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森友学園問題の責任者栄転、財務省の内部統制崩壊!!

2017-07-16 | Weblog
平成の本音―森友学園問題の責任者栄転、財務省の内部統制崩壊!!
 森友学園への国有地安値払い下げ問題で財務省の責任者であった佐川宣寿理財局長が、国会閉会後の7月5日、国税庁長官に任命された。中央省庁の幹部人事は大臣の了承を得るが、人事権を強めている官房長など、最終的には官邸の了承を得て行われている。
 国税局長官は国民に税を課し、徴収する責任者であり、国民生活にとって非常に大きな影響がある役職であるだけに、この人事に強い疑問が呈されている。
 森友学園問題については、籠池理事長が傘下の幼稚園の補助金問題、いわば別件で起訴されているが、国民の財産である国有地を格安で払い下げたことが適正であったか否か、及びその間の‘関連文書やデータが存在せず、1年も経たない内に廃棄されている’ことを含めて国会審議は尽くされておらず、また国民に8億円余にも及ぶ不当な損害を与え、背任や公的文書管理義務違反等の不適正な処理についてほとんど調査が進んでいない状況での責任者の移動は、いかにも適正を欠き、国民感情を逆なでしているように見える。
 この問題に関する財務省の対応については、麻生財務大臣は、これまでの国会答弁で‘適正な手続きで行った’或いは‘関連文書は廃棄されていると承知しているので、無い’などと理財局の対応を擁護して来ている。今回の人事についても、同財務相は、‘国有財産行政を担当する理財局が丁寧な説明に努めてきたと認識している。そういう意味では財務省はきちんと対応してますんで、瑕疵があるわけではない’などとして、財務省の対応を擁護しつつ、‘適材適所’の人事としている。そもそも、多くの国民は、‘財務省がきちんと対応している’とは思ってはいないし、ましてや‘理財局が丁寧な説明に努めてきた’などとは思っていない。佐川局長(当時)が、国会での具体的な質問に対し、そのようなことを‘いちいち調べるのは差し控える’などと答弁している。国会や議員も軽く見られているものだ。マスコミやいわゆる‘コメンテーター’を含め言論界などもこの答弁でスルーしている。マスコミ力、言論力も権力やビジネスに寄り添い、著しく低下しているように見える。
 納税者にとってはこれ程の不条理はない。国民の財産に8億円余の損失を与え、その事務処理について関係資料やデータを廃棄し、更に具体的なことは‘いちいち調べない’としていた者が、国税庁長官となり、納税者の経理、財務活動を‘いちいち調べ’、税を取ることになる。
首相、財務相はじめ理財当局は、‘法令に基づき、適正な手続きに基づき処理をした’としている。その通りだろう。法令に違反し、不適正な手続きで処理していたら、直ちにアウトであり、処罰の対象だ。問題は、首相、首相夫人との関係を考慮して、政策的にえこひいきし、国庫に損害を与えたか否かであり、行政の公平性、適正さの問題なのである。もし財務省等が、首相や首相夫人の名に対する‘忖度’はないとするのであれば、売却時の決裁書類、価格や大幅値引きの根拠を含む資料を提出し、説明すべきであろう。敷地から‘ゴミが出た’ため減額したというのであれば、ゴミの種類や量、及び撤去費用の積算根拠や領収書や請求書類を提出し、説明すべきである。財務省は、これら文書を‘廃棄’したとしているが、公的文書の保管義務違反であり、国有財産に係るものだけに、厳しい懲戒処分に相当する。不誠実、無責任な業務振りであり、国家、国民に対する背任行為と言えよう。
 財務相を含め、この政権は、森友学園との関係を否定しようとしている首相、首相夫人を擁護するがために、関係当局に口止めや嘘や文書廃棄等を強いる形となっており、公務の管理能力や内部統制が欠如し、組織としての内部統制(コンプライアンス)とモラルが崩壊する恐れが出始めている。
 本来であれば首相始め内閣が、このようなずさん、無責任な行政について、関係事務当局を厳重に注意し、国民の納得が得られるような行政事務を行うと共に、誠実な説明と改善措置を提示するよう指示すべきであろう。政権与党である自民、公明の両保守党もまた、ひたすら首相側を弁護しているだけでなく、事務当局に対し実質的な改善を求めるべきではなかろうか。しかし内閣にも政権与党にもそのような姿勢は見られない。
 逆に責任者である理財局長を国税長官に移し、人隠し、資料の完全廃棄を図ろうとしている。行政組織の内部統制の確保の上では、現政権は戦後最悪、最低の政権と言えないだろうか。これでは国民は、行政を信用出来なくなる。
 佐川国税庁長官や麻生財務相は速やかに退陣すべきであろう。また関係文書の廃棄や今回の人事を行った財務事務次官はじめ関係幹部も国庫を預かる資格はなく、責任は大きい。
特に麻生財務相は、国庫を預かる真摯さに欠ける上、副首相として行政の統括を補佐する立場でありながら、‘丁寧に説明している’、‘瑕疵はない’などとして国民世論に逆行し、軽視する空気を漂わせており、内閣や行政を担う資格と真摯さに欠けているように映る。記者などは問題にもされていない。有権者は正しい選択を行うことが求められているようだ。
加計学園問題についても同様だ。首相が、獣医学部の設立につき、その問題の実質的な最高責任者でありながら、指示していない、関係していないなどとしているが、あり得ない話であろう。そもそも首相は、この問題の利害関係者である家計理事長と頻繁にゴルフをし、会食をしているが、公務に就いている者が、いくら親しくても、在職中に利害関係者とゴルフや会食自体をすることを控えることが倫理規定として定められており、これ一つとってもアウトなのである。(2017.7.14.)
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オリンピック2020、大会組織委の刷新が不可欠!

2017-07-16 | Weblog
シリーズ平成の本音―オリンピック2020、大会組織委の刷新が不可欠!
7月2日の都議選は、小池都知事が率いる都民ファーストが大勝し、最大会派であった自民党は議席を半分以下に減らし大敗した。これで都議会は都民ファーストの会が最大会派となり、他政党と連携し過半数を制することになった。
その原因は、森友学園の破格安値での国有地取得問題や加計学園に対する不明朗な優遇問題、共謀罪法案の強引な採択等、安倍政権の強引で不誠実な対応を背景として、閣僚や自民党議員による度重なる不祥事が拍車を掛けたと見られている。
 ところが東京オリンピック・パラリンピックは、都議選では話題にも上らず、低調に終わった。もともと東京では関心が低かった。また一部競技が行われる千葉、埼玉、静岡、神奈川等の各県でも、大会運営費は組織委等が負担すべきとして県レベルでの予算措置を取らないなど、県レベルでの関心も低く、一般都民や国民の人気や熱意が下がり続けている。これでは都レベルの大会となり、国レベルのナショナル・イベントとは言い難い状態となっている。
選手は各分野で国際的にも活躍しており、頼もしい。頑張って欲しいものだ。しかし大会組織委は、新国立競技場のデザインや予算規模、エンブレムのデザ
イン問題を巡り失態続きの上、昨年小池都知事が就任以来、組織委森会長が事ある毎に都知事と対立し、テンションを下げ続けている。都議選の結果を踏まえ、大会組織委を早急に刷新する必要がありそうだ。
組織委の会長は、都議会で自民党が最大会派であり、今回日和見的に翻った公明党と過半数を維持していた時代に、安倍政権の下で就任した。森会長は、自民党の最大派閥に属し、同党総裁となり首相を務めたが、失態が続きで支持率が7%台に下がり辞任した。だが、その後も同派閥は同党最大派閥を維持し、安倍首相を誕生させている。
本来であれば、世界平和を目指し、政治的には公平、公正であるべきスポーツの祭典オリンピックの組織委の会長は、政治家以外から任命すべきであったのであろう。マスコミやスポーツ界、言論界から異論が出なかったのも不思議だ。安倍政権の長期政権化を念頭に置いた政治的な選択であったのであろうが、余りにも政権へのすり寄りが強くなり、マスコミ力、言論力が低下しているということであろうか。
しかし今後、都議会が都民ファーストの会を中心として審議され、知事が実質上のリーダーとなっている以上、東京都と組織委との関係が改善するとも思えない。大会運営経費の分担問題も一部を除き決着を見ているので、それを花道として、組織委の森会長と同会長がピックアップした財務省出身の武藤事務局長は速やかに勇退し、政界以外からの会長の就任が期待される。森会長は自著「遺書」を出版し、小池批判を含めて回顧をしているので、勇退を自覚しているのであろう。(2017.7. 8.)
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豊洲市場、シックハウスの行方と責任

2017-07-16 | Weblog
シリーズ平成の本音―豊洲市場、シックハウスの行方と責任
 小池都知事は、知事に就任後、昨年11月7日に予定されていた豊洲新市場への移転を延期し、食の安全性などにつき検討を重ねてきたが、建物地下の盛り土の欠如している部分を修理した上、基本的には市場機能を豊洲市場に移転する、築地市場についてはブランド力を活かせる方法で活用する方針を発表した。
 土地取得と整備、建物で6,000億円もの巨費を投じて来ている豊洲市場に移転することは、土壌汚染があることが周知となっていた豊洲の土地について、取得と膨大な土地整備を石原都知事時代に決定し、歴代知事が引き継いできている経緯を考慮すると、やむを得ないことと思われる。
 しかし築地市場跡の活用方法は別として、豊洲市場の環境改善が十分に行われず、建物の地下が盛り土されておらず、安全性への対応が不十分であったこと、及び、豊洲市場の運営管理で年間150億円前後にも及ぶ赤字が出る放漫且つずさんな計画を作成、承認して来た都庁関係部局と都議会の責任が問われるべきであろう。
1、都庁の市場関係部局と歴代都知事の責任
 築地市場の移転先を、地下に毒性の強い物質があることが明らかになっていたにも拘わらず、土の入れ替えと、盛り土により安全性を確保することとして豊洲購入を決めたことは、都議会もマスコミも市場関係者を含む多くの都民も承知の上での政治決断であったので、受け入れざるを得ないであろう。
 しかし、4mの盛り土を建物の地下にしていなかったことについては、小池都知事になって分かったことであり、都民も従来承知していなかった行政ミスであるので、その責任は都庁の市場担当副知事を含む市場関係部局が負うべきであろう。歴代都知事も少なくても管理責任はあり、何らかの責任を負うべきであろう。
 その責任は都庁の信頼性に係る重大な問題であり、関係した期間の在職者を対象として管理職であった者は20%の減給2年間、その他は減給10%1年間など、組織全体として責任を負う姿勢を示すべきではなかろうか。行政組織として実害を出し、都民に負担を負わせる結果となった場合には、損害額に応じ、組織として償いをすることが筋であろう。個々の責任を追及することは困難である上、無駄な作業となり、逆に都民にとって有害無益となろう。他方、組織として責任を示さなければ、無責任な組織となる。
 歴代都知事や当時管理職であった退職者についても相応の責任を取るべきであろう。現都知事は、自ら給与を減額している。
2、都議会の歴代与党の責任
都議会自民、公明両会派を中心とする多数派グループは、一貫して豊洲への
移転を主張し、進めて来た。移転先を豊洲に決めたことは、安全性を確保することを前提とした政治的決断であり、都民も報道振りや累次の選挙を通じいわば了承して来ているのでやむを得ない。しかしその後の土地、建物の工事の不備や欠陥については、議会審議を通じチェック出来ないばかりか、容認して来ているので、多数会派としての責任を取るべきであろう。
 そのため、多数会派だった議員を再選せず、反省の期間を与えることを有権者の選択肢としても良いのであろう。
 3、豊洲市場の運営・管理費年間150億円もの赤字は誰が負担?
 豊洲市場の運営・管理費については、年間150億円前後の膨大な赤字となると予想されている。使用料を引き上げ、業者が負担するのが筋であり、都、即ち納税者に負担させる筋合いのものではない。
 豊洲市場の収入を増やす何らかの工夫が必要だ。
4、地下の毒性の強い物質と地下水管理
豊洲市場は、盛り土と舗装で覆われ地表は通常は安全と見られるが、地下に
は、基準の100倍を超えるベンゼンや非常に毒性の強いヒ素やシアンなどの毒物が残留しており、それが地表に上がって来ないように地下水の水位などでコントロールされているという。
 その毒性の強い地下水は東京湾に放流されている。深刻な問題だ。その水量は増え、東京湾を汚染し続ける恐れがある。地下水の無害化と東京湾への放流を制限する措置が不可欠であろう。それにはまた費用が掛かる。
 5、都庁予算の節減が急務
 このようなずさんなと予算の編成、管理運営は、高額の税収があるからに他ならない。上記の費用を捻出するため、都が保有する土地や都心部を中心とする官舎、不要施設を処分し、民間活用に委ねるべきであろう。またバブル期に乱立された諸基金を廃止し、必要なものは民営化することが望まれる。
 都に予算があるからずさんな管理運営が可能になる。住民税の引き下げを行い、都予算のスリム化を実現することが必要ではなかろうか。
(2017.7、1.)
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参議院審議を不要とした自・公両党と維新の会

2017-07-16 | Weblog
シリーズ平成の本音―参議院審議を不要とした自・公両党と維新の会
 6月16日、与党自民・公明両党は、参議院法務委でのテロ等準備罪法案の審議を尽くさないまま、‘中間報告’を参院本会議に提出し、そのまま採決した。同法案は、法務委での18時間弱という生煮えの審議のまま本会議で自・公両党と自民党予備軍ともなっている日本維新の会などの多数で採択したが、‘中間報告’での採択であり、審議が尽くされていないことは明白だ。
 同法案は、暴力団などの組織犯罪を撲滅する上で有用と見られるものの、277にも及ぶ準備的行為で国民を罪人に出来る法律であるだけに、慎重な審議が求められた。しかし金田法相は、‘一般人には適用されない’という当たり前のことを繰り返すのみで、具体的な質問には答えられず、事務方に答弁させる始末であり、担当大臣が理解できない法律を国民が理解できるはずがない。
首相自体も‘一般人には適用されない’との答弁を繰り返していたが、これは、‘一般人’が‘何もしなければ’ということであり、当然のことを言っているに過ぎず、誤った印象を与える不誠実な答弁でしかない。刑事局長は、‘一般人’がこの法律に触れるような行為をすれば対象になる旨答弁をしている。それにも拘らず、法相はもとより、首相さへも法律の基本的な解釈を理解せず、国民に安心感を与えた上、審議も尽くさず法案を強行採決するという乱暴且つ不誠実な対応をしている。
 今回の与党の対応から、次のことが言えそうだ。
 1、参議院は税金の無駄、廃止すべし
 与党自民・公明両党と日本維新の会が、参議院の審議を不要としたので、参議院は廃止しても良いのではないか。税金の無駄だ。
 そもそも現在の参議院は、衆議院のクローン組織、或いはコピーに近い存在であり、その必要性が疑われていた。それを与党自体が追認したに等しい。
 2、個性を失い、自分の意見を持たない議員―政党助成金は廃止すべし
 テロ等準備罪法は、本来テロではなく、組織暴力活動を防止する目的のもの
であり、この点でも疑義があるが、国民の6、7割が良く理解できない、十分な審議が必要としている中で審議を中断し、‘中間報告’で本会議採決を強行したところであり、それに自・公両党や日本維新の会の議員が一人も棄権も反対もしていないのは、独裁政党のようで非常に奇異だ。国民の疑問に答えようとする議員が出ても良いところだ。
 ‘党議拘束’に盲従するというところであろう。党の一体性を保つと言えば聞こえは良いが、議員の個性喪失、独自性の放棄でしかない。
 公明党は、支持母体が創価学会で、同じ宗教を信じるということであるの
で仕方がないのかもしれない。しかし国家緊急事態では、あらゆる形で政権側が権力強化を図り、公明党や創価学会関係者も同法の対象として捜査の対象になる可能性もあるだろうに。日本維新の会に至っては、自民党予備軍のようで、国政には意味がない政党になっている。日本に‘都’は一つで良い。大阪は大阪の有権者が決めることだろうが、東京には維新の会は不要だ。
 ‘党議拘束’が強く、議員の個性が無くなっているのは、国庫から各党に
政党助成金が出され、それを党が所属議員に給付していることが大きいように見える。議員は党から回された国民の税金をほとんど自由に使える。そもそも、有権者の4割前後が無党派層であるので、税金から党に助成金を出すのは筋が違うのではないか。政党助成金を廃止し、出すのであれば、政党を問わず、国が議員(候補者)に直接支給し、報告義務を課すべきであろう。
 3、現政権での憲法改正は不適切
 森友学園問題でも、加計学園問題でも、夫人を含めて国民の背後でいろいろ画策しているにも拘らず、それを隠そうとするばかりか、100万円の寄付はしていない、加計学園側には何もしていないなど、事実に反することを主張し、挙句の果てに関係省庁に対しつじつまを合わせるよう嘘や資料隠しをさせる結果になっている。その上、それを担当政府職員の勝手な行動によるとして片付けようとするなど、行政の適正管理能力や内部統制能力を欠くこと甚だしい。
 このままでは、官僚が嘘をついたり、資料を隠蔽、廃棄したりすることが容認されるという重大な結果を招きかねない。
 更に与党両党と日本維新の会は、国民が理解していない法案を通すために参議院を切り捨てた。まるで独裁政党のようだ。
 このような政権、政党の下での憲法改正は、独裁的で歪んだ結果になる恐れがあるので適当ではなさそうだ。そもそもこの政権は、選挙の際、憲法改正につき主要な改正項目を含む提案を国民に対して行って選ばれてはいないので、憲法改正を行うための国民からの信託を受けてはいない。(2017.6.19.)
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危険を呼び込む安倍政権の安全保障姿勢

2017-07-16 | Weblog
平成の本音―危険を呼び込む安倍政権の安全保障姿勢
 世界各地でイスラム過激派によるテロが横行し、東アジアでは北朝鮮による核、ミサイル開発が進み、南沙島の施設構築など中国の海洋進出が進んでいる中、安倍政権は新たな安保法制の下で米国との同盟関係を拡大強化し、安全保障面での積極的な姿勢を鮮明にしている。
 このような世界や地域情勢の不安定な状況については多くの日本国民も認識しており、現政権の姿勢を好ましく受け止める向きもある。
 しかし安全保障面での強硬姿勢を世界に発信すればするほど、これら諸国やグループは反発し、敵対姿勢をより鮮明にし、逆に日本に対する危険が増大する恐れも指摘されているところ、最近北朝鮮やロシアから次のような反応が示されており、歴史や情勢を見極めた熟慮ある対応が必要になっている。
1、北朝鮮による日本全域の標的化
北朝鮮が核とミサイル開発に邁進し、国連を含む国際社会からの批判が高まる中、安倍政権は、本年北朝鮮のミサイル発射が行われるたびに‘容認できない。現在は対話の時期ではなく、圧力を掛けるべき’との姿勢を声高に表明している。
 5月26、27日にイタリアで開催された主要先進国首脳会議(G-7)において北朝鮮問題が取り上げられ、同首相より同様の発言がなされたことが報道された。これを受けて、5月29日、北朝鮮外務省は声明を発し、安倍首相がサミットにおいて、‘北朝鮮に対話ではなく、圧力を掛ける時だ’として、‘安保理制裁決議の厳格な実施と新たな決議の採択を唱えた’旨非難し、また日本の官房長官他の関係閣僚が‘個別の制裁’を画策しているとした。
そして同声明の結びにおいて、‘日本の米軍基地のみが北朝鮮戦略部隊の標的であるが、もし日本が現実を正しく理解せず、米国に追従して北朝鮮に敵対するのであれば、標的は変更されるだろう’と警告した。この声明において、北朝鮮は、‘同国の核戦力の推進は、米国の核戦争に向けてエスカレートしている動きに終止符を打つための自衛の権利の行使である’とし、核開発の目的は米国への対抗のためであることを明確にする一方、‘日本は、この北朝鮮の自衛行為に脅威や挑発とのレッテルを貼っている’として非難している。
 北朝鮮の核、ミサイル開発は、歴史的に朝鮮戦争が休戦(1953年7月)となり、休戦協定の下で米・韓両国と北朝鮮の対峙関係の中で行われているもので、日本が第一義的な標的ではないし、ましてや朝鮮戦争の当事国でもない。北朝鮮側もその点は理解して対応していることは十分留意する必要があろう。
 このような中で、日本は日本海に展開された米国の原子力空母2隻(カール・ビンソン及びロナルド・レーガン)と日本の海上自衛隊の護衛艦、航空自衛隊の戦闘機による日米共同訓練が6月1日、日本海の北陸沖で実施された。
保守系紙は、防衛省の発表に基づき、これを‘北朝鮮の挑発行為をけん制’との見出しで、写真入りで報じ、TVニュースでも画像と共に報じた。
 北朝鮮の核、ミサイル開発は、日本としても見逃すことが出来ない。空と海を中心とした防衛策の強化が必要だ。他方、‘北朝鮮の挑発行為をけん制’というのは良いが、北朝鮮にとっては、北朝鮮の面前の日本海で米空母が日本と共同訓練すれば、それは‘米・日による北への挑発行動’と受け止められ、日本にもその敵意が向けられる恐れがある。ましてや、朝鮮戦争後、米・韓両国は北朝鮮と‘休戦’しているだけで軍事対立は終結していない。米国が北の核、ミサイルの開発、実用化に直面し、日本海に空母を派遣することは米国の判断であろうが、そのような歴史的、軍事的な状況を十分に認識せず、北朝鮮の面前の日本海で日本が米国の空母と共同訓練することは、災いや危険を日本に引き込む結果となる恐れがあり、見識が欠け、熟慮に欠ける行動と言えないだろうか。日米の共同訓練が必要であれば、太平洋等で行えば良く、敢えて北からの災いや危険を呼び込み、日本国民を危険に晒す必要はないであろう。朝鮮戦争再燃の場合には、日本は自国の防衛は別として、後方支援を中心に行うことが望ましい。
もっとも軍事・安保専門家や新保守グループが、脅威や危機を煽って日本の軍事強国化を図ることも考えられるが、それは日本にとって決して安全を確保する道ではないと言えないだろうか。

 2、北方領土返還は前のめりの日米同盟強化で遠のく
6月1日、ロシアのプーチン大統領は、サンクトペテルブルク市で、各国の通信社代表等と会見した際、北方領土問題について、‘これら諸島が日本の主権下になれば、米軍が展開される可能性がある。ロシアにとっては容認出来ない’と述べ、安全保障上の懸念を表明した。
同大統領は、また、ロシアが北方領土において軍備を増強していることへの質問に答え、米軍が韓国に配備したミサイル防衛システム(THAAD)など、‘同地域で起きていること’への対応とした上で、‘ロシアにとって脅威を抑えるにはこれら諸島は最適の場所’と述べたと伝えられている。
ロシアが、ウラジオストックに繋がる日本海で先に実施された米国原子力空母と日本の海自、空自との共同訓練をどのように見ていたかは想像に難くない。日米関係を強化、拡大して行くことは良いが、沖縄普天間基地の辺野古への移設が実体的に米海兵隊基地を強化、拡大する形で進められていることや軍事・防衛分野での一連の日米連携の強化を強調すればするほど、北方領土の返還は遠のくことが懸念される。

3、イスラム過激派、イスラム国の‘聖戦’のターゲットとされた日本
 安倍政権は、日米同盟の強化を図りながら、国際テロ問題を含め国際場裏での連携を保ちつつ‘積極的平和主義’を推進するとの姿勢を表明している。
その流れの中で、安倍首相は、2015年1月、エジプト等の中東諸国を訪問中であったが、最初の訪問国エジプトにおいて演説し、「人道支援、インフラ整備など非軍事の分野での支援」を新たに実施することを表明すると共に、イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、IS(イスラム国)がもたらす脅威を少しでも食い止めるためとしつつ、「人材開発、インフラ整備を含め、ISと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援」することを約束した。
 その2日後に、「イスラム国」側から首相に宛てた2人の日本人人質に対する身代金要求と殺害予告が行われ、その後2人の日本人は殺害された。
 日本が、国際テロとの戦いに各国と協力することは当然であろう。しかし“イスラム国”に対し、米、英両国を始めジョルダンなど50カ国近くの有志連合が“イスラム国”掃討のために連日のように空爆している最中に、日本が米国との同盟関係を強化し、集団的自衛権行使の実現を推進する中で、中東での反“イスラム国”諸国を支援することを表明すればどのような結果を招くかを十分認識すべきであろう。
 中東の情勢は、歴史的にキリスト教、ユダヤ教、イスラム教という3つの宗教と部族集団が絡み、そしてフランス、イギリスの植民地支配を経て今日に至っており、複雑な歴史的背景がある。古くはキリスト教諸国による十字軍とこれに対抗するイスラム教徒による聖戦(ジハード)が対立し、戦後には長期化するイスラエル、パレスチナ間の中東紛争を抱えており、これがイスラム過激派アルカイーダのテロ活動の遠因となっている。日本は、歴史的に中近東においてキリスト教とイスラム教との対立に巻き込まれたこともなく、戦火を交えたこともない。そのような歴史的な関係をも踏まえこの地域との関係を考えるべきであろう。

 現在、自民、公明連立政権が進めている安全保障政策は、日本の安全と平和のためと声高に言われているが、一定の効果はあるものの一面的であり、逆に危険を呼び込み、国民の危険を増大させる結果となっているので、歴史的な地域情勢などを総合的に考慮した姿勢が望まれる。日米関係の強化、拡大は今後とも日本外交の軸となろうが、軍事同盟化の強化、拡大を図るのであれば、核兵器大国米国の世界戦略と連携することより、危険も増大することを国民に十分説明の上進めることが望まれる。核兵器禁止条約に向けた国連決議において、日本が棄権するなら兎も角、米国の核抑止に依存しているため‘反対’票を投じたことも疑問とする向きもある。(2017.6.10.)(All Rights Reserved.)
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特区制度は特定人のための得区か!?

2017-07-16 | Weblog
特区制度は特定人のための得区か!?
 国家戦略特区制度を利用して、今治市に獣医学部を新設することについて、推進母体である加計学園の加計理事長が安倍首相と緊密な関係にある一方、国家戦略特区諮問会議の議長が首相であることから、首相が直接、間接にどのように関与しているかが問題視されている。
 特区制度は、規制緩和による経済活動の活性化の一手段として、全般的な規制は維持しながら、地区や分野などを限定して規制の対象から外す制度である。一見規制緩和に繋がりそうだが、行政上は規制の細分化、複雑化であり、審査手続きが細分化される。更に、組織面でも国家戦略特区諮問会議を新設し、内閣府が省庁横断的に事務を所掌するなど、屋上屋を重ね、複雑化しており、実体的には規制の撤廃、緩和からは程遠い制度となっている。
 今治市における加計学園による獣医学部の新設については、まず現在以上の獣医学部の新設が必要か否かであるが、京都府の京都産業大学からも提案がなされていたので、何故今治市なのか、何故加計学園なのかが問われなくてはならない。
 この問題をめぐり、同学園の理事長が安倍首相と大学時代からの友人であり、昭恵夫人も同学園の名誉園長であった他、現在でもゴルフや会食等で頻繁に交流している一方、「総理のご意向」とか「官邸の最高レベルの言ったこと」などと書かれた文科省のものと思われる文書が公表されたことから、国会の内外で問題視されている。これに対し、安倍総理大臣は「彼からこの問題について、頼まれたことはなく、働きかけていない」などと否定しているほか、菅官房長官も文書について、「怪文書のような文書だ」と述べ、また文書の存在の調査を求められた文科大臣が、‘その存在は確認出来なかった’など、働き掛けの事実や関係文書等の存在自体を否定し続けている。
 更にこの新設については、内閣府の担当審議官や和泉首相補佐官が関与している他、文科省出身の木曽氏が内閣官房参与として関与していたことが明らかになっている。木曽氏は、加計学園の理事である上、関連の千葉科学大学の学長であったことが明らかになっており、この問題への関与だけでなく、利害関係団体との実質的な関係者でありながら内閣官房参与を務めていたことから、‘利害の衝突’が存在する人物であるので、任命責任も問われるところだ。
 加計学園による獣医学部の新設については、余りにも首相サイドとの関係性が深い。それ自体に問題があるわけでは必ずしもないが、公務に就いている者が、新聞社を含め利害関係者と頻繁にゴルフをしたり、会食することは何かと疑惑を呼ぶので好ましくない。公務員の倫理規定ではこれを禁じており、首相や閣僚についても任期中は適用されるのであろう。
 また官邸首脳や自・公両党や一部保守系紙は、前川前文科省事務次官は、同省の天下り問題で辞任した人だとか、出会い系バーに出入りしていた人であるなどと言及し、同人の信頼性を疑わせる個人攻撃を行っているが、これは‘別件’で同人の発言を疑わせる‘印象操作’であり、森友学園問題同様、フェアーでないし、そのような批判をする資格もなさそうだ。首相サイドは、明らかに獣医学部の新設を強力に推進して来ており、‘関与はしていない’‘圧力を掛けていない’というのは嘘であろう。‘記録がない、文書等もない’も嘘であろう。森友学園問題同様だ。権力側が嘘や資料、記録の隠ぺいをしていながら、一方を別件で批判するのは如何なものであろうか。天下り問題にしても、文科省だけではない。若干関連団体や補助金団体への天下りは若干改善しているようだが、現在でもほとんどの経済官庁OB等が、企業等の顧問や社外取締役等として多数天下っている。その他省庁の天下り調査の結果はどうなっているのだろうか。
 しかし最大の問題は、首相や官房長官はじめ官邸、内閣府、文科省など、特区や教育行政関係者が、獣医学部の新設について、記録がない、文書が残っていない、記憶がないなどとこぞって関与していたことを否定していることだ。もし加計学園による獣医学部を今治市に新設することが必要で、京都産業大学の提案より適切であるというのであれば、その理由を具体的に説明すればよいことであろう。何故堂々と国民に対しその必要性、適切性を訴えることができないのか。何故、関与を否定しながら、国民の背後で事を進めようとするのか。森友学園の問題と類似する。今回の場合は、国家戦略として進めようとする政策において、特定団体、個人に便宜、利益を与えること、いわゆるえこひいきに直接、間接関与し、或いは推進しようとしていたものであり、公正、公平な行政の上でより責任が重い。
 関与を否定すればするほど、加計学園による獣医学部の新設が適切でなく、恣意的な筋わる案件であるとの印象を与える。
 安保法制の時に官邸が法制局長官人事に介入するなど、安倍政権下で官邸の官僚幹部への人事権が強化されている。これ自体は政権交代を前提とすると合理的な基準や範囲内の下で実施されることは必要であろう。しかし恣意的な人事介入が横行するようになると、官僚は首相、官房長官、大臣に物が言えなくなり、専制的な恐怖政治のようになる恐れがあり、物が言えなくなる。現状においては、首相や官房長官の発言や意向に沿わないことについては、記憶や記録にないと言い、また記録データや文書を廃棄したり隠したりするような行動が、今回の文科省や内閣府だけではなく、防衛省や財務省でも起こっており、非常に不健全で危険な状態にあると言えないだろうか。政策を歪めるだけでなく、真実を歪め、虚偽が正当化されようとしている。行政組織の統治能力、内部統制の欠如も甚だしい。
 最近、世界でマスコミ力も低下していると言われている。世論調査も当たらない。日本もそうなのであろう。マスコミが商業化、既成化し、報道やコメント、評論等がステレオタイプ化しているようだ。主要報道関係の論説クラス、評論家の多くは、官邸から食事等に誘われることを待ち望んでいるという話もある。だから呼ばれるような発言をし、記事を載せる。政府の考え方をいち早く報道することに追われ、それに対する疑問や多様な意見が見られない。このように政府内でもマスコミでも、発言がし難くなり、抑制され始めると、その傾向が加速し独裁化が進んで行くのではないだろうか。
 国家戦略特区は、アベノミクスの中でほとんど飛んでいない‘第3の矢’の規制緩和のいわば目玉として打ち出されたが、今日までほとんど成果が無いばかりか、規制緩和ではなく、規制の更なる細分化であり、実体的には規制の強化で、政権中枢に近い特定の団体、個人へのえこひいきや利益の供与になり易い制度となっていることが明らかになっていると言えそうだ。特区ではなく、得区だ。一定の条件で獣医学部の新設を認めるということでは‘規制緩和’だが、‘広域的に存在しないこと’という新たな条件をつけて規制を強化し、首相に近い加計学園による新設を認めている。
 確かに規制緩和には、強固な利益団体が存在し、それが保守層の支持基盤になっていることが多いので、その岩盤を打破することは困難である。それを打破するためには強いリーダーシップが必要であるが、それがえこひいき、情実のためであれば問題だ。
 特区制度などは廃止し、原則自由化し、もっと分かり易く、誰にでも公平に適用されるようにすべきであろう。原則規制ではなく、原則自由化として規制緩和を促進すべきであろう。原則自由化し、その上で弊害がある領域についてのみ規制すると共に、違反者には相当額の罰金を科すこととすれば、誰にでも公平で分かり易く、また罰金による違反者の抑止が出来るであろう。因みに、経済犯については、高額の罰金を科し、実刑は極めて悪質な事案以外は無くしてもよいのであろう。実刑判決を課しても、利益が残るようでは経済犯は無くならない。(2017.6. 2.)
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対北朝鮮の米・韓‘首斬り作戦’はグロテスクな軍事演習!

2017-07-16 | Weblog
 シリーズ平成の本音ー対北朝鮮の米・韓‘首斬り作戦’はグロテスクな軍事演習!
 4月5日早朝、北朝鮮は2月、3月に続いてミサイル発射実験を行った。これに対し、ほとんどのマスコミは、北朝鮮の‘挑発行為’として非難した。また政府は、安全保障への脅威であり、また国連安保理決議に反する行為であり、‘断じて容認出来ない’として非難した。
 北朝鮮の今回のミサイル実験だけを取ってみればその通りだ。
 しかし他方で、米韓合同軍は、2016年から3月頃に北朝鮮の鼻先で「首斬り作戦(Beheading Operation)」と称する軍事演習を約1か月間実施しており、2017年も3月初旬より「首斬り作戦」を実施している。この軍事演習は毎年恒例のものではあるが、北朝鮮はこの米韓合同軍事演習に対し最大級の反発を繰り返してきている。米韓合同軍の北朝鮮の鼻先での軍事演習が北朝鮮への‘挑発’と映り、反発するのは不思議はない。その上2016年からの軍事演習の名称が北朝鮮の首脳に向けた「首斬り作戦(Beheading Operation)」であるので、この挑発に対し北朝鮮として強く反発して来ることは米韓両国にとっても想定内と見て良いであろう。
 南北朝鮮は現在も「休戦状態」であり戦争は終結していないので、どちらが先に挑発したかは直ちには言えないが、軍事的必要性は兎も角、「首斬り作戦(Beheading Operation)」とは何ともグロテスクで、野蛮な呼称ではなかろうか。北朝鮮でなくても反発するのは当然であると共に、国際社会がこのようなグロテスクで野蛮な軍事訓練や軍事行動を容認して良いものであろうか。カーボウイ時代のお尋ね者ハンテイングでもあるまいし、現在の国際社会において、特定国家によるこのような単独行動が許されて良いというものでもない。
 他方南北朝鮮間では戦争は終結していないので、北朝鮮の核・ミサイル開発が「休戦状態」を超える水準に達しているとの判断から、米国が北朝鮮の核・ミサイルを中心とする軍事拠点を攻撃することはあり得る。
 しかしそのための大きなハードルは、韓国の政治不安であろう。米国の北朝鮮攻撃には韓国の同意が不可欠だ。近く行われる韓国の大統領選挙で親北系の「共に民主党」の文候補が当選すれば北朝鮮攻撃は難しくなるという判断から、黄大統領代行の同意を取り付けて敢行できないことはないが、北朝鮮への軍事攻撃を行えば第2次朝鮮戦争に発展する可能性があり、戦争は長引くと予想されるので、次期大統領が選出される前の軍事攻撃は事実上難しそうだ。とすると軍事攻撃以外の強硬策となると予想される。
 ところで日本政府が‘断じて容認できない’としているが、それならば何をするのか、出来るのか。現自・公連立政権となって以来、核実験やミサイル実験のたびに、‘容認できない’旨繰り返してきているが、実態上有効な措置は講じられていない。せいぜい非難、抗議しているだけである。拉致者の奪還については何も結果を出せていない。被害者家族に言葉だけで期待を持たせているようだが、気の毒で仕方がない。(2017.4.6.)
(All Rights Reserved.)
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テロ等準備罪法案の採択は疑問

2017-07-16 | Weblog
シリーズ平成の本音―テロ等準備罪法案の採択は疑問
 テロ等の準備段階での行動を準備罪として罰することの出来るテロ等準備罪法案の審議が進んでおり、5月にも委員会採択となるとも伝えられている。この法案は、事実上‘共謀罪’を罰することが出来るようにするもので、277もの多数の犯罪が対象になる。‘共謀罪’については、官憲により国民活動が広範な悪影響を与えられるとして、過去に廃案になった法案である。
 この法案については、野党のみならず日本弁護士連合会なども反対しているが、次の理由で法案成立には反対である。
 同法案は、このような中で5月23日、衆議院において自民・公明両党と日本維新の会の賛成多数で採択された。国民に277もの多数の事項で嫌疑をかけ、場合により罪人とすることの出来るような法律を、担当の法相でさえ良く説明ができない状態でこのような形で成立させて良いものであろうか。
1、所管の法務大臣が答弁出来ない法案採択は不適切!
この法案の国会審議において、担当の金田法相が適切な答弁が出来ず、答弁を法務省の
担当局長が行っている。副大臣が答弁することもあるようだが、法相の答弁と異なることがあるようだ。
 法案の細部につき事務当局が説明することは良いが、基本的な内容につき担当大臣が答えられないような法律を、一般国民が理解出来るはずがない。そもそも277にも及ぶ準備行為が犯罪の対象となるが、これだけ対象が広がれば警察当局はいろいろな理由を付けてどんな準備行為でも捜査対象とすることが出来るだろう。
 いずれにしても法相を含め、国民が理解出来ないような法案は成立させるべきではないだろう。
2、行政当局任せは官僚独裁や恐怖政治を招く!
この法案が成立すると、その実施は警察・検察当局に事実上任せられることになるが、
現在の官僚組織は全幅の信頼を置くことは難しく、任せることは望ましくない。
 最近でも、防衛省が南スーダンPKO活動について‘日報’はないと虚偽説明をした上、報告資料を廃棄したなどとして国会、国民に真実を伝えようとしなかった。
 また森友学園への国有地の破格の安値の売却を巡り、‘適正に売却した’とし、首相や首相夫人の意向を‘忖度’していないとした上、記録はない、廃棄したなどとして、破格の安値の売却の具体的な理由を説明していない。国家、国民の財産のずさん且つ恣意的な管理であり、国民に損害を与えている。
 警察庁も嘗て、捜査費(機密費)を飲食に使うなどの不適正な使用につき疑問が呈された際、会計資料は廃棄したとして、国会、国民に対し誠意ある説明を行わなかった経緯がある。
 更に問題は、このような行政当局の不適正な行動や公文書、公的資料の保管義務違反に対し、現政権が何も有効な措置を取っておらず、内閣が「行政各部を総理する」とは言い難い状態のように見え、内閣による内部統制に疑問がある。このような状況で、警察、検察当局に対し、広範にわたる準備・共謀活動に対し捜査権を与えることは、健全な言論、集会の自由などを抑制する恐れがあり、いわば官僚独裁や恐怖政治を招く可能性がある。
 3、国連越境組織犯罪防止条約批准のためにこの法律は不可欠か?
 日弁連は、この法律が無くても国連越境組織犯罪防止条約は批准できるとしている。また日本は、多くの欧米諸国とは異なり移民人口が少ないので、欧米諸国と同じような法律は必要ないと思われる。同条約批准に新たな法律が必要かにつきもう再検討すべきであろう。新たな条約が必要としても、国際組織犯罪に絞った簡潔で分かり易い法律にすべきであろう。(2017.4.27.)
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森友学園という国民洗脳モンスター!?

2017-07-16 | Weblog
平成の本音―森友学園という国民洗脳モンスター!?
 森友学園(籠池理事長)に国有地(大阪府豊中市)を破格の安値で払い下げた問題が混迷を深め、日本の政体や憲法にも係る重大な政治問題に発展する様相を呈し始めている。
 同学園の籠池理事長の国会招致が焦点となっていたが、‘民間人だから’という意味不明な理由で招致に反対していた自民党が、一転招致を了承し、3月23日に証人喚問という厳正な形で招致されることになった。
 籠池理事長が、3月16日、記者団に、建設中の小学校は多くの人の意志があり建設されているとしつつ、‘安倍首相から100万円の寄付を頂いている’ことを明らかにした。安倍首相側は、首相としては寄付していない、昭恵首相夫人についても、個人としてもない旨明らかにした。自民党側は、これを‘首相に対する侮辱’とし、喚問に応じることになったものだ。偽証すると罰則が掛かる証人喚問とすることで、発言に抑制を掛ける狙いもあろうが、新たな真実が語られる恐れもある。
 籠池理事長としては、小学校認可申請を取り下げるようにさせられたことや、財務省当局から10日間ほど身を隠しているように要請されるなど、これまで好意的に対応して来た行政当局等が手のひらを返したように圧力を掛けて来たのに対し、同理事長が発言している通り‘しっぽ切りになる’のではとの危機感を感じ、長期政権になることが期待されている首相との関係を前面に出し、首相の威光を借りて行政当局等を封じ込めようとする意図が見え隠れする。そもそも、国有財産の超格安取得や小学校建設認可などが嘗てない速さで進められたが、首相夫妻の名を最大限に使って行うことが出来たと見られるので、国会等での追及に晒された行政当局を黙らせるには、籠池理事長と距離を取り始めたものの、森友学園の教育方針、信条に好意的な首相の威光を借りるしかないと思っているのではなかろうか。
 森友学園籠池理事長は、国有地格安取得、小学校建設許可などを‘安倍晋三記念小学校’、‘安倍昭恵首相夫人名誉校長’などの名前を巧みに使用して進めたことは明らかだ。これらの名称は、国有地取得問題が国会等で追及された後首相側から取り下げられた。首相が‘自分たちが被害者’と主張していることにも一理はある。しかし首相夫妻は、森友学園の幼稚園児に明治天皇が公布した強固な天皇制を前提とした「教育勅語」を唱えさせ、これに沿った‘修身教育’的なしつけや保守思想を教えていることに共鳴し、幼稚園に止まらず、それを小学校等へと繋げたいとする願望に賛同しているようだ。
 森友学園問題は、不明朗、不適正な国有地払い下げや関連資料の廃棄という国有財産管理上の問題や「教育勅語」をはじめとする保守思想を教える幼稚園や義務教育課程の学校に対し政府の補助金その他の優遇、支援を与える問題など、行政上の公正さ、適正さがまず厳しく問われなくてはならない。
 しかし日本の将来にとって、これらの行政上の適性さの問題と勝るとも劣らない問題は、森友学園が目指している教育勅語や‘修身教育’などに象徴される復古的保守教育を判断力や批判力のない幼稚園児から始め、更に小・中学校へと広げようとする意図が根底にあることではなかろうか。
 これは天皇制を旧帝国時代に準ずる強固なものにしつつ、恒久的な制度としようとするもので、その擁護者としての保守勢力を利すると言えよう。しかしこのような教育を、判断力や批判力のない幼稚園児や継続して小・中学校生にまで行うことは、いわば洗脳教育に等しい。森友学園による小学校経営が認められていれば、そのような教育を支持、擁護している首相や首相夫人を始めとする新保守主義勢力の支持、協力を得てどんどん広がっていたかもしれない国民洗脳モンスターとなる可能性がある。
 「教育勅語」は明治天皇の名で出されたものであり、その中に‘公のために奉仕し’というくだりがあり、それ自体は理解されるところである。しかしその次に‘永遠に続く皇室の運命を助けるようにしなさい’などとあり、要するに万世一系、天皇独裁を擁護しなさいとの勅語である。その下で‘修身教育’が行われ、天皇中心の専制君主国家の精神的な支柱となっていたが、明治憲法が廃止され、現行憲法が公布されたことにより、戦後廃止されている。信条、信仰の自由であり、私的にこれを教えることは自由であろうが、これを教え、従わせるような教育を行う幼稚園や小学校等に国(行政府)が補助金を与えたり、特別の優遇措置を与えることは、憲法で禁止されている‘国の宗教活動’には当たらないものの、国が特定の信条、思想を教える教育機関を擁護、助成することになるので問題であろう。
 文科省が「教育勅語」を教えることは法令上問題ないなどとしたり、稲田防衛相が「教育勅語」にも良いことが書いてあるなどとしているが、行政当局や閣僚が廃止になった「勅語」を教えることを容認する姿勢は、現行憲法に照らし適正を欠くと見られ、その是非が厳正に問われなくてはならなそうだ。
 籠池理事長が、この小学校は‘いろいろな人の意思に支えられている’としつつ、首相よりの寄付金を同夫人を通じ得ている旨公表したが、小学校建設が首相及び同夫人の意思もあって進められているのだと言いたいのだろう。
 もし今回この問題が表面化せず小学校が建設されることになれば、中学校等の建設にも発展する可能性があり、そうなれば幼稚園児からの国民洗脳教育が根を下ろす可能性があった。それ自体問題であるが、このような日本の将来に関係する重要な事柄を、国民にきちんと知らせることなく、首相や首相夫人、保守政治家、教育者、知識人などの新保守主義グループにより、背後で密かに進められていることがより重大な問題であり、国民としてもこのような裏の動きを精査することが必要なのであろう。更にこのような政治的な勢力が、中央官庁や地方行政府による‘おもんぱかり行政’を作り出しているとすれば驚きだ。
 このような保守勢力が、天皇を憲法上の‘元首’に据えることを含め、憲法改正や女性宮家の創設などによる天皇制の恒久化などを進めていることは注目に値する。保守勢力は、政権維持、或いは保守党を常に日本政治の中心に据えるため、天皇制、或いは天皇の権威を利用することが出来る。それを背後で首相等が密かに進めようとしているのであれば公正を欠く。国民にきちんと説明して行うべきであろう。
 森友学園の各種行事で、籠池理事長が壇上に掛けてある国旗に敬礼をしている姿は、官邸の記者会見会場に掲揚してある国旗に敬礼する姿に似ている。諸外国でも、国旗は大切にされ、また愛着を持たれているが、軍隊の国旗掲揚等の際を除き、一々敬礼する姿は見られない。国旗を偶像化し、権威の象徴としているのだろうが、その先に天皇の権威があるのではなかろうか。国民はそのような権威主義的な国旗や特定政党を利する天皇制を望んでいるのだろうか。そうなれば一党独裁の専制国家的色彩が強くなり、天皇は、‘国民統合の象徴’ではなくなりそうだ。国民の選択次第であろう。(2017.3.20.)
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防衛省へ募る不信と不安

2017-07-16 | Weblog
シリーズ平成の本音―防衛省へ募る不信と不安
 政府は2012年より、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に100人規模の陸上自衛隊員を派遣しているが、政権が安定せず、治安状況の悪化と共に、派遣中断問題も検討対象となる。
 南スーダンは、2011年にスーダンが南北に分裂して独立したが、2013年12月に大統領派と副大統領派が対立し、その後両派の武力衝突が繰り返されており、事実上の‘内戦状態’とも言われている。その後2015年8月に両派間に和平合意がなされたが、2016年7月にジュバで両派間の大規模な戦闘が発生し、市民を含め数百人が死亡した。
 こうした状況を背景として、国会審議では民進党など野党から「PKO参加5原則」に照らし引き上げなどの検討が指摘されていた。自衛隊のPKO参加の前提条件として、(1)紛争当事者間での停戦合意、(2)日本の参加に現地政府や紛争当事者が同意、(3)中立の厳守、(4)以上のいずれかが満たされなければ撤収可能、及び(5)必要最小限の武器使用というPKO 5原則が定められている。
なお、武器の使用については、安全保障関連法(2015年9月)に基づく新任務として「駆けつけ警護」が付与され、これを盛り込んだ「実施計画」が閣議決定されている。‘駆けつけ警護’は、周辺で襲われた国連職員やNGO職員等の救援に向かう任務で、任務遂行のための武器使用が可能になる一方、生命の危険が高まる。
 国連平和維持活動に自衛隊を派遣する要件として最も重要な点は、表現の問題ではなく、紛争当事者間での停戦合意が維持されているか否かという実態であるだけに、南スーダンで武力衝突や戦闘行為があるか否かが大きな問題となる。
 ‘武力衝突’と‘戦闘’との間にはそれ程大きな差はない。前者は、状態を表現し、後者は行為を表現しているに過ぎず、どっちの表現が正しいかなどは不毛な議論だ。
 この問題で、技術的、法律的な問題は別として、将来の日本にとって深刻な点が2つある。
 一つは、防衛当局が国会を含め、情報や資料を隠し、また資料やデータを廃棄したなどと嘘をつくことではないだろうか。仮にも国会での答弁であるので、虚偽と分かれば処罰すべきであろう。現地部隊からの‘日々日報’は、情勢判断するための生の情報であると共に、今後派遣をされる場合の隊員にとって有用な情報となるので、短期に‘廃棄’すべき情報ではない。ましてや政府当局の公務上の情報は、いわゆる‘ヤバイ’情報でもない限り、3年間ほど、少なくても1年以上保管されているし、保管するのが義務であろう。当局が、勝手に短期に‘廃棄’するのは、ケースによっては証拠隠滅となる恐れがある。これは重大な問題であるので、厳重に調査し、適正な対処が必要だ。
 もう一つは、現場の部隊と本部との間で見解の差がある中で、防衛大臣が、国会や国民に誠実に事実を伝えないことだ。
 現場の部隊からは、‘戦闘’があった旨の報告があったのは明らかである。それを、防衛相は、国会での野党の質問に対し、‘戦闘’ではなく‘武力衝突’と答えた。更なる追及に対し、防衛相は、「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」とし、‘法律上の戦闘ではない’とした。要するに、憲法上問題になる表現は避けるというだけで、言葉をすり替えているに過ぎない。
 スーダン等で政府軍と反政府勢力が、衝突し、武器を持って射ち合えば‘戦闘’である。現場は生きるか死ぬかの状態であるので、日本の憲法や法律の問題などでは考える余裕はなし、その必要もない。
 現場の部隊と大臣を含む本部との間の情勢認識が違う場合、PKO活動を遂行する上で致命的な結果をもたらすことにもなる。本部が現地情勢を楽観し、国会や国民にそのように報告し、任務を継続させれば、現地の部隊に致命的な被害を与える恐れがあるばかりでなく、政府の姿勢が内外から問われる恐れがある。第2次世界戦争中、戦争遂行の中枢であった‘大本営’は、太平洋各地での戦闘で手柄のみを宣伝し、不利な情勢は流さず、戦争を続けて停戦の機会を逃し、また被害を拡大させた過去がある。‘大本営発表’として知られているが、今回の事件もそれに一脈通じるものがある。
 シビリアン・コントロールの確保は重要ではあるが、現場の部隊(制服組)と防衛相を中心とする幹部(背広組)や首相等との間に情勢認識や情勢判断に差異が存在することは望ましくない。特に部隊が発する情勢認識を首相や大臣が握りつぶし、また政権に都合の良い方に歪めて発表等することは、国家、国民の針路を誤らせることにもなり兼ねない。
 3月10日、政府は、本年5月で南スーダンの国連平和維持活動(PKO)参加している陸上自衛隊員を撤退させることを発表した。しかし、防衛大臣は、それはあくまでも‘任務達成のため’であり、‘治安情勢悪化のためではない’とした。最初に虚偽を発表するとその後の対応についてつじつまを合わせる必要があるのだろうが、こんなことでは防衛大臣も防衛相も信用は出来ない。
 国連のディエン事務総長特別顧問は、2016年12月7日にも、対立が続く南スーダンについて、‘衝突は継続し、大虐殺が起きる恐れが常に存在する’旨警告する声明を改めて発表した。危険な状況は続いているとみられ、治安の悪化は明らかなようだ。
 北東アジア情勢は、緊迫と混迷の度を増している。中国の軍備増強と海洋進出は一段と進んでいる。また中東和平は進展せず、イスラム過激派による国際テロはアフガニスタンや中東地域、一部アフリカ諸国に拡大し、その過程でイラク、シリアにイスラム国(IS)が台頭していると共に、国際テロの危険性は世界に拡散し、膨れ上がる難民問題等が欧州にも影を落としている。このような状況で、本来であれば日本も海・空を中心として防衛力を増強しなくてはならないが、情報隠しや情報の歪曲などをする現在の防衛省では、国民の理解は得られそうにない。
因みに稲田防衛相は、安倍首相同様、東条英機などの戦争責任者も祀られている靖国神社を‘防衛大臣’として毎年参拝している。2016年12月には、首相に同行して太平洋戦争に突入する直接の契機となったハワイのパールハーバーをオバマ大統領(当時)と共に訪問し、戦争体験を克服し和解したことを内外に示したが、その帰国直後、稲田防衛相は靖国神社を訪問した。何を懺悔し何を誓ったのか。同相は、首相やほとんどの閣僚がメンバーとなっている神道政治連盟国会議員懇談会や日本会議など、神道や神社、天皇制を擁護する団体に属しているとされている。どのような宗教観、政治信条を持つかは各人の自由だが、政治家であれば、国民や有権者にそれを明らかにして活動し、また支持を集めるべきであろう。表舞台では建前やきれい事を言い、裏では特定の団体、グループを優遇するなど、不明朗且つ不誠実な活動を行っているとすれば、不気味ではある。(2017.3.14)
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