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トランプ大統領の訪日に際し望まれたこと

2019-12-12 | Weblog
トランプ大統領の訪日に際し望まれたこと
5月25日より28日までトランプ大統領が国賓と訪日する。心より歓迎すると共に、快適で良い訪日であることを期待する。
訪日中には、天皇との会見の他、日・米首脳会談が行われ、朝鮮半島非核化を含む国際問題、安全保障問題や通商問題などにつき協議されると予想される。
日米安全保障問題については、両国首脳の良好な関係に沿って両国間の良好な同盟関係が再確認されよう。しかし日・米首脳間の関係が良好であれば、折角の機会であるので、次の潜在的な懸案につきトランプ大統領に提起し、理解と英断を求めることが期待される。
1、沖縄普天間米軍飛行場の迅速な返還と辺野古移設の再検討
普天間米軍飛行場の日本返還が合意されて20年以上経つ。またその代替として埋め立てが行われている辺野古沿岸の米海兵隊航空基地については、沖縄県民の一貫した反対で未だに目途が立っていない。その上20年以上経った今日でも、知事選や2019年衆議院議員補選についても与党は敗退している上、辺野古に関する県民投票(2019年2月24日)では7割以上が建設に反対している。
沖縄県民の民意は明らかであり、普天間米軍飛行場の即時返還と辺野古沿岸の軍用航空基地建設を中止し、代替地を検討することが望ましい。
安全保障問題は、中央政府の‘専管事項’とされているが、日本国内の特定県に外国の軍事基地を建設することは、県民生活に更に大きな影響を与えると共に、完成後の円滑な運用にとっても県民の理解と協力が必要であるので、沖縄県民の民意が尊重されるべきであろう。現状では、県民が示した民意と共に地方自治が完全否定されたに等しい状況であり、米国としても沖縄県に基地を持つ以上、民意をくみ取るべきであろう。
2、米軍横田基地上空の制空権の返還
米軍横田基地上空の制空権は、現在米軍に与えられているが、羽田空港を利用する民間航空の航路を制限しており、直ちに日本側に返還し、日本側航空当局との協議により使用されるべきであろう。
独立国で制空権を米軍に与えているのは世界で日本のみであり、速やかな是正が不可欠である。
3、日本駐在の米国軍人の職務外の犯罪の裁判権の日本への返還
日米地位協定において、米国軍人の職務外の行動における犯罪についても、日本側に裁判権はないという、植民地支配の状況が続いていることは驚きである。
米軍横田基地上空の制空権だけでなく、米国軍人の職務外の行動における裁判権についてもNATO諸国並みの対応が望まれる。
日・米が対等な同盟関係にあると言うのであれば、これらの不平等性について早急な改善が望まれる。
日米安全保障条約では、米国が第3国から攻撃されても日本は米国を防衛する義務はなく、不平等性が存在する。しかしこれは憲法上の制約によるものである一方、日本側は、米国に基地を提供すると共に、年によっても増減はあるが、年間約3,000億円近くの経費を負担しており、更に米国より多量の武器類を購入しているので、不平等性は相殺されていると言えよう。
両国首脳間に真の信頼関係があるのであれば、トランプ大統領の訪日を契機に上記の諸点につき進展することを期待したい。

日・米関係は、日本の外交、安保政策の礎であるが、軍事同盟化を強めれば強めるほど、ロシア等が反発を強めるのは十分予想ことであり、そうなれば北方領土問題の解決は益々遠のくことが予想される。米・ロが関係を修復し、日・米・ロ3国間の関係改善と交流の促進が望まれる。
ロシアのプーチン大統領は、北方領土は『戦争で取得したもの』であり、ロシアの領土としているが、だからこそ北方領土問題を解決し、平和条約を締結しようとしていることを、ロシア側は理解すべきであろう。(2019.5.24.)(All Rights Reserved.) トランプ大統領の訪日に際し望まれたこと
5月25日より28日までトランプ大統領が国賓と訪日する。心より歓迎すると共に、快適で良い訪日であることを期待する。
訪日中には、天皇との会見の他、日・米首脳会談が行われ、朝鮮半島非核化を含む国際問題、安全保障問題や通商問題などにつき協議されると予想される。
日米安全保障問題については、両国首脳の良好な関係に沿って両国間の良好な同盟関係が再確認されよう。しかし日・米首脳間の関係が良好であれば、折角の機会であるので、次の潜在的な懸案につきトランプ大統領に提起し、理解と英断を求めることが期待される。
1、沖縄普天間米軍飛行場の迅速な返還と辺野古移設の再検討
普天間米軍飛行場の日本返還が合意されて20年以上経つ。またその代替として埋め立てが行われている辺野古沿岸の米海兵隊航空基地については、沖縄県民の一貫した反対で未だに目途が立っていない。その上20年以上経った今日でも、知事選や2019年衆議院議員補選についても与党は敗退している上、辺野古に関する県民投票(2019年2月24日)では7割以上が建設に反対している。
沖縄県民の民意は明らかであり、普天間米軍飛行場の即時返還と辺野古沿岸の軍用航空基地建設を中止し、代替地を検討することが望ましい。
安全保障問題は、中央政府の‘専管事項’とされているが、日本国内の特定県に外国の軍事基地を建設することは、県民生活に更に大きな影響を与えると共に、完成後の円滑な運用にとっても県民の理解と協力が必要であるので、沖縄県民の民意が尊重されるべきであろう。現状では、県民が示した民意と共に地方自治が完全否定されたに等しい状況であり、米国としても沖縄県に基地を持つ以上、民意をくみ取るべきであろう。
2、米軍横田基地上空の制空権の返還
米軍横田基地上空の制空権は、現在米軍に与えられているが、羽田空港を利用する民間航空の航路を制限しており、直ちに日本側に返還し、日本側航空当局との協議により使用されるべきであろう。
独立国で制空権を米軍に与えているのは世界で日本のみであり、速やかな是正が不可欠である。
3、日本駐在の米国軍人の職務外の犯罪の裁判権の日本への返還
日米地位協定において、米国軍人の職務外の行動における犯罪についても、日本側に裁判権はないという、植民地支配の状況が続いていることは驚きである。
米軍横田基地上空の制空権だけでなく、米国軍人の職務外の行動における裁判権についてもNATO諸国並みの対応が望まれる。
日・米が対等な同盟関係にあると言うのであれば、これらの不平等性について早急な改善が望まれる。
日米安全保障条約では、米国が第3国から攻撃されても日本は米国を防衛する義務はなく、不平等性が存在する。しかしこれは憲法上の制約によるものである一方、日本側は、米国に基地を提供すると共に、年によっても増減はあるが、年間約3,000億円近くの経費を負担しており、更に米国より多量の武器類を購入しているので、不平等性は相殺されていると言えよう。
両国首脳間に真の信頼関係があるのであれば、トランプ大統領の訪日を契機に上記の諸点につき進展することを期待したい。

日・米関係は、日本の外交、安保政策の礎であるが、軍事同盟化を強めれば強めるほど、ロシア等が反発を強めるのは十分予想ことであり、そうなれば北方領土問題の解決は益々遠のくことが予想される。米・ロが関係を修復し、日・米・ロ3国間の関係改善と交流の促進が望まれる。
ロシアのプーチン大統領は、北方領土は『戦争で取得したもの』であり、ロシアの領土としているが、だからこそ北方領土問題を解決し、平和条約を締結しようとしていることを、ロシア側は理解すべきであろう。(2019.5.24.)(All Rights Reserved.)
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参議院に有権者、裁判所がダメ出し!!(改定版)

2019-12-12 | Weblog
シリーズ本音トークー参議院に有権者、裁判所がダメ出し!!(改定版)
 7月21日、参議院議員選挙が行われたが、盛り上がりも無く、投票率は48.8%と5割を切った。最終的な数値は選挙管理委員会から発表されようが、1995年の参院選の投票率44.5%に次ぐ戦後最低の投票率となった。
1、参議院の意義に有権者ダメ出し!
投票率が5割を切った、しかも戦後2回も5割を切ったということは、5割
以上の有権者が参議院の存立意義を認めていないということに他ならず、国会改革が今後の最大の課題となったと言えよう。
 参議院は、少子高齢化、人口減の中で、6議席を増加すると言う極楽トンボのような決定をし、ひんしゅくを買い、投票率も低迷した。衆参両院とも、政府予算による政党助成金から各議員に助成金が配られることにより、党の議員への束縛が強くなり、衆議院であれ、参議院であれ、党議に拘束されることから、参議院の独自性は殆どなく、衆議院と同様の投票パターンを取り、いわば‘衆議院のクローン’、或いは2軍のような存在となっており、その存在意義はほとんどない。あるのは参議院議員という職業でしかなくなっている。それが国民の負担となっている。
 今回投票率が1995年に続いて5割を切ったことにより、参議院を廃止するか、議員数100名程度に削減し、それぞれの議員の独自性と発信力を高めるなど、抜本改革が迫られる形となったと言えそうだ。
 
2、裁判所も3.00倍を超える1票の格差にダメ出し!
2019年7月の参院選の選挙区で最大3.00倍の「一票の格差」があったことに対し、弁護士を中心とする市民グループが全国14の裁判所に違憲として訴えていた。高松高裁は、10月16日、国民の平等を定めた憲法に違反するとして「違憲状態」と判決した。
「違憲状態」との表現は、事実上「違憲」の意味であることには変わりがない。一方高松高裁は、香川、愛媛、徳島・高知(合区)の3選挙区の選挙無効の訴えは棄却したが、無効とすると社会的な混乱を起こすことが懸念され、3権の一つである国会の権限を尊重、忖度しての判断であろう。しかし「違憲」「違憲」である。
国会は、3権の一つであり、同等の重みを有する司法(裁判所)の判断を厳正に受け止め、抜本的解決策を次の選挙までに出すべきであろう。これは国民の平等な権利である投票権に関する基本的な政治制度に関するものであるので、衆・参両院ともに最優先事項として取り組むべきであろう。
 因みに、「平等」とは基本的には1対1の関係に近づけることが期待されているが、選挙区割り等の技術的な制約から若干の幅は仕方ないものの、原則として1.5倍以下で極力1.0に近い数値に収まるよう努力すべきだ。1.9倍なら良い、1.6倍ならよいなど、政治的に判断されるべきことではない。算術の問題だ。特定の選挙区が4捨5入すると2倍以上の投票権を持つことは避けるべきであろう。
「一票の格差」の「違憲状態」については、衆・参両院とも戦後のこの種裁判において、ほとんどの地裁、高裁が「違憲状態」又は「違憲」とし、最高裁も「違憲状態」としてきたが、最近まで国会は適正な改革を行ってこなかった。コメンテーターや評論家・専門家を含め、これを許して来たマスコミ界、言論界の消極的な対応も大いに問われる。憲法学者については、多くは国公立大学に属し公務員であり、また私立の多くは国から補助金等を受けているので政治への発言はし難いのであろう。

3、単独過半数を取れなかった自民党の退潮
 自民党は、改選議席(66議席)から9議席失い、非改選(56議席)を加え113議席となり、参議院での単独過半数を獲得できなかった。
 選挙前に保守系紙が今回の参院選は6年間の「安倍政権への評価が問われる」旨報じていたが、この点からすると評価されなかったことを意味する。政権の終わりの始まりと言えよう。

 4、自・公両党と維新の会合計でも2/3を維持できず、憲法改正は絶望的!
 今回の参院選で、自・公両党と維新の会の保守3党合計で157議席しか獲得できず、改憲発議に必要な3分の2(164議席)を割った。
 安倍政権は憲法改正を訴え続けてきたが、掛け声とは裏腹に6年間で議論は進まず、同政権の下では憲法改正は事実上困難になったと言えよう。
 もっとも改憲については、自民党内にも懐疑論がある上、公明党は消極的であるので、3分の2は更に遠のいた。安倍政権の6年間において、靖国参拝、戦争責任を有する東条内閣尊崇、森友学園問題で明らかとなった旧帝国憲法、教育勅語への傾斜、天皇の権威を高め保守基盤の強化、本格的な再軍備などの意図が明らかとなり、国会内外で警戒感が増したと見る向きもある。

 5、無党派層を遠のける党派別比例代表制と政党助成金の弊害
 7月の参院選挙で有権者の51%超が投票しなかったが、その多くが有権者のほぼ4割を占める無党派層と見られる。
 無党派層は、投票所に行っても比例代表制で政党を選べと言われても正直戸惑うようだ。そもそも「無党派」であるので「政党」を選べない。現在の「党派別比例代表制」の下では、行っても無駄なのである。「党派別比例代表制」は、有権者に政党選択を強要するもので、思想、信条の自由にも反する。
 これに関連して、国家予算(税金)による政党助成金についても、無党派層の国民、納税者にとっては不可解なものだ。政党助成金は、選挙に金が掛かるので、立候補者への金銭的負担を軽減する等のために、中選挙区から1人制の小選挙区制への移行と共に導入されたものだが、今や実質的に企業献金が復活し、経団連が政党を評価し、多額の献金を政党ごとに行っている。
 経済団体による多額の献金が復活した現在、国家予算(税金)による政党助成金は廃止しても良いのではないか。共産党は政党助成金を受け取っていない。共産党が政党助成金なしで党運営が出来るなら、他の政党も出来るであろう。それが民主主義の本来の姿とも言える。
 また政党助成金は、政党による個人献金の拡大努力を阻んでいる。共産党や公明党などの支持グループが限定的な政党は別として、与野党とも党員、党友の拡大はほとんど見られず、個人献金に至っては低迷している。政党も国家予算(税金)と企業献金頼みで努力も形だけのように見える。
 政党助成金は、各政党ごとに各議員に配賦されるが、これにより党の議員に対する縛りが実質的に強くなり、党議に拘束され、議員の個性や見解は抑制される傾向にある。また特定政党が長期に政権を取ると、多額の政党助成金や企業献金などが入り続けると共に、権力が総裁に集中し独裁的傾向に陥ることになる。政党助成金による政党支援は、いわば‘政党の公営’とも言え、政党が未発達、未成熟な場合は別とし、本来の民主主義の在り方に沿わない。
また政党助成金は、財源は税金でありながら、各政党から議員に配賦されるため、使途管理が不明朗になっている。政党助成金は廃止しても良い時期だ。各党、各議員は、日常から国民との関係をより緊密にすると共に、そのような活動の中で国民の政治への関心を高め、政党支持者を拡大することにもっと努力すべきであろう。(2018.7.24. 10.17.改定)
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自・公政権でも福島原発への対応は出来なかった!?

2019-12-12 | Weblog
シリーズ本音トークー自・公政権でも福島原発への対応は出来なかった!?
 9月9日、千葉市一帯を直撃した大型の台風15号は、千葉県全域、特に同県南部に大きな被害を与えると共に、被害が停電、断水、屋根の破壊などによることから長期化と2次被害の拡大が懸念されている。  
最大の問題は、広範囲にわたる停電で、40~60万戸以上が数日間停電となり、断水も続いた。東電は当初数日以内での復旧を予想したが、4日後の13日で40万戸、6日後の15日でも14万戸前後の停電が続き、被災者のいら立ちが募った。 
台風が去った後、多くの人は数日以内で復旧するのではと予想した。テレビの報道でも、市内はところどころ建物や樹木の破損が見られても、台風一過空気は澄み、川の決壊も洪水も、地滑りなどもなく、空は青く、目視できる範囲では被害は局部的で、それ程深刻とは映っていなかった。千葉県は、自衛隊の出動を求めたが、給水と風呂の提供程度で、救援活動は限定的なものであった。  
しかし復旧は遅々として進まなかった。電気の復旧作業が進むにつれ、作業を阻んだものがある。コンクリートの電柱や大木がなぎ倒され、電線を切り、道路をふさいでいた。また送電線の鉄塔がなぎ倒されていた。目や映像で分かり易い洪水や河川決壊、山崩れなどではなく、去ってしまえば澄んだ空気しか残らない「風害」だ。この状況は、東電の通常の能力を超えるものだ。
 東電の電力復旧の予想が甘かったと批判されているが、9月11日の政策課題もなく緊急性もない内閣改造を経て、被災3日後の12日時点でも、数十万戸の停電と断水が続き、熱中症による被害も出始めていた。広域な被害と長期化は明らかだった。被害状況は、一電力会社で対応できる範囲を超えるものであることは明らかだ。この時点で政府は、何故閣僚レベルの緊急対策会議を開催して、自衛隊の災害救援チームの本格派遣を含む、国レベルの対策を緊急に検討し、道路網、鉄道などの復旧に乗り出さなかったのか。千葉県も、何故国レベルの救援活動を政府に要請しなかったのか。 
9月12日には、新たに任命された経産相などが現地入りしたとの報道があったが、具体的対応には至っていない。 
野党が甚大災害指定を求めた中、菅官房長官は9月13日午前の記者会見で、激甚災害の指定に関連し、「その前提となる被害状況の調査について実施を指示した」旨と述べ、その上で「激甚災害と判断した場合は、迅速に対応していく」との考えを明らかにした。
被害発生5日目にして「被害状況の調査を支持した」とは何とも悠長なことだ。台風による天災であるので、誰も批判はできない。しかし被害後の対策については、明らかに危機管理の初動動作の遅れ、甘さと言えよう。政府と千葉県庁の責任が問われる。
 安倍自・公政権は、このような状況の中で、9月11日、注目される政策課題も緊急性もない中、内閣改造を実施、発表し、報道では新大臣誕生、改造内閣の発足に浮かれていたように映っていた。小泉進次郎議員の環境相就任などは頻繁に報道され、40万戸余の千葉県民が暑さの中不自由な生活を強いられていた中で、同相は12日に千葉県をスルーして福島県を訪問した。あたかもタレント気取り、大臣気取りだ。新内閣を象徴するような行動と言えよう。同相はその後16日に同県を視察し、がれきの処理の重要性などを述べていたが、如何にも取ってつけたようなパーフォーマンスとしか映らない。  
そんな中安倍首相は、17日、官邸に自衛隊幹部を集め、訓示をしていた。自衛隊の内外での活躍に言及しつつ、「・・・台風15号、九州地方の豪雨、豚コレラ、その現場にはいつも自衛隊の姿があります。」と。更に、長々と新たな防衛大綱や航空宇宙自衛隊の創設などに言及し、「・・・いかなる事態にあっても、国民の命と平和な暮らしを守る。」などと自衛隊の使命感と責任感を鼓舞した。この時未だに千葉県では40万戸ほどの停電や断水で県民は不安で苦しい生活を強いられていた。無論、国全体の安全保障を考えることは必要だ。しかし、対応の遅れで隣接する地域の40万戸以上が停電と断水、屋根の破損等で苦しんでいる時に訓示でもあるまい。夏に千葉県と官邸で防災訓練をしているからもういいということなのか。言葉では「国民の命と平和な暮らしを守る」ときれいごとを言いながら、実際は守ってはいない。どうもこの政権は、言葉と行動の乖離が著しく、国民に不安と違和感を与えている。
千葉県知事も記者に対応の遅れを問われ、「市町村から情報が来ていなかったので、対応のしようがなかった」との趣旨を述べているが、責任の転嫁とも取れる。情報は届きようがなかった。広範囲に停電し、アンテナは破損し、通信網や交通は途絶えていたのだ。これが今回の「風害」危機の根本原因の一つで、地球環境の劣化により、今後これ以上の天災が予想される。大規模地震と津波も予想されている。情報が上がってこなかったでは済まされない。
政府及び千葉県は、見えにくい「風害」という緊急事態への対応に遅れを取り、被害の長期化を招いた。それは過去には例を見ない威力の「風害」であり、「想定外」であったからである。自民党であれ、立憲民主、国民民主党であれ、どの政権であれ、「想定外」の緊急事態に遅れを取る恐れがあるということだろう。
 2011年3月、東北を襲った大規模地震・津波は思いもよらない大きな被害をもたらし、福島原発事故が起こった。この時、2つの想定外が発生した。一つは津波が防潮堤を越え、施設の電気系統を壊したこと。二つ目は、そのため冷却装置が作動しなくなり、炉心の融解(メルトダウン)が発生し、放射能が飛び散った。
この2つの想定外に対し、直接の責任者である東電の対応は後手後手のとなった。東電の能力をはるかに越える事態だ。今回の台風15号の状況に近似する。これを受けた民主党政権も対応が遅れ、当時の野党自民党や保守系紙等は、民主党政権を批判し、政権から引きずりおろす結果となった。
しかし、もし自・公政権であったとしても、この二つの「想定外」を前にして対応はそれ程違わなかったであろう。今回の台風15号への対応がそれを物語っている。自民党への批判は民主党政権以上となった可能性がある。戦後長期に政権の座を占めて来た自民党が、原子力の「安全神話」を旗印として、地方を交付金、補助金漬けにして原子力発電所を普及して来たからだ。「安全神話」は崩れた。自民党はその責任を問われたであろう。
今回の台風15号により、「想定外」の風害脅威にさらされ、自・公政権の対応は遅れた。そのため熱中症被害や作物、養鶏等への被害、家屋への水漏れなどの被害へと拡大した。「想定外」は、対応においても想定することは困難であり、批判し合うのではなく、補い合って対応することが望ましい。 
このことを見ると、自・公政権は、大規模災害や緊急事態への対応を検討はしているが、目先の対応が中心であり、野党とも協力して対応しようとの本気度に欠けるように見える。 
南海トラフの大地震が首都圏を襲ったらどうなるのか。政府はしきりとその可能性を広報しているが、避難所の確保や交通規制などの対応はほとんど効果がない可能性がある。電気が消え、テレビ放送や電話・形態などの連絡網は途絶え、長期にわたる可能性がある。一部のビルや諸施設は倒壊する可能性がある。本気度が問われる。
皇居を京都御所に移し、江戸城址を保存、保護しつつ、そこを首都圏大規模災害の一時避難所などとして必要な期間活用できるようにするなど、統治機能の分散、改革を含む検討が必要のようだ。従来型の目先の措置では対応は困難であろう。
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マイナス金利はアベノミクス失敗の証し!ー再掲

2019-12-12 | Weblog
シリーズ平成の本音―マイナス金利はアベノミクス失敗の証し!ー再掲
2月16日、日銀はマイナス金利を導入した。マイナス金利については、政府も住宅ローンの金利低下などによる効果に期待を表明しており、短期的には一定の刺激策になる。しかし他方で、低迷している銀行・金融業を更に圧迫すると共に、国民は預金金利のゼロ化に加え、手数料と物価上昇を加味すると実質マイナス金利が拡大し、負担が増える上行き場を失った金は停滞する経済には還流せず、たんす預金や海外逃避として市場から消える可能性が更に強まるなど、中長期的にはマイナス効果が大きくなろう。住宅ローンの金利低下についても、借り換え需要は増えても、建設費・新規物件が高騰しているなかでの大口支出となるので効果はそれ程期待出来なさそうだ。
 しかしマイナス金利政策の最大の問題は、通貨供給の大幅緩和、2%のインフレ目標によるデフレからの脱却、賃金・物価の好循環というアベノミクスの失敗を意味することだ。賃金・物価の好循環が実現すれば、需要は上がり、景気回復と共に預金金利も上昇して行かなくてはならない。2013年1月から異次元の金融緩和、円安誘導が実施され3年強、輸出産業を中心とする景気の回復、賃金・物価の好循環が期待されると言われて来たが、マイナス金利政策は、自・公連立政権が自らアベノミクスではこのようなシナリオを実現出来なかったことを宣言しているに等しい。
アベノミクスでは、異次元の金融緩和による円安と放漫な財政支出いう2つの矢は放たれたが、第3の矢として期待された規制緩和などの成長戦略については見るべき成果は無かった。2015年9月の改造内閣で表明された‘GDP600兆円達成’などの‘新3本の矢’も‘矢’では無く、目標としての‘的’でしかないと言われている。その上、一億総活躍社会を目指すとして補正予算で低所得老齢者に3万円給付(総額3,500億円内外、補正予算の約1割)を打ち出す一方、多数の待機児童問題を放置し、働く女性の活躍の機会を奪うなど、的を得ていない選挙目当ての政策に終始している。政権側は、中国など世界経済環境の厳しさを上げているが、アベノミクスとはその程度のものだったと言いたいのだろうか。
更に、自・公連立政権によって法律で定められた2017年4月からの10%への消費税再増税について延期が検討されている。もし消費税再増税が延期されるようなことになれば、自・公連立政権の読みの甘さ以上に、アベノミクスの失敗を自らが認めることを意味する。
個人消費の低迷は、8%への消費税のためではない。3%の増税分は、3~5%内外のポイント還元や割引で相殺されており基本的な影響は少ない。国民の消費節約はもっと根深く、インフレ容認による生活用品の実質的便乗的な値上げと年金の目減り、消費増税・復興税・マイナス金利などの負担増を含む家計所得の実質減、将来不安であろう。政府のインフレ容認により飲食料他の生活用品などは、価格が軒並み2~3割内外高騰しており、消費増税率を遥かに上回る。価格が据え置かれているように見える商品も、ボトルやサイズが縮小し、実質的な値上げをしている。好例はバターで、2014年10、11月頃より高騰している上、棚から商品が消えている。酪農など農業失政の一例と言えよう。
(2016.4.9.)(All Rights Reserved.)
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インフレターゲット2%は賞味期限切れ、必要になった政策転換ー再掲

2019-12-12 | Weblog
インフレターゲット2%は賞味期限切れ、必要になった政策転換ー再掲
 総務省は、2月17日、2016年の総世帯の家計調査の結果として、1世帯当たりの消費支出(平均24万2千円/月)が実質で前年比1.8%減となったことを公表した。前年割れは3年連続で個人消費の不振が長期化している。
 中央銀行は、2013年1月から、インフレターゲットを2%とし‘異次元の通貨供給の量的緩和’を実施し、デフレマインドを払拭し、経済成長を促す政策をとって来た。1世帯当たりの消費支出の前年比実質1.8%減、そして3年連続の前年割れは、インフレターゲット2%目標の破たんを意味する。インフレターゲット2%を目標とする量的緩和は、アベノミクスの第一の矢であり、同時に第二の矢である円安を誘導するものであるので、アベノミクス自体が成果を出しておらず、破たん状態となっていることを意味する。財政再建と言いながら、予算節減は行わず、補正予算に赤字国債まで使っている。
 また2016年前半に、中銀が窮余の策としてマイナス金利を導入したが、それで進んだのは借り入れの切り替えであり、貸し出しは進んでおらず、逆に預金者のデフレ感を煽ると共に、金融機関の収益を圧迫するなど、逆効果となっている。更に、米国が一昨年より金利引き上げを含む金融、通貨の正常化に向かおうとしている時期に、日本がマイナス金利を導入することは米国の動きに逆行する政策と言える。黒田中銀総裁は、意地でもこれまでの金融、通貨政策の継続を主張するであろうが、日本も金利の正常化が必要になっている。そもそも同総裁は、法学部出身の財務官僚であり、実体経済を知らず、法律や規則を定めれば物事が規制できると考えているのではなかろうか。
 アベノミクスは4年を経過して目標を達成出来ないばかりか、言葉や説明とは反対に、事実上破たんし、デフレ下の景気停滞であるスタグフレーションに入っていると言えそうだ。金融政策頼みの景気対策には限界があり、実体経済は各種規制に縛られ停滞しており、これまでの政策を継続しても好転は望めそうもない。政策の抜本的転換と消費者、国民の年金給付減や医療・介護などへの負担感と世代横断的な将来不安への真摯な対応が望まれる。(2017.2.19.)
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‘皇居’を京都御所に戻すべきこれだけの理由!! (再掲)

2019-12-12 | Weblog
シリーズ平成の本音―‘皇居’を京都御所に戻すべきこれだけの理由!! (再掲)
 2019年4月30日に平成天皇が退位、5月1日の新天皇が即位され、同年10月22日に新天皇の即位を内外に表明する「即位の礼」が実施される。
 新天皇のご即位をお祝いする。しかし戦後の新憲法の下でのあり方には違和感もある。即位の礼についても、詳細は明らかにされていないが、式典に使用される「高御座(たかみくら)」が保管されている京都御所で解体させたうえ東京に輸送された。それだけに掛かる費用が、総重量8トンの解体・輸送経費などで9億円と言われているが、平成天皇同様、新天皇の即位の礼が東京で行われ、江戸城址内にある‘皇居’に住まわれ続けるのであろうか。
 即位の礼は、伝統に基づき、明治天皇はもとより、大正天皇、昭和天皇も京都御所で行われている。天皇は、明治維新後、江戸幕府が無血開城した江戸城内に‘皇居’を新設し、京都御所からそこに移り住まわれている。それは徳川将軍派の再起を封じ込める意味と米欧列強の介入を抑止する上で必要であったと思われる。第2次世界大戦後も、昭和天皇は江戸城址内の皇居に留まった。これは、米国を中心とする連合軍が進駐し、皇居のある江戸城跡内に連合指令本部が置かれることを防ぐためにも止むを得ない措置であったと考えられる。
 昭和天皇崩御後、平成天皇はそれを継承したが、現在は米軍の進駐はもとより考えられず、また国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に留まっている必要はなくなっているのではないだろうか。即位の礼が東京で行われたのは、平成天皇が歴史上唯一の例外となっている。
 むしろ新憲法の下の新時代においては、伝統に沿って天皇は京都御所に復帰され、江戸城址は国民に開放すべきであり、その理由は次の通りである。
 1、歴史上最も平安な現在、天皇が江戸城址に留まる必要はなくなった
 明治維新となり天皇は京都御所から江戸城内に移り住んだが、上記の通り、明治維新直後や戦後直後と異なり、今日国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に陣取っている必要はなくなっていると言えよう。「帝国憲法」が廃止され新憲法となった居る今日でも、江戸城址内に宮内庁が占拠しているのも適切でない。
 新天皇は、歴史に則って京都御所に復帰することが望ましい。天皇が国民統合の象徴であることは認識されているので、京都におられても問題はない。それ以上に関西及び西日本の人々にとっては喜ばしく、誇りにもなることであろう。無論、京都御所には必要な改修等を行った上である。
 天皇のご公務については、憲法上国事行為として10項目掲載されているが、必要な時には東京等、必要な場所に赴くことは交通事情が飛躍的に向上している今日では問題ない。また東京に滞在し、或いは一定の期日東京での公務が必要な時は、赤坂の迎賓館(赤坂離宮)を所定の改築をし、そこで執務、宿泊されればよい。現在赤坂の迎賓館は、年数回しか使用されておらず、著しい無駄になっており、その活用を真剣に考える時期であろう。日本は、少子超高齢化の本格化を迎え、税負担人口が減少する一方、国民総所得の2倍に当たる1,000兆円を超える公的債務を抱え、これが年金支給額の実質削減と並んで国民の将来不安の大きな原因になっている。国家や地方公共団地が無駄な施設や土地を抱えている余裕はなく、無駄を無くしていくことが不可欠になっている。

 2、旧帝国憲法の下での’皇居’の存在は現行憲法の下では時代錯誤
 戦後日本においては、旧帝国憲法に代わり、新憲法が制定され、主権は国民にあり、いわば大政は国民に奉還されているので、国民の偉大な歴史的、文化的遺産である江戸城跡に‘皇居’を置いておく必要性はもはやなく、江戸城址を国民に奉還することが望ましい。それ以上に明治維新は過去のものとなり、天皇専制は終わり新憲法になっても江戸城址を‘皇居’により封じ込めて置くことは不適当とも言える。‘皇居’、‘皇居’と言われ、そのような先入観があるようだが、江戸城址なのである。
 そのようにすることが、日本の歴史に沿うことになると共に、東西の文化的、社会的なバランスが回復し、東西のバランスある発展が望めるのではなかろうか。

 3、日本や世界にとっての偉大な歴史遺産、江戸城址は国民に開放すべき
 江戸城を中心とする江戸の人口は、幕府が発足した17世紀初頭には15万人程度と言われているが、18世紀初頭には100万人を超えたと考えられている。
人口はロンドン(1801年約 86万人)、パリ(同約 54万人)と比較しても世界一の大都市であったと推定されている。文化的にも、参勤交代により地方の文化も持ち込まれ、多様性があり、また版画や日本画、歌舞伎、相撲そして魚市場など、欧州でも評価される高い文化が華を開いた。
 その中心が江戸城であり、江戸文化は東京だけの歴史、文化遺産ではなく、日本の、そして世界の文化遺産と言えるので、それを再評価し、人々に開放し、可能な範囲で復元、保存して行くことが望まれる。江戸城址は世界有数の観光資源となるであろう。またそれに関連する城外の江戸時代の遺跡を加えると更に豊かな歴史文化遺産となろう。

 4、首都圏直下地震等の大規模災害等に備え、天皇の京都御所復帰が望ましい
 首都圏直下地震等の大規模災害の発生は現実のものとなりつつあり、各種の、緊急対策が検討されているが、それでも自然災害や何らかの不測の事態が想定の範囲を超える可能性も念頭に入れて置く必要があろう。そのような首都圏緊急事態への対応の一環として、伝統に則り天皇の居所を京都御所に戻しておくことが望ましい。そのような緊急事態の際、立法、行政、司法の政府機能が打撃を受けるが、象徴たる天皇をも巻き込むことを避けるため、皇居の京都御所復帰を真剣に検討すべきであろう。天皇が京都御所に復帰される場合の対応については、上記1.の通りであり、十分対応可能であると共に、江戸城址の国民への開放や赤坂御所の有効活用などの可能性が広がり、有益であろう。
 江戸城址が開放されれば、国民の憩いの場、歴史研究の場や格好の観光スポットとして活用できる以上に、大規模災害時の都民の避難場所となると共に、緊急時総合対策センターとして活用できるように整備して置けば、都心の360度対応可能な緊急センターとして活用も出来る。
東京への一極集中を是正し、地方都市の活性化を図るため、従来型の地方への助成金などでは限界的な効果しか期待できず、もっと抜本的なシステムの転換を図らなければ達成できないことは明らかだ。戦後の歴代政権の施策では地方の活性化を実現出来なかったばかりか、逆に東京への集中を招き、地方の人口減や限界集落の増加が加速していることからも明がだ。抜本的な転換が望まれる。(2019.5.1.改定、同7.4.補足)(Copy Rights Reserved.)
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財務、防衛、官邸を含む行政中枢の倫理と内部統制の破たん!(改訂版)

2019-12-12 | Weblog
 財務、防衛、官邸を含む行政中枢の倫理と内部統制の破たん!(改訂版)
 毎年4月下旬に行われる首相主催の「桜を見る会」を巡り、招待されている人数が現政権以前の2倍以上の18,000名を超えると共に、官邸枠、特に首相枠や特定議員枠などが急増し、事実上地元の選挙事務所推薦の一般人や企業役員等が入っていることが明るみに出た。「桜を見る会」は5,000万円超の官費(税金)を使った「公式行事」であるが、招待者リストを野党が要請したところ、所管している内閣府が10日後程度で資料をシュレッダーで廃棄し、更にコンピューターのデータも消去され、リストは出せないとしている。税金を使った行事であり、会計検査も国会の決算委も終わっていない段階での関係資料の廃棄であるので、事態は深刻だ。リストはどこかに残っていないはずがない。ホテルニューオータニで行われた首相側招待客800人ほどの前夜祭については、会費が1人5,000円とされるが、高級寿司店まで入っている会合であるので、通常は1人15,000円~20,000円内外と予想され、差額はホテル側が割り引いたとされる。しかしそうであるとすると、安倍選挙事務所関係者であるからホテル側が例外的な便宜を与えたことになり、贈賄になる可能性もある。
 ところが政権首脳による関係者優遇や公的資料の廃棄、偽造等は今回が初めてではなく、現自・公政権首脳の下で何度も行われてきている。このことは、恣意的な関係者優遇や公的資料の廃棄、偽造等が行政府全体に慣例化してきていると見られ、官邸を含む行政中枢の倫理(コンプライアンス)と内部統制の面で非常に深刻な問題をはらんでいる。
 1、防衛省事務方及び陸上自衛隊の不適正な情報管理と隠ぺい
 南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に陸上自衛隊員が派遣されていたが(2017年5月撤収)、同部隊が本部に行っていた日報が防衛省により公表されず、隠ぺいされていたことについて、稲田防衛相は7月28日、特別防衛監察の結果を公表した。
 国連平和維持活動に自衛隊を派遣する要件として最も重要な点は、紛争当事者間の停戦合意が維持されているか否かということであるだけに、南スーダンで武力衝突や戦闘行為があるか否かが大きな問題となっていた。現地部隊よりの日報には、南スーダンにおいて政府軍と反政府軍との間で‘戦闘’が発生していたことが報告されていた。
 今回の特別防衛監察結果から、陸上自衛隊及び事務方トップの事務次官については隠ぺいに直接関与していたことが明らかとなったが、防衛相による承認や黙認については、あいまいな表現となっている。
 いずれにしても、事務方も陸自も日報を不公表としたばかりか、一部破棄し、隠ぺいした。これが国連平和維持活動ではなく、日本自体の安全保障にかかわることであれば、国民は情報を隠されたまま、防衛省の言うことに騙される恐れがある。そのような防衛省、自衛隊に日本国民の安全を任せることは難しい。
 日本を巡る安全保障環境が悪化している今日、本来であれば防衛に必要な兵器や軍事機材と兵力の増強が不可欠であるが、このような防衛当局に更なる兵器や兵力を預けることは難しい。厳に防衛に必要な兵器、兵力水準にとどめるべきであろう。兵力も、陸自を大幅に削減し、空、海の防衛力強化を優先することが望まれる。
 2、稲田前防衛相は、未だに国会、国民に嘘をついている
 日報隠しに稲田防衛相(当時)が主導的役割を果たしたことはなさそうだ。しかし、2月の予算委審議で野党からこの問題を追及される中で、同大臣は陸幕幹部及び事務次官から‘情報公開の手続き’などについて説明されたとされている。しかし、そこにおいても稲田防衛相は、日報データの存在は知らされておらず、  
 また日報不公表を了承したことはないとされている。あり得ない。
 国会で日報問題が厳しく追及されている最中に、一般的に‘情報公開の手続き’などの説明に終わっていることはないであろう。百歩譲っても、大臣自体が質問もしなかったとすれば、不真面目且つ無責任であろう。
 稲田大臣(当時)は、‘一般的な監督責任’で辞職したとしている。同大臣は日報データの存在や日報不公表の了承(黙認)はないとしているが、明らかに保身のための嘘である。同大臣(当時)は、2月以来、国会で日報データの存在や日報不公表の了承(黙認)を否定し続けていたので、知っていたとすることは、大臣が国会で嘘をついていたこととなり、大臣の職だけでなく、議員辞職を求められる恐れがあるので、真実は語れなかったのであろう。そのため、陸幕幹部も事務方も真実は語れず、大臣から嘘を強いられた形となっている。
防衛省、自衛隊は、情報を隠し、廃棄し、また大臣答弁とつじつまを合わせるために嘘をつかざるを得ない状態になっている。行政倫理と内部統制の崩壊である。
類似のことは、森友学園における財務省、加計学園問題における文科省、内閣府、官邸でも起こっている。
 3、首相側が招いた破たんの連鎖
 森友学園問題で、首相、首相夫人は、同学園の「教育勅語」(明治天皇の下で出されたもので、戦後廃止)に基づく復古的教育方針を信奉しながら、超低価格での国有地売却問題が国会で問題視されるにつれ、森友学園と距離を置き、事実に反する弁明をし続けた。そのため財務省当局は、それとつじつまを合わせるため、資料隠しと記憶隠し、嘘、資料・データの廃棄などの不適正な対応を余儀なくされた。そして財務大臣がこれを擁護した。国の財政を担う行政としてはあってはならないことであり、財務行政、ひいては行政全体への信頼性を大きく失わせた。
 加計学園問題についても、国会で問題にされ始めると、首相サイドは加計理事長との距離を取り始め、加計学園の影響を否定することに終始したため、内閣府、文科省、官邸は、資料隠しと廃棄、記憶隠しと嘘を強いられたと言えよう。文科省については、当初は資料、データはないとしていたが、メデイアや一部議員に漏れたことから、一部を公表せざるを得なくなった。しかしこれにより、内閣府や首相補佐官等が記憶隠しや嘘でつじつまを合わせざるを得なくなったのだろう。良く‘言った、言わないの話’として片付けられる傾向がある。しかし、一方には一定の資料と証言があり、他方には記憶がなく、相手の主張を覆すことは出来ないのであるから、資料のある方に分があると言えそうだ。また会ったことを認めておきながら、それは言っていないとの主張についても、相手には記録があるのだから、記録に分がある。記録とはそのためにあるのだろう。
 更に防衛省の日報問題については、防衛省、陸自の問題として取り扱われているようだが、海外で活動する自衛隊員の任務と生命にかかわることであるので、‘戦闘’状態が報告された段階で、当然のことながら国家安全保障会議(首相が議長)に報告され、公表の有無を含め、審議されて良い問題であろう。首相サイドは、あたかも第3者的な姿勢を取り、防衛省内の問題であるかのように振舞っているが、指揮権を持ち、国家安全保障会議議長である首相自身が対応すべき問題であろう。
 4、首脳レベルの「桜を見る会」への無責任な言動
 上記のような行政幹部レベルでの法令遵守(コンプライアンス)や倫理の劣化、崩壊を背景として、「桜を見る会」への政府首脳、行政幹部の無責任かつ不適正な言動は、恐れていたことが起こっているということであろう。その前に金融庁の年金に関する「報告書」が財務相により受け取り拒否され、‘無かったことにする’という悪弊が定着して行ったのであろう。与党支持者や保守系マスコミ、有識者等の中には、これらの問題の追及を批判する者もいるが、そのようないわば甘い姿勢が、自・公連立政権によるこのような行動を許して来たのではないだろうか。
 今回の森友学園、加計学園問題、及び防衛省の日報問題、そして首相主催の「桜を見る会」の対応については、それぞれの問題での不適正な対応は正さなくてはならないが、最大の問題は、政権トップや関係閣僚の国会等での発言や説明が、関与、関係を否定し、事実に反する説明がなされたことに端を発している。そのため財務省、文科省、内閣府、官邸など、行政の枢要な関係部局でトップの発言に合わせるため情報を隠し或いは廃棄し、その上で記憶を消し、事実に反する発言まで行い、これが政権中枢により容認されたことであろう。それをやり通した担当局長が栄転している。公正、公平であるべき行政において、行政倫理と内部統制の崩壊という最悪の事態となっている。これが容認され、繰り返されれば、公正、公平な行政どころか、適正な行政事務までおぼつかなくなる。現政権は、この意味で戦後最悪、最低の政権と言えないだろうか。こんなことを国家公務員がしなければいけないのか。気の毒である以上に、嘆かわしくもある。

 いずれの件も、情報や意図を国民の目からそらそうとはせず、論外である「桜を見る会」は別として、それがなぜ必要か、どうすべきかなどをきちんと説明し、国会、国民の理解を得る努力をすれば、今回のような事態にはならなかったと思われる。
 このようなことが許され、誰も責任を取ることがなければ、行政事務において情報を隠し或いは廃棄し、その上で記憶を消し、嘘をつくということが容認、黙認された形となるので、日本の行政事務に大きな禍根を残す恐れがある。他方、事務レベルだけが処罰されるのでは気の毒すぎる。
 官僚人事について、日本は原則‘終身雇用制’になっているので、欧米諸国にように、政権が変わると課長以上の管理職を変えるという慣行はそのままでは適用困難だ。変えるならそれに見合う職を提供しなくてはならない。そうでないと職にしがみつくために、政権の意に反しない行動を強いられ、いわば人事による恐怖政治に陥る危険性がある。基本的に、公務員については、総合政策職を含め、終身雇用の職階制(年功序列)から職能制(同一労働、同一賃金)にすると共に、定年を含め年齢制限を廃止するなどの抜本的な改革が望まれる。
(2017.7.31. 2019.12.7.改訂)(All Rights Reserved.)
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