フィリピンりぱぶりっく狂笑国

フィリピンらしく
フィリピンでも
フィリピンだから

恥という言葉はない

2024-09-22 | フィリピン

なぜ多くのフィリピン人はお金を無心しても恥ずかしくないのか?

文化的に恥じることがないのに対し、他国では一般的に呆れられる。

フィリピンの文化では、もし外国人がフィリピン人に「気前の良さを見せなければ」、フィリピン人は外国人の噂をし、「あの外国人はケチだ」と周りにのフィリピン人へ否定的なことを言う事が多い。

多少言葉を交わし面識ができS N Sなどのアドレスを交換した途端『Hi!』から始まり、1日に何度となく「今なにをしてますか?」、「ご飯食べた?」、「仕事は忙しい?」、「身体大事にしなさい?」嵐のようなメッセージが来る。

こういったメッセージが頻繁に着信するようになったら、結果は定番の決まり文句がくる「クヤ、お願いがあるんだけど...」。

なんでしょうか?

恥ずかしいだから。

何が恥ずかしいのでしょうか?

つまり、金貸せコールに変わる。

理由は、家族が病気になった。子供が病気になった。家賃が払えない。父親が病気をはじめドラマのような理由が舞い込んでくる。

一般的には、たかが面識があって顔見知り程度の外国人へ、返済計画など全く考えない借金を要求するだろうか?

頑なに拒否すべきである。

途端に、借金を申し込み拒否された外国人に対し、あの外国人は優しくない。薄情者だ。

有る事無い事ストーリーを作り上げ悪口三昧。

知り合いや顔見知りを終わらせるのにこれ以上の方法はないことをしだす。

社会の底辺にいる人間が自分のことをどう言うかを気にするのは、信じられないほど悲しいことだ。すべての例が底辺で苦しんでいるわけではないが、そういった人はたくさんいる。

外国人と結婚したフィリッピン人のよくある話は、妻の家族には、援助を求める人がいて、たいていできる限りのことをする。

両親への表敬訪問でフィリピンへ帰国する事がわかると、家族から、コーチのバッグだ、iPhoneやら彼らの住居である掘っ立て小屋の薄っぺらな屋根からは水が漏れているにも関わらず、まるでお土産は義務のようにしかも、今食べるご飯の問題があるにも関わらず、まるで外国人は財布を開けると金が湧いて出てくるかのようにお土産要求(無心が正しい)をフィリピン人の妻へ投げかけてくる。

節度がない。という言葉が正しいのだが、フィリピンのホテルへ到着した途端、両親を筆頭に家族全員が押しかけてくる。

ホテルの室内にある冷蔵庫に入っているもの、置いてあるお菓子類などは瞬く間に手がつけられる。

そしてジュースなどは必ず飲みかけを残していく。

中には金額の書いてあるリストを見ながら「マハルナ マン ポ」と言い放ちながら物を無駄にする。

訪れる時間は、食事のちょっと前がおおい。

結婚した女性が賢い場合には、このようなことはあまり起きないのだが、大いにして訳のわからない見栄を張る女性が多い事も事実で、食事はホテルなどのレストランでご一行様の食事が始まる。テーブルに置ききれないほどのオーダーを出す。

そして電話合戦が始まる。「今X Xホテルのレストランで食事をしている。食事が終わったら帰る」しかもでかい声で始まる。

ますますエスカレートしたように賑やかな食事が始まる。レストランのスタッフに対しても結構な上から目線お態度をとることも多い。

一般生活では、一品のおかずを家族4、5人で食べているのが一般的な生活環境である。

しかし、外国人が支払いをすると分かっている時のオーダーはジュースもしくはソフトドリンク。メインディッシュにデザート。当然、食べきれないので残す。スタッフに持ち帰りの準備をさせる。帰った後は悲惨なものである。

世間話をすると、ヒリピン人は毎日空腹でお金が無い。貧困を過去の植民地主義のせいにする。まったく信じられない話だ!その狂気を助長する手助けをすることは、親切でも愛情に溢れているわけでもない。それはシャブ中毒者にお金を渡すのと同じことだ。

贅沢をせがむようになったら、蟻地獄に入ったようにお金は人生から消えてしまう。

ごくわずかではあるが、良い義理の両親や、妻であれば、兄弟や姉妹が贅沢をせがむような者を拒否する。たとえ悪口三昧言われても徹底して防御をしてくれることもある。中にはそういった事が原因で長年口をきいていないし、妻もほとんど口をきかない外国人と結婚したフィリピン人もいる。

 

フィリピン人は

(1) 制度内の寡頭制の腐敗のせいにするが、選挙などでは目の前に撒かれる金次第では腐敗しようが構わず投票する。

(2) 何世紀も経っても貧しいまま、すべての問題をスペインとアメリカ(彼らは率直に言って、この国に大金を注ぎ込み、浪費されるまでアジアの国にした)のせいにする。

この都合主義が民度から抜け切らない限り、Wala akong peraと言い続けるのかも。

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