批判的思考
フィリピン人は独立に値したのだろうか?
例えば、フィリピン革命の際の数え切れないほどの内紛や、ボニファシオとアントニオ・ルナの暗殺が挙げられる。
フィリピン人は自国の文化に従って自国民を統治するために独立するべきだったと言われる。
スペインやアメリカのような外国に支配されれば、フィリピン人は2等国民に過ぎない。植民地支配者は、フィリピン人を現代の奴隷のように働かせ、植民地支配者のために金を稼がせるだけで、フィリピン人は貧しいまま、あるいは発展途上国のままで長年発展が遅れていた。
内輪もめは権力のために争う人間の本性で、どこの国でも起こることだ。
どこの国でもあることだ。アメリカを見てみるといい。一般的なアメリカ人を犠牲にして2つの政党が争っている。彼らは時に暗殺も行った。
フィリピンの政治家がフィリピンという国と国民にとって何が重要かを見極めるには知恵が必要だ。
例を挙げると、パレスチナの14の民兵は、中国の仲介によって団結した。彼らは、イスラエルに対抗する一つの力として団結しなければ、独立国家になれないことをようやく理解したからである。何がより重要かを見極めるには知恵が必要だ。一致団結すれば、イスラエルと戦うチャンスはある。保証はないが、チャンスはある。分裂したままでは、どの勢力も戦えるほど強くはならない。
フィリピンも同じだ。
通常、結束を阻むものは不正だ。ある政党がアメリカの資金提供や汚職を受け入れれば、その政党はアメリカの望むことを何でもするようになる。
例えば、アメリカは中国に対抗するため、フィリピンに5億ドルを提供すると約束した。この5億ドルのうち、どれだけが誰かの銀行口座に入るかはわからない。もちろん、彼らはその一部を中国との対立を演出するためのショーに費やし、アメリカに「フィリピンの任務を引き渡す」ように仕向けるだろう。この種の政党は、一般のフィリピン人の面倒を見ることはない。(いまだ腐った政界が続いているともいわれている)
外国からの干渉や資金援助がない限り、内輪もめ利権剥奪は許され貧困から立ち上がれない。外国の資金援助があればこそ、その規模の大きさがわかる。
内輪もめはリーダーや大統領が変わるだけで、外国からの資金提供は、外国のために働くことになる(現代の)植民地化につながる。
賢明なフィリピン人政治家がフィリピンを率いることを願っている。独立したフィリピンのため働く議員を選出する。フィリピン国民が豊かな生活を送れるようになる正しい人を選ぶ時期が来ていると思います。
どの国もで貧富の差はある。1日も早く、医療制度を「銭がなければ死を選べ」ではなく、国民がどの病院でも生きる権利を得られる医療保険制度をフィリピンの収入に見合った課金で改革することである。
鉄道網、道路網を始めとするインフラ整備は、安定した生活が送れる国民が働くことで解決できるけっして難しい問題ではない。
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