プチコミ情報局

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皆様からも面白く参考になる情報(正しい情報)をお寄せ下さい。

韓米軍事同盟に日本は参加すべきではないー再掲

2021-04-22 | Weblog
 韓米軍事同盟に日本は参加すべきではないー再掲
 韓国の康京和(カン ギョンファ)外交部長官は2017年10月30日、議会での外交関係の国政監査において、対北朝鮮防衛強化のため配備された米国の迎撃ミサイルTHAADを巡り悪化している中国との関係について、中韓首脳会談開催への期待を表明しつつ、次の3つの立場を明らかにした。
・THAADの追加配備は行わない。
・米国のミサイル防衛(MD)システムに参加しない。
・韓日米安保協力は軍事同盟に発展しない。
 これはTHAADの配備を巡り悪化している中韓関係の‘復元’、正常化を狙った発言と見られており、‘三不’政策とも言われている。
 これに対し中国外務省は、同日午後に報道官が康長官の発言に関連して、「韓国側のこうした3つの立場を重視する」とし、韓国側がこれを実際に行動に移すことを願う旨述べた。しかし中国側が、韓国外交部長官の発言を‘約束’との表現を用いたため、韓国内でも議論となっている。
 中国側は、韓国におけるTHAAD配備と共に、米韓日の軍事同盟化を強く警戒していると見られ、中国が10月の全人代で習体制を固めて以降、日本との関係を改善する姿勢になっているのはこれを阻止するためとも思われる。
 韓国が、米韓日の軍事同盟を望んでいなければそれに参加する必要はない。日本側がそのような意向を表明したこともない。もっとも軍事同盟については、一方の同盟国への北朝鮮を含む第三国からの攻撃は日本への攻撃とみなされ、参戦しなくてはならなくなるので、日本の現行憲法ではそのような軍事同盟に参加することは困難であろう。従って韓国側から言われるまでもない。
 そもそも朝鮮戦争は1953年の休戦協定により軍事対決こそ回避されているが、米韓両国と北朝鮮は現在でも敵対関係にあり、北の核、ミサイル開発は基本的に米韓への対抗措置として進められているものである。日本は、朝鮮戦争の当事国でもない。また第二次世界大戦後、北朝鮮とは平和条約を締結していないが、2002年9月に小泉首相(当時)と金正日総書記(当時)とで調印された日朝ピョンヤン宣言において、拉致家族問題の他、日朝国交正常化交渉の開始などが盛り込まれており、この宣言は自・公連立政権において破棄はされていない。
従って政策論としても、朝鮮半島有事の場合には米軍への必要な後方支援は行うことになろうが、日本及び日本国民の安全のためにも、米韓との軍事同盟に参加しないことが賢明な選択肢と言えよう。
(2017.11.23.)
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オリンピック開・閉会式典、ブタはタブーか?!

2021-04-22 | Weblog
シリーズ本音トークーオリンピック開・閉会式典、ブタはタブーか?!
 オリンピック・パラリンピック開会式、閉会式の企画については、1年延期され、コロナ禍での開催を考慮した簡素化のため、野村萬斎氏を中心とするチームが昨年解散され、クリエーティブ・ディレクターの佐々木宏氏が総括することとなっていた。
ところが同氏がチーム内のLineで、開会式に出演予定だった女性タレントの容姿になぞらえて豚の格好をさせるようなアイデアを提案したところ、メンバーがこれを「女性タレントの容姿を侮辱する」として問題視したようで、その内容がスキャンダル記事で勇名を馳せている某週刊誌オンライン(3月17日)に掲載された。
これがネット上などで「女性蔑視」の演出などとして批判され、佐々木氏は辞任する意向を表明し、橋本聖子組織委会長はこれを了承した。
森前会長の女性蔑視問題に端を発して組織委会長に就かされた橋本会長としては仕方ないことと思われるが、次の通り、他人の言葉尻等を捉まえて過敏に批判し、当該人を辞任に追い込むだけでなく、そのような例えや比喩を「差別的」などとして次々と日常の生活用語から消して行くことは、自由な表現や本音の発言を封じ、更に建前の発言に終始する文化やメデイアを作り出すのではないかと懸念される。
1、ブタはタブーか?
対象となった女性タレントは、お笑い系の女性芸人で、太った体型を活かしたてマライヤ・キャリーのものまねなどをし、そのギャップで内外において人気のタレントさんである。恐らく本人も体型を活かした芸風を意識しているのであろう。
辞任した佐々木氏の演出については見てみないと評価できない。ラインではブタの絵文字を使い連絡していたようであるが、恐らくは親しみを込めてそのようなアイデアを提案していたものと思われる。その女性芸人をブタに見立てる必要があるのかについては疑問だが、悪意はなかったのだろう。
ブタの衣装を着せるようなことは、コントやバラエテイなどでは男女を問わず時々行われており、また太っている芸人をブーちゃんなどと親しみを込めて呼ぶことも少なくない。悪意を込めて言えばいじめともなるが、男女差別用語でもなければ、それ自体タブー視すべきものでもない。
佐々木氏は今回のことで辞任する必要はなかったと思われるが、このような言葉尻を捉えて発言や行動を過敏に批判することが一般化していくと、神経過敏となり言動が萎縮し、発想や言葉自体が更に建前化する恐れがある。歴史的にも、倫理観や価値観が変化すると死語となる表現はあるが、今回はそれには当たらないようだ。
メデイアは、何を報道するかは自由であり、表現の自由は当然保障されなくてはならない。しかし当事者へのフェアーネスや社会的影響が考慮されると共に、禁句やタブーを神経質に次々と積み重ね、或いは放送用語が過度に抑制、制限されないよう十分に注意が必要のようだ。お笑い芸人が言葉を選んで発言しているのでは、面白くもおかしくもない。
2、 LineやSNSの危険性
 今回の問題は、Lineを通じてのグループ(お友達)内の連絡が発端となったが、何故グループ内の限定された連絡がメディアを通じて公にされたのかという問題がある。Lineは友達グループの間で自由に連絡しあえる便利なシステムではあるが、友達が友達を誘ってグループに入れることが出来るので、場合により余り知らない人がグループに入ってくることもあり、連絡内容も記録に残るので注意を要する。
 またこれとは別に、Lineの運用が委託されている中国の企業が会員の個人情報を取得していたことが明らかとなっている。デジタル通信は便利ではあるが、個人情報が漏れたり、なりすましなどが紛れ込んだりすることが日常的に起こりえるので、情報セキュリテイ、管理が不可欠である。その関連では、マイナンバーのように、1つのカードに個人の情報を詰め込むことの危険性を認識すべきであり、社会保障分野に限定するなど、簡素なものとすることが望ましい。情報セッキュリテイを徹底するという方法もあるが、そうすると操作が煩雑となり利用者の負担が更に増える一方、情報はいずれ何らかの方法で漏れることを認識すべきであろう。
この関連でマイナンバーは、一見便利そうだが、情報のインプットに膨大な作業と時間が必要となり、情報記載遅れやご記載で混乱し、処理しきれない状況となる恐れがある。公的年金だけでも、記載漏れや誤記載の前例がある。また情報セキュリテイを強化すると、利用者の負担が非常に大きくなる。所得税の申告の際、マイナンバーを記載することになっているが、同時に証拠書類としてマイナンバー・カードの写しと、それに加え、「本人確認のため」運転免許などの写しを添付することになっている。これを世間では二度手間というのではないだろうか。マイナンバー・カードは、利用者側の国民にとって効率的でも便利でもなさそうだ。
3、オリンピック・パラリンピック組織委への不信が背景
 今回の問題も、森前会長の女性蔑視発言問題も、組織委自体への不信、不満が背景にあったと見られる。
 組織委は、発足当初からエンブレム盗作問題、新国立競技場過大予算問題、更に小池都知事との確執などの問題が次々と表面化し、そのような失態続きの中で、森前会長の女性蔑視発言が大きな問題に発展したと言えるだろう。
 オリンピック・パラリンピックの性格上、特定政党と関係の深い政治家出身者が会長に就いたこと自体に基本的な問題があったと思われるが、その上身内びいきが強いなどの風評があり、事務局長(何故か事務総長に格上げ)も元財務官僚であった武藤氏を連れて来ている。同事務局長は、森前会長の女性蔑視発言で批判が出た際にも辞任を止めようとしており、この発言の意味合いを理解していないと見られている。事務総長として高額の俸給を得ているとも伝えられている。
 今回の佐々木氏の発言問題が辞任に発展したのは、このような組織委への不信が背景にあったと見られ、一連の失態の責任を速やかにとるのが筋であろう。その後は、橋本新会長が信頼できる事務局内の適当者を事務局長として事務を進めることが望ましい。(2021.3.22.)
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東京オリンピック3巨大施設で組織委ファースト!(再掲)

2021-04-22 | Weblog
シリーズ平成の本音―東京オリンピック3巨大施設で組織委ファースト!(再掲)
 2021年2月3日、オリンピック組織委森会長が、JOC臨時評議会において、女性理事40%目標との関連 
 で、女性は話が長い、増員するなら発言時間制限が必要との発言をし、また人気の無い芸能人は田ん 
 ぼで走ったらよいなどと発言したことが、差別的発言として報道された。翌4日午後、同会長は釈明会
 見を行ったが、メモを見ながらの「謝罪、発言撤回」で気持ちが伝わって来ないなどのコメントが多
 方面から寄せられている。同会長は、一生懸命努力して来ており、自分から辞める気持ちはないとし
 ているが、進退に発展しかねない状況になっている。同会長のご努力はその通りであろうが、4年前に
 組織委が設置された当初から、膨大な予算規模や都知事との確執などが伝えられると共に、お気の毒
 ではあるが健康上の問題もあり、お疲れになっている表情が痛々しいほどであり、もう少し早めの対
 応が必要ではなかったのではなかろうか。またオリンピック・パラリンピックというスポーツの祭典
 には、そもそも政治家や官僚OBが中心になることは、政治的中立性を含め不偏不党のスポーツ精神に
 なじまないのではなかろうか。他方、膨大な金が掛るから民間人は尻込みする状況となっているの
 で、このような金の掛るオリンピックが必要なのかも考える時期にあるのではなかろうか。そこで、
 本稿(2016.12.)を再掲したい。(2021.2.4.)

 2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて建設が検討されている3巨大施設について、小池都知事は就任後、巨額の費用となるボート、水泳、バレーボールの3施設建設の見直しを行うことを表明した。同知事が、選挙中に東京オリンピックに向けて国際都市東京としての努力と期待を述べつつ、全体として3兆円とも言われる費用が予想されることに疑問を呈するなど、都民ファーストの都政改革の必要性を訴え、圧倒的な多数で当選したことを受けての提言である。
 3施設の内、海の森水上競技場とアクアティクスセンターについては、IOC、東京都、政府、及びオリンピック組織委の4者協議を経て、従来の計画をスリム化して300~400億円の節減をすることで決着したようだ。
 バレ-ボールの有明アリーナについては、従来世界大会も開催されている横浜アリーナを活用する案と比較し、クリスマス前までに東京都が結論を出すこととされている。
 1、有明アリーナ建設となれば、横浜アリーナは2流となる!?
 流れとすれば、組織委(会長森元首相)とアスリート団体が新施設を希望していることを強調していることに加え、横浜アリーナを利用する場合の費用問題などから、多くのメデイアは結局のところ有明アリーナになるのではないかと予想している。
 組織委の森会長は、横浜アリーナ使用を含め、見直しに強い不快感を随所であらわにしているが、有明アリーナを建設することになれば、横浜アリーナは恐らく将来バレーボールに使われることはほとんどなくなると共に、いわば2流の地方的イベント会場になる恐れがある。横浜市や神奈川県がそういうことでも良ければ仕方がない。
 2、東京都民は巨大施設の見直しや都政改革を選択した
 新しい施設を作ってくれるのであれば、アスリートや関係団体と組織委はそれを強く求めるであろう。しかしそれは都民の税金で負担されることを忘れてはならない。もし組織委等がアスリートファーストに固執するのであれば、それを支持する。しかし費用はアスリートや関係団体、組織委が努力して寄付等を募って工面すべきであろう。東京都民としては、オリンピック・パラリンピックの成功を願うが、その負担を都民に押し付けられることは望まないであろう。都民は都政改革を訴えた小池知事を選んだ。都民ファーストとは言わないまでも、消費増税と日常物価上昇の中で事業税、住民税の負担感が強くなっており、そんなにオリンピックで贅沢が出来るのであれば、事業税、住民税の引き下げを望みたい。
3、国家的ビジョンに欠ける東京オリンピック・パラリンピック2020
 また基本論として、東京に新国立競技場の他、そのような大規模施設を集中させてどうする積りか。採算性も重要だが、そのような大規模施設を作れば、更に機能や人が東京に集中し、地方は更に取り残されることになり兼ねない。今回の東京オリンピック・パラリンピックについては、東京を将来どうするのか、地方をどう活性化して行くのかという国家的なビジョンにも欠ける。と言うよりも、東京の機能の分散と地方の活性化の方向に反するのではないか。
 4、組織委の人事刷新が不可欠
 今回の東京オリンピック・パラリンピックについては、組織委の対応が失態続きで、際立って悪い。新国立競技場の法外な費用問題、エンブレム問題、そして今回の都が負担する巨大施設の膨大な建設費問題など、建設費が高騰していると業界はしているとは言え、費用をもりにもった放漫姿勢やガバナンスの欠如が懸念される。組織委ファーストの姿勢が随所に見える。
巨大施設問題が決着すれば道筋は出来るので、組織委の会長と事務総長が交代する良い機会ではなかろうか。(2016.12. 3.)    
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政党交付金は廃止すべし

2021-04-22 | Weblog
 政党交付金は廃止すべし
 総務省は、11月27日、2019年分の政治資金収支報告書(中央分)を公開した。収入総額は、1,098億円(前年比1.3%増)で、参院選があり借入金が例年の約5倍の36.5億にものぼるので、借入金を差し引くとネットで1,063億円になる。その内自民党の政党本部収入は約245億円で、ダントツのトップである。
 1、政党交付金にあぐらをかく政党、各候補個人への選挙費助成に転換すべ
多数党で最も多く議員を擁しているので当然と言えば当然であるが、自民党本部の収入の72%強の約176億円が税金を財源とする「政党交付金」であることは驚きだ。まるで政府がほぼ丸抱えした政党が与党となっている。これではまるで中央専制国家のようで、政権与党の税金お手盛り振りが明らかのようだ。その上、自民党本部は戦後75年も経っている今日でも、国会に至近の国有地を割安で賃貸しており、まるで国立政党のようだ。
 これはいかにも異常で、民主主義国家であれば、政党は基本的には個人や企業・団体の浄財、任意の寄付で運営されることが望ましい。長期に亘り政権を担ってきた政党の72%強の収入が国民の貴重な税金である政党交付金で賄われ、政党本部が国有地を優先使用している現状は、共産主義国や独裁国家と余り変わらず、民主主義とは言えないのではないだろうか。  
戦後直後ならまだしも、75年も経っている今日、政党助成金を廃止して、候補者個人への選挙費助成金とする時期ではないか。その方が、助成を受けた候補が国民の税金の有難味が分かるのではないだろうか。また各政党が国民から支援を広げる努力をするようになるのではないだろうか。

 2、河井案里議員側が自民党より受領した支援金1.5億円は政党交付金から
 2019年7月の参議院議員選挙に際し、自民党は、擁立した河井案里側に1億5千万円の支援金を提供した。それが、案里側により、車上運動員(通称うぐいす嬢)に法定上限2万円を超える報酬支払いや県議や市議、市長等に配られた疑いで、案里議員事務所と夫である河井克行衆院議員(元法相)が公職選挙法(買収)及び政治資金規正法違反の容疑で起訴され、まず案里事務所の公設秘書が禁固1年6ヶ月、執行猶予5年の有罪判決が確定した。
 河井衆院議員の判決は別途行われることになるが、自民党から通常1200万円/人と言われている選挙支援金の10倍を超える1.5億円もの支援金が出されていなければ、これだけ広範な選挙違反行為が行われていなかったであろう。その支援金は、税金を財源とする政党交付金から出されていることが分かっている。1.5億円の税金で買収等の選挙違反行為が行われたということであり、納税者である国民としては納得できないであろう。
 党の政党交付金管理責任と結果責任が問われそうだ。また政党交付金が選挙違反行為の原資になったと見られることから、遅滞なく全額を国庫に返納することについても問われるのではなかろうか。

 3、共産党、自助努力で204.5億円の党収入を確保
 共産党は、政党交付金を受けず、党員による会費と機関誌赤旗の販売など自助努力により、同年204.5億円の党収入を確保している。自民党に次ぐ高額の党収入であるが、政党交付金無しの自助努力ではダントツの1位となっている。
 要するに、政党交付金無しでも、会費、事業収入などの自助努力で党収入は図れるということであり、与野党を問わず、会費、事業収入などの自助努力で党費、政治活動費を賄うという、民主主義本来のあり方を築いて欲しいものだ。
 もっとも、共産党は中央統制による共産主義というイデオロギーを信奉するグループであり、多様性を基礎とする自由、民主主義、自由市場主義という日本を含む世界の大多数の諸国に共有されている価値観とは相容れない、絶対的なイデオロギー信奉政党であるので、他の政党が会費などの自助努力で党収入を図ることには困難があるだろう。しかし民主主義政治の基本はそういうことであるので、そのような政治環境を構築するのも政党の仕事であろう。
 他方、共産党はこれまで党収入が潤沢であったため、原則として全ての選挙区で候補者を立てているが、野党の票を喰う結果となっているので、野党の発展を阻害する結果となっていることも否めない。共産党の存在は、保守政党にとっては都合の良い存在となっているのが現実であり、同党がイデオロギー信奉を離れ、国民政党となることが問われているのではないだろうか。いずれにしても、野党同士が食い合う状況を解消することが課題だろう。
 なお、公明党は、政党交付金を受けているが、会費収入や機関誌発行などの自助努力で129億円規模の第3位の収入を図っている。もっとも公明党は、宗教団体である創価学会メンバーのいわば下部組織であり、宗教的信仰を基礎とするものであるので、他の政党の参考にはならないだろう。
 いずれにしても、何時までも税金を財源とする政党交付金に依存し続けているのでは、民主主義政党としては努力が足りないと言えるだろう。政党交付金は廃止し一定の基準を設け、候補者個人への公職選挙支援助成金に転換すべき時期ではなかろうか。(2020.12.1.)
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森友学園公文書改ざん問題、新証拠で再審査か!(再掲)

2021-04-22 | Weblog
シリーズ本音トークー森友学園公文書改ざん問題、新証拠で再審査か!(再掲)
 国有土地を常識外の低価格で売却しようとしていた森友学園問題で、公文書の改ざんを実際に行い、自殺した近畿財務局の職員(当時国有財産管理官)の「手記」が同職員妻により公開され、生々しい手記の内容と共に週刊誌が報じた。
遺族側は、改ざんを指示したとされる佐川理財局長(当時)と国(財務省)に対し民事訴訟を起している。民事訴訟に際し、同手記の公開に踏み切ったと思われる。
公務員は公務中の活動につき退職後その責任を問われないとしている。他方政府(財務相側)は、改ざんを強いられ自殺した職員が残した記録と政府の考えとは一致しているとして、再調査はしないとしているが、それは財務省(佐川元理財局長)が近畿財務局を介して同職員に改ざんを執拗に強いたことを認めたに等しいので、国家(財務省)責任は免れそうにない。
1、「新証拠」となる改ざん指示を受け自殺した職員の「手記」
同手記によると、森友学園側への超低価格での国有地売却に安倍首相夫人の影響が国会で問題になり、首相がそれを強く否定したことから、超低価格での国有地売却の経緯を記した公文書(本部財務省理財局への超低価格での売却に繋がる報告、申請書類などと思われる)を改ざんすることになった模様であるが、その指示は「すべて、佐川理財局長(当時)の指示」と明記され、また直属の上司である「近畿財務局長に報告したと承知」とも記されていると報じられている。近畿財務局への具体的な指示は本部理財局よりなされたものであろうが、指示は、「資料は最小限にする」、「できるだけ資料は示さない」など詳細で、関連文書の改ざんは佐川理財局長(当時)の指示により組織的に行われたとみられる。
 ‘死人に口なし’とは言われるが、上層部より指示を受け、既に決済された公文書を改ざんした職員が残した「手記」であれば、この事案の「新たな証拠」と言える。
森友学園問題で、不当に安い価格での国有地売却により国に損を掛けた背任の疑いや公文書改ざん、関係文書・資料の保存期限内廃棄等が疑われたが、当時この事件を担当した大阪地検特捜部の女性特捜部長が佐川元理財局長を不起訴としたが、その後間もなく函館地検に転勤となり、昨年末に大阪地検の次席検事に栄転しているようだ。本件は、検察審査会での再審要請についても不起訴とされている。
 改ざんした職員が残した「手記」という新たな証拠が明るみに出た今日、捜査のやり直しが検討されなくてはならない。

 2、財務省の再調査は不可避か!
 この「手記」に関し問われ麻生財務相は、2018年6月に財務省の調査は公表されており、「手記と調査報告書の内容に大きな乖離があると考えていない」と述べ、再調査は今考えていない旨明らかにしている。安倍首相も再調査は必要ないとしている。
 しかし「手記と(財務省)調査報告書の内容に大きな乖離がない」とすると、財務大臣は佐川元理財局長の指示で公文書を改ざんし、多量の関係文書を廃棄させていたことを知っていたことになり、事態は深刻だ。いずれにしても「手記」
が、佐川元理財局長の指示であったこと、及び、関連公文書を改ざんし、本来の文書類が廃棄されていることが明らかになった以上、再調査は不可避のように思われる。

3、公文書の廃棄、改ざんの前例としてはならない森友学園事件
この森友学園事件で公文書の保存期限内廃棄、国会や検察はもとより、マスメデイアやコメンテーター等が改ざんを見過ごしてきたことが、その後の防衛日報の隠蔽、加計学園問題など、更には「桜を見る会」での招待者リストの廃棄、データの破壊等を招いているのではないだろうか。
それをどこかで止めないと、善意の公務員が不正を強いられ、不幸の連鎖が起こることになると共に、公平、公正であるべき正義は守られず、国家機構や民主主義体制自体が劣化する恐れがある。(2020.3.25.)
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靖国参拝はどこの国でもあることなのか!?(改定版)

2021-04-22 | Weblog
 靖国参拝はどこの国でもあることなのか!?(改定版)
 2013年8月15日、第2次安倍内閣が発足した年の終戦の日に、総務大臣と国家公安委員長・拉致担当相、及び行革担当相がそれぞれ閣僚として靖国神社を参拝し、安倍首相が党総裁補佐官を名代として総裁名で玉串料を収めた。また自民党、次世代の党など保守派議員や小泉進次郎復興担当政務官などが参拝した。
 これに対し、官房長官は記者会見での質問において、“国のために命を失った方々に尊崇の念をもって参拝するのである”としつつ、“これはどこの国でも行っていること”として肯定した。
一面その通りだ。信条、宗教の自由があるので、個人の自由であり、この点は中国、韓国も理解し、尊重して欲しいところである。
 しかし、“これはどこの国でも行っていること”ではない。靖国神社は2つの面で日本独特の特殊な神社であり、それを理解しないと靖国参拝問題を理解したことにはならない。
 それから6年後の2019年8月15日、安倍首相は稲田党総裁特別補佐を名代として玉串料を収めた。超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長 尾辻秀久元参院副議長)の約50人(主に自民党と維新の会など)が集団で参拝した。また小泉進次郎議員などが個別に参拝した。
 稲田党総裁特別補佐によると、首相の玉ぐし料は私費で、個人名でなされたとし、『わが国の平和と繁栄が、祖国のために命を捧げた英霊のおかげであるとの感謝と敬意を表する』との言葉を預かったと伝えられている。
 日本人の多くも、日本のために戦い命を落とした人たちの冥福を祈る気持ちには変りがないのだろう。しかし靖国神社には、戦争で命を落とした人達だけでなく、大東亜戦争を経て太平洋戦争を主導、遂行した軍、政府の責任者が祀られており、この人達に対し『感謝と敬意』を表すとは一体何なのであろうか。
 1、靖国神社による“A級戦犯の合祀”の意味するもの
 日本のメデイアでも、首相、閣僚の靖国神社参拝は中韓両国との外交関係への影響として報道されることが多いが、この問題は、第二次世界大戦で沖縄が本土決戦地となり、広島、長崎が原爆投下被害に遭った他、東京ほか主要都市が集中的な空爆被害に遭い、南太平洋に展開されていた軍人の他、一般民間人を含め約310万人もの日本人が犠牲となり、都市が焦土と化すなど、甚大な被害を与えたことを考えると、日本自体の問題として考える必要がある。
 靖国神社は軍人、国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として明治時代に建立されたもので、軍関係者のための特殊な神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人も祀られている。しかし特殊であるのは、戦後に戦勝国の連合国が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われたが、最も重いA級戦犯と判決された政府及び軍の指導者が、他の一般戦没者と共に1978年10月に靖国神社に合祀されたことにある。A級戦犯として東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人が死刑判決を受け、これら7名ほか戦争遂行責任者が靖国神社に合祀されている。
 日本人の多くも、日本のために戦い命を落とした人たちの冥福を祈る気持ちには変りがないのだろう。しかし靖国神社には、戦争で命を落とした人達だけでなく、大東亜戦争を経て太平洋戦争を主導、遂行した軍、政府の責任者が祀られており、この人達に対し“感謝の気持ちと尊崇の念”や『感謝と敬意』を表すとは一体何なのであろうか。

 2、戦争遂行責任を曖昧にしたままでは歴史認識は定まらない
 極東国際軍事裁判の公平性については疑問視する者も少なくないが、多くの国民は、300万人を越える人命と多数の都市に甚大な損害を与えた政府、軍関係者の結果責任は重大であり、そのような責任者までに『感謝と敬意』を表明することに強い違和感を持ち不条理を感じるであろう。
第二次世界大戦で軍人だけでなく、多くの民間人を含め日本人が310万人ほど命を失っている。少なくてもこの戦争を主導し、310万人もの日本人を失わせた結果責任は政府、軍責任者にあり、また統帥権を持っていた天皇についても少なくても監督責任はある。
 またこの戦争において、中国、韓国を中心として多くの命や財産などを奪ったことも事実であり、その精神的責任を問われても仕方がない。それが現在も韓国と中国の間で問題として戦後74年経っても尾を引いている。歴史認識の問題である。歴史的事実については、誇張や曲解がありその点は改善が必要であり、また日本国民としての信仰、信条の自由があることも理解して欲しいところではあるが、このような状況では真の相互理解は今後とも難しい。
 そうだとすると、日本国民も日本の将来を左右する深刻な問題として戦争責任の問題を捉え、勇気をもって判断しなくてはならなそうだ。(2013.8.15. 2019.8.15.改定)
 2013年8月15日、第2次安倍内閣が発足した年の終戦の日に、総務大臣と国家公安委員長・拉致担当相、及び行革担当相がそれぞれ閣僚として靖国神社を参拝し、安倍首相が党総裁補佐官を名代として総裁名で玉串料を収めた。また自民党、次世代の党など保守派議員や小泉進次郎復興担当政務官などが参拝した。
 これに対し、官房長官は記者会見での質問において、“国のために命を失った方々に尊崇の念をもって参拝するのである”としつつ、“これはどこの国でも行っていること”として肯定した。
一面その通りだ。信条、宗教の自由があるので、個人の自由であり、この点は中国、韓国も理解し、尊重して欲しいところである。
 しかし、“これはどこの国でも行っていること”ではない。靖国神社は2つの面で日本独特の特殊な神社であり、それを理解しないと靖国参拝問題を理解したことにはならない。
 それから6年後の2019年8月15日、安倍首相は稲田党総裁特別補佐を名代として玉串料を収めた。超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長 尾辻秀久元参院副議長)の約50人(主に自民党と維新の会など)が集団で参拝した。また小泉進次郎議員などが個別に参拝した。
 稲田党総裁特別補佐によると、首相の玉ぐし料は私費で、個人名でなされたとし、『わが国の平和と繁栄が、祖国のために命を捧げた英霊のおかげであるとの感謝と敬意を表する』との言葉を預かったと伝えられている。
 日本人の多くも、日本のために戦い命を落とした人たちの冥福を祈る気持ちには変りがないのだろう。しかし靖国神社には、戦争で命を落とした人達だけでなく、大東亜戦争を経て太平洋戦争を主導、遂行した軍、政府の責任者が祀られており、この人達に対し『感謝と敬意』を表すとは一体何なのであろうか。
 1、靖国神社による“A級戦犯の合祀”の意味するもの
 日本のメデイアでも、首相、閣僚の靖国神社参拝は中韓両国との外交関係への影響として報道されることが多いが、この問題は、第二次世界大戦で沖縄が本土決戦地となり、広島、長崎が原爆投下被害に遭った他、東京ほか主要都市が集中的な空爆被害に遭い、南太平洋に展開されていた軍人の他、一般民間人を含め約310万人もの日本人が犠牲となり、都市が焦土と化すなど、甚大な被害を与えたことを考えると、日本自体の問題として考える必要がある。
 靖国神社は軍人、国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として明治時代に建立されたもので、軍関係者のための特殊な神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人も祀られている。しかし特殊であるのは、戦後に戦勝国の連合国が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われたが、最も重いA級戦犯と判決された政府及び軍の指導者が、他の一般戦没者と共に1978年10月に靖国神社に合祀されたことにある。A級戦犯として東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人が死刑判決を受け、これら7名ほか戦争遂行責任者が靖国神社に合祀されている。
 日本人の多くも、日本のために戦い命を落とした人たちの冥福を祈る気持ちには変りがないのだろう。しかし靖国神社には、戦争で命を落とした人達だけでなく、大東亜戦争を経て太平洋戦争を主導、遂行した軍、政府の責任者が祀られており、この人達に対し“感謝の気持ちと尊崇の念”や『感謝と敬意』を表すとは一体何なのであろうか。

 2、戦争遂行責任を曖昧にしたままでは歴史認識は定まらない
 極東国際軍事裁判の公平性については疑問視する者も少なくないが、多くの国民は、300万人を越える人命と多数の都市に甚大な損害を与えた政府、軍関係者の結果責任は重大であり、そのような責任者までに『感謝と敬意』を表明することに強い違和感を持ち不条理を感じるであろう。
第二次世界大戦で軍人だけでなく、多くの民間人を含め日本人が310万人ほど命を失っている。少なくてもこの戦争を主導し、310万人もの日本人を失わせた結果責任は政府、軍責任者にあり、また統帥権を持っていた天皇についても少なくても監督責任はある。
 またこの戦争において、中国、韓国を中心として多くの命や財産などを奪ったことも事実であり、その精神的責任を問われても仕方がない。それが現在も韓国と中国の間で問題として戦後74年経っても尾を引いている。歴史認識の問題である。歴史的事実については、誇張や曲解がありその点は改善が必要であり、また日本国民としての信仰、信条の自由があることも理解して欲しいところではあるが、このような状況では真の相互理解は今後とも難しい。
 そうだとすると、日本国民も日本の将来を左右する深刻な問題として戦争責任の問題を捉え、勇気をもって判断しなくてはならなそうだ。(2013.8.15. 2019.8.15.改定)
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