平成の本音―森友学園という国民洗脳モンスター!?
森友学園(籠池理事長)に国有地(大阪府豊中市)を破格の安値で払い下げた問題が混迷を深め、日本の政体や憲法にも係る重大な政治問題に発展する様相を呈し始めている。
同学園の籠池理事長の国会招致が焦点となっていたが、‘民間人だから’という意味不明な理由で招致に反対していた自民党が、一転招致を了承し、3月23日に証人喚問という厳正な形で招致されることになった。
籠池理事長が、3月16日、記者団に、建設中の小学校は多くの人の意志があり建設されているとしつつ、‘安倍首相から100万円の寄付を頂いている’ことを明らかにした。安倍首相側は、首相としては寄付していない、昭恵首相夫人についても、個人としてもない旨明らかにした。自民党側は、これを‘首相に対する侮辱’とし、喚問に応じることになったものだ。偽証すると罰則が掛かる証人喚問とすることで、発言に抑制を掛ける狙いもあろうが、新たな真実が語られる恐れもある。
籠池理事長としては、小学校認可申請を取り下げるようにさせられたことや、財務省当局から10日間ほど身を隠しているように要請されるなど、これまで好意的に対応して来た行政当局等が手のひらを返したように圧力を掛けて来たのに対し、同理事長が発言している通り‘しっぽ切りになる’のではとの危機感を感じ、長期政権になることが期待されている首相との関係を前面に出し、首相の威光を借りて行政当局等を封じ込めようとする意図が見え隠れする。そもそも、国有財産の超格安取得や小学校建設認可などが嘗てない速さで進められたが、首相夫妻の名を最大限に使って行うことが出来たと見られるので、国会等での追及に晒された行政当局を黙らせるには、籠池理事長と距離を取り始めたものの、森友学園の教育方針、信条に好意的な首相の威光を借りるしかないと思っているのではなかろうか。
森友学園籠池理事長は、国有地格安取得、小学校建設許可などを‘安倍晋三記念小学校’、‘安倍昭恵首相夫人名誉校長’などの名前を巧みに使用して進めたことは明らかだ。これらの名称は、国有地取得問題が国会等で追及された後首相側から取り下げられた。首相が‘自分たちが被害者’と主張していることにも一理はある。しかし首相夫妻は、森友学園の幼稚園児に明治天皇が公布した強固な天皇制を前提とした「教育勅語」を唱えさせ、これに沿った‘修身教育’的なしつけや保守思想を教えていることに共鳴し、幼稚園に止まらず、それを小学校等へと繋げたいとする願望に賛同しているようだ。
森友学園問題は、不明朗、不適正な国有地払い下げや関連資料の廃棄という国有財産管理上の問題や「教育勅語」をはじめとする保守思想を教える幼稚園や義務教育課程の学校に対し政府の補助金その他の優遇、支援を与える問題など、行政上の公正さ、適正さがまず厳しく問われなくてはならない。
しかし日本の将来にとって、これらの行政上の適性さの問題と勝るとも劣らない問題は、森友学園が目指している教育勅語や‘修身教育’などに象徴される復古的保守教育を判断力や批判力のない幼稚園児から始め、更に小・中学校へと広げようとする意図が根底にあることではなかろうか。
これは天皇制を旧帝国時代に準ずる強固なものにしつつ、恒久的な制度としようとするもので、その擁護者としての保守勢力を利すると言えよう。しかしこのような教育を、判断力や批判力のない幼稚園児や継続して小・中学校生にまで行うことは、いわば洗脳教育に等しい。森友学園による小学校経営が認められていれば、そのような教育を支持、擁護している首相や首相夫人を始めとする新保守主義勢力の支持、協力を得てどんどん広がっていたかもしれない国民洗脳モンスターとなる可能性がある。
「教育勅語」は明治天皇の名で出されたものであり、その中に‘公のために奉仕し’というくだりがあり、それ自体は理解されるところである。しかしその次に‘永遠に続く皇室の運命を助けるようにしなさい’などとあり、要するに万世一系、天皇独裁を擁護しなさいとの勅語である。その下で‘修身教育’が行われ、天皇中心の専制君主国家の精神的な支柱となっていたが、明治憲法が廃止され、現行憲法が公布されたことにより、戦後廃止されている。信条、信仰の自由であり、私的にこれを教えることは自由であろうが、これを教え、従わせるような教育を行う幼稚園や小学校等に国(行政府)が補助金を与えたり、特別の優遇措置を与えることは、憲法で禁止されている‘国の宗教活動’には当たらないものの、国が特定の信条、思想を教える教育機関を擁護、助成することになるので問題であろう。
文科省が「教育勅語」を教えることは法令上問題ないなどとしたり、稲田防衛相が「教育勅語」にも良いことが書いてあるなどとしているが、行政当局や閣僚が廃止になった「勅語」を教えることを容認する姿勢は、現行憲法に照らし適正を欠くと見られ、その是非が厳正に問われなくてはならなそうだ。
籠池理事長が、この小学校は‘いろいろな人の意思に支えられている’としつつ、首相よりの寄付金を同夫人を通じ得ている旨公表したが、小学校建設が首相及び同夫人の意思もあって進められているのだと言いたいのだろう。
もし今回この問題が表面化せず小学校が建設されることになれば、中学校等の建設にも発展する可能性があり、そうなれば幼稚園児からの国民洗脳教育が根を下ろす可能性があった。それ自体問題であるが、このような日本の将来に関係する重要な事柄を、国民にきちんと知らせることなく、首相や首相夫人、保守政治家、教育者、知識人などの新保守主義グループにより、背後で密かに進められていることがより重大な問題であり、国民としてもこのような裏の動きを精査することが必要なのであろう。更にこのような政治的な勢力が、中央官庁や地方行政府による‘おもんぱかり行政’を作り出しているとすれば驚きだ。
このような保守勢力が、天皇を憲法上の‘元首’に据えることを含め、憲法改正や女性宮家の創設などによる天皇制の恒久化などを進めていることは注目に値する。保守勢力は、政権維持、或いは保守党を常に日本政治の中心に据えるため、天皇制、或いは天皇の権威を利用することが出来る。それを背後で首相等が密かに進めようとしているのであれば公正を欠く。国民にきちんと説明して行うべきであろう。
森友学園の各種行事で、籠池理事長が壇上に掛けてある国旗に敬礼をしている姿は、官邸の記者会見会場に掲揚してある国旗に敬礼する姿に似ている。諸外国でも、国旗は大切にされ、また愛着を持たれているが、軍隊の国旗掲揚等の際を除き、一々敬礼する姿は見られない。国旗を偶像化し、権威の象徴としているのだろうが、その先に天皇の権威があるのではなかろうか。国民はそのような権威主義的な国旗や特定政党を利する天皇制を望んでいるのだろうか。そうなれば一党独裁の専制国家的色彩が強くなり、天皇は、‘国民統合の象徴’ではなくなりそうだ。国民の選択次第であろう。(2017.3.20.)
(All Rights Reserved.)
森友学園(籠池理事長)に国有地(大阪府豊中市)を破格の安値で払い下げた問題が混迷を深め、日本の政体や憲法にも係る重大な政治問題に発展する様相を呈し始めている。
同学園の籠池理事長の国会招致が焦点となっていたが、‘民間人だから’という意味不明な理由で招致に反対していた自民党が、一転招致を了承し、3月23日に証人喚問という厳正な形で招致されることになった。
籠池理事長が、3月16日、記者団に、建設中の小学校は多くの人の意志があり建設されているとしつつ、‘安倍首相から100万円の寄付を頂いている’ことを明らかにした。安倍首相側は、首相としては寄付していない、昭恵首相夫人についても、個人としてもない旨明らかにした。自民党側は、これを‘首相に対する侮辱’とし、喚問に応じることになったものだ。偽証すると罰則が掛かる証人喚問とすることで、発言に抑制を掛ける狙いもあろうが、新たな真実が語られる恐れもある。
籠池理事長としては、小学校認可申請を取り下げるようにさせられたことや、財務省当局から10日間ほど身を隠しているように要請されるなど、これまで好意的に対応して来た行政当局等が手のひらを返したように圧力を掛けて来たのに対し、同理事長が発言している通り‘しっぽ切りになる’のではとの危機感を感じ、長期政権になることが期待されている首相との関係を前面に出し、首相の威光を借りて行政当局等を封じ込めようとする意図が見え隠れする。そもそも、国有財産の超格安取得や小学校建設認可などが嘗てない速さで進められたが、首相夫妻の名を最大限に使って行うことが出来たと見られるので、国会等での追及に晒された行政当局を黙らせるには、籠池理事長と距離を取り始めたものの、森友学園の教育方針、信条に好意的な首相の威光を借りるしかないと思っているのではなかろうか。
森友学園籠池理事長は、国有地格安取得、小学校建設許可などを‘安倍晋三記念小学校’、‘安倍昭恵首相夫人名誉校長’などの名前を巧みに使用して進めたことは明らかだ。これらの名称は、国有地取得問題が国会等で追及された後首相側から取り下げられた。首相が‘自分たちが被害者’と主張していることにも一理はある。しかし首相夫妻は、森友学園の幼稚園児に明治天皇が公布した強固な天皇制を前提とした「教育勅語」を唱えさせ、これに沿った‘修身教育’的なしつけや保守思想を教えていることに共鳴し、幼稚園に止まらず、それを小学校等へと繋げたいとする願望に賛同しているようだ。
森友学園問題は、不明朗、不適正な国有地払い下げや関連資料の廃棄という国有財産管理上の問題や「教育勅語」をはじめとする保守思想を教える幼稚園や義務教育課程の学校に対し政府の補助金その他の優遇、支援を与える問題など、行政上の公正さ、適正さがまず厳しく問われなくてはならない。
しかし日本の将来にとって、これらの行政上の適性さの問題と勝るとも劣らない問題は、森友学園が目指している教育勅語や‘修身教育’などに象徴される復古的保守教育を判断力や批判力のない幼稚園児から始め、更に小・中学校へと広げようとする意図が根底にあることではなかろうか。
これは天皇制を旧帝国時代に準ずる強固なものにしつつ、恒久的な制度としようとするもので、その擁護者としての保守勢力を利すると言えよう。しかしこのような教育を、判断力や批判力のない幼稚園児や継続して小・中学校生にまで行うことは、いわば洗脳教育に等しい。森友学園による小学校経営が認められていれば、そのような教育を支持、擁護している首相や首相夫人を始めとする新保守主義勢力の支持、協力を得てどんどん広がっていたかもしれない国民洗脳モンスターとなる可能性がある。
「教育勅語」は明治天皇の名で出されたものであり、その中に‘公のために奉仕し’というくだりがあり、それ自体は理解されるところである。しかしその次に‘永遠に続く皇室の運命を助けるようにしなさい’などとあり、要するに万世一系、天皇独裁を擁護しなさいとの勅語である。その下で‘修身教育’が行われ、天皇中心の専制君主国家の精神的な支柱となっていたが、明治憲法が廃止され、現行憲法が公布されたことにより、戦後廃止されている。信条、信仰の自由であり、私的にこれを教えることは自由であろうが、これを教え、従わせるような教育を行う幼稚園や小学校等に国(行政府)が補助金を与えたり、特別の優遇措置を与えることは、憲法で禁止されている‘国の宗教活動’には当たらないものの、国が特定の信条、思想を教える教育機関を擁護、助成することになるので問題であろう。
文科省が「教育勅語」を教えることは法令上問題ないなどとしたり、稲田防衛相が「教育勅語」にも良いことが書いてあるなどとしているが、行政当局や閣僚が廃止になった「勅語」を教えることを容認する姿勢は、現行憲法に照らし適正を欠くと見られ、その是非が厳正に問われなくてはならなそうだ。
籠池理事長が、この小学校は‘いろいろな人の意思に支えられている’としつつ、首相よりの寄付金を同夫人を通じ得ている旨公表したが、小学校建設が首相及び同夫人の意思もあって進められているのだと言いたいのだろう。
もし今回この問題が表面化せず小学校が建設されることになれば、中学校等の建設にも発展する可能性があり、そうなれば幼稚園児からの国民洗脳教育が根を下ろす可能性があった。それ自体問題であるが、このような日本の将来に関係する重要な事柄を、国民にきちんと知らせることなく、首相や首相夫人、保守政治家、教育者、知識人などの新保守主義グループにより、背後で密かに進められていることがより重大な問題であり、国民としてもこのような裏の動きを精査することが必要なのであろう。更にこのような政治的な勢力が、中央官庁や地方行政府による‘おもんぱかり行政’を作り出しているとすれば驚きだ。
このような保守勢力が、天皇を憲法上の‘元首’に据えることを含め、憲法改正や女性宮家の創設などによる天皇制の恒久化などを進めていることは注目に値する。保守勢力は、政権維持、或いは保守党を常に日本政治の中心に据えるため、天皇制、或いは天皇の権威を利用することが出来る。それを背後で首相等が密かに進めようとしているのであれば公正を欠く。国民にきちんと説明して行うべきであろう。
森友学園の各種行事で、籠池理事長が壇上に掛けてある国旗に敬礼をしている姿は、官邸の記者会見会場に掲揚してある国旗に敬礼する姿に似ている。諸外国でも、国旗は大切にされ、また愛着を持たれているが、軍隊の国旗掲揚等の際を除き、一々敬礼する姿は見られない。国旗を偶像化し、権威の象徴としているのだろうが、その先に天皇の権威があるのではなかろうか。国民はそのような権威主義的な国旗や特定政党を利する天皇制を望んでいるのだろうか。そうなれば一党独裁の専制国家的色彩が強くなり、天皇は、‘国民統合の象徴’ではなくなりそうだ。国民の選択次第であろう。(2017.3.20.)
(All Rights Reserved.)