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シリーズ平成の本音―靖国に祀られた大戦遂行責任者を尊崇すべきか?

2015-04-05 | Weblog
シリーズ平成の本音―靖国に祀られた大戦遂行責任者を尊崇すべきか?
 2月17日の衆議院本会議において、安倍首相は靖国神社参拝(2013年12月)に関する質問に対し、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達に尊崇の念を表し、ご冥福を祈るのは国のリーダーとして当然」と答弁した。閣僚の参拝についても「私人として参拝するかどうかは、もとより自由」とした。
これは同首相が就任後の一貫した表現であり、姿勢に変更はない。確かに「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方々」をお詣りし、敬意や哀悼を表することは、ほとんどの国でも行われているので、それ自体は当然であろう。
しかしそれは一般論であり、質問の趣旨は“靖国神社”という特定の神社を首相、閣僚として参拝することの是非を問うているものであり、首相の答弁は2つの意味で答弁をそらしている。
一つは、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方々」への尊崇の念として一般化しているが、“靖国神社”には大東亜戦争、太平洋戦争を主導、遂行し、310万人以上の将兵や民間人の命を犠牲にした戦争遂行責任者が祀られている。そのような戦争遂行責任者まで「尊崇」するべきであろうか。先の第2次世界大戦では、南太平洋、中国などの戦地で200万人前後の将兵や軍関係者が命を落としている。そして硫黄島などを除き、唯一の本土決戦の場となった沖縄や東京大空襲、広島、長崎の原爆被害などで110万人ほどの子供や女性を含む民間人が死亡し、東京や広島市、長崎市などは焦土となり、国民は多くを失った。
靖国神社にはそのような膨大な被害をもたらした戦争遂行責任者が祀られているのである。それらを尊崇し、参拝するかが問われているのだ。
無論、個人として誰を尊崇するかは自由である。
しかし、安倍首相は、「国のリーダーとして当然」としていることから、政府の首相としての立場を述べたものであろう。確かに同首相は、‘内閣総理大臣’と明示して靖国神社を参拝し、或いは玉串料を収めている。従って同首相は、首相として多くの戦死者と共に、これらの戦争遂行責任者に「尊崇の念を表し、ご冥福を祈る」ことは当然との見解を国会で表明したことになる。それを是とするか非とするかは国民の判断であろう。
靖国神社は国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として明治時代に建立されたもので、軍関係者のための神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人や軍関係者が祀られている。しかし特殊であるのは、戦後に米、英を中心とする戦勝国(連合国)が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われたが、最も重いA級戦犯と判決された政府及び軍の指導者が、1978年10月に靖国神社に他の一般戦没者と共に合祀されたことにある。A級戦犯として東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人が死刑判決を受け、これら7名ほか戦争遂行責任者が靖国神社に合祀されていることだ。
この東京裁判については、米、英など戦勝国が進めた裁判であり、公平性を問題視する向きも少なくない。いわゆる‘勝てば官軍、負ければ賊軍’となるのは世の常だ。もし公平に進めるのであれば、中立的な国の判事を半数以上入れるなども検討すべきであったであろう。また残虐行為や民間人の大量殺害については、日本側についても統帥権があった天皇の責任を問う声もあったところであり、また日本側だけでなく、戦時法規でも戦闘員以外は一定の保護が定められており、多数の子供を含む民間人の被害を出した広島、長崎の原爆投下についても国際裁判の対象にすべきとの意見も無いわけではない。
東京裁判は東京裁判として、310万人以上の日本人の命を奪った戦争遂行者を「尊崇」すべきなのだろうか。家族や親類、友人を失った遺族やその子孫には難しいところがあろう。それ以上に、日本人として当時のリーダーの結果責任が問われて良いのであろう。
 同首相の意識の中には、当時の戦争遂行者の結果責任は小さいのであろう。国家目的、国家利益のために大東亜戦争を進め、太平洋戦争へと進んだのであり、その方々を尊崇するということなのだろう。それは一つの考え方ではある。確かに同首相の言動からすると、東京裁判の結果を含め、「戦後レジームからの脱却」、憲法の改正、集団的自衛権行使を含む軍事行動の強化の動きと一致する。
 最近の例では、「イスラム国」に拘束されていた2人の日本人がいることを承知していながら、‘総合的に判断’の上、中東訪問を行い、エジプトにおいて、人材開発やインフラ整備とは言え、‘「イスラム国」と戦う周辺国’に2億ドルの支援を表明した。これに反発した「イスラム国」は、首相を名指しして、日本人2名の身代金として2億ドルを要求した。そして日本側の昼夜の努力にも拘らずにも、2人は次々と殺害されると共に、日本政府、国民に対し“今後日本の国民は何処にいても殺戮されるだろう”と宣明した。これに対し同首相はテロには屈しない姿勢を強調し、各国と連携しテロと戦う姿勢を鮮明にしている。
 「イスラム国」の残虐な行為は許せないところであるが、「イスラム国」の面前での首相の発言により、2人の日本人の命を犠牲にした上、日本国民の世界における安全を犠牲にした結果となった。
同首相は、その後もテロと闘う姿勢を鮮明にしている。これは、国家目的や国家利益のためであれば、国民の命や安全を犠牲にすることもあることを鮮明にしたものと言えよう。それが、大東亜戦争、太平洋戦争の遂行責任者を「尊崇」する姿勢に繋がっているのであろう。(2015.2.20.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―靖国に祀られた大戦遂行責任者を尊崇すべきか?

2015-04-05 | Weblog
シリーズ平成の本音―靖国に祀られた大戦遂行責任者を尊崇すべきか?
 2月17日の衆議院本会議において、安倍首相は靖国神社参拝(2013年12月)に関する質問に対し、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達に尊崇の念を表し、ご冥福を祈るのは国のリーダーとして当然」と答弁した。閣僚の参拝についても「私人として参拝するかどうかは、もとより自由」とした。
これは同首相が就任後の一貫した表現であり、姿勢に変更はない。確かに「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方々」をお詣りし、敬意や哀悼を表することは、ほとんどの国でも行われているので、それ自体は当然であろう。
しかしそれは一般論であり、質問の趣旨は“靖国神社”という特定の神社を首相、閣僚として参拝することの是非を問うているものであり、首相の答弁は2つの意味で答弁をそらしている。
一つは、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方々」への尊崇の念として一般化しているが、“靖国神社”には大東亜戦争、太平洋戦争を主導、遂行し、310万人以上の将兵や民間人の命を犠牲にした戦争遂行責任者が祀られている。そのような戦争遂行責任者まで「尊崇」するべきであろうか。先の第2次世界大戦では、南太平洋、中国などの戦地で200万人前後の将兵や軍関係者が命を落としている。そして硫黄島などを除き、唯一の本土決戦の場となった沖縄や東京大空襲、広島、長崎の原爆被害などで110万人ほどの子供や女性を含む民間人が死亡し、東京や広島市、長崎市などは焦土となり、国民は多くを失った。
靖国神社にはそのような膨大な被害をもたらした戦争遂行責任者が祀られているのである。それらを尊崇し、参拝するかが問われているのだ。
無論、個人として誰を尊崇するかは自由である。
しかし、安倍首相は、「国のリーダーとして当然」としていることから、政府の首相としての立場を述べたものであろう。確かに同首相は、‘内閣総理大臣’と明示して靖国神社を参拝し、或いは玉串料を収めている。従って同首相は、首相として多くの戦死者と共に、これらの戦争遂行責任者に「尊崇の念を表し、ご冥福を祈る」ことは当然との見解を国会で表明したことになる。それを是とするか非とするかは国民の判断であろう。
靖国神社は国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として明治時代に建立されたもので、軍関係者のための神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人や軍関係者が祀られている。しかし特殊であるのは、戦後に米、英を中心とする戦勝国(連合国)が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われたが、最も重いA級戦犯と判決された政府及び軍の指導者が、1978年10月に靖国神社に他の一般戦没者と共に合祀されたことにある。A級戦犯として東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人が死刑判決を受け、これら7名ほか戦争遂行責任者が靖国神社に合祀されていることだ。
この東京裁判については、米、英など戦勝国が進めた裁判であり、公平性を問題視する向きも少なくない。いわゆる‘勝てば官軍、負ければ賊軍’となるのは世の常だ。もし公平に進めるのであれば、中立的な国の判事を半数以上入れるなども検討すべきであったであろう。また残虐行為や民間人の大量殺害については、日本側についても統帥権があった天皇の責任を問う声もあったところであり、また日本側だけでなく、戦時法規でも戦闘員以外は一定の保護が定められており、多数の子供を含む民間人の被害を出した広島、長崎の原爆投下についても国際裁判の対象にすべきとの意見も無いわけではない。
東京裁判は東京裁判として、310万人以上の日本人の命を奪った戦争遂行者を「尊崇」すべきなのだろうか。家族や親類、友人を失った遺族やその子孫には難しいところがあろう。それ以上に、日本人として当時のリーダーの結果責任が問われて良いのであろう。
 同首相の意識の中には、当時の戦争遂行者の結果責任は小さいのであろう。国家目的、国家利益のために大東亜戦争を進め、太平洋戦争へと進んだのであり、その方々を尊崇するということなのだろう。それは一つの考え方ではある。確かに同首相の言動からすると、東京裁判の結果を含め、「戦後レジームからの脱却」、憲法の改正、集団的自衛権行使を含む軍事行動の強化の動きと一致する。
 最近の例では、「イスラム国」に拘束されていた2人の日本人がいることを承知していながら、‘総合的に判断’の上、中東訪問を行い、エジプトにおいて、人材開発やインフラ整備とは言え、‘「イスラム国」と戦う周辺国’に2億ドルの支援を表明した。これに反発した「イスラム国」は、首相を名指しして、日本人2名の身代金として2億ドルを要求した。そして日本側の昼夜の努力にも拘らずにも、2人は次々と殺害されると共に、日本政府、国民に対し“今後日本の国民は何処にいても殺戮されるだろう”と宣明した。これに対し同首相はテロには屈しない姿勢を強調し、各国と連携しテロと戦う姿勢を鮮明にしている。
 「イスラム国」の残虐な行為は許せないところであるが、「イスラム国」の面前での首相の発言により、2人の日本人の命を犠牲にした上、日本国民の世界における安全を犠牲にした結果となった。
同首相は、その後もテロと闘う姿勢を鮮明にしている。これは、国家目的や国家利益のためであれば、国民の命や安全を犠牲にすることもあることを鮮明にしたものと言えよう。それが、大東亜戦争、太平洋戦争の遂行責任者を「尊崇」する姿勢に繋がっているのであろう。(2015.2.20.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―踏みにじられる沖縄の民意

2015-04-05 | Weblog
シリーズ平成の本音―踏みにじられる沖縄の民意
 米国海兵隊航空基地を沖縄の普天間から辺野古に移設し、海を埋め立てV字型滑走路を敷設する工事が防衛省により強硬に進められている。現在の普天間飛行場については、市の中心部の住宅地にあることから日本側に返還されることが日米間で合意されており、その代替地については両国間の防衛軍事当局間で本土移設を含め検討された結果、キャンプシュワブ海兵隊基地に隣接する形で辺野古沖の埋め立てが‘唯一の選択肢’として合意されている。軍事上はそうなのであろう。
 鳩山民主党政権において‘県外移設’が検討されたが、拙速がたたり代替地は見つからず、これが大きな要因の一つとなり、鳩山首相は発足後約8か月で退陣に追い込まれた経緯がある。その際、野党であった自民党と防衛当局や保守系メデイア、防衛評論家などはこぞって‘辺野古が唯一の選択’であり、それを実現しないと日米関係は悪化するとして反対の大合唱を行った。
 1、市、県、国政レベルの選挙で支持を失った自・公連立与党
 自・公連立政権側は、日米同盟を強固なものにするためにもあくまでも辺野古移設を進める意向のようだ。これに対し2014年11月の沖縄知事選挙で辺野古移設反対を公約した翁長雄志知事が当選したのを受けて、沖縄県側は辺野古移設反対の姿勢を強め、連日のように反対行動が行われている。
 安倍政権は、沖縄県の経済開発ため今後5年間で3000億円の財政支援を提案し、辺野古移設に慎重であった仲井間知事(当時)の説得に努めた結果、同知事は2013年12月に辺野古沖の埋め立てを認め、また埋め立てのための岩礁破砕を承認し、これを受けて防衛省は辺野古沿岸の調査、準備を開始した。
 しかし仲井間知事は、2014年11月16日の知事選において辺野古移設に反対、普天間基地の早期返還を公約にした翁長雄志氏(自民党県連を脱退)に敗れ、落選した。更に、同年12月の衆院総選挙において、自民、公明両党は同県の4つの1人区で1議席も確保できなかった上、2年前の選挙で獲得した3議席を失った。また2014年1月に行われた辺野古の地元である名護市長選挙でも、辺野古移設反対の稲嶺進氏が当選した。自民党側は、与党候補支援のため500億円の財政支援を表明したが、与党推薦候補は敗れた。
政治的には同県の民意は明らかだ。市レベルはもとより、県レベル、国政レベルでも辺野古移設反対が沖縄の民意と言えよう。安倍政権側は、県の承諾は得ており、‘粛々と進める’としている。しかし辺野古移設工事の開始を認めた仲井間前知事も落選しているので、‘粛々’と進めれば、沖縄県の民意、選択は踏みにじられることになる。それでは何のための選挙かということにもなる。
 2、安全保障、防衛問題で踏みにじられる沖縄の民意
確かに、安全保障、防衛活動は中央政府の専管事項ではあり、地方公共団体もそれに協力することが望まれる。だが国家、国民のための安全保障であるので、沖縄県の民意を無視すれば、誰のための安全保障か、沖縄の民意は無視しても米国の軍事政策、日米同盟を優先するのかということになる。特に沖縄には、米軍施設の約75%が集中しており、普天間基地が返還されてもそれを上回る辺野古飛行場が建設されれば負担は軽減しない。有事となれば、米軍海兵隊基地等が初期の標的になる可能性が強い。
更に、有事の際は武器、装備、部隊等の移動などに地方公共団体の協力を得なくてはならないが、その際も民意は無視され、踏みにじられるのか。それでは独裁国家の強権政治と余り大差がない。このような民意を踏みにじる政権運営や防衛省の行動が続けば、緊急事態の際などに国民に銃が向けられることもあるのかもしれないという懸念も出て来る。
 3、辺野古や沖縄に固執する米国の思惑
米国は、国務省報道官が辺野古移設の進展を期待する旨の出しており、辺野古移設に固執している。米国の軍事的利益からすれば当然だろう。しかしこのように沖縄の民意を無視する移設が強行されれば、反米感情が一層強まる恐れがある。海上埋め立てにより、貴重なサンゴ礁と絶滅種のジュゴンへの環境破壊の問題もある。米国内でそのような環境破壊が認められるのだろうか。
更に沖縄県民のもう一つの懸念がある。米兵による女性への暴行や風俗の悪化などが背後にあるが、米兵が基地外で女性への暴行や誘拐等を行っても、日米安保条約上、裁判権は米軍側にあり、日本で裁判をすることも出来ないことだ。これは日本全土でも同様だ。戦後70年も経過し、日米同盟の強化が強調されているが、対等な同盟関係などは空事で、日本は属国扱いになっている。沖縄県民は、政党支持を問わず、航空機の騒音や墜落事故に加え、職務外で罪を犯した米兵を裁判にも掛けられない属国状況を懸念している。米国は、建前上は同盟関係や民主主義、正義、人権などを強調しているが、本音はやはり違うのだろうか。
 4、地方自治、民主主義の危機か
現自・公政権の沖縄の米軍基地辺野古移設への対応は、地方の民意、地方の自治性、自主性の否定であり、地方自治、民主主義自体の危機と言えよう。これは単に沖縄県だけの問題ではなく、日本全国の自治体の自治性が尊重されるか否かの問題でもある。原子力発電所の継続問題にしても、核汚染物質の最終処理場の問題にしても、また緊急事態や有事の際の自衛隊、警察の移動、展開、武器の移動等にしても、現政権のようでは、民意や地方自治が強権と財政支援で踏みにじられる恐れがあと見られても仕方がないのだろうか。
(2015.3.27.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―踏みにじられる沖縄の民意

2015-04-05 | Weblog
シリーズ平成の本音―踏みにじられる沖縄の民意
 米国海兵隊航空基地を沖縄の普天間から辺野古に移設し、海を埋め立てV字型滑走路を敷設する工事が防衛省により強硬に進められている。現在の普天間飛行場については、市の中心部の住宅地にあることから日本側に返還されることが日米間で合意されており、その代替地については両国間の防衛軍事当局間で本土移設を含め検討された結果、キャンプシュワブ海兵隊基地に隣接する形で辺野古沖の埋め立てが‘唯一の選択肢’として合意されている。軍事上はそうなのであろう。
 鳩山民主党政権において‘県外移設’が検討されたが、拙速がたたり代替地は見つからず、これが大きな要因の一つとなり、鳩山首相は発足後約8か月で退陣に追い込まれた経緯がある。その際、野党であった自民党と防衛当局や保守系メデイア、防衛評論家などはこぞって‘辺野古が唯一の選択’であり、それを実現しないと日米関係は悪化するとして反対の大合唱を行った。
 1、市、県、国政レベルの選挙で支持を失った自・公連立与党
 自・公連立政権側は、日米同盟を強固なものにするためにもあくまでも辺野古移設を進める意向のようだ。これに対し2014年11月の沖縄知事選挙で辺野古移設反対を公約した翁長雄志知事が当選したのを受けて、沖縄県側は辺野古移設反対の姿勢を強め、連日のように反対行動が行われている。
 安倍政権は、沖縄県の経済開発ため今後5年間で3000億円の財政支援を提案し、辺野古移設に慎重であった仲井間知事(当時)の説得に努めた結果、同知事は2013年12月に辺野古沖の埋め立てを認め、また埋め立てのための岩礁破砕を承認し、これを受けて防衛省は辺野古沿岸の調査、準備を開始した。
 しかし仲井間知事は、2014年11月16日の知事選において辺野古移設に反対、普天間基地の早期返還を公約にした翁長雄志氏(自民党県連を脱退)に敗れ、落選した。更に、同年12月の衆院総選挙において、自民、公明両党は同県の4つの1人区で1議席も確保できなかった上、2年前の選挙で獲得した3議席を失った。また2014年1月に行われた辺野古の地元である名護市長選挙でも、辺野古移設反対の稲嶺進氏が当選した。自民党側は、与党候補支援のため500億円の財政支援を表明したが、与党推薦候補は敗れた。
政治的には同県の民意は明らかだ。市レベルはもとより、県レベル、国政レベルでも辺野古移設反対が沖縄の民意と言えよう。安倍政権側は、県の承諾は得ており、‘粛々と進める’としている。しかし辺野古移設工事の開始を認めた仲井間前知事も落選しているので、‘粛々’と進めれば、沖縄県の民意、選択は踏みにじられることになる。それでは何のための選挙かということにもなる。
 2、安全保障、防衛問題で踏みにじられる沖縄の民意
確かに、安全保障、防衛活動は中央政府の専管事項ではあり、地方公共団体もそれに協力することが望まれる。だが国家、国民のための安全保障であるので、沖縄県の民意を無視すれば、誰のための安全保障か、沖縄の民意は無視しても米国の軍事政策、日米同盟を優先するのかということになる。特に沖縄には、米軍施設の約75%が集中しており、普天間基地が返還されてもそれを上回る辺野古飛行場が建設されれば負担は軽減しない。有事となれば、米軍海兵隊基地等が初期の標的になる可能性が強い。
更に、有事の際は武器、装備、部隊等の移動などに地方公共団体の協力を得なくてはならないが、その際も民意は無視され、踏みにじられるのか。それでは独裁国家の強権政治と余り大差がない。このような民意を踏みにじる政権運営や防衛省の行動が続けば、緊急事態の際などに国民に銃が向けられることもあるのかもしれないという懸念も出て来る。
 3、辺野古や沖縄に固執する米国の思惑
米国は、国務省報道官が辺野古移設の進展を期待する旨の出しており、辺野古移設に固執している。米国の軍事的利益からすれば当然だろう。しかしこのように沖縄の民意を無視する移設が強行されれば、反米感情が一層強まる恐れがある。海上埋め立てにより、貴重なサンゴ礁と絶滅種のジュゴンへの環境破壊の問題もある。米国内でそのような環境破壊が認められるのだろうか。
更に沖縄県民のもう一つの懸念がある。米兵による女性への暴行や風俗の悪化などが背後にあるが、米兵が基地外で女性への暴行や誘拐等を行っても、日米安保条約上、裁判権は米軍側にあり、日本で裁判をすることも出来ないことだ。これは日本全土でも同様だ。戦後70年も経過し、日米同盟の強化が強調されているが、対等な同盟関係などは空事で、日本は属国扱いになっている。沖縄県民は、政党支持を問わず、航空機の騒音や墜落事故に加え、職務外で罪を犯した米兵を裁判にも掛けられない属国状況を懸念している。米国は、建前上は同盟関係や民主主義、正義、人権などを強調しているが、本音はやはり違うのだろうか。
 4、地方自治、民主主義の危機か
現自・公政権の沖縄の米軍基地辺野古移設への対応は、地方の民意、地方の自治性、自主性の否定であり、地方自治、民主主義自体の危機と言えよう。これは単に沖縄県だけの問題ではなく、日本全国の自治体の自治性が尊重されるか否かの問題でもある。原子力発電所の継続問題にしても、核汚染物質の最終処理場の問題にしても、また緊急事態や有事の際の自衛隊、警察の移動、展開、武器の移動等にしても、現政権のようでは、民意や地方自治が強権と財政支援で踏みにじられる恐れがあと見られても仕方がないのだろうか。
(2015.3.27.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―地方再生は保守政党には出来ない!?

2015-04-05 | Weblog
シリーズ平成の本音―地方再生は保守政党には出来ない!?
 総選挙を前にして、自民党は選挙公約を公表したが、その中で‘地方創生’を一つの公約としている。
 しかし保守自民党には、‘地方創生’は出来ないと見られている。
 多くの同党古参議員等は、地方への大型量販店、百貨店や大規模工場、企業の進出を内心嫌っている。これらの産業の進出により、労働組合が出来、野党勢力が進出し、保守地盤が侵食されることを懸念している。従って、地方の産業や市場の自由化や規制撤廃には本質的に消極的だ。
 それが保守政党、保守政党議員の本質だろう。伝統的な保守地盤を維持することが再選への道なのである。地域社会をなるべく閉鎖し、新規の参入を止める、それが保守の本質だ。その最も好例が、世襲議員だ。先祖からの地盤、看板等を受け継ぎ、それを維持し続けることが競争相手を抑え、再選を確実にすることになる。従って、言葉とは裏腹に、経済にしろ、農林業、漁業にしろ、大型の新規参入には内心消極的となっても不思議はない。
 しかしそのような閉鎖的な、保守的な姿勢が、地域の新陳代謝や活力を失わせている。新規の参入、若い世代の進出を阻み、活力が無くなった地域から、若い世代は出て行く。そして年長者だけが残って行く。それが現実に起こっている。
 現在、地方の市町村に老齢者だけが残り、多くの900前後の市町村が消えて行くことが予想されている。それは長い間政権の座についていた自民党の政策がそのような結果を招いたと言えそうだ。
 農業についても、農協の下で新規参入を拒み、同一地域のコメを一律に扱い、農家間の競争を排除する一方、コメへの需要が減少するたびに減反をさせ、減反した農家に補助金或いは所得補償を行って来た。それは生産しない者に所得を保証するということであり、そのような農業に若い働き手は必要もなく、残らない。それが農業の衰退と競争力の退化をもたらしたといえよう。来年もコメへの需要は低下すると予想されており、生産削減や減反が実施され、作物を作らないことに所得補償が行われる。自民党は農家にそれを約束して来た。しかし、それでまた農業は一層退化する。要するに、保守党の基盤に立って、農水省と農協が、税金を使って“俵”を買い上げ、議員が“票”を買っているようなものと映る。
 国民はコメを含む農産物の有り難みを知っており、このような農業政策に寛容であった。しかし働かないことに補償が与えられるような制度は持続不能であることも知っている。現状で農業は退化し、若い働き手も残る見通しもない以上、農業への参入規制を緩和し、大規模化、企業化を図るしかないのではないか。
 経済戦略特区についても、一方で全国一律に規制を維持しつつ、特定の都道府県を選択し、規制の一部解除を行うだけで、新たに地域選択という手続きを追加し、規制制度を更に複雑化させるだけだ。中央管理の複雑化、強化に繋がる。
 また自民党は、選挙公約の中で、‘地方創生’の具体的施策として、中小企業対策や人口減少対策のために‘バラ撒きにならないような’交付金や、商店街などの地域経済の活性化を図るため、‘地域商品券’の発行等を行うとしている。正にバラ撒きではないか。公明党が嘗て‘地域振興券’なるものを推奨したが、地方のシャッター街が次々と増えるのを防ぐことは出来なかったことは誰もが知っていることだ。このような中央から地域振興のための予算、税金のおこぼれを受け取っている限り、地方の自発的、自律的な振興を図れないばかりか、中央―地方の支配関係や制度を保守する結果となり、地方分権の拡大にもならないだろう。もっともそれが保守政党の狙いなのだろう。
 地方がそれに安住する限り、地方の再生はない。それは歴史が物語っている。
 (2014.12.1.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―地方再生は保守政党には出来ない!?

2015-04-05 | Weblog
シリーズ平成の本音―地方再生は保守政党には出来ない!?
 総選挙を前にして、自民党は選挙公約を公表したが、その中で‘地方創生’を一つの公約としている。
 しかし保守自民党には、‘地方創生’は出来ないと見られている。
 多くの同党古参議員等は、地方への大型量販店、百貨店や大規模工場、企業の進出を内心嫌っている。これらの産業の進出により、労働組合が出来、野党勢力が進出し、保守地盤が侵食されることを懸念している。従って、地方の産業や市場の自由化や規制撤廃には本質的に消極的だ。
 それが保守政党、保守政党議員の本質だろう。伝統的な保守地盤を維持することが再選への道なのである。地域社会をなるべく閉鎖し、新規の参入を止める、それが保守の本質だ。その最も好例が、世襲議員だ。先祖からの地盤、看板等を受け継ぎ、それを維持し続けることが競争相手を抑え、再選を確実にすることになる。従って、言葉とは裏腹に、経済にしろ、農林業、漁業にしろ、大型の新規参入には内心消極的となっても不思議はない。
 しかしそのような閉鎖的な、保守的な姿勢が、地域の新陳代謝や活力を失わせている。新規の参入、若い世代の進出を阻み、活力が無くなった地域から、若い世代は出て行く。そして年長者だけが残って行く。それが現実に起こっている。
 現在、地方の市町村に老齢者だけが残り、多くの900前後の市町村が消えて行くことが予想されている。それは長い間政権の座についていた自民党の政策がそのような結果を招いたと言えそうだ。
 農業についても、農協の下で新規参入を拒み、同一地域のコメを一律に扱い、農家間の競争を排除する一方、コメへの需要が減少するたびに減反をさせ、減反した農家に補助金或いは所得補償を行って来た。それは生産しない者に所得を保証するということであり、そのような農業に若い働き手は必要もなく、残らない。それが農業の衰退と競争力の退化をもたらしたといえよう。来年もコメへの需要は低下すると予想されており、生産削減や減反が実施され、作物を作らないことに所得補償が行われる。自民党は農家にそれを約束して来た。しかし、それでまた農業は一層退化する。要するに、保守党の基盤に立って、農水省と農協が、税金を使って“俵”を買い上げ、議員が“票”を買っているようなものと映る。
 国民はコメを含む農産物の有り難みを知っており、このような農業政策に寛容であった。しかし働かないことに補償が与えられるような制度は持続不能であることも知っている。現状で農業は退化し、若い働き手も残る見通しもない以上、農業への参入規制を緩和し、大規模化、企業化を図るしかないのではないか。
 経済戦略特区についても、一方で全国一律に規制を維持しつつ、特定の都道府県を選択し、規制の一部解除を行うだけで、新たに地域選択という手続きを追加し、規制制度を更に複雑化させるだけだ。中央管理の複雑化、強化に繋がる。
 また自民党は、選挙公約の中で、‘地方創生’の具体的施策として、中小企業対策や人口減少対策のために‘バラ撒きにならないような’交付金や、商店街などの地域経済の活性化を図るため、‘地域商品券’の発行等を行うとしている。正にバラ撒きではないか。公明党が嘗て‘地域振興券’なるものを推奨したが、地方のシャッター街が次々と増えるのを防ぐことは出来なかったことは誰もが知っていることだ。このような中央から地域振興のための予算、税金のおこぼれを受け取っている限り、地方の自発的、自律的な振興を図れないばかりか、中央―地方の支配関係や制度を保守する結果となり、地方分権の拡大にもならないだろう。もっともそれが保守政党の狙いなのだろう。
 地方がそれに安住する限り、地方の再生はない。それは歴史が物語っている。
 (2014.12.1.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―自公政権は老齢者、庶民の敵か!?

2015-04-05 | Weblog
シリーズ平成の本音―自公政権は老齢者、庶民の敵か!?
 厚生労働省は、厚労相の諮問機関の一つである社会保障審議会の医療保険部会に、高齢化に伴い増加する医療費の対応策として、75歳以上の年長者の医療保険料を含め、保険料を引き上げることを柱とする国民の負担増や医療費の抑制策を示したと伝えられている。
 医療費に関連して、自・公政権は既に診察料を引き上げている他、第2の医療費とも言える介護保険料を設け、年金受給者からは介護保険料を天引きしているが、それも引き上げている。
 更に同省は公的年金についても、年金給付額の一層の引き下げなどの抑制策や年金保険料の引き上げなどの負担増を検討している。あたかも悪代官と政商が‘お主も悪よのう’との高笑いが聞こえて来そうだ。
 4月の消費税増税は何のためだったのか。消費税収入は福祉関連に充当するとした上で、社会福祉制度改革を行うことを、民主党政権(当時)と合意し、国会の場で約束したのではないか。国会の場での約束であり、国民への公的な約束と言える。
 その答えが、保険料を引き上げることを柱とする国民の負担増や医療費の抑制策ということか。公的年金についても、年金給付額の一層の引き下げなどの抑制策や年金保険料の引き上げなどの負担増が行われ、更なる改悪が検討されている。
 財源難で、8%への消費増税を行っても財政難が解消しないのであれば、まず行うべきことは歳出、特に人件費を含む管理費の削減であろう。これは中央省庁だけでなく、地方公共団や国会、地方議会を含む人件費を含む管理費の削減がまず行われなくてはならない。今後3年間で3割減などという具体的な目標が必要だ。
国民への更なる負担増や給付の削減であってはならない。ところが現自・公政権は、実質的な無駄の削減などの行財政改革や政治改革には不熱心であり、実績がない。それどころか、現政権は、2年間実施されていた公務員給与の平均7.8%削減を4月に元に戻した上、公務員給与の引き上げを閣議決定している。更に、議員報酬についても13%程度削減されていたものを4月末で元に戻している上、着実な人口減が予想されているのに議員定数の削減については非常に不熱心だ。それどころか、政務調査費の不適正な使用やネギの購入なども政治資金として計上しているなど、政治資金の乱脈振りが報道されている。
 それにも拘らず、更に国民の負担を求めるのだろうか。耳障りの良いことばかりを言っているが、それだけでは責任ある政権政党とは言えそうにない。(2014.10.17.)
(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―自公政権は老齢者、庶民の敵か!?

2015-04-05 | Weblog
シリーズ平成の本音―自公政権は老齢者、庶民の敵か!?
 厚生労働省は、厚労相の諮問機関の一つである社会保障審議会の医療保険部会に、高齢化に伴い増加する医療費の対応策として、75歳以上の年長者の医療保険料を含め、保険料を引き上げることを柱とする国民の負担増や医療費の抑制策を示したと伝えられている。
 医療費に関連して、自・公政権は既に診察料を引き上げている他、第2の医療費とも言える介護保険料を設け、年金受給者からは介護保険料を天引きしているが、それも引き上げている。
 更に同省は公的年金についても、年金給付額の一層の引き下げなどの抑制策や年金保険料の引き上げなどの負担増を検討している。あたかも悪代官と政商が‘お主も悪よのう’との高笑いが聞こえて来そうだ。
 4月の消費税増税は何のためだったのか。消費税収入は福祉関連に充当するとした上で、社会福祉制度改革を行うことを、民主党政権(当時)と合意し、国会の場で約束したのではないか。国会の場での約束であり、国民への公的な約束と言える。
 その答えが、保険料を引き上げることを柱とする国民の負担増や医療費の抑制策ということか。公的年金についても、年金給付額の一層の引き下げなどの抑制策や年金保険料の引き上げなどの負担増が行われ、更なる改悪が検討されている。
 財源難で、8%への消費増税を行っても財政難が解消しないのであれば、まず行うべきことは歳出、特に人件費を含む管理費の削減であろう。これは中央省庁だけでなく、地方公共団や国会、地方議会を含む人件費を含む管理費の削減がまず行われなくてはならない。今後3年間で3割減などという具体的な目標が必要だ。
国民への更なる負担増や給付の削減であってはならない。ところが現自・公政権は、実質的な無駄の削減などの行財政改革や政治改革には不熱心であり、実績がない。それどころか、現政権は、2年間実施されていた公務員給与の平均7.8%削減を4月に元に戻した上、公務員給与の引き上げを閣議決定している。更に、議員報酬についても13%程度削減されていたものを4月末で元に戻している上、着実な人口減が予想されているのに議員定数の削減については非常に不熱心だ。それどころか、政務調査費の不適正な使用やネギの購入なども政治資金として計上しているなど、政治資金の乱脈振りが報道されている。
 それにも拘らず、更に国民の負担を求めるのだろうか。耳障りの良いことばかりを言っているが、それだけでは責任ある政権政党とは言えそうにない。(2014.10.17.)
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シリーズ平成の本音―しぼむ経済回復

2015-04-05 | Weblog
シリーズ平成の本音―しぼむ経済回復
 政府、中央銀行は2%のインフレターゲットを設定し、通貨の供給量を大幅に増加させ経済をけん引しようとしているが、個人消費は増加していない一方、輸入原材料の価格上昇等を理由として多くの消費財が値上げしているため、年金支給額の実質引下げ、医療保険や年金保険料の引き上げなどと相まって、個人消費の増加は期待できない状況となっており、景況感も横ばい状態である。他方、原油価格は3分の1前後に低下しているのに電気代は引き下げられず、またタクシーや運送費なども引き下げられる気配はないなど、経済指標に沿った価格調整は行われていないので、大企業を中心とする若干の賃上げがあっても、このような便乗的値上げ予想と福祉関係費の生活費圧迫から、国民の消費節約は今後とも続くと予想される。
 1月12日、政府(総務省)は2014年度の国内総生産(GDP)の成長率を実質マイナス0.5 %となるとの見通しを公表した。2013年7月での政府見通しは、実質1.2%のプラス成長であったので、実質1.7%の落ち込みとなり、見通しの甘さが露呈した形だ。
 政権側は、昨年4-6月期は、4月からの消費増税により消費は落ち込むが、7-9月期は賃金引き上げ等により消費は回復するとしていただけに、言行不一致は甚だしい。その上で政権側は、回復の効果を‘全国つずうらうらまで届ける’などとしているが、‘回復の効果’は輸出産業や観光産業などを中心とする局部的なもので、都市においても地方においても実質的な成果は感じられず、消費は非常に慎重であることが数値で明らかになった。
 国民全体としては、景気が回復し、生活が楽になったという実感に乏しいのが実態のようだ。数値上も、名目成長率が1.7%であるので、実質成長率との差の2.2%が物価デフレータであり、名目成長率以上に物価上昇が激しいことを示している。アベノミクスの金融政策は、インフレ目標2%として大量の通貨を市場に供給することであり、それにより株価は上昇し、円安となり、物価も上昇することを意図している。現実は、軒並み物価が上がり、給与アップは極く局部的、限定的となっているので、全体とすると生活は苦しくなり、1円でも安いものを求める空気が強くなっている。物価上昇は、公表されている物以上に、量やサイズが小さくなっており、実質的に政府公認の便乗値上げとも言うべき軒並みの物価上昇となっている。
 しかも円安にしろ株高にしろ、結局は米国の景気頼みであり、日本の内需が景気を牽引しているものではない。株が上がっても、恩恵を受けているのは6割以上を占める外国人投資家と機関投資家であり、個人投資家はごく少数の上、バブル期に大損をしている人が多いので、証券会社や株式自体に対する不信感は根強い。
 しかし年令を問わず多くの国民の将来不安の根源は、年金を中心とする社会保障への不信感にある。戦後自民党政権の下で′100年安心’と銘打って作られた年金制度、特に国民年金は、バブル経済崩壊、資産デフレ期に各種の贅沢な施設などに流用され食い潰された形となり、年金財源の不足から給付年齢の引き上げや給付額の引き下げが行われるなどに加え、膨大な消えた年金問題が表面化し、そのずさんで無責任な運営振りが明らかになっている。更に、介護保険料が漸増し、国民年金給付額より天引きされるなど、年金の信頼度は低下の一方だ。
 生活保護受給者が216万人、160万世帯を超え、65歳以上の高齢者世帯が全体の47%以上も占めている。65才以上といえば年金受給対象者であり、夫婦共に年金受給対象者であっても、年金では生活出来ないということを示している。そのような年金に加入する意味もないので、国民年金加入者は減少する一方だ。だから若い世代も、将来不安から、消費を抑える傾向にある。
 65才以上の年金受給対象者は、原則として生活保護を停止し、年金一本に切り替えるべきであろう。双方を受給するというのは2重の保護、過保護に当たり、政府、行政自体が、年金の意味を否定するようなものだ。
 年金への信頼性が回復しない限り、多くの国民の将来不安は解消しないであろう。そこを理解し、年金への信頼性を回復するよう措置しない限り、多少の給与増があっても貯蓄が優先され、本格的な消費増にはなかなか繋がらないであろう。年金の信頼性を失わせたのは政権与党であるので、年金関係業務の人件費を含む管理費を抜本的に節減すると共に、行政全体について人件費の削減や公務員住宅・議員宿舎や国有財産の処分を含め、管理費を節減し、社会保障分野に振り向けるなどの、予算資源の再配分が必要になっていると言えよう。  
消費増税を重ねるだけでは問題は解決しない。そもそも年金制度が破綻し、財政が膨大な公的債務で破綻状態になっていれば、まず抜本的なコスト削減を行うことが常識だ。地方を含め、歳出分野の抜本的な節減による予算資源の再配分を行うことが不可欠になっている。(2015.4.2.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―しぼむ経済回復

2015-04-05 | Weblog
シリーズ平成の本音―しぼむ経済回復
 政府、中央銀行は2%のインフレターゲットを設定し、通貨の供給量を大幅に増加させ経済をけん引しようとしているが、個人消費は増加していない一方、輸入原材料の価格上昇等を理由として多くの消費財が値上げしているため、年金支給額の実質引下げ、医療保険や年金保険料の引き上げなどと相まって、個人消費の増加は期待できない状況となっており、景況感も横ばい状態である。他方、原油価格は3分の1前後に低下しているのに電気代は引き下げられず、またタクシーや運送費なども引き下げられる気配はないなど、経済指標に沿った価格調整は行われていないので、大企業を中心とする若干の賃上げがあっても、このような便乗的値上げ予想と福祉関係費の生活費圧迫から、国民の消費節約は今後とも続くと予想される。
 1月12日、政府(総務省)は2014年度の国内総生産(GDP)の成長率を実質マイナス0.5 %となるとの見通しを公表した。2013年7月での政府見通しは、実質1.2%のプラス成長であったので、実質1.7%の落ち込みとなり、見通しの甘さが露呈した形だ。
 政権側は、昨年4-6月期は、4月からの消費増税により消費は落ち込むが、7-9月期は賃金引き上げ等により消費は回復するとしていただけに、言行不一致は甚だしい。その上で政権側は、回復の効果を‘全国つずうらうらまで届ける’などとしているが、‘回復の効果’は輸出産業や観光産業などを中心とする局部的なもので、都市においても地方においても実質的な成果は感じられず、消費は非常に慎重であることが数値で明らかになった。
 国民全体としては、景気が回復し、生活が楽になったという実感に乏しいのが実態のようだ。数値上も、名目成長率が1.7%であるので、実質成長率との差の2.2%が物価デフレータであり、名目成長率以上に物価上昇が激しいことを示している。アベノミクスの金融政策は、インフレ目標2%として大量の通貨を市場に供給することであり、それにより株価は上昇し、円安となり、物価も上昇することを意図している。現実は、軒並み物価が上がり、給与アップは極く局部的、限定的となっているので、全体とすると生活は苦しくなり、1円でも安いものを求める空気が強くなっている。物価上昇は、公表されている物以上に、量やサイズが小さくなっており、実質的に政府公認の便乗値上げとも言うべき軒並みの物価上昇となっている。
 しかも円安にしろ株高にしろ、結局は米国の景気頼みであり、日本の内需が景気を牽引しているものではない。株が上がっても、恩恵を受けているのは6割以上を占める外国人投資家と機関投資家であり、個人投資家はごく少数の上、バブル期に大損をしている人が多いので、証券会社や株式自体に対する不信感は根強い。
 しかし年令を問わず多くの国民の将来不安の根源は、年金を中心とする社会保障への不信感にある。戦後自民党政権の下で′100年安心’と銘打って作られた年金制度、特に国民年金は、バブル経済崩壊、資産デフレ期に各種の贅沢な施設などに流用され食い潰された形となり、年金財源の不足から給付年齢の引き上げや給付額の引き下げが行われるなどに加え、膨大な消えた年金問題が表面化し、そのずさんで無責任な運営振りが明らかになっている。更に、介護保険料が漸増し、国民年金給付額より天引きされるなど、年金の信頼度は低下の一方だ。
 生活保護受給者が216万人、160万世帯を超え、65歳以上の高齢者世帯が全体の47%以上も占めている。65才以上といえば年金受給対象者であり、夫婦共に年金受給対象者であっても、年金では生活出来ないということを示している。そのような年金に加入する意味もないので、国民年金加入者は減少する一方だ。だから若い世代も、将来不安から、消費を抑える傾向にある。
 65才以上の年金受給対象者は、原則として生活保護を停止し、年金一本に切り替えるべきであろう。双方を受給するというのは2重の保護、過保護に当たり、政府、行政自体が、年金の意味を否定するようなものだ。
 年金への信頼性が回復しない限り、多くの国民の将来不安は解消しないであろう。そこを理解し、年金への信頼性を回復するよう措置しない限り、多少の給与増があっても貯蓄が優先され、本格的な消費増にはなかなか繋がらないであろう。年金の信頼性を失わせたのは政権与党であるので、年金関係業務の人件費を含む管理費を抜本的に節減すると共に、行政全体について人件費の削減や公務員住宅・議員宿舎や国有財産の処分を含め、管理費を節減し、社会保障分野に振り向けるなどの、予算資源の再配分が必要になっていると言えよう。  
消費増税を重ねるだけでは問題は解決しない。そもそも年金制度が破綻し、財政が膨大な公的債務で破綻状態になっていれば、まず抜本的なコスト削減を行うことが常識だ。地方を含め、歳出分野の抜本的な節減による予算資源の再配分を行うことが不可欠になっている。(2015.4.2.)(All Rights Reserved.)
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