(WFP)のアンダーソン駐比代表は26日、出張先の同地方マギンダナオ州でマニラ新聞の電話取材に対し「一部避難民は、生活維持のために支援食糧を売っている」と述べ、やむを得ない避難民の窮状が背景にあることを認めた。
こんな窮状を認めるにあたり、心情は本当につらいものがあったかもしれない。
日本では「お茶でもどうぞ」
P国では「カイン タヨ」
P国を訪れて、このような言葉を耳にしなかった方はいないと思います。
お昼時に弁当食べていると、その弁当を差し出しながら「カイン タヨ」
ご飯を食べているときだけは、更にフレンドリーだな。その弁当の内容は別として。
しかし、ワダグシハの新ジジィにように、その言葉を真に受けて食べると、あいつは本当に図々しい。となる。
つまりは、そうはいわれても、「ブソック アコ」といって断わるのが習慣のようです。
まだ我々が景気のよかった頃。パサイでおきた大火。スラムだったその地区が一瞬にして火の海に包まれ、住む場所さえなくなった方々へ、クリスマスに食料品を車に満載して配布に出かけた。
あまりの人の多さと、無関係のものまで参加するので、一旦中止、配布券を作って再度配布した。
我々の考えが甘かったことは今でも反省している。
なめもない方へ、乾麺のスパゲティを配って・・・・・・・・・・・・・・・・・今でも大反省している。
あんな笑顔見たことがない。配布していて、うれしかった。
でもやはり、その場で、なぜか、サリサリストアーへ売りにいってしまう姿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・複雑。
翌年はロハス大通りのホームレス。すなわちプルーベ(乞食)を対象に、12月24日の深夜行った。
正直こんなにこのロハスにプルーベがいるとは思わなかった。車が動けなくなるほどいた。
乾麺で懲りていたので、カップめんにした。見ているとお湯は沸かしているようなので・・・・・・・・・
缶詰、お菓子、タオルも入れた。大きなナイロンの袋にいいれて。
あまりのおおさに、可愛そうなんだけど振り払って、路上で生活しているものへターゲットをかえ、「マヒラップ バ?」
当然のことだが、顔を見れば実際がわかる。そして、袋に入ったプレゼントを渡す。
「サラマット ポ」この一言で何もいらない。
でもやっぱり、多くの人はこれを売りに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お金に買えて好きなことできるのであれば・・・・・
2年間続けて、3年目からはやめた。
その理由は、パサイのスラムにあった。何でそんなことを我々に教えないんだと争いごとになったことを聞いたから。
タクシーの運転手いわく。
そんなことしても何も成らないよ。あいつらは働くのが基本的に嫌いなんだよ。
この運転手、長いこと付き合っていて、子供が12人もいるジジィ。
この運転手の意見をきいてみた。
乞食に物上げても感謝などされない。
むしろ、占領住宅地区で働いている人。ごみ収集している連中が集まっている場所のほうがよいのでは。
じゃプレゼントは?米をあげよう。
で翌年は、占領住宅地へ出かけ米をあげた。
たったお碗いっぱいの米。
一人当たりの金額は、以前のプレゼントに比べると本当に安い。でも、多くの人に渡せた。
そりゃ2回も3回も並んでくるものもいる。それはこのP国に限ったことではない。
まもなく、9月。
モールにはクリスマスソングが流れ、顔見知りなどから「パパスコ ハ」などとプレゼントのおねだりが始まる。
このマニラを訪れる皆さん。もし、お気持ちがあったら、お米をお碗一杯ビニール袋に入れて路地したなどで本当に困っている方へあげてみてください。
あの眼。中にはふてぶてしいのもいますが、本当に人間になったような気がします。
路上で暮らす年寄り。一度試みてください。
但し、サンアンドレスのスラム。ここだけは決してやりませぬように。ここだけで不法占領住宅の住民2万人くらいいます。
フィリピンの実態。確かに表向きは車もあり何不自由ないように見えても、この貧富の差はますますひどくなっていくようにも思います。
専用機など買う金があるのであれば、こういった方々へ少しでも配慮する政策をしたほうがよいのではと勝手なこと考えるのですが、中には、そんなことしても何の足しにもならない。ますます、働かなくなる。という方が多い。複雑だな・・・・・・・・・・
つかわない靴やTシャツも持っていきます。
飴、チョコレートなども。。。
あまりたくさんの人には配れませんが。